第三十話 通達
「やめろ!」
思いがけないほどの氷室の大声に、霜倉は思わず目を瞬かせる。
彼女も自分と同じように【黒】を嫌っていると思っていたので、賛同しないまでも、同じように軽口くらいは返してくれると思っていたのだ。
「じょ、冗談ですよ。当たり前じゃないですか」
しかし、氷室の反応は霜倉の想像をはるかに超えて苛烈だった。
「冗談でも止せ。あいつらを敵に回すな。……他の【銀】にも周知徹底しろ。決して【黒】どもの邪魔をするな、とな」
「そ、そこまで……? ……本部長は、アイツらが領内を我が物顔でウロウロしていても、ご不快ではないのですか」
言外に何故【黒】を庇い立てするのかと問いかける霜倉に、氷室は厳しい目を向けた。
氷室の鋭い視線の中には、怒りだけでなく、微かな焦燥……そして恐怖の色があった。
「……無論、私も不愉快だよ。だが……アレは、異常だ」
「……死刑囚なのですから、異常者なのは当然では……?」
「そうではない。……感じなかったのか」
「……は? か、感じるとは……」
困惑した様子でそう聞き返す霜倉に、氷室は微かな苛立ちを滲ませる。
「実戦を退いて鈍ったな、霜倉」
「な……!?」
驚いたように声を漏らす霜倉だが、氷室にとっては彼女が理解できないことの方が驚きだった。
今でこそ一線を退いて管理職を務めているが、氷室涼子はかつて、【銀】の中でも武闘派として鳴らしていた。
少数精鋭で構成された【紅】や【蒼】といった組織は、【銀】に対処できないような脅威が現れた時のための特殊部隊である。
そんな彼女らの力を借りてなるものかと、若かりし日の氷室は、自ら進んで前線へとその身を投じた。
時にはぐれの【外魔】を討伐し、時に凶悪な【心理能力者】を捕縛する。
その一方で、彼女は勇猛ではあったが、無謀ではなかった。
【銀】の力で物事を解決してやるという強い意志を持ちつつも、彼女は決して驕らなかった。自分達には余ると認識した対象については、口惜しく思いつつも【紅】や【蒼】へと委任するという、的確な判断力も持ち合わせていたのである。
もちろん、そう言った時でも決して丸投げにはせず、進んで【紅】や【蒼】に協力し、可能な限り行動を共にするように努めた。場合によっては、任務に同行し、共に任務の解決にあたることもあった。
こうして幾多もの経験を積んだ彼女には、いつの間にか特殊な技能が身についていた。
それは、第六感とも言える超人的な危機察知能力。
彼女は幾多もの激戦を潜り抜けていくうちに、相対する敵を見ただけで、おおよその実力を推し量ることができるようになっていた。
【外魔】にせよ【心理能力者】にせよ、その脅威度や戦闘能力が外見通りのそれとは限らない。事実、全身にタトゥーを入れた大柄なチンピラなどより、一見すると幼い少女にしか見えない心理能力犯罪者の方が危険、というケースは何件もあった。
これは彼女にとって、特殊能力というよりも、むしろ生き延びるにあたって最低限必要な基本技能だと言えた。彼我の実力差を瞬時に悟れるようにならなければ、前線で自分よりも強い相手と戦い続けた彼女は、とうにどこかで命を落としていたことだろう。
そんな氷室の感覚は、あの二人が執務室の扉を潜ってきた時から、全力で警鐘を鳴らし続けていた。老いても体力には自信があった氷室が、ほんの数時間あの二人組とひざを突き合わせているだけで、すっかり憔悴してしまったほどだ。
氷室は、これまで出会ったどんな【外魔】や【心理能力犯罪者】よりも【死神】が危険な存在だということを、相対した瞬間から本能レベルで理解できていたのである。
そんな技能を持つ氷室涼子は、驚いた表情を浮かべている霜倉の方を見た。
「いいか……アイツらは、尋常ではない手練れだ。あの二人が本気で暴れたら、この街は【巨足】なんぞ関係なく滅ぶ」
「そ、そんなバカな……。確かに、黒髪の方は多少出来そうな雰囲気でしたが……。栗毛の方は、いつでも斬ってくださいと言わんばかり。あまつさえ、そこのソファで居眠りさえしていたのですよ? ハッキリ言って、全く危険には思えませんでしたが……」
