第三十一話 ホテルにて
「やっふぃー!」
「……ベッドの上で飛び跳ねないでください」
スプリングの効いたベッドの上で跳ね回るランを死んだ目で見つめるレイは、なけなしの気力を振り絞りながらそう言った。
軽やかに宙を舞うランとは対照的に、レイは全身にずっしりとした疲労感を覚えていた。まだ初日とはいえ、事件解決の糸口が見えないという状況が彼女の気を重くしているのもあるが、この軽薄で享楽的な人物とこれから暫く共に寝泊まりしなくてはならない、という事実が、何よりもレイを先行き不安にさせているのだった。(高級ホテルで二部屋も借りる度胸は、さすがのランにもなかったらしい)
一方、そんなレイのことを尻目に、ランはいつも通りどこ吹く風である。
今もベッドの上でくるりと後方宙返りを決めながら、【氷都】のパンフレットを読み耽っている。
無駄に高い身体能力を無駄に発揮しながら、ランは口を開いた。
「なーなー、レイちゃん」
「……なんです?」
「明日のお仕事はどーする? 【銀】にも行ったし、聞き込みも空振りだったやんか」
痛いところを突かれたレイは、思わずグッと言葉に詰まった。
確かに、初日にして既に行き詰まった感があるのは確かだ。
レイは僅かに逡巡しつつも、ベッドの上でぴょんぴょん飛び跳ねているランに言葉を返した。
「……ご遺族の方に話を聞こうかと考えています」
「家族を失った人たちのところに押しかけんの? 気ぃ乗らんなぁ……」
今度こそ、レイは思い切り顔を顰めた。
そんなことは、言われなくとも分かっている。
レイとて、傷ついている人の心の傷に塩を塗り込むような真似はしたくない。
しかし、だったら他にどうすれば良いというのか。
「それでは、ランはどうするべきだと考えているのです?」
意図せず責めるような口調になってしまったレイの方をチラリと見たランは、ベッドの上で一際高くぴょんと飛び跳ねると、そのまま音を立てずに床の上に着地した。
そして、ポリポリと頭をかきながら、仏頂面のレイに向き直る。
「しゃーないなぁ。一応、今回の任務はウチが上官ってことになっとるし、指示出させてもらうわ」
「はい」
思わず背筋を伸ばして、ランの指示を待つレイは、次の瞬間、自分の耳を疑った。
「待機や」
「――はっ!?」
思わずポーカーフェイスを崩し、素っ頓狂な声をあげてしまったレイ。
そんな彼女に、ランは容赦無く言葉を重ねていく。
「【銀】んトコからもらった資料、アレまだ全部は目を通せてないやろ? 持ちきれなかった分の資料も後から届けてもらえる手筈になっとるし、まずはそっちから片付けよか」
「でっ、ですが!【巨足】は今も人を襲っているのですよ! 急がなければ……」
「心配なんは分かるけどな。話を聞いた感じやと、次に【巨足】がいつ街に出るかも分からんよね。目的もなくウロウロしてもしゃーないやんか」
悔しいことに、ランの言っていることは正論だった。
実際のところ、被害者の職場や学校に聞き込みを行ったものの、【銀】の本部で得られた情報の方が多いというのが現状だった。そして、無理を言って【銀】から預かってきた資料の中には、未だ目を通せていないものも多い。新たな発見は期待できないが、少なくとも現段階で分かっていることは把握しておくべきだろう。
加えて、今回のターゲットである【巨足】は、その巨体とは裏腹に、神出鬼没な敵だ。
ランの指摘は、腹立たしいほどに的を射ていると言えた。
相変わらずのポーカーフェイスではあったが、明らかに不満げな雰囲気を漂わせるレイを見て、ランは笑った。
「……ま、こーゆー時は、無闇にアクセル踏んでも事故るだけや。ちゃんと目的地に辿り着きたいんなら、まずは色々調べんと迷子になんで?」
「……わかりました」
確かに、少しばかり気が急いていたかもしれない。
