第二十話 顔剥ぎ
そんな風に、レイが密かに焦りを感じていた矢先のことだった。
突如、ビシリという耳障りな音が響いた。
ギョッとしたレイが音の発生源に視線をやってみれば、目の前の女の顔に、大きな亀裂が入っていた。
それを見た子どもたちが、一斉に息を呑む。
人間の皮膚が砕けた陶器のようにひび割れている光景は、なんとも異質で、どことなく不気味だった。まるで路上に打ち捨てられ、朽ち果てた人形を思わせるような気味の悪さである。
「……《変 面》、解除」
おそらくそれが、彼女の【心理能力】を解除するキーワードだったのだろう。
やがて彼女の言葉を追うように、彼女の身体に変化が訪れた。
パキパキという音を立てながら、そのひび割れは全身にまで広がっていく。
そして、ガシャンというガラスが砕けたような音が響き――その下から、ようやく彼女の本来の姿が露わになった。
その正体は、レイがその声から予想していた通り、やはり女だった。
ただ、その外見は、レイが想像していたよりもかなり若い。
年齢は14〜15歳だろうか。
肌は良く焼けていて、褐色に近い。
眼球の色はかなり特徴的で、レイがこれまで見たことのない、輝くような金色。
三つ編みにした黒髪を両サイドでくるくると巻いていて、それが彼女の童顔を強調しているようだった。ツリ目気味ではあるが、年相応の可愛らしい顔立ちである。
ただし彼女は、その童顔に似合わない扇状的な服装を身につけていた。
例えるなら、踊り子が纏う衣装だろうか。
麻色のそれは上下に分かれた構造になっていて、彼女の薄い胸と下半身を辛うじて隠す程度の面積しかない。
そのため、痩せて浮き出した肋骨や、うっすらと割れた腹筋、形のいいヘソが丸見えになっている。
この辺りのやや肌寒い気候とは何ともミスマッチで、その格好で外に出たら、かなり寒そうだ。少なくとも、この辺りの人間ではない。南部の温暖な地域の出身だろうか。
ただし、その痩せた少女の身体に不似合いなものが一つだけあった。
タトゥーである。
薄い右脇腹に刻印されたそのタトゥーは、黒い蝶を象ったものだった。
その特徴的な羽の紋様から見るに、おそらく【紋黒蝶】だろう。
死の香りを惹きつけられると言う習性を持つ彼らは、墓場や戦場、処刑場などでよく見られるため、神聖皇国では不吉な存在として忌み嫌われている生物だ。
タトゥーそのもののサイズはそれほど大きくはないが、その不吉なデザインは非常に目立っており、自然とレイの目を引いた。
彼女自身、【紋黒蝶】には良い思い出がない、と言うのもあるが。
少なくとも、若い女性が身体に刻むようなデザインではない。
僅か数秒で仮初の姿を脱ぎ捨てた彼女は、ニヤッと笑いながら言った。
「これでようやく初めまして、かナ? じゃ、改めて自己紹介と行こうカ。
――ワタシの名はリォ=リィ。元の名前はもっと長いんだけド……リオでいーヨ。よろしク」
そこまで喋ったリオは、どこか嬉しそうに言葉を続けた。
「……それともキミたちなら、こっちの名前の方が分かるかナ?
