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紋黒蝶は月夜に舞う〜元死刑囚のお仕事は、超能力で悪人を裁くことです〜  作者: 少林 拳


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第十五話 変貌

昨晩は更新するのを忘れておりました。

失礼いたしました。


 レイが床に倒れ伏す池咲の側にたどり着いた時には、十数名はいたはずの警備兵たちは、既にその全てが物言わぬ骸と化していた。ムッとするような血臭があたりに立ち込め、天井に飛び散った飛沫がポタポタと床に滴る音だけが、虚しく廊下に響いている。


「……貴方で最後ですね」


 血まみれの床で蹲ったままの池咲に向かって、レイは淡々とそう告げた。

 今の彼女の目は、先ほどまでのような濁った黄色ではなかった。既に、元の黒曜石のような色合いを取り戻している。これ以上〈狂化〉して精神を引っ張られないように、レイが《魔女》の使用を解除したのだ。


 池咲の側には、ぐったりと倒れたままの幼い少女の姿があった。

 彼女は気を失ったままだったが、それはある意味ラッキーだったとも言える。

 もし身の回りで起こった惨劇を目撃していたら、幼い彼女は別の意味で気絶していたかもしれないからだ。


 レイは池咲が抵抗できるような状態ではないことを素早く確認すると、少女の元へと駆け寄った。そして、懐から試験管のような容器に入った緑色の液体を取り出すと、開かせた口から少女に少しずつ飲ませていく。


 これは【回復剤】と呼ばれる薬品だ。

【催眠剤】や【護符】などと同様、【外界】の素材から創られたものである。

 失った手足や血液は戻せないが、多少の怪我ならある程度はリカバリーできると言う優れものだ。それなりに高価ではあるが、【死神】のメンバーであるレイは、万が一のため、常にこの薬剤を複数本、“ボックス”内に携帯していた。


【回復剤】を飲ませた後の少女は、相変わらず目を閉じたままだ。

 だが、心なしか呼吸が穏やかになり、顔色も良くなったように見える。

 池咲に殴られた際に頭を打ち付けている可能性があるため心配ではあるが、多少のダメージなら【回復剤】を飲ませたのでなんとかなるだろう。

 そう判断したレイはひとまず安心して、自身の意識を廊下に伏して震えている悪党へと移した。


 声をかけられた当の池咲は、荒く息を吐きながら床にしゃがみ込んだ格好のまま、恐怖と憎悪に満ちた目でレイを見上げていた。だが、彼がこの場に留まっているのは、池咲が勇敢だからではない。

