第二話 レイとエル
「黒崎ホテル」。
この街では、ごく平凡なランクのホテルだ。
部屋はダブル。
ベッドが二つ並んでおり、窓際には小さなテーブルと椅子が置かれている。
浴槽は狭いが、お手洗いとは別なのが唯一の救いか。
ある意味、値段相応ではあったが。
水と電気は使い放題だが、食事は朝食のみ。
シーツは毎日取り替えてくれるが、私服の洗濯は二階のコインランドリーを利用しなくてはならない。老朽化した暖房器具は調子が悪く、駆動音がやや耳につく。
そんな、ごくごく普通のホテル。
その一室に、先程まで裏路地で男と対峙していた少女の姿があった。
黒い軍服を纏ったままの彼女は、安っぽいカーペットの上でも、相変わらずの美しさだ。
彼女は、今まさに“一仕事“終えてきたというのに、汗ひとつかいていない。
それどころか、表情ひとつ変えてもいなかった。
そして、そんな少女に、明るく声をかける人物がいた。
柔らかく、どこか眠そうな、おっとりとした声である。
「お疲れさまです♪」
このホテルの一室には、もう一人、別の女性がいたのだ。
窓際に置かれたテーブルの前に腰掛けていた彼女は、部屋に入ってきた少女に向かって、優しげな笑みを浮かべながら手を振っている。
その女性は、少女と同じように黒い軍服を纏い、黒と銀のチョーカーを身につけていた。
少女の軍服とほぼ同一ではあるが、彼女の方には、銀の腕章が巻かれている。
外見は幼い少女のようでもあり、妙齢の美女のようでもあった。そのため年齢が分かりにくいが、実際は18 歳から19歳ほどだろう。
非常に整った容姿ではあるが、どこか冷たく鋭い印象を受ける少女の美しさとは対照的に、どちらかといえば暖かく、柔らかな雰囲気があった。
タレ目がちな目元は優しげで、見るものをホッとさせてくれるようだ。
そんな彼女が腰掛けているのは、白い車椅子だった。材質不明のそれは、通常のものとはかなり形状が異なっている。ブレーキもなければ、手で漕ぐためのハンドリムも付いていない。
なぜ彼女が車椅子に座っているのかは、女性の様子を一見すればすぐにわかる。
彼女の黒い軍服は、膝から下がぺたりと萎んでいる。両足が欠損しているのだ。
ポーカーフェイスの少女とは対照的に、こちらの女性は優しげな笑みを浮かべている。
少女を労う車椅子の女性に対し、少女は無表情のまま、控えめに言葉を返した。
「……ただいま、戻りました」
「あらあら、もう終わらせてきたのですか。さすがは、期待の大型新人ですね♪」
「やめてくれませんか……」
「いえいえ、褒めているのですよ、“レイ”?」
「……そうですか」
レイと呼ばれた少女は、明るく話しかけてくる女性に対して言葉少なに返事をしている。姿勢も僅かに硬い。どうやら、裏社会の荒っぽい男や銃を前にしてもノーリアクションだった彼女は、車椅子に座っている、いかにも非力そうな女性に対して、少しばかり緊張しているようだ。
目の前にいる車椅子の女性が、少女の上官であるというのもあるだろうが。
「……ところで、“エル”はどうでしたか?」
「あ、聞いてください! 近くにいい喫茶店を見つけたんです! 紅茶がすごく美味しかったんですよ♪」
車椅子の女性が、ニコニコしながら呑気に報告する。
それを聞いたレイは、思わずと言った風にポーカーフェイスを崩して、半笑いになった。
「……明日、連れて行ってくださいね」
「ええ、もちろんです! 楽しみですね♪」
「……では、報告させていただいても?」
「どうぞどうぞ、掛けてくださいな。そして、今日のお仕事について、詳細を聞かせてください♪」
「失礼します」
エルが椅子を勧め、レイはテーブルを挟んで彼女の向かい側に座った。
すかさず、エルが部屋の備品であるポットから、二つ目のカップにお湯を注ぐ。
「あ、お茶どうぞ♪ これは元から部屋にあった、パックの安物ですが……」
「ありがとうございます。いただきます」
この様子だけ見れば、ともすれば学校の先輩と後輩が会話しているかのようだ。
だが、彼女たちは普通のティーンエイジャーではない。
レイとエルは、共に【死神】のメンバーである。
【死神】とは通称であり、本来の部隊名称は【黒】であるが、いずれも非公式なものだ。従って、ほとんどの皇国民にはその存在を知られていない。
知っているのは軍部の中でもそれなりの地位にある者か、あるいは逆にアンダーグラウンドの世界で生きる者たちだけだ。
それもそのはずである。
彼女たちの業務は、主に【心理能力犯罪者】の捕縛や凶悪な【外魔】の駆除などであるが、時には犯罪組織の壊滅や要人の暗殺など、イリーガルなものも含まれるのだから。
言わば超法規的な存在なのだ。大っぴらにできるはずがない。
それも、彼女たちのような“死刑囚”を集めて作られた組織ともなれば、当然である。
