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紋黒蝶は月夜に舞う〜元死刑囚のお仕事は、超能力で悪人を裁くことです〜  作者: 少林 拳


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第十六話 その頃


 どこか遠くから、凄まじい破壊音が聞こえてくる。


 音の聞こえた距離からして、オークション会場からはかなり離れているはずだが、ここまでハッキリと聞こえる。そればかりでなく、この会場にまで振動が伝わってきたのか、天井に僅かにヒビが入り、その隙間からパラパラと小石が降ってきた。

 それを細く華奢な手で払い除けながら、彼女――エルは、どこか嬉しそうに嘆息した。


「あらあら……レイったら、張り切ってますね♪」


 楽しそうに、ニコニコと笑うエル。

 だが、彼女のいるオークション会場は、地獄絵図と化していた。

 あちこちに血飛沫と肉片が飛び散り、床には数えるのも馬鹿馬鹿しくなるくらいの死体がうずたかく積み上がっている。

 否、「死体」と言うよりも、「死体だったものの残骸」と表現する方が正しいかも知れない。それらは完璧に破壊し尽くされており、もはや人間の形をしていたかどうかを判別することすら難しい状態だった。

 屍山血河とは、まさにこのような風景を指す言葉だろう。


 そして、それを生み出したのは、この少女。

 かつて【残虐姫(クルーエル)】と呼ばれ、10歳にして死刑を言い渡された人物である。


 そんなエルは今、のんびりと車椅子を動かしながら、わずかな生き残りを連れて、惨劇が引き起こされたオークション会場を後にするところだった。


 潜在的に制御不能なほどの憎悪と赫怒を抱えているエルにとって、殺戮とは途方もない快楽と充足感を伴う行為だった。とりわけ対象が男性であれば、彼女の歪んだ欲求はいっそう悦びを感じさせてくれたし、時には興奮するあまり、ついつい攻撃が過剰になってしまうこともあった。

 だが、今回はやりすぎることもなく、きちんと捕虜の分を残すことができていたようだ。

 しかし当然ながら、これは男たちに情けをかけたわけではない。


 単純に、犯罪組織のメンバーを全滅させてしまうと、後始末が大変になるのだ。


 通常、【死神】のメンバーたちは、事件解決後の処理のことなど考えない。

 好きなように暴れ回って、その後のことは放置していくことがほとんどだ。

 公務員としては明らかに失格だが、意外にも大きな問題になることは少ない。

 そもそも彼女らが投入されるような場合は、既に事態が収拾できなくなって、手段を選んでいられなくなったような盤面であることが多い。



 そんな中にあって、レイは【死神】にしてはかなりまともな部類に入る。

 ちょっぴり殺人に対する抵抗がなく、異常なほど高い身体機能を持ち、能力を使い続けると敵味方関係なく殺しまくるようになってしまうという爆弾を抱えていて、指先を鳴らすだけでターゲットの頭を吹き飛ばせるだけの少女である。(これがまともな部類に入るのだから、他の【死神】のメンバーがどれほど曲者揃いか分かると言うものだ)


 そんなレイが、「皆殺しです♪」と張り切るエルに、こう提言したのである。

 拐われた全ての女性を助けたくはないですか、と。

 他にも拠点があって、そこにも囚われている人がいるかもしれない。

 あるいは、ここにいないだけで、【水端】や別の場所にも、今回の連続失踪事件の手引きをした人間が潜んでいる可能性もある。

 このレイの発言は、殺戮大好きなエルにとっても、大いに納得のいくものだった。

 エルは、相手が女性であれば、普通に慈悲や優しさを向けることができるのだ。

(対照的に、相手が男性の場合は、同じ人間とすら思っていないのだが)


