第二十八話 【巨足】
【外魔】は、その名が示すとおり、通常は【壁】の向こう側――すなわち、【外界】に生息している生物だ。それも、通常は深奥にしか存在しない。
【外界】と皇国を隔てる【壁】は見上げるほど高く、そして分厚い。
原始的な本能と殺戮欲求程度しか持たない【外魔】にとっては、この【壁】を突破することは非常に困難だ。
しかし、ごく稀に【壁】を乗り越え、【外魔】がその内側に侵入してくるケースもある。
おそらく、今回のケースはそれにあたるだろうと目された。
この報せを受け、この小さな田舎街には少なくない衝撃が走った。
それはつまり、人間を害するような恐ろしい存在が、身近な場所に潜んでいるということを示唆する出来事だったからに他ならない。
更に問題だったのは、単に敵が【外魔】だったこと、ではない。
本当に問題視されたのは、その個体が、銃だけでなく【心理能力】すらも無効にしたという点である。
【外魔】は物理攻撃を無効にするという点こそ厄介ではあるが、【心理能力】に対する耐性は通常それほど高くない。そのため、【外魔】を討伐するための部隊である【紅】は、その全てが高度な【心理能力】を扱える女性だけで構成されているほどだ。
(【心理能力】の適性は、女性の方が高い)
当然、【心理能力】を扱えるのは【紅】だけの特権ではない。
皇国の治安維持を司る【銀】は、心理等級だけで言えば【紅】には劣るものの、それでも厳しい訓練と標準以上の【心理能力】を操る、いわば戦闘のプロである。
当然、山狩りに参加していた【銀】のメンバーは、いずれも戦闘向きの【心理能力】を持った精鋭揃いであった。
そんな精鋭たちが為す術なく蹴散らされてしまったとなると、敵は単なる低級【外魔】などではない。凶悪な奴らの中でも、特に強力な個体――すなわち、【獄魔】と称される上級の【外魔】が相手である可能性すら出てきたのだ。
単騎で【銀】複数名に匹敵する脅威度を持つことから、当該個体の暫定レートはAと認定された。併せて、現場に残されていた巨大な足跡から、今後その【外魔】は、【巨足】と呼称されることになった。
【巨足】は貪欲で、しかも狡猾だった。
しかも輪をかけて最悪なことに、どうやら【巨足】は、すっかり人肉の味を覚えてしまったようだった。
家畜だけでなく、人間を襲うようになったのだ。
立て続けに森近郊に暮らしていた人々が失踪し、村の住民たちはパニックに陥った。
やがて狩猟や採集はもちろん、鉱石の採掘や農耕、林業さえも滞るようになり、その卸先である北部の首都……【氷都】の財政状況もまた、急激に悪化していった。
こうなると、いよいよ街としても対策を取らざるを得なくなる。
しかし、下手に山狩りなどしても、それこそ【巨足】に新しい餌をくれてやるようなものだ。
【巨足】の討伐は難しい。
しかし、急いで被害を抑えなければ、早晩この街は滅んでしまうだろう。
そこで【氷都】の領主は、苦し紛れの対策をとった。
【氷都】以北にある、森に近い村を全て放棄させたのだ。
そして【氷都】に家を失った村人たちを匿うと同時に、防衛戦力を集中させ【巨足】を物理的に遠ざけるという方法をとったのである。
それは、多くの住民に居住区や本来の生活を捨てさせると言う苦渋の決断だったのだが、結果的にそれが功を奏し、食害被害は大きく減少した。
当初はそれでしばらくは安全かと思われていたのだが、そう上手くはいかなかった。
ある日、その街で一人の男が姿を消した。
男は街の警邏を務めていたが、酒浸りで勤務態度も悪いことで知られていた。
夜勤を務める者は、帰宅する前に一度職場に戻って業務日誌を提出しなくてはならないのだが、彼はそのまま帰宅したり、飲み屋に直行したりしてしまうことも多かった。
そのため、勤務明けに彼が姿を見せなかったにも関わらず、周囲はそれほど気にしなかった。いつも通り、飲みにでも行ったのだろうと思ったのだ。
しかし彼は、翌日になっても現れなかった。
彼は極めてだらしない性格ではあったが、単なる愚か者ではなかった。
これまで、遅刻はすれども、無断欠勤するなどということはなかったのだ。
職場の同僚が彼の自宅まで様子を見に行ったが、男は不在だった。
それどころか、聞き込みを続けた結果、彼は昨晩、行きつけの飲み屋にさえ足を運んでいないことが分かったのである。
彼は、一晩の間に姿を消してしまったのだった。
とはいえ、この時点では、この件はそれほど重要視されることはなかった。
帰り道のどこかで酒でも買って、そのまま泥酔して水路にでも落ちたのだろうというのが大方の予想だった。
こうして形ばかりの捜査が行われることになったが、ある日を境に、事態は急変する。
街の外で、変わり果てた彼の姿が見つかったのである。
身体に残った無数の咬み傷や乱暴にもぎ取られた手足などから、死因が事故死などではないことは明らかだった。
彼の遺体を見た人々は、真っ先に例の【外魔】による被害を想起したものの、最初からその可能性を排除してしまった。
なぜなら、この街と最初に【巨足】の被害が出た場所との間には、かなりの距離があったからである。
それに、【氷都】から少し離れた場所には、立派な畜舎が並んでいる。
腹が空いているのなら、そこの家畜を襲えば良い。
