第二十六話 ラン
とある北部の街。
皇国全体で考えても、そこそこ大きな規模の街である。
ここは【氷都】。
人口は約15万人程度だが、周辺の村や集落を含めると総人口は20万人を超える。
主な収入源は狩猟と牧畜、そして農耕や林業。
そして近郊の鉱山からの採掘と、木の実やキノコなどの採集が少々。
特産品と言えば、森から採れる木々と、岩山から切り出される鉱石のみ。
そんな【氷都】には、街の規模とおよそ釣り合っていない、小さな駅がある。
そんな場所に、周囲の景観とは明らかに不釣り合いな、重々しい黒色の大きな乗り物が鎮座していた。
その機械は、自動車などとは比べ物にならないほど巨大だ。
ぷしゅー、と頭頂部から白い熱気を噴き出しながら、漆黒の巨体を小刻みに震わせる姿は、さながらイビキをかく鈍重な獣を思わせた。
この機械の正式名称は、【心力機関車】。
神聖皇国において、遠距離への移動には、専らこの【心力機関車】が用いられていた。
動力は燃料ではなく、乗車している【心理能力者】そのもの。
この機関車は、注ぎ込まれた心力を運動エネルギーに変換する機構によって駆動する。
この心力炉と呼ばれる機構は非常にエネルギー効率が良いため、工場や発電所など、神聖皇国においては官営施設のほとんどにおいて採用されていた。
ただし、常に複数名の【心理能力者】が交代で張り付いていなくてはならないという構造上、人件費が嵩むのが常だった。(その代わり、燃料などの資源の消費が抑えられているため、相対的に経費は安くなっている)
【心力機関車】はその点を、乗客している【心理能力者】に対して定期的に心力を提供させることでカバーしており、神聖皇国における公的移動機関としては比較的メジャーな存在として広く知られていた。
ただ他にも、決まった時刻にならないと動かなかったり、予め敷設されたレールの上以外は走れなかったりと言うような欠点があり、自動車などと比較すると、どうしても融通が効かない面も目立つ。
しかし、その連なった車両の中には簡素ながら寝台や食堂なども用意されているため、利用者にとっては寝食の心配をする必要がないと言うメリットもあった。
この心力機関車の名前はノース・セイント。
広大な神聖皇国の最北端、その辺境の地まで、唯一運行を許されている機関車である。
そんな機関車の側面が金属質な音を立てて開き、中から一人の少女が現れた。
つい数週間前、人身売買組織を壊滅させた、【死神】と呼ばれる特殊部隊メンバーのうちのひとり――レイである。
白く細い首には、【死神】に装着を義務付けられている黒銀のチョーカー。
今の彼女は、【黒】の軍服ではなく、分厚い毛皮のコートを身に纏っている。
(流石に、普段から黒の軍服姿というわけではない。規定にない【黒】の軍服は一般人を混乱させてしまうし、逆に取り締まるべき連中は、黒い軍服を見た時点で逃げ出してしまう)
ブレスレットを模した【収納箱】や、死刑囚の証である不気味なタトゥーは、いずれも分厚いコートの下に隠れており、傍目には、彼女が【死神】の一員であることは分からない。
左手で引いている大きなスーツケースと合わせて、今の彼女は、単なる若い観光者にしか見えなかった。
そんな彼女は、初めて訪れる北部の気候に、すっかり圧倒されていた。
――さ、寒い。
ホームに降り立ったレイは、思わずぶるりと身体を震わせた。
先日まで滞在していた【水端】も、12月ということもあってそれなりに寒冷ではあったのだが、それとはまるで比べ物にならないほどの寒さである。
暴力的なまでの冷気が容赦なく肌を刺し、風が吹き付けてくる度に、まるで鋭利な刃物で切り裂かれているかのような錯覚さえ覚えてしまう。
厚手のコートを身につけているにも関わらず、まるで意味を成さないほどの寒さだ。
ちなみにこのコートは、次の任務先が北部だと知ったエルが餞別としてレイに贈ってくれた一品である。