巷じゃ、こうも呼ばれてるんだよネ。……【顔剥ぎ(フェイス・コレクター)】、ってサ」
***
数年前、南部の大都市で、不可解な事件が発生した。
当時、街で最も強大な権力を誇っていた豪商が暗殺されたのだ。
屋敷にあったナイフで首元を掻き切られた死体は翌朝、部屋の掃除のために部屋を訪れたメイドによって発見され、早急に【銀】による捜査が開始された。
当初は使用人たちが疑われたが、その容疑は早々に晴らされることとなった。
その全員にアリバイがあったというのもあるが、彼らの証言から、死んだ豪商の部屋を1人の商売女が訪れていたことが発覚したのだ。
その女には、過去に複数の薬物使用の前科があり、酒によって暴れ、短期間ながら投獄されたこともあったという。
この人物が捜査線上に浮かび上がってきたことで、事件は解決するかに思われた。
しかしながら、彼女の所属する娼館を訪れた【銀】の隊員たちは、すっかり困惑する事になる。
――なぜなら容疑者の女は、事件が起こる2日前に、既に死んでいたのだから。
それも、顔の皮を剥ぎ取られるという凄惨な方法で殺害されており、失われた“顔”は何者かが持ち去ってしまったのだという。
非合法な経営をしていた娼館側は、厄介な事態を避けるために彼女の死を隠蔽しようとしていたが、先に別件で【銀】に踏み込まれてしまったというわけだった。
ともあれ、これによって不可解な点ができてしまった。
容疑者の女は、豪商の男が殺される前の日には、既に殺されていたという。
ならば、その日の夜に豪商の部屋を訪れたのは、一体誰なのか。
まさか、幽霊だとでもいうのだろうか?
新聞社はこの事件を繰り返し報道し、【銀】も捜査に力を入れたが、成果はさっぱり上がらなかった。
そんなふうにして数ヶ月後、再度同じ街で事件が起こった。
今度は、不正な経理を行なっているとされ、【銀】の調査対象となっていた領主の秘書の1人が殺害されたのだ。
そして手口は豪商の時と同じ、自宅の部屋で喉を一突きで裂かれている、というもの。
捜査の結果、秘書の家に出入りしていたという友人の男が容疑者として挙げられたが――既にその男も、顔の皮を全て剥がされ、事件の数日前に殺害されていることが判明する。
ここにきて、ようやく【銀】にも、朧げながら事件の全貌が見えてきた。
死者が殺人を犯しているのではない。
何者かが被害者の顔を剥いで、その人物に成り済まして人を殺しているのだと。
同様の手口で、さらに数名が命を落とし――。
やがて、その殺人鬼は【顔剥ぎ(フェイス・コレクター)】と呼ばれることになる。
レイは、彼女の外見やリオという名前には聞き覚えがなかったものの、続く【顔剥ぎ(フェイス・コレクター)】という「悪名」には聞き覚えがあった。
【死神】に配られている“手配書”にあった名前だ。
レートは S。
【顔剥ぎ(フェイス・コレクター)】自身の戦闘力は不明であるが、別人になりすますことのできる能力の凶悪さに加え、各地で神聖皇国の要人数名を実際に殺害していることから設定されたレーティングである。
これまで彼女の関与が疑われている要人の暗殺事件は、既に20件以上にも上っている。発覚していないものを含めれば、恐らくその倍はいくだろう。
それも、この犯行による被害者には、ターゲットとなった人物だけでなく、その人物に近しい者……すなわち、“顔”を奪われた者もまた含まれる。
一件の犯行で、少なくとも2名が命を落としていることになるのだ。
侵入や逃走等の最中に殺された人々を加えれば、被害者はさらに増えるだろう。
何よりも厄介なのは、【顔剥ぎ】が他人の容姿を完璧に模倣できる、という点にある。
どんな姿にも化けることができる彼女にかかれば、どんな人間にも成り代わることが可能だ。
あらゆる場所に堂々と正面から侵入可能だし、機密情報にもアクセスし放題だろう。
極論、女帝陛下に成り代わられでもすれば、この国を実効支配することすら可能なのだ。
特級犯罪者として手配書に名を連ねるのも頷けるというものである。
そのように、皇国から特に警戒されている【顔剥ぎ】と対峙したレイが真っ先に感じたのは「焦り」と「怒り」だった。
レイの感じた「焦り」は、この場で戦闘になってしまった故のもの。
