第二十九話 氷室と霜倉
店外へ出た途端、北部の刺々しい寒風が二人を出迎えた。
レストランにあった暖炉のおかげで得られた僅かばかりの温もりは、絶えず吹き付けてくる吹雪によって、あっという間に拭い去られていく。
人外じみた身体能力を誇るレイも、暑い寒いといった感覚は人並みだ。
強烈な冷気を浴びたレイはぶるぶると震え、思わずエルにもらったコートの前をキツく締め直した。一方ランは、吹き荒ぶ冷風の中でも何故か平然としており、それがまたレイには腹立たしかった。
(いったい、何なんだこの人は……。神経が図太いから寒さにも強いのか……?)
そんな益体もないことを考えていたレイの視線の先で、寒さなど微塵も感じていないかのようなランが元気な声をあげる。
「――よっし! 腹も膨れたことやし、お仕事しますかー!」
「了解です。まずは本部に到着の報告……その後は聞き込み、でしょうか?」
「いやーウチはそういう面倒なのはパス。レイちゃんの方でやっといて!」
「……ランは何をするんです?」
「そりゃあもちろん、このまま、ホテルでごろごろ……」
「引っ叩きますよ」
「ひゃー、こわいこわい! ちょっとしたジョークやん?」
「……」
「う、ウチも聞き込み行きます! せやから、そんな怖い顔せんといて!」
親の仇でも見るかのような目でレイが睨み付けると、流石のランも焦ったようだった。わたわたと両手を動かしながら、口調で慌てて取り繕う。
その姿を見たレイは、思わずガックリと脱力した。
(この人に期待するだけ無駄だ……今回はひとりで何とかしよう……)
エルも何を考えているか分からないところがあったが、ランほどではない。
それにエルには、少なくとも任務に取り組もうという意欲があった。
だが、目の前のランはどうだ。
その言動には(少なくともレイの目からは)やる気を一切感じられない。
勤労意欲という言葉の対極にある存在といってもよいだろう。
視線の先では、既にランがレイを置いて軽快な足取りで歩き始めている。
耳をすませば、何やら鼻歌を歌っているようだ。
(先が思いやられるな……)
レイは深くため息を吐くと、ランとは対照的な重い足取りで彼女の後を追うのだった。
***
「――ご協力ありがとうございました。それでは、失礼します」
レイはそう言って、この【氷都】にある【銀】本部を後にした。
その背後から、いかにも退屈そうな素振りのランが、呑気に欠伸をしながら着いてくる。
レイはその様子に軽く眉を顰めながら(彼女は既に、ランに対して実直さや勤勉さを求めることを諦めていた)大欠伸中のランに向かって話しかける。
「結局、進展はほとんどありませんでしたね」
「ふぁ〜あ! っと……。……ま、しゃーないやろ。そもそも目撃例そのものが少ないんやからなー」
「……成果はありました。分かったのは……【巨足】の体長は10m近くあることと、被害者が既に40名近くに登ること……そして、いきなり現れたり消えたりする能力を持っている、ということですね」
「それもハカセがくれた事前情報でほぼ分かってたことやんかー。やっぱ無駄足やったやんかー、もう帰りたいー! ホテルで寝たーい!」
「バカなこと言ってないで、次に行きますよ」
「へーい……」
嗜めるようにレイがそう言うと、ランはわざとらしくガックリと肩を落とした。
あの後、レイとランは到着した旨を報告するため、彼女たちは、【氷都】を女帝陛下より任された領主の下へと足を運んだ。
意外かもしれないが、【黒】も国の機関である以上は体裁を整えておく必要がある。
非公式部隊とはいえ、他所の街で好き放題できるわけではないのだ。
(エルを始めとして、メンバーたちは結構好き勝手にやっている気もするが……)
それに、今回の任務は【外魔】の討伐。