ランの言葉に今一度そのことを実感したレイは、このホテルに到着して初めて、ようやく自身の肩から力を抜くことができた。
とてもそうは見えないが、ランは【死神】の中でもかなりのベテランに入る。
人伝に話を聞く限り、【死神】としてのキャリアは、前回の任務で上官だったエルよりも長いらしい。……とてもそうは見えないが。
ともかく、ランの立ち振る舞いは兎も角、彼女の今の言葉からは、自身の経験に裏打ちされた説得力があった。
……それはそれとして、昼間にあれだけ振り回されたレイからすれば、「一体どの口で言ってるんだ」と思わざるを得なかったが。
その時、コツコツとふたりのいる部屋の扉がノックされた。
もちろん、来客の予定などない。
訝しげに扉に目をやるレイの横を、ランが軽やかにすり抜けていく。
「本日のディナーでございます」
「よっしゃ! きたで! ……さぁレイちゃん、一緒に食べよか!」
……いったい、いつの間に注文したというのか。
少なくとも、このホテルにチェックインしてからは、レイはランから目を離していなかったはずだ。
何せ、こんな高級ホテルでランに好き放題されたら、何をしでかすか分からないのだ。
陳列してある美術品でも破損されたら、それこそ目も当てられない。請求書を見て幼い顔に青筋を浮かべる柊崎の姿が脳裏に浮かぶようだ。
そんなわけで、レイはランの動向には気を払っていたつもりだったのに……。
呆然とするレイの方を振り返り、ランはウキウキとした表情で声をあげた。
「さっ、早速いただこか! 楽しみやなぁ! ……さ、テーブルにつくんや!」
……私の負けだ。
色々と敗北感を抱いたレイは、大人しくランに続き食事用のテーブルへ向かったのだった。
***
「ふぅ〜、満腹や! やー、さすがのお味やったな!」
「……そうですね」
ランの言葉に肯定的な返事を示すレイだったが、心なしか気まずそうである。
勿論、料理に不満があったわけではない。
実際、出てきた料理の味は、文句のつけようもないほど良いものだった。
ランが勝手に注文した夕食はコースではなく、まとめて配膳されたのだが、そのどれもが、レイがこれまで食べたどんなものよりも高級だと断言できる味だった。
【巨足】のせいで通商が妨げられているということもあって、メニューにはどちらかといえば保存食が多かったが、それが気にならなかったのは、それぞれの品質が極めて上質なものだったからだろう。
たっぷり用意されていたパンは、ナッツだけでなく、干した果物も練り込んである高級仕様で、見た目は昼に食べたものと似ていたが、こちらにはバターがふんだんに使われているためか、バリッと割ると段違いの香ばしさが立ち昇ってくる。
メインは熟成させた牛肉のローストで、たっぷりと滴る肉汁と、口の中で解ける肉の旨みがレイを夢中にさせた。レイの咬合力はクマ並みなので、どんなに硬い肉でも美味しくいただくことができる。そのため肉質などあまり気にしてこなかった彼女であるが、そんなレイにも「今まで口にしてきた肉はなんだったのか」と思わせるほど、この蕩けるような食感のローストは絶品であった。
付け合わせの野菜もしっかりと甘く、主役に決して負けていない。
ふんだんにチーズが練り込まれたマッシュポテトも、蜂蜜とともにとろとろになるまで煮込まれた栗のグラッセも、しっかりとレイの舌と記憶に刻み込まれた。
そうしてデザートに出たナッツのケーキに舌鼓を打った後、全ての皿が片付けられ、満腹になったレイは、暖炉の前の柔らかなソファで寛いでいたのだが……。
そんな彼女の方をニヤニヤと笑いながら見ていたランと目が合った場面から、冒頭の気まずげな返答につながるというわけだ。
