第二十七話 【氷都】
北部に到着した機関車を降りた二人は、駅のホームを離れ、北部の街中を歩いていた。
「いよっしゃあ! そんじゃ、まずは今夜のお宿を見つけよか!」
「……そうですね」
レイの返事にやや険があるのは、好き放題にいじくり回されたせいで、彼女の白い頬がすっかり赤くなってしまっていたせいである。
だが、当のランは気にも留めていない様子で、それがまたレイには腹立たしかった。
これまでの付き合いから、ランは性格に難があるということを、レイは既に知っていた。
ランが今回の任務に同行すると聞いた時から覚悟はしていたつもりだったが、それでも考えが甘かったようだ。こうも傍若無人であると、流石に辟易とさせられる。
そんなレイのことなど完全に眼中にない様子のランは、駅に置いてあった簡素な案内図のようなものを広げ、熱心に目を走らせていた。
「どこがエエかな〜……。うーん、悩むなぁ」
その様子を見て、レイは本日もう何度目になるか分からないため息をつく。
ランに対して真面目に向き合うのは、はっきり言って精神衛生上よろしくない。
自分の気持ちはさておき、レイは悩むそぶりを見せるランに話しかけた。
「……悩む必要ありますか? 【黒】の管轄にある宿泊施設を利用すれば良いのでは」
【死神】こと【黒】は、非公式とはいえ曲がりなりにも神聖皇国が誇る特殊部隊の一つである。その任務はいずれも重要なもので、そのため彼女たちの活動には、皇国から様々な便宜が図られる。
飲食費や移動費、宿泊施設などの利用なども、当然そこに含まれる。
【黒】のために発行されている許可証やカードを見せることで、無料になったり、皇国からの支払いになったりといったサポートを受けることができるのだ。
任務で赴いたのだから、ここ北部にも、そういった【黒】が利用可能な宿泊施設が存在するはず。
わざわざ宿を探さずとも、そういった場所を利用すれば良いのではないか。
レイの言葉は、そんな彼女の疑問を内包したものだったのだが、それを聞いたランはわざわざ「ちっちっちっ」などと口に出しながら、顔の前で左右に指を降ってみせた。
「甘いでぇ、レイちゃん。確かに大きな街に行けば、そういった施設もあるなぁ。……けどなぁ、確かにここも大きな街やけど、皇国の最北端なんやで? そんな場所に【黒】の息がかかった宿泊施設なんて、都合よくあらへんよ」
「……そうですか」
レイは、ドヤ顔で解説するランに若干イラっとしつつ、相槌を打った。
「――それに、折角なら北部を満喫したいやろ!?」
しかし、その後に続いた余りにもぶっちゃけ過ぎたランの言葉には、思わずレイも声を荒げてしまう。
「結局それが本音じゃないですか! 旅行に来たわけでは無いんですよ!?」
「ああ言う場所は、ご飯もベッドもイマイチで嫌やねん! 美味しいもの食べたい! 柔らかーいお布団で寝たい! だらだらしたーい!」
「任務中に何しようとしてるんですか!?」
「ぜーたくざんまい!」
「ダメに決まってるでしょうが!」
「――ほー? ふーん……レイちゃん、そんなこと言うてええんか?」
「なっ……どう言う意味ですか」
ニヤリ……と意味有り気な笑みを浮かべるラン。
それを見て嫌な予感がしたレイは、思わず身構える。
「ハカセに聞いたでぇ……。そういうレイちゃんも、エルと二人で観光したんやってなぁ?」
ランの言葉に、レイはグッと言葉に詰まった。
確かに……それを言われると、返す言葉もない。
一応、あれはきちんと任務を終えてからの行動であって、決してサボっていたわけではないのだが……本来の滞在期間を超過してホテルに留まっていたことは間違いない。
いずれにせよ、決して誉められた行動ではないだろう。
ランは、すっかり黙ってしまったレイの耳元に口を寄せると、そっと呟いた。
「たまには息抜きぐらいしてもバチは当たらんで? それに、北部の美味しい料理……レイちゃんも興味あるやろ?」
ランの甘い誘惑に、危うくごくりと唾を飲み込みそうになるレイ。
だが、彼女は危ういところでそれを我慢した。
食べ物に釣られるチョロい女などとランに思われるのは、絶対に嫌だった。
しかしランは、レイの心のうちの葛藤を正確に読み取ったのか、ニンマリと笑った。
「ほらぁ……レイちゃんも気になってんのとちゃうの?」
「そ、そんなことは……」
もちろん、そんなことある。
任務で赴いた先で食べるご飯が、任務中の密かなレイの楽しみでもあるのだ。
しかし、ランの言葉を素直に認めるのは、はっきり言って癪だった。
まるで食いしん坊みたいに思われるのは、レイにとって実に心外なことだったのである。(実際、その通りなのだが)
「――あっ! ほら、噂をすれば、あそこにレストランやで! 北部の美食がウチらを待っとる! さぁ、れっつらごー!」
確かにランが指差す先には、こぢんまりとしたレストランがあった。
それほど大きくはないが、外観は小洒落ている。
そして同時に、レイの優れた鼻は、そこから漂ってくる蠱惑的な香りを嗅ぎ取った。
「し、仕方ないですね」
そんなふうにレイは言ったものの、実際のところは明らかである。
ランは彼女の顔を覗き込みながら、人の悪い顔でニヤニヤと笑う。
そしてレイは、僅かに緩んだ頬をランに見られたくなくて、そっと顔を逸らすのだった。
***
そのレストランの店主は、小太りの冴えない男だった。
店内は暖炉のお陰で暖かかったものの、客の入りが少ないせいか、外観よりも何だか寒々しい印象を受ける。
