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紋黒蝶は月夜に舞う〜元死刑囚のお仕事は、超能力で悪人を裁くことです〜  作者: 少林 拳


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第十三話 反撃


 組織の中でも、池咲は優秀な幹部だった。

【銀】の中でもそこそこの地位にある彼は、例え犯罪組織のメンバーにならなくても、そこそこ充実した人生を送れただろう。彼は冷静で、そして冷酷だった。


 この侵入者と正面切って戦えば被害が大きくなるという、池咲の冷静な戦力分析は間違いなく正確だった。驕りに目を曇らせることなく、プロとしての判断を下したわけだ。

 死体の痕跡から、侵入者は近接戦に強いと読み切った点も評価に値する。

(実際の犯人はレイではないが)

 そして、レイの目的を読み切った上で人質を取るという戦略もまた、実に効果的だった。


 いずれも冷静な思考に基づいた実利的かつ合理的な判断で、犯罪組織の幹部としては至極真っ当な選択だったと言えるだろう。


 ただひとつ誤算があったとすれば、それは――。




 ぱちん、と言う軽い音が廊下に響く。

 何の音だ、と池咲は疑問に思い……そして即座に気づいた。

 廊下の端で両手を上げていた少女が、その細長い指を鳴らしたのだと。


 それを見た池咲は、今度こそ声を上げて笑った。



「……はぁ? 何してんだ? こんな時に指鳴らしちゃって、頭でも沸いてん……」


 ――ぱちん。


 心底、小馬鹿にしたように言う池咲だったが、その言葉を最後まで紡ぐことはできなかった。


 なぜなら、今度は彼のすぐ側から、全く別の異音が聞こえてきたからだ。


 少し遅れて、池咲の頬にピチャリと何かがへばりついた。

 それは生暖かく、ドロリとした飛沫。


 同じ「ぱちん」と言う音でも、指を鳴らした時のような乾いた音ではない。

 むしろ、今度の音は湿っぽく、そして粘つくような嫌悪感を喚起するような、どこか不吉な響きだった。

 熟れた果物を誤って床に落としてしまったら、きっとこんな音がするのだろう。


(――なんだ、今のは?)


 胸中に宿る不気味な予感に気づかないフリをしながら、池咲は音の発生源を探した。

 本当はどこから聞こえてきたのか分かっているのに、わざわざ周囲を見回す。

 そして、恐る恐る顔を横に向け……ようやく、池咲は再認識する。

 あの不吉な湿っぽい音は、隣にいる部下の方から聞こえてきていたのだ、と言うことを。


 その後に彼の目に飛び込んできた光景は、あまりに凄惨だった。


 先ほどまで、少女にナイフを振り下ろそうとしていた部下の男。


 その頭部が、内側から弾け飛んでいた。


 破裂した衝撃が凄まじかったためか、首から上が部分的に消失している。

 そのグロテスクな頭部は、路上に落ちてパックリと割れた、腐った果実を思わせた。

 支えるべきものを失った首の断面は、まるで強引に引きちぎられた切り株のようだ。

 吹き出した血液が周囲を紅く染め上げ、肉片が石造の廊下を汚している。


 だらりと垂れ下がった男の手の中には、未だにナイフが握られたままだった。

 だが、そのナイフが振るわれることは、もう2度とないだろう。


 ――間違いなく、死んでいる。


 ようやくその事実を認識した池咲は、思わず口元を押さえた。

 彼もこれまで多くの人間の死に立ち会ってきたし、時には自ら手を下すこともあった。

 だが、それはあくまで池咲が殺す立場にあることが前提である。

 銃を持った狩人と、彼から逃げ惑うウサギのような、そんな一方的な関係。


 だが、今回は違う。

 この瞬間、池咲は一羽のウサギだった。

 今の彼は、ただ逃げ惑うだけの哀れな獲物でしかない。

 ――そして、凶器を手に彼を追うのは、目の前にいる少女。


 少女は、閉ざしていた目をそっと開いた。

 その瞼の向こう側から覗く「それ」を見た池咲は、背筋を這い上るような、気味の悪さを覚えた。


(なんだ……アレは……!?)