あれだけ「真剣に……」などと口煩く言っていたレイが誰よりも美味しそうに料理を味わい、高級ソファでリラックスした顔をしていたのだから、ランのニヤけ顔も頷けるというもの。
最も、その視線を受けているレイはバツの悪さを隠しきれないようであったが。
「……なんですか」
と問いただしてみても、
「べっつにぃ〜?」
と小憎たらしい返事が返ってくるばかりである。
この居心地の悪い時間は、ランのニヤけ顔に耐えきれなくなったレイがシャワーを浴びにいくまで続いた。
高級仕様の夕食に夢中になったレイだったが、流石に自分の仕事を忘れたりはしていなかった。シャワーを浴び終わると直ぐに部屋に用意されていたガウンを羽織り、早速、【銀】から提供された資料を読み込んでいく。
最初の被害者は牧場主。
家畜を襲った犯人を撃退しようと猟銃を持って待ち構えていたところ、行方不明に。
遺体は現場から数キロメートル離れたところで見つかった右腕と両足首のみ……。
痛ましい写真付きでファイリングされている資料を、眉ひとつ動かさずに食後に熟読できるレイは、やはりどこか壊れていた。
***
あれだけあった資料の山がほとんど消滅し、作業がひと段落しかけた時だった。
レイは自分の背後に、何者かがコソコソと足音を忍ばせて歩く気配を感じとった。
猛烈に嫌な予感に駆られて慌てて振り返ると、ウキウキとした表情でコートを羽織ったランが、いそいそと何処かへ出かけようとしているところだった。
「……どこに行くんです?」
「やー、聞き込み……的な? ほら、ウチも【死神】のメンバーとして責任感とかあるし。こんな夜更けに、寒い中わざわざお仕事しに行くんやで? ウチって偉いわー、むしろ褒めてほしいくらいやわー。なーレイちゃん? ええやろレイちゃん?」
レイは本日何度目になるか分からないため息を吐く。
もはや彼女にランを止める術はなかった。
そもそも、彼女が夜間どこに行こうが、レイにはそれを妨げることなどできない。
今回の任務は、名目上はランが上官なのである。
……レイにとっては、全く業腹ではあるが。
その上官が(見るからに嘘とはいえ)「聞き込みに出る」と言っているのだ。
「……ハメを外しすぎないようにしてくださいね」
レイはとうとう、諦めたようにそう言った。
それを聞いたランは、ぱあっとその表情を輝かせる。
「っしゃ! レイちゃんってば、話が分かるなぁ! アメちゃん食べるか?」
「……もらいます」
仏頂面で飴を要求するレイに対して、ホントにもらうんかーい! とランが叫ぶ。
ランから投げ渡された飴を頬張りながら、レイは彼女の後ろ姿を見送った。
再度ため息を吐くと、残りの資料に手をつける。
資料の内容を頭に叩き込みながら、レイは今日1日の捜査について思いを馳せていた。
遺族や、その同僚に気を遣いながら、できる限り詳細な情報を集めるべく奔走したが、結局、有益な話は何も得られず仕舞いだった。
聞けたことと言えば、この街で最初に姿を消した警邏の男が酒と博打に溺れていただの、被害報告の多い【聖氷学園】の被害者は、教師・生徒ともに皆の人気者だっただの、どう考えても役に立たなさそうな四方山話ばかり。【巨足】の被害者たちの性別や年齢層についても見事にタイプがバラバラで、これといって共通点らしきものは見受けられない。
唯一断言できるのは、【巨足】は獲物を選り好みしていない、ということだけだった。
レイは思わず顔を顰めた。
捜査について思い出すと同時に、散々ランに振り回された今日1日の記憶が脳裏に甦ったのである。
「……そろそろ休むとしましょう」
部屋に誰もいないにも関わらず、わざわざそう宣言したレイは、どこかに行ってしまった不良上司のことを脳裏から追い払うと、柔らかなベッドへと向かった。
疲労困憊の彼女が寝付くまで、ほんの10秒も掛からなかった。