 そう言うわけで、エルにとっては非常に残念なことではあったが、安易に皆殺しにするわけには行かないのだった。

 ……レイに、口酸っぱく「何人か偉そうな人間を残しておいて欲しい」と頼まれていなかったら、どうなっていたかはわからないが。


 ただ、わずかな生き残りも、かなり悲惨な有様だった。

 高価そうな服はボロボロで、もはや見る影もない。

 その上、誰のものとも知れぬ血肉があちこちにへばりついていて、彼らの心身をずっしりと重くさせていた。

 何より、この数十分の間に急激に年老いてしまったかのように、その表情が憔悴しきっていた。彼らは皆一様に顔を真っ白にして、今も小刻みに震えている。

 まるで、この世の終わりを目の当たりにしたかのような怯えようだ。

 エルの起こした悪夢のような光景を間近で見れば、そうなってしまうのも無理はなかったが。



 エルに生かされているのは、全部で4人。


 そのうちの1人は沼倉龍一だった。

 彼は違法な人身売買を担う犯罪組織のトップであり、【水端】の領主でもある。

 そのため、表側にも裏側にも大きな影響力を持っている存在だ。

 そんな彼は、今回、気を失ってひっくり返っているところを、エルに確保されたのだった。これはエルにとっても好都合なことだった。

 普段なら、自分は後方から指示を出して細かいことは現場に一任していた沼倉だが、今回は偶然にも会場へと足を運んでいたのだ。この男は貴重な情報源となり得る存在なだけに、ここで始末しておくわけには行かなかった。


 他の3人は、全てオークションに参加していた客の生き残りだ。

 それぞれ、とある富豪の使い、隣街の領主の部下、別の犯罪組織の幹部である。

 いずれも【水端】と他の都市とを結ぶ、人身売買した女性を売り飛ばすためのパイプを担っている人物。それに、この現場にいたというだけで強行捜査の名目もできる。

 数は少ないものの、情報源として残した人選としては及第点と言えるだろう。

 と言っても、エルは彼らが有用だと思ったから残したわけではない。

 沼倉以外はよく分からなかったから、最終的に残っていた人物を連れて来ただけだ。

 ……レイが頭痛を堪えるような表情を浮かべるのが、容易に想像できるようだった。


 ちなみに、エルが今座っている車椅子は、彼女が“ボックス”の中に収納していたものだ。

 よくよく見れば、服装も【死神】の黒い軍服に変わっている。潜入する必要性もなくなったので、万が一に備え、防弾性能の高い装備へと着替えたのだった。


 エルの《加工処理(スローター)》は非常に強力ではあるが、身体能力には一切補正がかからないし、自分自身に能力を干渉させることもできない。万が一に備えておくのは、慎重な性格のエルにしてみれば、ごくごく当然のことだと言えた。


 流石に沼倉は、この黒い軍服を着ている集団――【死神】のことを多少は知っていたらしい。彼はエルの黒い軍服を見て、いっそう小刻みに震えていたが……そんなことは、エルには関係のないことなのだった。


 さて、目的を達成したエルは、こうしてのんびりと廊下を移動しているわけなのだが。

 この間にも、戦闘音は継続して聞こえてきている。それどころか、鳴り響く破砕音は一層その激しさを増していた。


 それが意味するところは、レイと敵との戦いが今も続いている、と言うこと。

 レイが手こずる相手がいる、という事態は、正直エルにとって驚くべきことだった。

 彼女の強さを、エルは自身の経験からよく知っていたからだ。

 だからこそ、レイが負けるはずがないということもまた、彼女はよく分かっていた。


 最もエルは、レイと戦っているのが【外魔】だということは知らない。

 だが、例え知っていたとしても、エルはレイの勝利を疑わなかっただろう。


 ここ数ヶ月、エルはレイと一緒に行動してきた。

 わざわざ“数字持ち”の中でもトップクラスの実力を持つエルが、単なる「研修生」であるレイの面倒を見ていることからも、【死神】のトップがレイの重要度をどれだけ高く設定しているか分かるというものだ。


 そしてそれは、エルも同じ。

 ただし、それは単にレイが強いからではない。

 真面目だがどこか抜けていて、不器用ながらも一生懸命なレイ。

 ポーカーフェイスなので、いつもどこか不機嫌そうに見えるが、実は感情表現が苦手なだけで、結構可愛いところもある。

 そんな彼女は、いつの間にかエルにとって大切な後輩になっていた。

 世の中の人間を「殺していい」「殺してはいけない」で大まかに二分しているエルにとって、これは非常に珍しいカテゴライズだと言える。


 そんなレイの顔を思い出したエルは、うっすらと微笑む。

 それは、殺戮に酔っていた時のような、狂った笑みではない。

 1人の人間として可愛い後輩を思いやる、柔らかで思いやりのこもった笑みだ。


「――ふふ。レイ、待ってますからね♪」


 ニコニコと穏やかに笑いながら、レイの奏でる轟音に耳を傾けるエル。

 ……大切な後輩が苦戦しているかも知れないのに、のんびりと戦闘音を楽しんでいるエルは、やはり、どこか狂っていた。


 レイは昔から、そういう所謂「ヤバイ女」に好かれやすいのであるが……。

 彼女がそれを自覚するのは、もっと後のことである。



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