【氷都】の副支部長がこのザマとは。
氷室は思わずため息を吐きそうになった。
とは言え、これは仕方のないことかもしれない。
霜倉も【銀】で精力的に活動してきたうちの一人ではあるが、進んで前線に赴いてきた氷室とは、文字通り年季が違う。
彼女のような第六感じみた危機管理能力を霜倉にも求めるのは、いささか酷と言うものだろう。
「外見に惑わされるなよ、霜倉。相手の本質が常に外見通りであったなら、これまでもどれほど楽だったか……。奴らは、人の姿をした怪物だ。細胞のひとつひとつにまで、血臭が染み付いておったわ」
「は、はぁ……」
霜倉は明らかに納得がいっていない様子だったが、上官である氷室の言葉を無視するわけにもいかない。不承不承といったていで、なんとか頷いた。
それを見て途轍もない不安に駆られた氷室は、ハッキリと念押しすることにする。
「いいか、絶対に敵対することは避けろ。余計なチョッカイをかけるな。最低限の便宜だけ図ってやればよい。あとは放っておけ。……【巨足】を駆除出来次第、この街からは早々にお帰りいただく」
「まぁ、氷室本部長がそう仰るなら……」
「繰り返すが、部下たちにも周知徹底せよ。……特に、あの栗毛には近付けるな」
「……へっ? く、黒髪の方ではなく?」
氷室は、今度こそハッキリとした苛立ちを顔に浮かべて、物分かりの悪い部下のことを見た。その視線に気押された霜倉は、思わず気押されたように鼻白んでしまう。
「黒髪の方……レイとか言ったか? あれは問題ない。敵に回せば確かに危険だろうが、話は通じるように見えた。少なくとも、無軌道に暴れ回るようなことはないだろう。理知的な相手ならば交渉の余地はある。だが……」
ここで氷室は、何かに耐えるかのように目を閉じた。
「……いいか、あのランと言う女。アイツはヤバい。あの女の実力がどうであれ、面白半分に他者を殺害できるような手合いだ。……私は、もう部下を無駄に失いたくない」
氷室の正面に座っていたレイの気配は、まるで剥き出しの刃のように鋭利で、下手に触れればすっぱりと手が切り裂かれそうな危うさを秘めていた。
その一方で、彼女の動きや姿勢は整然としていて、図形のように機能的でもあった。
レイの纏う気配は、氷室がこれまで出会ったどの人物よりも濃密で、強大に感じられた。
しかし氷室の感覚は、レイよりもむしろランの方が危険な存在だと訴えかけてきていた。
恐らくレイの方は、殺しを仕事として割り切っているタイプだ。
冷徹ではあるが、冷酷ではない。
敵にまわせば恐ろしいが、味方となれば頼もしい存在になるだろう。
しかし、ランとかいう女は、恐らくそうではない。
彼女にとって殺しは、ほんの戯れに過ぎない。
敵にいても味方にいても、周囲を巻き込んで災禍をばら撒くような存在だ。
あまりに実力が隔絶しているため、彼我の実力差ははっきりとは分からない。
しかし、一見するとダラけているような姿勢の時でさえ、氷室はランに一分の隙も見出すことはできなかった。
彼女は、己の直感に幾度となく助けられてきた。
そして今回もまた、自身の本能に従うつもりだった。
「……分かりました。【銀】各位に通達します」
ここで霜倉はようやく、ハッキリと頷いた。
そんな霜倉の様子を見て、氷室はようやく肩の力を抜く。
「よし、頼んだぞ。……っと、悪い。次の打ち合わせがある」
「はい。お任せを」
足早に退出する氷室の後ろ姿をお辞儀で見送った霜倉は、やがてゆっくりと顔を上げた。その顔には、先ほどまでは浮かべていなかった不満の色がありありと浮かんでいる。
結局のところ、霜倉は【黒】などの力を借りることに否定的だった。
何が【死神】だ。所詮は死刑囚の寄せ集めに過ぎないではないか。
唯一優れていると言えるのは、使い捨てても胸が痛まないと言う一点のみ。
