第十九話 嗅覚
華奢な体格で、気も弱そうな女性に対して、大型銃を構えるレイ。
それだけでなく、敵を目の前にした時のように――いや、もしかしたらそれ以上に――レイは、険しい表情を浮かべていた。
冗談と笑って済ませられるような雰囲気ではない。
これには、エリカを含めた他の子どもたちも困惑しているようだった。
レイは彼女たちをこの場所から助け出してくれた人物だ。
子どもたちは、レイのことを信頼していた。
無愛想かつ無表情で怖く見えるが、レイは自分達にとって「味方」なのだと、彼女たちは本能的に分かっていた。
そんな人物が、同じく囚われていた人間に銃を向けているのだ。
子どもたちが混乱するのも無理はなかった。
「……えっと、あの……?」
そして、混乱しているのは周囲にいる子どもたちだけではない。
当然、銃を向けられている目の前の女もまた、滲み出る不安を隠せないでいた。
そんな彼女に向かって、スッと目を細めたレイは、はっきりとした口調で問いかけた。
「――貴女は、何者ですか?」
***
「……ぇ?」
レイの言葉に対して、呆然と目の前の女は聞き返した。
何を言われたのか分からない、といった表情である。
それもそのはずだ。
何せ、お互いに初対面なのである。
そんな状態では、レイが彼女のことを知らないのは当然のことだ。
知っているはずがない。
銃口を向けられながら「貴女は誰か」などと問われても、困惑するだけだろう。
銃を向けられた女は、懸命に名乗ろうとする。
「あの、自己紹介が遅れてしまって、大変な失礼を! 私の名前は……」
「――私、普通の人よりも感覚が鋭いんです」
どこか必死な顔でレイに話しかける女。
だが、レイの返答は、彼女の言葉を完全に無視して吐かれた。
「視覚、聴覚、味覚。それと……嗅覚も、です」
ともすれば、レイが女を無視して、全く関係のない話をしているかのように見える。
だが相手には、レイが何を言いたいのか分かったようだ。
先ほどまでのような必死さが消え失せ、今は黙ってレイの話を聞いている。
「一度でも会ったことのある人間なら、私には分かります」
その女は無表情だった。
彼女の顔からは、人間的な感情がストンと抜け落ちているかのようだった。
まるで、仮面でもかぶっているみたいに。
レイはそんな女の様子を見ながら、スンスンと鼻を鳴らす。
「貴女の匂いは知っています。私がここにきた時――貴女、あの場所にいましたね?
……もう一度聞きます。貴女は、何者ですか?」
レイの言葉は、ともすれば荒唐無稽なものだった。
【心理能力】ならともかく、自身の嗅覚のみで人を判別するなど、普通の人間にできるようなことではない。
まともな感性を持った人間ならば、まともに取り合うとはしないだろう。
あるいは、「馬鹿なことを言うな!」と怒り出すかもしれない。
実際、その場にいた他の子どもたちの中には、若干呆れたような視線をレイにやっている者もいる。いずれにせよ、レイの話を信じる者など、少なくともこの場には存在しないかと思われた。
ただ、目の前の女を除いて。
レイの言葉を聞いた後……彼女は、笑ったのだ。
何か面白いものでも見つけたかのような、楽しげな顔で。
それを見た他の子らも、どこかおかしいと分かったようだ。
警戒心を滲ませる彼女らを背後に庇いながら、レイは目の前の女を睨む。
しかし彼女は、そうやって警戒されていることを気にも留めていないようだった。
ヘラヘラと笑いながら、レイに対して一気に砕けた口調で話しかけてくる。
「……よく分かったナ?」
目の前の女は、自分が「このアジトに囚われていた人間」などではないということを、もはやレイたちに隠すつもりはなさそうだった。
彼女の表情や仕草も当初の気弱そうな印象から一転している。今はどこか不敵で、軽薄そうな雰囲気を纏っており、全体的な印象は、既に完全に別人のそれへと変化していた。
おそらく、これが彼女の素なのだろう。
雰囲気に加えて、大きく変化している点はもう一つあった。
声である。
先ほどまではトーンの高い声だったが、今の彼女の声は、どちらかといえば幼く、どこか鼻にかかるような甘めの声に変化していた。
単に声を変えていた、という以上の代わりようだった。