最初にこの分厚いコートを見た時には、「いくらなんでも大袈裟ではないか」などと考えていたレイであったが、乗っている機関車が北部に近づいていくにつれて、エルの贈り物が、決して大袈裟などではないことを悟ったのだった。
怒らせると非常に恐ろしい先輩ではあるが、時折こういった気遣いを見せてくれるので、レイは彼女のことが決して嫌いではなかった。
とは言え、彼女が自立式の爆発物であることには変わらないので、エルが近くにいるだけで緊張してしまうのは相変わらずであるが。
そんな先輩の心遣いに素直に感謝したいところであったが、予想を遥かに超える北部の冷たい風のせいで、そんな心の余裕はすっかり失われてしまっていた。
加えて、分厚い灰色の雲に覆われた空が、いっそうレイを寒々しい気分にさせた。
時刻からすれば昼過ぎのはずなのに、どこかじっとりと薄暗いのである。
単に今日が曇りなのではなく、恒常的にこういう天候なのだと思わせるほどに、空気は重く、冷たく、湿っていた。レイの生まれ育った東部とは、何もかもが違っている。
駅のホームから見える北部の街並みもまた、レイが見慣れたそれとは大きく異なっているようだ。
周囲の建造物は黒っぽい岩煉瓦を積み重ねて作られており、この地の気候や風俗を反映してか、いずれも傾斜の鋭い尖った形状の屋根をしているのが特徴的だった。
無数の刺々しい家々の向こうには、また別の景色が広がっていた。
わずか数十キロメートルの距離には、【外海】と神聖皇国とを区切る【壁】が聳え立ち、さらにその奥には、巨大な氷山が天に向かって無数に連なっている。
否、単なる氷山と呼ぶのはあまりにも生ぬるい。
凍てついた鉄杭のような鋭い山々は、見ているだけで心臓を指し貫かれそうだという錯覚を与えるほど、レイの目には攻撃的な景色として映った。
地の果てにある山脈が纏う絶対的な白装束は、まるで生けとし生けるものの存在を、キッパリと拒絶しているかのようだ。
ここに到着するずっと前から、機関車の窓からも見えていた光景ではあったが、近くで見るといっそう迫力があるように感じられる。
あれこそが、神聖皇国の四方を覆う魔境の中の一つ。
極寒の地獄を顕現したかのようなその場所は、皇国民から【山】とだけ呼ばれていた。
もちろん、神聖皇国の中にも、大なり小なり山はある。
しかし、敢えてシンプルに【山】と呼ぶ場合は、大抵あの場所だけを指す。
【山】に限らず、【外界】は恐ろしい場所である。
単に、環境が厳しいと言うだけではない。
【外界】には、無数の【外魔】が彷徨いているのだ。
そのため、ごく一部の人間を除いて、あの場所に好き好んで立ち入ろうとするような愚か者は存在しない。
そうやって【山】を眺めていたレイは、大きく息をつき、フッと力を抜く。
意図せず自分の身体が強張っていたことに気がついたのである。
【山】とは別の場所ではあるが、レイは四つの魔境のうちの一つに入った経験があった。
だからこそ、【外界】がどれだけ恐ろしい場所か、彼女は身をもって知っていた。
今の彼女の実力なら、例え【外界】であっても簡単に命を落としたりはしないだろう。
ただ、彼女が【外界】で体験した悲痛な記憶は、今でも脳裏に焼き付いている。
【外界】に想いを馳せるたび、暗い過去がジクジクとした心の痛みを伴って、こうして彼女を苛むのだった。
頭上に広がる曇天のように暗澹たる気分になってしまったレイだったが、ふと、その足を止めた。単なる冷風とは別の微かな冷たさを、自分の頬に感じた気がしたのだ。
不思議に思って視線を上げてみれば、のっぺりとした灰色に塗りつぶされた空の中を、ごく微細な氷の粒がヒラヒラと舞っているのが見えた。
雪である。
レイにとっては、初めて見る雪だった。
知識としては知っていたが、かつて彼女の住んでいた場所には、これまで雪など降ったことがなかったのだ。
生まれて初めての光景に感動したレイは、そっと空を見上げた。
彼女が【死神】として任務に従事するようになってから、こうして、今まで見たことのない景色を眺めることができるようになった。
