第三十三話 粛清
シンと冷たい【氷都】の夜道を、一人の女が軽やかに歩いていた。
そばかすの散った頬に、細い目、吊り上がるようなニヤけ顔――その正体は、もちろんランである。彼女は、ウキウキとした様子でひとり呟いた。
「ふっふっふふーん♪ 今日の稼ぎは……58万! やったでぇ、大儲けや! レイちゃんにも何か奢ったろーっと」
吹き荒ぶような北の気候とは裏腹に、賭場で荒稼ぎをしてきた彼女の懐は暖かい。
しかし、その調子も長くは続かなかった。
「おい……。待てよ、そこのアマ」
「おん? 何やねん、オンナノコに向かって、無礼なやっちゃな」
ランが振り返ると、そこにいたのは先ほどポーカーで勝負した、色眼鏡の男だった。
どうやら、賭場からランの後を追いかけてきたらしい。
「悪いな。あれだけコケにされたとあっては、タダで返すわけにはいかねえんだ」
「えー? 悪いけど今日はパスで! あったかいベッドがウチを待っとんねん」
ランのおちょくったような返答を聞き、男の額に青筋が浮かぶ。
「何もされないと思って舐めてるのか? ……おい、お前ら!」
「ツレねぇこと言うなよ、ねーちゃんよう」
「舐めてんじゃねえぞ? テメェ!」
「はいはい、怖くないからね〜? ちょっと用事があるだけだからさぁ〜」
号令に合わせて、色眼鏡の男の背後から、ゾロゾロと彼の手下たちが現れる。
どうやら、ランのことを追いかけていたのは、一人だけではなかったようだ。
「これで分かったろ? 怪我したくなかったら、大人しく着いて来い」
夜中に、ガラの悪い男たちの集団に取り囲まれると言う状況。
暴力と縁のない一般人なら、声も出せずに震えることしかできなかっただろう。
若い女性ならば、尚更だ。
「……ま、ウチも聞きたいことあったし、ちょうどええわ。着いてったる」
しかし、ランには一切、男たちを恐れている様子はなかった。
ランの余裕を滲ませた態度に、色眼鏡の男を始めとした【白牙】の構成員たちは、一様に「舐められている」と感じた。
「……着いて来い」
「はいはーい」
苛立ちを滲ませた声で、着いてくるように命令されたラン。
しかし、それに対する彼女の返答には、やはり一欠片の恐怖も宿ってはいなかった。
***
ランが【白牙】の男たちに連れ去られて少し。
そこから僅か十数mほど離れた倉庫の中で、ランは鋼鉄製の椅子で拘束されていた。
どうやら普通の椅子ではなく、荒事に使用するための特注品らしい。
その証拠に、肘掛けや椅子の脚は拘束具になっており、ランの四肢を固定している。
鋼鉄製の手枷や足枷で縛り付けられたランの姿は痛々しく、これから起こる悲劇を予感させるようである。
しかし、絶望的な状況にも相変わらず、彼女の表情には余裕が滲んでいた。
それどころか、今もうっすらと笑みさえ浮かべている。
その様子には、男たちも怒りを通り越して、呆れさえ抱いていた。
「……お前、今の自分の立場を分かってるのか?」
「うん? だから、聞きたいことがあるから来たって言うたやん? なーなー、こん中でいっちゃんの情報通は誰なん? 教えてや!」
「ふざけてんじゃねえぞ、テメェ!」
いつまでも余裕そうな表情を崩さないランに、とうとう色眼鏡の男が激怒した。
ガッとランの胸ぐらを掴み上げると、思い切り凄む。
「きゃーこわーい! ……ほんで? 誰に聞けば分かんの?」
しかし、ランには全くといっていいほど脅しが通用していない。
その事実を認識した色眼鏡の男は、抑えきれないほどの怒りで身体を振るわせながら、ランの服から乱暴に手を離した。
最初は、少しばかり脅しつけた後に、奴隷として売り払うつもりだった。
しかし、ランの人をおちょくるような態度を見て、男は最初のプランを断念することにした。もちろん、ランを解放するつもりは毛頭ない。
どんなに生意気な女にも、これほどコケにされたことはなかった。
このふざけた女には、その代償を払わせてやらねば、【白牙】の面子が立たない。
色眼鏡の男は、苛立ちがはっきりと滲んだ声で、部下に命じた。
「おい、お前。……やれ」
その命令に、黙って前に進み出てくる部下の男。
その手には、大ぶりなナイフが握られていた。
「ちょ、ええ!? 本気なんか!? ぼーりょくはんたい!」