 単に、腕を失った痛みのせいで、逃げたくても逃げられなかっただけだ。

 廊下でのたうち回っていたこの男のことを、レイは殺そうと思えばいつでも殺すことができた。殺さなかったのは、情けでもなんでもない。

 彼女が池咲を生かしておいたのには、もちろん理由がある。


 怯える池咲を見下ろしながら、レイは尋ねた。


「……今から、貴方を尋問します。聞かれたことには、素早く、かつ正確に回答して下さい」

「……クソが。誰が答えるかよ」


 足を破壊されても気丈な態度を崩さない池咲に少しばかり感心しつつも、レイは容赦なく「尋問」を「拷問」へとシフトさせた。


 一切の躊躇いなく池咲を蹴り倒すと、無事だった彼の左手を思い切り踏み抜く。

 手と指の骨が景気良くポキポキと折れる音が廊下に響き、池咲があまりの痛みに床をのたうち回った。

 やり方が荒っぽいのは、先ほどまで【心理能力】を使っていた影響もあるが、レイが彼に対して個人的に怒りを抱いていることも大きい。

 池咲にとっては不幸なことであったが、ある意味、自業自得ではある。

 彼がこれまで多くの女性の人生を狂わせてきたことを思えば、これでも生ぬるいくらいだと言えた。


「……素直に答えてくだされば、わざわざ痛めつけるようなことはしません」


「……ぐ、ぎぃ……。この、アバズレが……!」


 次にレイが踏み抜いたのは、池咲の右足だった。

 再び軽快な粉砕音。直後、すぐさま男の絶叫がそれを追いかけた。


「……それほどまでに意地を張るのはなぜでしょう? わざわざ苦しむ必要はないはずですが」


「政府の犬コロに……喋ることはねえな……!」


 すかさず、残った左足をレイがへし折った。

 四肢を奪われた池咲は、まともな反応すらできぬまま、小刻みに痙攣を繰り返す。

 レイがトドメを刺さずとも、彼は既に瀕死の状態だった。


「……ハァ……ハァ……!」


「……喋る気は無しですか。まぁ、いいです。【水端】の中に、他にも犯罪組織の構成員がいるかどうか確認したかったのですが……。まだこの建物内に生き残りはいるでしょうし、そちらに聞くことにしましょう」


「……は、は……甘いな、クソガキ」


 勝ち誇ったような池咲の言葉を聞いて、レイは怪訝そうに眉を顰める。

 仲間は既に全滅している上に、自身は四肢を潰され、既に虫の息だ。

 池咲の意図が掴めず、レイは困惑しながら聞き返した。


「……はい? 何か、勘違いしてませんか? 別に貴方を助けるつもりはないですよ。このまま、すぐに殺して差し上げます」


「……ちげえよ」

「――!?」


 ニヤリと笑う池咲。

 レイの優れた聴覚は、彼の体内から発せられたカチッという微かな金属音を聞き取った。


 ――自爆か!?


 あるいはイタチの最後っ屁のように、体内に仕込んだ毒物のようなものを撒き散らすつもりかもしれない。

 人間離れした耐久力を持つレイならギリギリ耐えられるかもしれないが、先ほどまで人質にされていたこの少女は、間違いなく耐えられないだろう。


 レイは思わず舌打ちしながら、床で意識を失ったままの少女を素早く抱え上げ、慌ててその場から飛び退いた。


(……?)


 だが、いくら待てども、爆発などする気配はない。

 単なるハッタリかとレイが思い始めた時、それは起こった。


 ボコボコボコッ! という鈍い音を立てながら、池咲の体が急激に膨張したのだ。

 まるで無理やりポンプで空気を注入された人形のように、破壊されていた四肢がピンと伸び、突っ張った皮膚がはちきれんばかりに張り詰めていく。


 だが、それは単なる爆発の前兆などではなかった。

 もっと、ずっと不気味で、おぞましい“何か”だった。


 池咲の膨張した身体は弾け飛ぶことなく、どっしりとした質量を伴って、相変わらずそこに存在し続けていた。それどころか、彼の身体が倍の大きさに達してもなお、止まる兆しすら見えない。彼の身体は、異常な歪な速度で成長し続けていた。


(なんだ、これは……!)


 やがて、天井まで埋め尽くすほどのサイズにまで膨れ上がると、ようやく身体の肥大化がおさまったようだ。

 着ていたスーツを破り去って現れた池咲の身体は、醜く変貌を遂げていた。


 既に池咲の外見は、人間のそれではなくなっていた。

 そのあまりに面妖かつ奇怪な外見は、元の姿とは似ても似つかないほど醜悪だ。


 ブヨブヨに膨れた皮膚は、表面から体毛が全て抜け落ちて、青みがかった灰色へと変わっている。

 驚くべきことに、頭部は元の数十倍のサイズにまで膨れ上がっていた。

 目や耳、鼻といった器官は完全に消失してしまったのか、どこにも見当たらない。

 パンパンに膨れた顔にはシワや溝すら見当たらず、マンホールほどもある巨大な口がなければ、それがかつて頭部だったことすら、パッと見では分からなかっただろう。


 そして、ビクビクと蠕動を続けている巨体のあちこちから突き出しているのは、節くれだった無数の手足。

 それがいくつもある関節をグロテスクにくねらせながら、巨大な頭部と醜い胴体を支えている。

 人間の身体にナメクジとゲジゲジを混ぜ込んだような醜悪なデザインは、否が応でも見る者の嫌悪感を誘った。

 確かに醜悪ではあるが、外見だけ見ればなんとも愚鈍そうだ。

 ただし、“こいつ”がただの醜い生物ではないことを、レイは直感的に悟っていた。


(……嘘でしょう。これは……)