 閉ざされていた瞼。

 その奥から現れた瞳は、その姿をおぞましいものへと変えていた。

 先ほどまでのような、静謐さをたたえた黒曜石(オブシディアン)のような輝きではない。


 代わりに現れたのは、獣を思わせるような、黄色く濁った瞳。

 縦に割れた瞳孔は、荒々しいまでの獰猛さと狂気を宿した凶暴さに満ちており、視線の先にある池咲(エサ)を、喜色を浮かべながら睨め付けているかのようにも感じられた。


 この薄暗い廊下では、その瞳は不気味な緑色の燐光を放っているように見える。

 その姿は、彼女の美貌も相まって、途方もなく妖しく、それ以上に恐ろしかった。



 ――こいつだ。

 こいつが、部下の男を殺したのだ。

 池咲は本能的に悟っていた。

 理屈は分からないが、間違いない。

 少女が指を鳴らした直後に、部下の頭が吹き飛んだのだ。

 それを無関係だと思うほど、彼の頭は弱ってはいない。


「……て、めぇ! 何しやがった!」


 自分の感じている恐怖を紛らわせるように、身体の震えを抑えつけるように、彼は大声で誰何する。


 だが、対する少女の言葉は、そんな池咲を完全に無視して紡がれた。


「……【着装】。音声認識:【レイ】」


 少女の手首に巻かれていた、黒と銀の腕輪。

 彼女が何事かを呟いた瞬間、そこからピピッと言う微かな電子音が鳴る。

 直後、腕輪に嵌め込まれていた黒紫の宝石のようなパーツから、ゾワゾワと黒い「何か」が溢れ出した。一見、液体のようだが、硬質な輝きを放っている“それ”は極小の粒子から構成されており、実態としては砂や霧に近いだろう。


 黒霧が出現すると同時に、レイの着ていた服が塵のように端から分解されていくが、彼女の白い肌が晒されることはない。その黒霧が即座にレイの身体に絡み付き、彼女の全身をそっと優しく包み込んでいくのだ。

 やがて、バキバキという金属音を立てながら、その黒霧は実体化し始めた。


 数秒後、そこに現れたのは、黒い軍服。

 それは、悪を以って悪を裁く、【死神】の証。


 それを纏った彼女は、感情を押し殺したかのような、平坦な声で池咲に告げる。

 ただし同時に、彼女の黄色く変化した獣のような瞳は、苛烈なまでの感情を孕んでいた。


「……神聖皇国:特別執行部隊【黒】所属の、レイと申します。拉致・監禁及び違法な人身売買、殺人未遂の容疑、そして、幼い少女への暴行の現行犯によって――」


 そして、国に殺人すら許された少女は、その端正な顔に冷たい怒りを滲ませながら、男たちに宣告する。


「――アナタを、殺します」


 池咲の誤算。それは――


 ――【死神】の一員であるレイを、本気で怒らせてしまった、ということだった。



【死神】には、皇国民に与えられる権利の制限と引き換えに、特殊な権限が与えられる。

 と言うよりも、書類上では既に死罪となっている彼女たちは、国民ではなく国が管理する資産の一つ、と言う扱いになっているため、神聖法の適用外にある存在だと言う方が正しいだろう。文字通り、超法規的な存在なのだ。


 そんな彼女たちには、いくつかの特殊な装備が与えられている。


 レイやエルが身につけている、【首輪】や、彼女たちのトレードマークである黒い軍服の他にも、専用の通信機や、移動用の頑丈な車両など。


 そして、レイの手首に巻かれているブレスレット――通称【宝石箱(ボックス)】もそのうちの一つ。

 このブレスレットは、単なるアクセサリーではない。

 これもまた、【黒】のメンバーだけ持つ、特殊なアイテムなのだ。



 少し前までは、【死神】は冷遇されていた。

 それも当然だろう。彼女たちは所詮、死刑囚に過ぎないのだから。

 まともな装備さえ、彼女たちには与えられていなかった。


 唯一与えられていた【首輪】でさえ、処分用の管理装置という意味合いが強かった。

 しかし、十数年前に着任となった、とある無愛想な科学者の手によって、【首輪】はデザインや機能が一新され、通信機や発信機と言った新たな機構も追加されることになった。

 そして、それに続くように【死神】をサポートするための装備が次々と生み出され、彼女たちの生存率は、大幅に引き上げられることとなったのである。


 “ボックス”と呼ばれる装置もまた、その過程で開発され、【死神】たちに貸与されている装備の一つである。先ほどレイが呼び出した黒い霧や、そこから生み出された軍服は、この“ボックス”の機構によるものだ。


 “ボックス”に埋め込まれた宝石のようなパーツには、物体を粒子状に分解・圧縮し、格納しておけると言う機能が備わっている。(レイにもその仕組みや理屈は分かっていなかったが、そのように説明を受けているので、「そういうもの」だと納得していた)