正義を司る【銀】たるものが、人殺しのクズなんぞに助力など仰いでたまるか。
氷室のように、相対した対象の危険度を察知できるような感覚を持たない霜倉にとって、【黒】の脅威は今ひとつ理解し難いものだった。
もちろん、彼女とてわざわざ【黒】と必要以上に関わるつもりはなかった。
確かに、死刑囚が我が物顔で領内を彷徨いていると言う現状は面白くない。
ただ、目標はあくまで【巨足】の駆除であり、【黒】の足を引っ張ることが得策でないと言うことは、潔癖な霜倉にもよく分かっていた。
だが、保険は必要だ。
氷室本部長はああ仰ったが、死刑囚風情に【巨足】の討伐など出来はしまい。
【巨足】のレートはA。【銀】の精鋭でさえ容易く蹴散らされてしまったのだから。
思った以上に【黒】の到着が早かったため、霜倉が当初想定していたプランは修正せざるを得なくなってしまったが、精々あと数日の辛抱だろう。
餅は餅屋という言葉もある。
ならば当然、【外魔】の退治には、その道に明るい専門家をぶつけるのが筋だろう。
霜倉は、改めて“彼女たち”の到着日時を確認するため、通信機に手をかけた……。
***
「たはは! 成果ゼロやったなぁ!」
「……そうですね」
徒労感に苛まれていたレイは、そう返すしかなかった。
あの後ふたりは(というか、主にレイだけだが)地道な聞き込みを行なっていた。
最初に行方不明になった職員(【銀】ではなく、【氷都】が雇っている民間の警備組織)が働いていた詰所や、行方不明の生徒や教職員が続出した【聖氷学園】を尋ねて、当時の状況や目撃証言といった情報を集めて回ったのだ。
寒風吹き荒ぶ中、時に渋られたり、時に書状を見せてぺこぺこされたりしながら調査を続けたレイだったが、結局、具体的な情報を得ることはできなかった。
それに加えてランときたら、レイがちょっとでも目を離した瞬間に行方を暗ませようとするのだ。その都度、行方不明になったランを回収しながら聞き込みを続けたものの、唯一レイが分かったことといえば、北部の寒さは尋常ではない、と言うことだけだった。
言うまでもない事だが、ランは明らかに捜査そのものを面倒くさがっていた。
それどころか、真面目に任務を果たそうとしているレイのことを嘲笑うかのように、各所でトラブルを引き起こすものだから堪らない。
【銀】本部での傍若無人な立ち振る舞いはまだ序の口で、聞き込みにまわった【聖氷学園】では、職員室では失踪した教員の机を勝手に漁るわ、図書室では本のページを破って司書に大目玉を喰らうわ……と、散々にレイのことを振り回した。
挙げ句の果てに、警備詰所では亡くなった職員のロッカーをこじ開けて、中にあった金品をくすねようとする始末である。
途中でランの姿を見失い、猛烈に嫌な予感に駆られたレイが慌てて止めていなかったら、普通に窃盗事件が起こっていたところだった。
そして、危うく窃盗犯(未遂)になるところだったランはというと……。
「さぁ、ここやで! パンフによると、どうやらここが【氷都】で一番豪華な宿泊施設らしいわ! お食事も、なかなか評判がええみたいやね!」
……ご覧の通り、何にも気にしてはいなかった。
「……そうですか」
腹立たしいぐらいにけろりとしたランに、レイは力なくそう言う他なかった。
豪華な宿泊施設に宿泊することについては、既に諦めている。
と言うよりも、既に文句を言うような気力は、すっかり失せていた。
彼女は一日中ランに振り回され、精神的に疲れ切っていたのである。
あるいは、ここまでの全てがランの計算通りなのかもしれない。
そうだとすれば、恐ろしい手管である。
「いやー楽しみやなー! ふっかふかのベッドが待ってんで! 枕投げもしよな!」
「……しません」
……いや、そんなわけがない。
この様子では、単に好き放題していただけだろう。
呑気なランの様子を見て全てを察したレイは、スキップしながらホテルの入り口に向かうランの背中を、重い足取りでトボトボと追いかけるのだった。




