第三十二話 賭場
レイが早々にベッドに潜り込んでから、1時間後。
夜間にホテルを抜け出したランはというと、真面目に聞き込みを行なっていた……。
「っしゃあ! 5倍付けや! これで捲ったで!」
「くそっ! ねーちゃん、バカヅキかよ!」
「そんじゃ、次のゲームに行くわ! おっちゃん、あんがとな!」
「ちくしょうめ! 次は負けねえからな!」
……というわけでは、勿論なく。
ランは、最初に行方不明になった警邏の男が入り浸っていたという賭場で荒稼ぎしているところだった。
彼女が意気揚々とダイス・ゲームのテーブルを後にすると、負け惜しみを多分に含んだブーイングが背後から浴びせられた。
自分へ向けられる悪罵を物ともせず、ランは次の狩場へと向かう。
最後のテーブルで行われていたのは、トランプカードを使ったゲームだった。
「やっ! ウチも混ぜてぇな!」
ランがテーブルに近づくと同時に、非友好的な視線がランを出迎えた。
先ほどまでランが参加していたダイスだけでなく、既に彼女はルーレット、ダーツ、ビリヤードのテーブルで勝利を納めてきている。そして残るはカードだけ。
突然現れたランの勝ちっぷりは、既にこの賭場全体に知れ渡っている。
あれだけ派手に荒稼ぎしていれば当然だが、そもそも若い女性の客が珍しいということもあって、ランは非常に目立っていた。
ランのことを単なるカモだと認識している客は、もうほとんど残っていない。
カードのテーブルから向けられた非友好的な視線は、自身の稼ぎが減ることを嫌がった客から向けられたものだ。わざわざ勝ち頭と同卓したいと考えるような人間はいない。当然ながら、自発的にランを招こうとするような猛者はいなかった。
「おい、ねーちゃん! こっちのテーブルなら空いてるぜ?」
しかし、奥のテーブルに陣取っている柄の悪そうな男たちは、どうやら違うらしい。
彼らには、ランに勝つ自信があるようだった。
ただし、彼らの視線には、好色そうな嫌らしさを感じさせるものが多分に含まれている。
ランはとびきりの美人とは言えないが、彼女の笑顔にはどこか人を惹きつけるような愛嬌がある。それを除いてもランが若い女であることは間違いないので、何かよからぬことを考えていることは、彼らの態度から明白だった。
彼らは【氷都】に巣食うマフィアのひとつ、【白牙】の構成員だった。
実のところ、この賭場を仕切っているのも、彼らのグループである。
【白牙】の男たちも、今夜の勝ち頭である、この若い女には注目していた。
彼らの縄張りを荒らした報いは、何かしらの手段で受けさせなければならない。
そのように考えた彼らが、ランを自分たちのフィールドに招くのは自然な流れだった。
奥のテーブルに陣取っている男たちの存在を認識したランは、ニンマリと笑う。
そして、周囲の静止も振り切って、物怖じせずに奥のテーブルへとずんずん進んでいった。
「誘ってくれて、おおきに! 今、何してんの?」
この場合の「何してんの?」は、もちろん男たちが遊んでいるカードゲームの種類を問うものだ。果たして、直ぐに男たちから回答がもたらされた。
「ポーカーだ」
「ええやん! ウチ、ポーカー得意やねん! 早速遊ぼうや!」
「気が早いお嬢さんだな。まずは賭けるものを決めるのが、ここの仕来りだぜ」
「よっしゃ、ええで! レートはどうすんの?」
「レートは他と同じさ。ただし、ここでは別のものも賭けてもらう」
「……ほーん。そんで? 何を賭けんの?」
ランがそう言った瞬間、男たちの目がギラリと剣呑な光を帯びる。
少し考える素振りを見せたのち、テーブルの中央に陣取っていた男が口を開いた。
見るからに高級そうなスーツと、色付きのメガネを身につけた男だ。
「そうだなぁ……。お互いに何でもいうことを聞く、ってのはどうだ?」
それを聞いたランの目にも、どこか挑戦的な色が宿る。
「……それでええで! そんなら、早速始めよか!」
ポーカーにも色々な種類があるが、ここで行われていたのは、所謂ドローポーカーと呼ばれるものだった。
ドローポーカーは、お互いに五枚の手札を交換しながら手役を作って遊ぶゲームである。フロップポーカーなどとは違い、コミュニティカード(全員に公開されている共通のカード)が存在しないため、お互いの手札は自分だけにしかわからないようになっている。このゲームが別名クローズドポーカーとも呼ばれる所以だ。
これから、ランが参加するのは、ドローポーカーの中でもファイブドローと呼ばれるもので、ディーラーから配られた五枚のカードを交換しながら、ベッティング(賭けること)を行っていくもの。
役の強さと、カード自体の強さ(2、3、4の順で強くなっていき、エースが最も強い)によって手役を競い合い、最も強い手役を作ったプレイヤーの勝利となる。
ただし、実際の勝負はそれほど単純なものではない。
プレイヤーは、ベッティングを行う際、コール(前のプレイヤーと同額を賭けること)、レイズ(前のプレイヤーの賭けた額に上乗せして賭けること)、フォールド(勝負せずにゲームを降りること)を選択することができる。
この時、自分の手が弱くても、ブラフとして強気にレイズすることで他のプレイヤーをゲームから下ろさせることもできるので、単なる運だけのゲームではなく、心理戦が重要となってくるゲームだ。