 全身からうっすらと発散されている、じっとりとした不快なプレッシャー。

 それは音楽の中に混じるノイズのようでもあり、純白の中に垂らされた汚物のようでもある。

 まるで世界そのものを拒絶するかのような、不自然で、かつ強烈な違和感。


 そしてレイは、こういう気配を発する存在に心当たりがあった。

 それは邪悪にして凶暴な、国土の外に住まう、人類の敵。

 かつて、人類を完全に滅ぼす寸前にまで追い込んだ、【魔】を冠するモノの末裔。

 それは……。


「――【外魔】……!」


 レイの呟きに応えるかのように。


「――ギァァァァァァァ!!」


 巨大な怪物が、産声を上げた。

いったい、何が……!? 【外魔】に変身したというのですか……!?)


 レイにとっては、信じ難い出来事だった。

 彼女の目の前で、池咲という男が醜い怪物へと変貌したのだ。

 そして、その全身から放たれる嫌な気配は、【外魔】のものにほかならなかった。


【外魔】。

 それは、かつて人類を絶滅寸前まで追い込んだ【魔】の末裔とされる。


 神聖皇国は、その国土を高さ数百mはあろうかという巨大な壁で区切られている。

 壁の内側はある程度整備され、人間たちも比較的安心して暮らすことができるが、外側は違う。神聖皇国から外側の世界は【外界】と呼ばれ、そこには大小様々な危険な生き物がひしめき合っている。

 その中でも特に危険な存在とされるのが【外魔】である。


【外魔】の形状は様々だ。

 指先までしかない小型のものから、見上げるほど巨大なものまで。

 人間や動植物が入り混じったような外見をしていることが多く、いずれも凶暴で、個体によっては高い知性すら備えている。


【外魔】の特筆すべき特徴は、大きく分けて二つ。

 まずは、その残忍さ。

 確かに、【外魔】は人間を襲って食うこともある。

 ただ、奴らは人間を捕食するだけではない。

 時には殺さずにいたぶったり、辱めたりすることすらある。

 奴らの行動原理は、むしろ人間を苦しめることそのものにある、といっても良いだろう。

 食うための殺すのではなく、殺すために殺す。

 これが、他の鳥獣などとは決定的に異なる点だ。


 もう一つの特徴は、「近代兵器が通用しない」という点だ。

 かつて人類が追い込まれたのは、この特性によるところが大きい。

 特に銃弾や爆弾といった兵器は、完全に無効にはならないまでも、かなり効き目が薄い。

 牽制程度にはなるかもしれないが、対抗手段としては望み薄だ。


 有効打になり得るのは、【心理能力】か、同じ【外魔】の素材を使った武器のみ。

 だからこそ神聖皇国においては、戦闘向きの【心理能力】をもつ女性が強い発言権を持つ。この国のトップたる神聖皇の地位が代々女系なのもそのためだ。

 男性は女性に比べると丈夫で力も強いが、有する【心理能力】は微弱で、女性には劣る。

【外魔】の体液を練り込んだ銃火器を使えば男性でも武装できるが、決定打には欠けると言わざるを得ない。


 この二つの特性によって、【外魔】は人類の敵として嫌悪され、それ以上に恐れられていた。


 ただ、通常、皇国の内部で【外魔】に遭遇する機会などほとんどない。


 孤児だったレイの場合は例外だが、せいぜい、普通は図鑑や教科書の挿絵を見るか、サンプルとして捕獲された個体を観察することがあるかないか、といった程度だろう。


 だからこそ、レイは突如として目の前に出現した【外魔】の存在に、驚きを隠せないでいたのだ。


 しかし、それ以上、呑気に驚いてもいられなかった。


「ギアァァァァァァ!」


 耳障りな金切り声を上げながら、先ほどまで池咲だった怪物が動き出す。

 ブクブクに膨れた胴体を揺らし、身体中から飛び出した無数の手足をばたつかせながら、レイに向かってヨタヨタと突っ込んできたのだ。


 レイは腕の中でぐったりとしたままの少女にチラリと視線をやると、改めて目の前の敵を睨みつける。

 直後、ドガン! という轟音が響き、建物全体を揺らした。


【死神】と呼ばれる少女と、【外魔】との戦いが幕を開けた。



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