前回と違って、【銀】や官僚の不正が疑われるような案件ではないため、こっそり潜入する必要もなかった。であれば、大手を振って活動できる方が好都合だ。
散々ボディチェックを受けた後(これは流石に女性検査官が担当した)こぢんまりとした執務室に通され、領主と謁見する。
雪国を治めているということで質実剛健なタイプを想像していたレイだったが、執務室で二人を出迎えたのは、予想よりも貧相な雰囲気の男だった。
大池街や中央と比較すると比べるべくもないが、それでも人口数千人規模の街を治める人物である。
軟弱な人物であるはずもない……のだが、しかし彼は憔悴しきってしまっているように見えた。【巨足】事件のせいで、この街は物資も人の流れも滞っている状態にある。現状は街の備蓄を吐き出して今の状態を何とか維持しているが、それも長くは持たないという。自分のお膝元をうろつく神出鬼没の怪物への対応に加えて、今にも崩壊しそうな街を維持し続けると言う難行。疲弊しない方がむしろ異常だろう。
そんな満身創痍の領主に簡単な挨拶を済ませた二人は追い出されるようにして領主邸を出発し、その足で【銀】の本部へと向かったのだが……。
結果は見ての通り、殆ど何の成果もなく、ほとんど徒労に終わってしまった。
【銀】の本部へと赴いた二人は危うく門前払いされかけたものの(二人とも私服だったせいで民間人と思われたのだろう)領主からの紹介状と皇国から発行された書状を見せた瞬間、受付をしていた職員の顔色が急変した。対応した職員は【黒】の存在を認識していなかったが、しかし書状の効果はやはり絶大で、あれよあれよという間に本部長室へと通される運びとなった。
しかし、そこからも物事は円滑には進まなかった。
そこで面会した【銀】の本部長を務める女性から直接【巨足】案件に関する説明を受けたのだが、相手の反応は冷淡で、必要最低限の情報共有しか為されなかったのである。
ランの言うとおり、【銀】から得られた情報は、事前に柊崎真子から齎されたものと、ほぼ同一のものだった。
結局のところレイにも無駄骨だったと言うことは分かっていたが、だからと言って遊び呆けて良いという理由にはならない。
「なーなー、今日はもう、ホテルに戻らへん? ウチ、身体弱いねん」
レイが真面目に任務に取り組んでいると言うのに、ランは明らかに気乗りしなさそうな様子である。【銀】の本部でも、いきなり居なくなったり、気ままに茶菓子を食い散らかしたりと、その傍若無人ぶりは健在で、レイは顔から火が出る思いだった。本部長の背後に控えていた女性(おそらく【氷都】支部のNo.2だ)の眦が時間を経るごとにどんどん吊り上がっていく様子は、当事者ではないレイですら、ヒヤヒヤさせられたものだ。……何故か当人は平然としているのも謎だった。
その時の怒りが再燃したのか、レイはダラけるランに向かって大声を出した。
「大嘘にも程があります! ほらっ! ダラダラしない! まずは最初に行方不明になった職員の詰所に行きますよ!」
「えー……メンドいなぁ……」
「…………」
「わ、分かったってもう! ……そんなにカリカリしとると、将来ハゲんで?」
「なんてこと言うんですか!」
***
わいわいと騒ぎながら【銀】本部を後にする二人を窓から見下ろして、本部長――氷室涼子は顔を歪めた。
【氷都】は、北方では皇国最大の都市である。
その【氷都】における【銀】の頂点たる氷室涼子は、流石に【黒】の存在を知っていた。
だが、それ故に……氷室の胸中は、二人への不信と、それに倍する嫌悪に満ちていた。
レイとランのような【死神】――すなわち【黒】と違って、【銀】は皇国の治安維持を司るための、至極真っ当な組織だ。死刑囚を集めて組織した非公式部隊である【黒】などとは、成り立ちからして対極にある存在だと言える。特に【銀】の構成員は、その職務を遂行する以上、強い信念と正義感を持つものが多い。(大池街での一件のように、【銀】が悪事に加担するようなケースは稀だ)そしてそれは、氷室涼子も例外ではなかった。