何せ、相手はSレートの心理能力犯罪者である。
戦闘能力は未知数だが、先ほど銃弾が効かなかったことと併せて考えれば、きっと一筋縄ではいかない相手だろう。
今ここで【心理能力】を安易に使えば、自身の能力でエリカたちをも巻き込みかねない。
そもそも、レイの任務は「人身売買組織の壊滅」及び「囚われていた人々の解放」である。本来ならば問答無用で始末しなくてはならない相手ではあるが、【顔剥ぎ】とエンカウントしたのは偶然であって、ここで戦闘を行なってエリカたちを殺してしまうのは、どう考えても本末転倒だろう。
相手に交戦の意思がなければ、ここは相手を見逃すのが合理的な判断だと言える。
しかし、もう一つの感情がレイの冷静な思考を邪魔していた。
それは、目の前でニヤついている【顔剥ぎ】に対する「怒り」。
先ほどの女性の“顔”も、きっと誰かを殺して奪い取ったものだろう。
目の前で殺人鬼がのうのうと息をしていることが、レイには我慢ならなかったのだ。
彼女は、世の中に存在する理不尽そのものを嫌っている。
否、憎んでいると言ってもいい。
特に、弱者を食い物にするような人間は、彼女にとって絶対に許せない存在だった。
そしてそれは、この【顔剥ぎ】などと呼ばれている女も同類。
理性では戦闘を避けようとしつつも、
感情では相手を殺そうとしてもいる。
レイの脳内で相反する思考が交錯し、彼女はほんの僅かに逡巡した。
そんなレイの迷いを読み取ったのだろう。
目の前の【顔剥ぎ】は、いっそう嬉しそうに笑った。
「……安心しろヨ。ワタシも、アンタとやり合うつもりはなイ」
「……どうだか。大人しく投降すれば、命までは奪いませんよ。ここは……」
「――おっト! ……残念だけド、そろそろ時間ダ」
【顔剥ぎ】の言葉を信じるならば、今ここで戦闘になることはない。
しかしながら、このまま彼女を逃すというのも業腹である。
レイの言葉は、そういった複雑な感情を乗せたものだったが、ここで唐突に【顔剥ぎ】が声を上げたため、彼女の言葉は半ばで中断されることとなった。
「……時間? このまま、大人しく逃すとでも?」
「5……4……3」
怪訝そうな顔で、目の前の女を問いただすレイだったが、彼女の言葉への返答は、【顔剥ぎ】による、謎のカウントダウンだった。
「――ッ! 止めなさい!」
焦りを孕んだレイの言葉。
この意味ありげなカウントダウンには、当然意味があるはずだ。
ここにきて、ただのブラフなどということはあり得ない。
――何かしてくる。
即座にそう判断した彼女は、今もなおカウントダウンを続ける【顔剥ぎ】の頭部に向かって、躊躇いなく引き金を引いた。
レイの優れた動体視力は、自身の銃から発射された無数の弾が、寸分違わずリオの頭部めがけて飛来する様子を捉えていた。間違いなく、あとコンマ数秒で着弾するはずだ。
もちろん、レイはこれで終わりだとは考えていない。
【外魔】用の銃弾を撃ち込まれても平気な顔をしている相手だ。
防御するか、回避するか。
あるいは先ほどのように、正面から被弾するつもりだろうか。
少しでも敵の情報を持ち帰るため、瞬きもせずにレイはリオの一挙手一投足を見逃すまいとする。しかし、結果から言えば、リオは何もしなかった。
(……――ッ!? 何が――!?)
間違いなく命中する軌道をなぞっていたはずの弾丸。
しかし、それらすべての銃弾は、リオに命中する直前に、すべて完全に消滅してしまったのだ。
リオは、防いだわけでも、躱したわけでもない。もちろん命中してもいない。
ただそこにいただけだ。【心理能力】を起動する微かな兆候さえ見せなかった。
銃弾は、手品のように消えてしまったのだ。
荒唐無稽にも思える現象だが、しかし事実であることは間違いない。
なまじ優れた感覚を持つレイには、銃弾が文字通りかき消えてしまったのが、しっかりと見えていたのである。
動揺しているレイの姿を見て、リオがどこか嬉しそうに笑う。
もちろん、この間もカウントダウンは続いている。
やがて――。
「2……1……じゃあナ、「桜庭陽奈」ちゃン?」
「――!? な……っ!?」
カウントダウンが終了すると同時に。
――彼女は、銃弾と同じように。その場から消え失せてしまったのだった。