ランは周囲をガラの悪い男たちに囲まれており、完全にアウェーな状態であるにも関わらず、リラックスしきっている様に見える。
この時点では、【白牙】の男たちも、ランが自身の顔色を隠すのが上手いのか、それとも単に警戒心が皆無のカモなのか測りかねていた。そういう意味では、心理戦でランがイニシアチブを取っていると言えなくもない。
「さっ、早くカードを配ってちょ!」
……この様子では、警戒心があるとは思えなかったが。
(クク……バカが。何の勝算もなくゲームに参加させるかよ)
ランのことをバカにしきった様に声に出さず呟いたのは、ランに「何でもいうことをきく」という勝負を吹っ掛けた、色付きメガネの男だった。
彼は【白牙】のNo.2で、この賭場の実質的なオーナーである。
もちろん、ディーラーも彼の部下であり、ランに配る手札を操作することなど造作もないことだ。
チラリと視線をやるだけで、ディーラーの男が小さく頷き返してくる。
そして、色付きメガネの男とランを含めた5人に、徐にカードを配り始める。
色付きメガネの男の前に配られたカードはというと……。
(キングのワンペアと、クイーン、8、7か)
当然、強力なカードが配られる。
それに加えて、彼にはポーカーに勝つための切り札がある。
手下や客と遊ぶ時には使えないが、こういったカモに対しては極めて有効な切り札だ。
「よっしゃ! レイズや!」
自分の手札を見たランが、嬉しそうに賭け金を釣り上げる。
どうやら自分の手に自信があるようだ。
それを見た男の目が、色付きサングラスの向こうで淡く発光する。
(ククク……。ジャックのワンペアか……なかなか強いじゃねえか)
男は、ランに配られたカードを正確に把握していた。
いや、把握していたという表現はいささか控えめに過ぎるというものだろう。
彼は、ランの手元のカードをはっきりと視認していた。
彼の【心理能力】は、《透視》。
男は物体を透かして見ることができる能力者なのだ。
彼の前では、ブラフは一切通用しない。手を見透かしてしまうのだから当然である。
男が色付きメガネを身につけている理由として、単なるおしゃれではなく【心理能力】を使用した際の目の発光を隠すという目的もある。
ただし、男の【心理等級】は1〜2程度。
分厚いものを見透かすことはできないため、せいぜい紙一枚程度しか《透視》できない。
また、見通せる距離も狭く、範囲は精々1〜2メートルといったところ。
加えて能力の起動には数秒以上、対象物を凝視しなければならないと言う制約もあり、戦闘ではおよそ役に立たない代物だ。
しかし、狭いテーブルで行うポーカーで相手の手を見透かす程度のことは、彼にとって容易いことだった。彼の手下や客には、《透視》のことが知られているため、軽率に使用するようなことはしない。ゲーム性が損なわれるし、何より信用を失う。
しかし、目の前の何も知らない小娘のように無警戒な相手なら、遠慮はいらない。
「どうや! ジャックのワンペア! これはもらったやろ!」
「クク……。残念! こっちはキングのワンペアだ。運が悪かったな」
「のおーっ!? ウチのチップがぁー!」
ランが絶叫し、がくりとテーブルに肩をおとす。
ディーラーは【白牙】の構成員なので、当然、ランに配るカードを調整している。
相手に怪しまれない程度に強力なカードを配り、それに勝てるように別の男にカードを送り込む。それに加えて、色付きメガネの男には相手のカードを見透かす【心理能力】がある。
この二つが揃えば、男がポーカーで負けることはない。
この後も【白牙】の男たちは、怪しまれない程度にランを少しだけ勝たせながら、ジワジワとチップを吐き出させていった。
【白牙】の目的は、ランの財産を全て取り上げた上で、奴隷にして売り飛ばすことだ。
今夜、彼女が稼いだ分のチップは、既にほとんど回収が完了している。
男たちが見たところ、ランは非常に都合の良いカモだと言えた。
身の程知らずのチャレンジャーにありがちな、根拠のない自信と無防備な大胆さを兼ね備えている。軍資金が残りわずかとなれば、必ず大勝負してくるはずだ。
「こりゃあかんわ! ほとんどスってもうたー!」
「クク……。さぁ、どうする? 勝負は俺らの勝ちってことでいいか?」
「ま、まだや! ……なぁにーちゃん、ちょっと相談してもええ?」
「何だ?」
「もう後がないねん! 次の勝負は、10倍賭けで頼むわ!」
とうとう来た。
男たちは内心でほくそ笑んだ。
ここまでジリジリとチップを吐き出してきたが、ここで一気に勝負をつけにきた。
ギャンブルで負けた金を、更に分の悪いギャンブルで取り戻そうとする流れは、まさにカモが陥りがちな悪循環である。
「ククク……! いいぜ、乗った! ただし、次で勝てなければ、「何でもいうことをきく」約束だぜ?」
「くっ! え、ええで! 大勝負や!」
気合の入ったランを横目に、色付きメガネの男はディーラーに目配せした。
ディーラーも同じように目配せを返してくる。これで、今回も勝ちが決まった。
色付きメガネの男は、自分の前に配られたカードを確認した。
エースが2枚、クイーンとジャックが一枚ずつ。残りは数字の4だ。
男は4とジャックだけ交換し、ディーラーの持つデッキから新たに補充する。
(エースとクイーンのフルハウス! クク……。これでイカサマがバレるかもしれんが、知ったことか! 既に勝負はついている……!)