男の持つナイフを見たランが、ここに来て身を捩って暴れ出す。
それを見た色眼鏡の男は、わずかながら溜飲を下げたように言った。
「今更、後悔しても遅いぜ。俺らを舐めた罰だ。たっぷりツケは払ってもらうからな」
「いやぁー! お助けぇ!」
ランは抵抗しているようだが、四肢をガッチリと拘束具で押さえつけられているため、逃げ出すことは不可能だ。それどころか、この鋼鉄製の椅子でさえ、鋲で床に固定されており、身体ごと倒れることもできないようになっていた。
「……運が悪かったなぁ、ねーちゃん」
「いやぁー!」
悲鳴をあげるランにどこか同情的な視線を向けながら、部下の男が迫る。
そして、拘束されたランの手の甲に向けて、思い切りナイフを振り下ろした。
鋭利なナイフが柔らかな皮膚を吹き破り、噴き出した血液が床を濡らす。
手の甲に食い込んだ刃先が中手骨に擦れて、ガリガリと痛々しい音が響く。
絹を裂くような女の悲鳴が、冷たい倉庫に木霊する……。
そんな残酷な光景を、男たちは予感していた。
しかし、男たちの耳に飛び込んできたのは、バキンと言う乾いた金属音だけだった。
「…………は?」
部下の男の手に握られていた、大ぶりなナイフ。
その刃先が、半ばからへし折れていた。
「……なっはははは! 引っかかってやんの! びっくりしたー?」
椅子に拘束されたままのランが、堪えきれなかったように爆笑する。
【白牙】の構成員たちは、呆然としていた。
この場にいる人間は、当人であるランを除いて、誰一人として、何が起きたのか理解できていなかった。
いや、それどころか、目の前の現実が受け入れられずにいた。
ランの皮膚の硬度が、振り下ろされたナイフの強度を上回っているなど、あり得ないことだったからだ。それは、男たちの常識からすれば、あってはならないことだった。
「あー、笑った笑った。もうええかな? ……よっこいしょっと」
そう呟いたランは、何の痛痒も感じていないかのように、その場で立ち上がった(・・・・・・・・・・)。
彼女が手で触れると、拘束具がバキバキと音を立てながら軋み、引きちぎられ、呆気なく壊れて床に散らばる。
鋼鉄製だったはずのそれが、砂糖菓子のように粉砕されると言う、非現実的な光景。
ランは女性にしては高身長であるが、かなり痩せている。
そのため彼女は、一見すると非力な女性でしかない。
そのランが、素の身体能力だけで鋼鉄製の拘束具を破壊できるはずがなかった。
「……くそっ、【心理能力】か!」
ここにきて、目の前の現象が【心理能力】によるものだと言うことに、男たちもようやく気がついたようだ。
この場合は無理もないだろう。戦闘に耐え得る等級の【心理能力者】など、そうそういるものではない。ましてや、ナイフを弾き返せるレベルともなると、治安維持を司る【銀】や、プロの戦闘部隊である【紅】や【蒼】クラス。薄汚れた賭場にそのような猛者が出現するなど、男たちの想定を遥かに超えていた。
しかし、男たちも素人ではない。
「囲め! 囲め!」
「ぶっ殺せ!」
男たちは口汚くランを罵りながら、慌てて周囲を取り囲む。
その様子を見たランは、口の端を釣り上げるようにして、嬉しそうに笑った。
それは子どもがお気に入りのおもちゃを与えられた時のような、純粋な喜びに満ちた笑みだった。そして、それだけにたいそう不気味だった。
その余りの場違いさに、周囲を囲んでいる男たちも微かな動揺が漏れる。
「死ねオラァ!」
その不気味さに耐えきれなかったのだろう。
【白牙】構成員の一人が、聞くに耐えない罵声をあげながら、手に持った金槌をランの頭部めがけて振り下ろした。
金槌といっても、日曜大工に用いるようなものではない。
もちろん、白兵戦に用いる戦鎚でもない。
肉叩き用のハンマーのように、口の部分(打撃を加える平たい部分)が広く作ってあり、無数の棘が生えているものだ。
ただし、その棘は肉屋のそれとは異なり、もっと鋭利で細かい。
おそらく拷問用の鈍器だろう。しかし、人を殺傷するのには十分な凶器だ。
まともに殴られれば、重傷を負うことになる。
当たりどころが悪ければ、当然、相手を死に至らしめるだろう。
ランは、思い切り振り下ろされたハンマーを、