さらに、彼女の口調やイントネーションには、どこか独特な訛りが現れていた。
皇国の辺境で使われているような、特殊な方言だろうか。
だが、それにしては、何だかぎこちないようにも感じられる。
そんなはずはないのだが、まるで言葉そのものを普段から使い慣れていないかのような違和感があるのだ。
今の一連の会話からも相手の正体につながるような手がかりを探しつつ、レイは正体不明な女との話を続けた。
「……貴女の“匂い”は覚えています。特徴的でしたから。私がこのアジトに連れてこられて時にも同じ匂いがしました」
「……イヤ、ホント、よく分かったナ……」
レイの言葉を聞いた女は、どこか呆れたように言った。
最初にトラックから降ろされた時、銃を向けていた男たちの中に甘酸っぱい女性的な匂いを漂わせている者がいたことに、レイは気付いていた。
生憎と一瞬のことだったので、あの場にいた誰なのか、というところまでは判別できなかった。
しかし、いずれにせよチンピラたちの風体とあまりにミスマッチだったので、彼女はそのことをしっかりと覚えていたのだ。
ただ、彼女自身の姿は、あの場には存在していなかった。
いたのは数名の柄の悪い男たちと、検査を行ったエリカだけ。
おそらく目の前にいる不審な女の【心理能力】によるものだろうと、レイは判断した。
あの中の誰かに化けていたのか、あるいは透明化するなりして隠れていたのかは不明だが、あの時、あの部屋の中に、彼女は既に居た(・・)のだ。
「次は匂いにも気をつけた方がいいですよ」
「イヤイヤ! 普通、匂いでバレるとは思わないだロ!」
「昔から鼻は良いんです」
「犬かヨ……」
「……失敬な方ですね。私はあんなに毛むくじゃらじゃないです」
「イヤ、そういう意味じゃないかラ!」
「……?」
天然なレイの返事に、顔を隠して近づいてきた相手の方がなぜか押され気味である。
レイに向かって苦笑する正体不明の女を見て、何とも落ち着かない気分になったレイは、エヘンと咳払いをしつつ、早々に会話を切り上げることにした。
「……まぁ良いです。それよりも、まだ貴女の正体を聞いていませんが」
「エー、言わなきゃダメ?」
「……」
「か、顔が怖いヨ? 美人が台無シ! ホラ、笑っテ笑っテ!」
「……」
「ちょーっと待っテ! 一旦、その銃を下ろしてくレ! 目がマジだゾ!? 本気で撃つ気かヨ!?」
「……5。……4。……3」
「何そのカウントダウン!? 怖いからやめテ! 話ス! 話すかラ!」
「そうですか。ではどうぞ」
「いや怖ァ……何事もなかったみたいニ……」
けろりとした顔で続きを促すレイを見て、謎の女はどこか戦慄したような表情を浮かべている。
しかし次の瞬間、その女がボソリとこぼした言葉を聞いて、レイの纏う空気が変わった。
「顔色一つ変えないとハ……流石は【死神】ダ……。今代の奴らは特にイカれてると聞いてたけド、前評判通りだナ……」
「……は? 今、何と?」
レイの視線が鋭くなったのを見て、女は慌てて言葉を続けた。
「イヤイヤ、イカれてるって言ったのは私じゃないかラ!? 別の子だかラ! だから怖い顔しないデ……!」
「……よくご存知ですね」
「――エッ?」
「私の所属です。……よく知っていましたね?」
「…………アリャ?」
「【死神】の存在は、一般人には秘匿されています。知っているのは、ある程度の地位にある軍属の者か……あるいは、この人身売買組織のような、“裏”の人間か」
「……えーっト……」
「貴女は、どちらですか? 答えによっては……」
レイから放たれるプレッシャーが急激に高まっていく。
その背後で様子を見守っていた子どもたちも、皆一様に怯えたような顔になった。
彼女たちは年端もいかない少女であるが、この場に漂う緊張感を肌で感じたのだろう
だが、レイから殺意と言っても差し支えないほどのプレッシャーを向けられている当の本人は、緊張に身を固くした周囲の女性たちとは違い、相変わらず呑気な態度を崩さなかった。
そんな彼女は、いかにも面白そうにニヤつきながら言った。
「……アーア。口が滑っちゃっタ」
それを聞いたレイは、そのポーカーフェイスをいっそう厳しいものへと変えた。
彼女の今の発言は、自分が“裏”の人間だと白状したに等しい。