こんな場所にまでわざわざ【巨足】がやって来て人を襲った、などという恐ろしいことは、考えることすら憚られた。男の遺体は早々に埋葬され、捜査は打ち切られた。
実際、それから数日間は、街の人間がいなくなる、などということは無かった。
――やはり、単なる思い過ごしだったのだ。
最初に捜査に携わった人々がそう考え始めた矢先、【外魔】の存在を裏付けるような事件が、立て続けに発生してしまう。
最初は、街の片隅でレストラン兼民宿を経営していた夫婦だった。
仲睦まじいオシドリ夫婦として知られていた二人だったが、ある日いきなり、可愛がっていた娘を一人残して、行方不明になってしまったのだ。
その次は、その街で医者を務めていた50代の男性だった。
穏やかな人柄で子どもにも大人にも好かれていた彼もまた、夫婦が失踪した数日後に姿を消した。テーブルの上には、手付かずの夕食が用意されたままになっていた。
さらにその次には、とうとう、子どもにまで被害が及ぶ事態となった。
犠牲者は、明るく闊達な性格で、クラスでも人気者だった少女。
彼女は、まだ15歳になったばかりだった。
ある晩、彼女の部屋から響く絶叫で目を覚ました両親が駆けつけた時には、既に手遅れだった。彼らが目にしたのは、無人の子供部屋と、めちゃくちゃに粉砕された窓枠、夜風にたなびくカーテンの切れ端だけ。
両親は必死に娘を探したが、結局その少女も、その日を境にいなくなってしまった。
そのうち、街中でも堂々と例の【外魔】の影が目撃されるようになり、行方不明者が発生したり、捕食の痕跡と思われる遺体の一部が発見されたりといった恐ろしい事態が頻発するようになった。
どうやら【巨足】は、誰にも気づかれる事なく、自在に街へと出入りできるらしい。
何よりも問題なのは、この【外魔】がどういう手段で街に侵入しているのかが、全く不明だという点である。現場に残されていた足跡からして、【巨足】はかなりの巨体を誇るはずだ。いかに夜間の犯行とはいえ、誰にも発見されることなく街に出入りしているというのは考えにくい。
強力な【外魔】の中には、体色を誤魔化して姿を隠すようなものもいる。つまり、今回の【外魔】も、そういった特殊能力を備えている可能性があるということだ。
実際、街中で目撃された巨大な影が、瞬きのうちに姿を消した、などという噂もあった。
この事態に住民は震え上がり、自分の家から滅多に出歩かなくなってしまった。
当然である。
自分の近所を、人を喰う怪物が彷徨いているかもしれないのだから。
しかも、そいつが姿を消したり、瞬間移動したりしている可能性さえあるとなれば、怯えない方がどうかしている。
人々は皆、扉や窓を明けた瞬間に、巨大な怪物が大口を開けて待ち構えている様子を、ありありと思い浮かべることができた。【巨足】が現れるのは決まって夜間だったが、それが余計に恐ろしい想像を掻き立てたのだった。
幸いにも、街の警備を厚くしたことが功を奏したのか、被害者が発生する頻度は、少しずつ減少し始めていた。
しかし、街角で人を喰らう怪物とばったり出くわす可能性がある、という状態そのものは何も変わっていない。その恐怖から、街の人々の生活は激変してしまった。
物の流通が滞り、街の大事な産業である採掘や林業すらも、今はほとんど停止してしまっているような有様だ。
過酷な寒さゆえに、薪や食料品が底をつけば、その先に待っているのは凍死か餓死かの二択である。
当然ながら住民は、【氷都】を治める領主に助けを求めた。
あの恐ろしい怪物を退治してください、と懇願したのだ。
しかし、もはや事態は辺境の街が対応できる段階を超えていた。
銃弾のみならず、【銀】の【心理能力】まで弾くレベルの【外魔】となると、北部の戦力だけでは太刀打ちできないことは明らかだ。
もちろん、このまま座視することはできない。
【氷都】は皇国の最北端とは言え、規模としてはそこそこ大きい街である。
それに、仮に【氷都】が全滅してしまえば、血に飢えた【外魔】が南下してくる可能性もあった。そうなれば、被害は皇国全体にも及びかねない。
事態を重く見た皇国が、とうとう重い腰を上げた。
そして、【巨足】と名付けられた【外魔】によって引き起こされた食害事件を解決するべく、【黒】――すなわちレイとランにこの任務が回ってきた、と言うわけだった。
先ほど店主がこぼした“あれ”とは、間違いなく【巨足】のことだろう。
【巨足】のせいで、酪農や林業、採掘業といった北部の生活基盤は、既にまともに機能していらず、ガタガタの状態だ。
幸いにも、寒く厳しい気候で生活している住民たちには、極寒の冬を乗り切るため、比較的温暖な時期に集積していたナッツや穀物、チーズやソーセージといった食料を貯蔵しておくと言う習慣があった。
この冬を乗り切るだけならば、一応は問題ないという。
とは言え、一刻でも早く、北部の生活を脅かしている【巨足】を討伐することができれば、それだけ皇国民の暮らしは楽になる。
改めて、レイは決意を新たにするのだった。
……相変わらず、手は高速で皿と口を往復し続けていたが。
最終的にレイは、カゴに山盛りになっていたパンと、スープ五杯を平らげた。
これには流石のランも、少々呆れ気味である。
その視線に、レイは全力で気づかないフリをした。