「ほいっと」
苦も無く、受け止めて見せた。
それも、棘の飛び出た打撃面を手のひらで掴み取っている。
明らかに最も殺傷能力の高い箇所に素手で触れているにも関わらず、ランの手のひらからは、一滴の血も流れてはいない。
それどころかハンマーの口部分から生えている棘の方が、グニャリとへし曲がっていた。単に掴み取ったのではなく、棘付きの鉄塊を、手のひらで握りつぶしているのだ。
それを見て、ハンマーを振り下ろした男は、思い切り顔を引き攣らせる。
しかし、その動揺も長くは続かなかった。ランが反撃したのだ。
「ほんなら次は、ウチの番や!」
場違いに明るい声を上げながら、ランが無造作に拳を振るう。
ただし、その拳は無造作でありながらも、途方もない速度と威力を備えていた。
棍棒を振り下ろした男は、荒事に慣れてはいたものの、所詮は単なるチンピラでしかない。当然、ランの拳撃を回避できるはずもなく、男は彼女の放ったパンチをまともに食らった。ランの拳は、吸い込まれるように男の頭部に命中する。
そして男の頭部は、何の抵抗もなく、木っ端微塵になった。
まるで高所から落としたスイカのように粉砕された男の残骸が、血飛沫となって周囲の男たちに降り注ぐ。
「ひぃ……」
「ば、バケモンが!」
目の前で仲間の頭が弾け飛ぶ瞬間を見せられた男たちは、明らかに腰が引けていた。
しかし、そのようなことで止まってやるようなランではなかった。
今度は、近くにいた別の男の腕を引っ掴むと、そのまま力任せに引っこ抜く。
更なる血飛沫が倉庫内を汚し、腕を失った男の絶叫が響き渡る。
果物を木からもぐような気軽さで男の腕を奪ったランの顔は、無邪気な笑顔で溢れていた。少なくとも、彼女が目の前の惨状に心を痛めていないのは明らかだ。
それどころか、追撃とばかりに、のたうち回る男の頭部を踏み潰し、その飛沫を浴びて笑っている姿は、周囲の男たちに圧倒的な恐怖を植え付けた。
ここにきて【白牙】の構成員たちは、ようやく理解した。
追い詰められていたのは、実は自分たちの方だったのだと。
捕食者は男たちではなく、彼女の方だったのだ。
男たちの間に、ぞわりと恐怖が広がる。
それは理解できないものに対する恐怖であり、自分たちよりも圧倒的な強者に対する、根源的な恐怖でもあった。
「――動くなァ!」
そんな中、色付きメガネの男が、恐怖を振り払うように叫ぶ。
彼が懐から取り出したのは、大型の拳銃だった。
その照準は、ぴたりとランの頭部に合わせられていた。
分かりやすく強力な凶器に、周囲の男たちは少しだけ余裕を取り戻した。
どんなに強力な【心理能力者】であっても、拳銃に対抗できるような猛者はほんの一握りだ。
なぜならば、【心理能力】は、使用者の認識に依存するからだ。例えば、火炎を放射するタイプの【心理能力】には、水の【心理能力】で対抗することができる。
実際には、【心理能力】で生み出した物体や引き起こされた現象は、物理法則に縛られることはない。実際の物理現象に依るものではなく、【心理能力】によって生み出されているのだから当然である。しかし、全く同じ出力で火と水の【心理能力】をぶつけ合った場合でも、水の【心理能力】が優位に働くと言う現象が生じることが多い。これは、「火は水で消える」と言う“常識”が、【心理能力】の使用者の中に存在していることによるものだ。【心理能力】は、使用者の精神状態に大きな影響を受ける。
そのため、例えどんなに頑丈な【心理能力者】であっても、拳銃には抵抗できないことが多い。「自分の身体の硬さよりも、拳銃の威力の方が強い」と言う認識が、無意識に働くためである。
そして、色付きメガネの男が見たところ、ランの能力は閉鎖型の強化系統。
先ほどの無茶苦茶な威力のパンチや、ナイフを弾き返してみせた皮膚の硬度からして、自身の身体機能を、物理的法則を無視して引き上げるタイプの【心理能力】だろう。
つまり、その【心理能力】の認識は、自身の身体能力に起因するものだ。
拳銃での攻撃が無効になることは、ほとんどない。
それに加えて、色付きメガネの男には、ランの【心理能力】のカラクリを看破できていると言う自信があった。
「見えたぜ……テメェの【心理能力】」