そう、今もホテルの一室で談笑している二人は、いずれも神聖皇国によって死刑を宣告された【S級犯罪者】なのだ。
事実、彼女たちの前腕の裏側には、死刑囚である証が刻み込まれている。
大鎌と識別子を組み合わせた、黒いタトゥーだ。
なんとも趣味の悪いデザインだが、あくまで死刑囚に与えられた罰の一環なので、ある意味それでいいのかもしれない。
彼女たちは強大な戦闘能力を誇るが、【S級犯罪者】の例に漏れず、いずれも人間として、どこかが歪んでいた。
それを証明するかのように、レイはエルに勧められた紅茶を、涼しい顔で啜っている。つい先ほどまで、犯罪組織の構成員である男たちの命を、無情にも奪ってきたばかりだというのにも関わらず。
通常のそれとは一線を画した【心理能力】を振るう彼女たちは、その異常な精神性と併せて、裏社会では非常に恐れられていた。
「……安物でも、意外といけますよ」
「あら、そうですか? あ、お土産にクッキー買ってきたんですけど……」
「いただきます」
「たくさん召し上がってくださいね♪」
……今ものんびりと紅茶を楽しむ彼女たちの姿からは、想像もつかないが。
実のところ、「レイ」も「エル」も、彼女たちの本名ではない。
死刑を宣告されたその時から、彼女たちは名前や戸籍といった己の存在していた痕跡、その全てを捨て去っている。
少なくとも、レイの本名はカタカナ2文字ではなく、元は普通の――ここ神聖皇国ではごく一般的な――名前だった。
彼女たちは、皇国の法律上は“死者”なのである。
従って法には束縛されず、また同時に殺人や拷問を命ずるなどといった無茶な運用も可能というわけだった。
その後も、しばらく報告を交えながら、深夜のお茶会は続いた。
そうして話がひと段落し、時計の針が午前1時を過ぎた時である。
ふと何かを思い出したかのように、エルが言った。
「……そういえば、お風呂はまだですよね?」
「ええ、そうですね。この後すぐに浴びる予定です」
「じゃあ、一緒に入りましょう♪」
カップを傾けていたレイは、盛大に咽せた。
口に含んだ紅茶を吹き出さなかったのは、彼女の意地である。
「……なんでそうなるんですか!?」
「だって私、こんな足ですし♪」
レイが声を荒げると、エルは自分の膝までしかない両足を、パタパタと動かしてみせた。
空っぽの軍服が、彼女の動きに合わせて、同じようにはためく。
それを見たレイは、グッと言葉に詰まった。
「で、ですが……」
「ほら、今回がレイにとって、初の大仕事でしょう? 裸でお付き合い、しましょう♪」
「……それを言うなら“裸の付き合い”では? “裸でお付き合い”だと、意味が変わってきますけど」
「うふふ♪」
「なんか怖いんですが!?」
「あらあら? いいんですか、そんなこと言って? 今回、私はレイの上官ですよ?」
「そ、それはそうですが……」
「上官の言葉は絶対ですよ? この“銀の腕章”も、そう言ってますし♪」
「えーっと……!」
銀の腕章は、【死神】の中でも“数字持ち(ナンバーズ)”と呼ばれる、ごく一握りの隊員にしか着用を許されていない。上官としても、実力的にも、レイはエルに敵わない。
そのことをレイは、身をもって知っていた。
レイが必死になって言い訳を探していると、ピロリン♪ という陽気な音が鳴った。
どうやら浴室から聞こえてきているようだ。
「あら、タイミングがいいですね♪ 沸いたみたいですよ? ほらほら、早く入らないと、お湯が冷めてしまいます♪」
「……」
一体、いつ沸かしたんですか。
先ほどまで一緒に紅茶を飲みながら、打ち合わせをしていたはずなのに……という疑問を飲み込んだレイは、思わず天を仰いだ。
このままでは、自分の上官と一緒に入浴することになってしまう。
もちろん、エルの身体的事情を考慮して、入浴の補助くらいはするつもりだった。
しかし、まさか一緒に入ることになるとは、思ってもいなかったのだ。
何よりも、エルは女性との距離感が異様に近い。
彼女は男性に対しては強い拒否反応を示す一方、女性に対しては、ほとんど0距離にまで迫ってくるのである。
ふとレイは、【死神】になる前に通っていた学園での記憶を思い出した。
軍の施設でもあった学園は女子校だったので、同性同士のカップルは少なくなかった。
まさかとは思うが、この人は……。
「ほら、抱っこしてください♪」
車椅子の上から、腕をバンザイして見せるエル。
上官の無邪気な姿を見たレイは、がっくりと肩を落とした。
一緒に入浴するのは、既にエルの中では決定事項なのだと悟って。
……その後はその後で、犯罪組織の壊滅よりも疲れる一仕事があったのだが……ここでは割愛する。
彼女の名誉のため、「何事もなかった」とだけ、ここに書き添えておく。