狭い故郷にいたままでは、決して見ることのできなかった光景でもある。
レイが赴くということは、必然的にその地で血生臭い思いをすることになる。
そんな彼女にとっては、こう言った新たな景色を目にするひとときが、【死神】になって良かったと思える、数少ない瞬間なのだった。
彼女が空に手を翳すと、その指先に、一欠片の雪がそっと舞い降りてきた。
よく観察してみれば、単なる氷の粒というわけではなく、蜘蛛の巣のような複雑な形状をしていることが分かる。
厳しい自然の中から生まれたとは思えない美しさに、思わずレイは感嘆の声を漏らす。
「……綺麗」
しかし、それも刹那のこと。
掌の上の繊細な芸術は、彼女自身の体温によって溶け、夢幻の如く消え去ってしまう。
それが何とも儚く、そして幻想的だった。
任務に赴いた先でレイを出迎えた、わずかばかりの平穏なひと時。
……しかし、それを妨げる者がいた。
「やー! やっぱりここは寒いなぁ! 寒すぎてブルブル震えてきよんで! あ、これは怖いのとちゃうで? 武者震いや! たはは!」
バシバシと背中を叩かれ、レイの身体がぐらぐら揺れる。
先ほどまで彼女が感じていた雅な風情など、もはや遠い何処かへと消え去ってしまっていた。
「……相変わらず賑やかな人ですね、“ラン”」
しんみりとした時間を盛大に邪魔されてジト目になったレイが、隣で無遠慮な声を上げている人物のことを軽く睨む。
そこにいたのは、一人の女だった。
詳しい年齢は不明だが、レイよりは年上だろう。
外見から見ても、せいぜい20代前半といったところ。
悪戯っぽく細められた目と、キュッと上がった口元。
明るい栗色の癖っ毛は、好き勝手な方向にピンと跳ねている。
その容姿を動物に例えるなら、ヤンチャな野良ネコだろうか。
そばかすの散った頬に、細い一重瞼。
そして、172cmのレイよりもやや高いぐらいの身長。
とびきりの美人とは言えないまでも、彼女の笑った顔には独特の愛嬌があった。
その特徴的な話し方は、彼女曰く、南西部の一部の地域で使われている方言だという。
ファッションなのか、両手には指先の露出した薄手の皮のグローブを嵌めている。
そしてもちろん、レイと同じ黒印と銀のチョーカー。
一見無害そうに見える彼女もまた、死刑囚を集めて作られた無法者の集団――【死神】の一員なのだ。
レイから軽い非難の視線を浴びた彼女――“ラン”は、ことさらに楽しそうに笑った。
「あはは! この明るさがウチの取り柄やで! レイちゃんもホラ、笑って笑って!」
以前会った時と変わらない彼女の様子を見て、レイは微かにため息を吐いた。
高いテンションに、軽いノリ。
確かに気さくで親しみやすくはあるのだが、それは同時にデリカシーの無さでもある。
お手洗いから戻ってきた人間に、「いっぱい出た?」などと平気で聞いてくるタイプだ。しかも、彼女自身はそれを意識的にやっているフシすらある。
実際、ランは悪戯好きで、他人を揶揄うことが趣味だというのだからタチが悪い。
中央部にある【黒】の拠点を一緒に出発してから、彼女はずっとこの調子なのである。
レイはどちらかと言うと辛抱強い性質だったが、流石の彼女もうんざりし始めていた。
この騒がしい女に四六時中ノンストップで話しかけられ、隙を見てはチョッカイをかけられ……というのを一週間以上も味わえば、どんな修行僧だって音をあげるだろう。
柔和な外見の下に苛烈な本性を隠し持っているエルのように、いつ爆発するかとヒヤヒヤさせられることはないが、ランもまた別のベクトルで疲れる相手だった。
「ため息なんてアカンよ? 幸せが逃げてまうで! スマイルやで〜? ほれほれ!」
そんなレイの内心を知ってか知らずか、指先で彼女の頬をグニグニと触ってくるラン。
どうやら、強引にレイを笑顔にしようとしているらしい。
「はぁぁぁぁ……」
頬を好き放題に弄ばれながら、いっそう深々とため息を吐くレイなのであった。