しかし料理の腕はそれなりで、機関車の中で提供される硬いパンと水っぽいスープの食事に飽き飽きしていたレイは、久方ぶりにまともな食事にありつ口ことができて、ホッと一息をつくことができた。
特に、クルミを練り込んだ丸いパンが絶品だった。
パリッと焼けた表面は香ばしく、クルミのザクザクとした食感が面白い。
レイはこれまで食べたことがなかったが、北部では一般的なパンだという。
ソーセージとジャガイモを煮込んだスープも、薄味ながらも奥行きのある味わいで、香ばしい胡桃パンと一緒に食べると、堪らなく美味に感じられた。
レイの目の前にある山盛りのパンとスープが、見る見るうちに消えていく。
彼女は細い身体に似合わず、実に健啖家なのである。
一方ランはというと、賑やかなキャラクターではあるが、意外にも少食だ。
レイが夢中で遅めの昼食に取り掛かっている間、彼女はのんびりとパンを齧りながらちびちびとスープを啜りつつ、気の弱そうな店主を捕まえては、あれこれ世間話に興じていた。
これが任務に関係のあることだったら感心できるのだが、レイの聞く限り、ランの質問は街にあるレストランや宿泊施設に関することばかりで、彼女は口をもぐもぐさせながら、すっかり呆れかえるのだった。
……この場合、食事に夢中になっている彼女も、決して人のことは言えないのだが。
改めて、食事へと意識を戻したレイ。
ランと店主の中身に乏しい会話が、彼女の耳を通り抜けていく。
ただ、店主がポロッとこぼした「“あれ”が出てから、商売あがったりだ」
という呟きだけは、はっきりと聞き取ることができた。
今回、ふたりがここ北部の小さな街に赴いたのは、とある「連続食害事件の解決」のためである。
およそ半年前。
この街よりも更に北にある村のとある牧場で、家畜が失踪するという事件が頻発するようになった。
作物の育ちにくいここ北部では、酪農や畜産が盛んに行われている。
それらの産業は、林業や採掘業と並んで、北部の生活基盤を支えているといってよい。
当然、それらの家畜は貴重な資産であり、たった一頭失うだけであっても損害は計り知れないものとなる。数頭が立て続けに消えたとなれば、これはもう大事件だ。
牧場の柵は高く、頑丈に作られている。
家畜たちが自力で逃げ出したとは考えにくい。
であれば当然、“犯人”がいると考えるのが自然だろう。
実際ここ北部では、街と雪山が近いこともあって、時折クマやオオカミが下山してくることもあった。今度も、腹を空かせた肉食獣による仕業だと思われた。
腹を立てた牧場主は、動物たちを畜舎に集めると、猟銃を準備して“犯人”を迎え撃つことにした。
数日後、いつもの出荷車両が姿を見せないことを不審に思った取引相手が彼の自宅を訪れる。そこに牧場主の姿はなく、代わりに取引相手の男が発見したのは、主人を失ってガランとした無人の自宅と、怯え切った家畜の群れ。
そして、大量に残された血痕だった。
【心理能力】を用いた調査の結果、それは家畜のものなどではなく、人間の血液だということが判明する。時を同じくして、この牧場から数km離れた地点で人間の手足らしきものが発見される事態となり、この血痕は彼のものだと断定されることとなった。
牧場の地面は寒さに強い頑丈な牧草で覆われていたため、足跡のような痕跡は全く残っていなかった。犯人の正体は判明しなかったものの、過去には大型のクマやオオカミなどが出没したという記録も残っている。不幸な事故ではあったが、問題の害獣を退治すれば、事態はすぐに解決するものと思われた。
その3日後には、北方支部から派遣された【銀】と村の自警団とが連携し、山狩りが行われることとなる。
その対応は、決して間違っていなかった。
ただ、その結果は凄惨なものだった。
銃を所持していたベテランの猟師も、
【心理能力】を使って治安維持を担う【銀】も、
そのほとんどが、無惨にも食い殺されてしまったのである。
討伐隊の帰りが余りに遅いので様子を見に行った者たちが目にしたのは、白銀の世界を深紅に染め上げる夥しい量の血痕と、あちこちに散らばる肉片。
そして、現場に残された、巨大な動物の足跡であった。
その足跡は1.5mほどもあり、しっかりと地面に沈み込んでいることから、かなりの体躯の持ち主であると推定された。
独特な形状の足跡と、その他の地面に残った痕跡から見るに、おそらく先遣隊を襲ったのは、二足歩行の……それも、ヒトに極めて近い身体構造をした生物であろう。
少なくとも足跡の持ち主が、野生のクマやオオカミなどではないことは明らかだった。
大急ぎで現場の検分を終え、僅かに残った遺体の破片や備品を回収し、撤収を始めた時だった。彼らは偶然、現場付近に隠れていた生存者を発見する。
彼は討伐隊に同行した現地の猟師で、大木のウロの中でガタガタ震えているところを保護された。彼曰く、“それ”と交戦するも、早々に逃げ出して隠れていたため、なんとか無事だったという。
彼は恐怖のあまり錯乱していたが、なんとか当時の状況を聞き出すことができた。
――やめてくれっ! 殺される! た、助けてくれっ!
――あ……あれは、バケモノだ……!
――銃弾も、【心理能力】も効かねぇんだ!
――み、みんな食われちまった! 生きたまま、悲鳴をあげて……!
彼の証言と状況証拠から、およそ敵の正体は一つに絞られた。
人を喰らい、銃弾すら弾き返すほどの高い物理攻撃耐性を持つ存在。
【外魔】である。