【氷都】は皇国の最北端であるが、そこで彼女は【銀】のトップとして立っている。
人並み以上に責任感と正義感の強い彼女にとって、本来なら死罪になっているはずの悪人が野放しになっているという現状は、到底、許せるようなものではなかった。
最初に【黒】の存在を先代から教えられた時、彼女は耳を疑った。
何のために【銀】があると言うのだ。
正義を守り、悪を裁くのが我々の職務である。
一人で不可能なら、チームで対処すれば良い。
それに、【銀】の手に余るときには、他の部隊を頼るという手段もある。
強力な【外魔】への対処は【紅】に、心理能力犯罪者への対処は【蒼】に、それぞれ任せておけば良いのだ。
それを、何故わざわざ死刑囚などというクズどもに恩赦を与えてまで運用しなくてはならないのか。氷室涼子は、【黒】などというものが存在している皇国の仕組みそのものに不信感を抱かざるを得なかった。
とはいえ、彼女も新米の小娘ではない。
頭ではどう考えていようとも、騒ぎ立てるようなことはしなかった。
そして今は、あれだけ否定的だった【黒】――裏社会では【死神】などと呼ばれているらしいが――を利用しようとしている。
これが大人になると言うことなのかと、氷室涼子は自嘲した。
社会の歪みを認知しておきながら、それを黙認する。
それはまさしく、散々これまで軽蔑してきた“大人”の姿そのものではないか。
それに、今回の件の責任は自分にあると氷室が考えていたことも、【黒】などという連中の介入を容認せざるを得ない理由の一つだった。
彼女は、先の山狩りの一件で複数名の部下を山村に送り込み、その全員を失っている。
調査隊に【銀】のメンバーを同行させ、死なせてしまった責任は自分にあるのだと、彼女はそう考えていた。
もちろん、あれは防ぎようのないことだった。不幸な事故だったといっても良い。
【外魔】が【壁】を超えて侵入していることなど、あの時点で誰に想像できるだろうか。
ましてや、それが【巨足】などと言う名前持ち(ネームド)級であるなど、尚更である。
しかし、氷室涼子はそうは考えなかった。
なまじ責任感が強いがために、彼女は自分を責めた。
だから、【黒】がこの街に派遣されてくるので最大限の便宜を図るように、などというふざけた文面の書状が送られてきた際も、彼女はそれを黙って受け入れた。
元より拒否することなどできようもなかったが、普段の彼女なら気持ちを整理するのにもう少し時間がかかっただろう。
しかし、それも全て自らの力不足が招いたこと。
彼女は【黒】に頼らざるを得ない現状を、そう自分に納得させていた。
とはいえ、公的な身分を持たないにも関わらず、時には【銀】以上の公権力を行使できる【黒】の存在は、氷室涼子にとって不愉快なものであることには変わりない。
彼女はその不快感を無理やり飲み下し、ため息にして吐き出した。
こうでもしないと、彼女は胸に蟠るこの感情をうまく処理できそうになかった。
「全く……不快な奴らでしたね」
「……霜倉」
そして、それは氷室の背後で控えていた副本部長の女――霜倉も同じだったようだ。
彼女もまた、【死神】……もとい【黒】のことを知る限られたメンバーの一人だった。氷室と同じように窓からレイとランを見下ろしながら、不機嫌そうな表情を浮かべている。
「……なんなんですか、あの二人。いきなり訪れて、こちらの捜査資料を見せろなどと……。それに、黒髪の方はまだしも、あの栗毛の女。本部長自らご説明されていると言うのに、欠伸するわ、菓子を食い散らかすわ……。挙げ句の果てに、勝手に資料室に入り込んで……。……あいつら、死刑囚なんですよね? この際、適用な罪でしょっぴいてやりましょうか?」