《透視》するまでもなく、ディーラーがランに強力なカードを配っているはずがないから、これで色付きメガネの男の勝利は確定的になった。
「よっしゃ、来たで! レイズや! 10倍賭けを、更に2倍! ……今度こそ、もろたで!」
(クク……無駄なことを……!)
自信ありげに賭け金を引き上げているが、ランの手は《透視》で既に把握済みだ。
10と7のツーペア。普段ならなかなか強力な手札だが、男に勝てるような手ではない。
「オープンや!」
「クク……。オープン!」
だからこそ、色付きメガネの男は、勝ち誇って手札を広げたのだ。
ランの手では、勝負にすらならないはずだった。
既にわかりきっている勝負。
男たちがそう判断してしまったのも、無理はない。
だから、男たちはランの方を見ていなかった。
色付きメガネの男でさえ、ランの手元に伏せてあるカードに視線をやっていた。
そのため、手札を公開する直前、ランの痩せた身体が蜃気楼のようにゆらりと揺れたことに、その場の誰も気が付かなかった。
伏せられていたカードが公開される。
「はっはー! どうや! エースとクイーンのフルハウス!」
「……は?」
思わず男は目を瞬かせた。
ランの手元で開示された手役は、男の手役とそっくり同じだった。
いや、ちがう。
色付きメガネの男が手元に視線をおとすと、そこには。
10と7が二枚ずつ、2が一枚。
最初は、見間違いかと思った。
しかし現実は、厳然として男の目の前に広がっている。
色付きメガネを通していても、断じて見間違えなどではない。
手札が、そっくり入れ替わっている。
「はっはっは! 20倍付け! チップは全部いただいていくで〜♪」
男が呆然としていたのは、ほんの数秒だけだった。
しかし、その数秒のうちに、ランはテーブルに山積みになっていたチップをざらざらと回収し始めていた。
「おい! ちょっと待て!」
「うん? 何やねん」
「おかしいだろう! てめえ、イカサマしやがったな!」
「ええ!? なんでそうなんの!? ウチが何したっていうんや! 横暴や!」
「手札を入れ替えたろう!」
「いやいやいや、何言うてんの? 無理に決まってるやん! 自分の前にある手札を入れ替えられて、気づけへんかったんか? 有り得へんやろ!」
「――ッ! くそッ!!」
ランの言っていることは正論だ。
衆人環視の中、自分の前に伏せてあった五枚のカードをそっくり入れ替えるなんてことが、できるはずがない。
仮にカードの入れ替えが行われたと豪弁するなら、自分の目の前にあるカードを五枚ともすり替えられても気づかない間抜け、という風評は免れない。
色眼鏡の男はギリギリと歯を食いしばるも、解決策を見出せずにいた。
良くも悪くも、ランの存在は目立ちすぎていた。
いきなり現れて、様々なゲームでチップを荒稼ぎしていった、若い女。
そんなランは、既にこの賭場全体で注目の的になっている。
その動向を気にしないものなど、そうはいない。
無論、ランが【白牙】のテーブルでゲームを行っていたことも、周知の事実である。
【白牙】の男たちは、この賭場にいる客たちの視線をあえて誘導し、この勝負の見届け人にしようと目論んでいた。
ディーラーの不正、更には《透視》。もとより、イカサマで勝負をつけようと言うのだ。
ランに後から文句を言わせないように、わざとポーカー勝負に賭場全体を巻き込んだのが裏目に出た形だった。
ここで暴力に訴えたりすれば、賭場全体の信用に関わる。
勝負で負けたのをなかったことにしようとするなどという誹りを受けては、組織のメンツは丸潰れだ。そうなれば、この場にいる構成員全員が、【白牙】の粛清対象にもなりかねない。
「……くっ。わかった。それなら、もうひと勝負……」
「おっと! もうこんな時間や! そろそろウチはお暇するで! ほな!」
「なっ!?」
「ま、待てっ」
かき集めたチップを懐に仕舞い込んだランは、周囲が止める間もなく、颯爽とその場をスキップ混じりに後にする。
ランが去ったあとには、怒りと屈辱に身を震わせたマフィアの男たちと、それを不安そうに見守る客だけが残されていた。