下手をすれば、この人身売買組織の一員ということさえ考えられる。
改めて目の前の相手を「敵」と認識したレイは、これまで以上に冷たい口調で尋ねた。
「……最後通告です。両手を頭の後ろで組んで投降しなさい。貴女の正体は後でじっくりと聞きます」
「エ〜? どうしよっかナ?」
相手のふざけた返事が聞こえた直後、レイは発砲した。
躊躇いなく引き金に手をかけ、目の前の女に向かって幾度も引き金を引く。
顔を隠して近づいてきた女の身体が、連射された銃弾に穿たれてグラグラと揺れる。
あまりに容赦のないレイの攻撃に、背後に庇っていた子どもたちからも、押し殺しきれない悲鳴が漏れた。銃弾が尽きるまで撃ち尽くすと同時に、女の身体はドサリと床に倒れ込む。
ピクリとも動かないが、それも当然だろう。
レイが持っていたのは、この犯罪組織の男たちが持っていた軍用の銃である。
通常の銃とは射程も威力も桁違いだ。
そんな銃に穿たれれば、どんなにタフな人間だろうが、間違いなく絶命するはずだ。
「……死んじゃったの?」
目の前で倒れている女を見ながら、レイの背後から恐る恐る顔を覗かせたエリカが、そっとレイに尋ねた。他の子どもたちは突然発砲したレイに引き攣った表情を向けていたが、エリカだけは別だった。
まだ幼い彼女にとってはショッキングな光景だったはずだが、レイに対する信頼感が勝ったようだ。
そんなエリカの無邪気な質問に、目の前の“死体”を油断なく睨みながら、レイが答える。
「いいえ」
彼女の言葉に応えるように。
皆の視線の先で、ゆらりと女が立ち上がった。
それを見たレイ以外の女性たちは、思わずギョッとして後退さる。
あまりに不自然な光景だった。
全身を銃弾で穿たれたはずなのに、その身体にはそういった跡などは一切見られない。
それどころか、身に纏っている粗末な服にも傷ひとつついていない。
撃たれて死んだはずの女は、まるで何事もなかったかのように口を開いた。
「酷いナァ。いきなり撃つなんてサ」
「……普通、死ぬんですよ。いきなり撃たれたら」
銃撃されたとは思えないほどのんびりとした女の言葉に、呆れたようにレイが言った。
そんな彼女も、先ほど嗅覚だけで他人を判別するという、探査犬も真っ青な離れ業を披露してのけたばかりだ。人外じみているのは、ある意味お互い様かもしれない。
そんな会話をしながらも、レイはポーカーフェイスの下で僅かに焦っていた。
銃弾で殺せないということは、彼女の【心理能力】か、あるいは隠し持った【護符】の効果だろう。これが【護符】によるものなら効力が切れるまで攻撃し続ければいいだけだが、【心理能力】だった場合が問題だ。
【心理能力】の出力及び持続時間は、使用者の意思や感情の強さに比例する。
彼女と交戦する場合は、背後に庇っている子どもたちを巻き込まないようにしながら戦闘を行わなければならないが、流石に銃弾で傷ひとつつかないレベルの相手となると、レイも多少は本気で挑む必要がある。
勝てない相手だとは思わないし、事実、普段通りのレイなら問題なかっただろう。
だが、今のレイのコンディションに限って言えば、それは愚行だと言えた。
戦闘そのものに巻き込まなくとも、レイ自身が子どもたちを傷つけてしまう可能性があったからだ。
彼女の【心理能力】のデメリットは〈狂化〉。
この〈狂化〉は、時間が経過するにつれて黄色の目や鋭い爪、牙などといった形で現出する。これだけなら身体的な変化に止まるが、長時間《魔女》を使い続けると、やがては理性が減退し、代わりに攻撃性と残虐性が亢進するという厄介な性質を持つ。
彼女にとって何よりも誤算だったのは、池咲との戦闘だった。
【外魔】となって暴れた彼とやり合った際、レイは自身の精神力をかなり消耗せざるを得なかったのだ。後僅かでも【心理能力】を使えば、彼女は自身の闘争本能に飲まれ、見境なく暴れる化け物になってしまう、と言うほどに。
今も自身の【心理能力】ではなく、チンピラから奪った銃を使っているのがその証拠である。
――それはマズい。
もしそんなことになれば、レイは自分の手で味方を殺してしまうことになる。
また、あの時のように――!
そんな風に、レイが密かに焦りを感じていた矢先のことだった。
突如、ビシリという耳障りな音が響いた。