【黒】……すなわち【死神】のメンバーにのみ着用が許される、黒い軍服。

 対物性や耐能力性に優れ、着用者を車の衝突からでも守る、特別性の「着る鎧」だ。

 このアクセサリーは、いわば彼女たち専用のクローゼットでもあるのだ。


 これを使用することで、レイは【死神】の黒い軍服をいつでも瞬時に纏うことができる。

 なんと、アンダーウェアに加えて、頑丈な軍靴まで呼び出せるのだから驚きだ。

 普段なら、公務中でも常に軍服を着ているわけではないため使用する必要性はないし、着装にあたって元々着ていた服が上書きされ、完全に消滅してしまうという難点はあるが、こういった場面では非常に役に立つ機能だといえる。

 開発者である無愛想かつ仏頂面な科学者も、これをレイに紹介する際には、少なからずドヤ顔になっていたわけだが……それも当然だろう。


 ちなみに、彼女がわざわざこのタイミングで軍服を着用した理由はいくつかある。

 流石の彼女も、銃を持った集団を相手に、戦闘には不向きな軽装で挑むつもりがなかったと言うのがまず一つ。それに、折角エルに買ってもらった私服が消滅してしまうのが嫌だったという、極めて利己的な理由もあった。彼女も年頃の少女なのだ。

 だが同時に、これはレイの覚悟の表れでもあった。

 それは、個人としてではなく、【死神】として、確実に池咲らを殺すという覚悟。


 レイも普段は、あくまで公務として「仕事」にあたるようにしている。

 例え悪人であっても、楽しみながら殺したり、わざわざ甚振ったりすることはない。


 他の【死神】のメンバーはそんなことを気にしないが(エルなどは楽しみながらターゲットを殺すという悪癖を持っているわけだし)レイはこういうところを律儀に守るタイプだった。


 とはいえ、目の前で自分が助けようとしている少女を殴りつけられ、池咲に対して全く怒りを抱いていない、などというわけがなかった。

 むしろ、彼女は久しぶりに、かなり本気で頭にきていたのだ。


 だからこそ、レイは久しぶりにやる気になっていた。

 仕事だから殺すのではなく、彼女が殺したいから殺す。

 普段とは異なり、今のレイからは凄まじいまでの殺気が放たれていた。

 そんな彼女の気迫が、彼らにも伝わったのだろう。


 自分の隣で死んだ部下の姿を呆然と見ていた池咲は、身体を圧迫するような凄まじいプレッシャーを感じて、慌てて視線を前方の侵入者へと戻した。

 そこには、廊下の向こう側からジッと彼の方を見ているレイの姿があった。

 レイと池咲の視線が交わる。

 やがて、彼女がゆっくりと廊下を歩き出したのを見た池咲は、他の部下たちに向かって大慌てで指示を出した。その怒鳴り声は、どちらかといえば悲鳴に近かった。


「う……撃て! 撃てっ!」


 どこか必死な様子の池咲の指示を聞いた常備兵たちが慌てて発砲したが、銃弾は全てぽすぽすっという間抜けな音と共に、黒い軍服に防がれてしまう。

【死神】が纏う黒い軍服は特別性である。

 銃弾そのものが身体を傷つけることはもちろん、その着弾による衝撃や熱さえも完全に殺していた。そして、この程度の衝撃ならば、着用者へのダメージは皆無だ。


「バカ、防弾服だ! 胴体を狙ってどうする! 頭を狙え!」


 このように、中には軍服によって守られていない頭部を狙って放たれた弾丸もあった。


 ――だが、それすらもレイには届かない。

 無防備に見える頭部に飛来した弾丸は全て、バチッ! という鋭い音を立てながら、横合いに弾かれてしまったのだ。

 軍服に着弾した時とは明らかに異なる音が鳴っていることから、何か障壁のようなものが展開されているのだろう。


 結果として、一斉に放たれた無数の銃弾は、レイを傷つけることも、その歩みを止めることも叶わなかった。


 そして、そんな彼らの抵抗を嘲笑うかのように。

 レイは、そのしなやかな細長い指を(たわ)ませ……再び、パチリと鳴らす。


 直後、レイ目掛けて発砲していた前列の男が死んだ。

 ぱん、という湿った音と共に、その頭が吹き飛んだのである。

 膝立ちになって銃を構えていたその男は、頭部を失ってドシャリと床に崩れ落ちた。


 周囲にも彼の血と肉が飛び散り、警備兵たちの制服を赤く染め上げていく。

 押し殺したような悲鳴が上がって、彼らの間に動揺が広がり――レイへの射撃は、一層その勢いを増した。


 だが、やはりレイの歩みは止まらない。

 もう一度、パチリと指を鳴らす。

 それに呼応して、紅蓮がまた一つ咲いた。



 ――これが、レイの【心理能力】。


 今の攻撃は、指を鳴らすことをトリガーとして発動し、自身のエネルギーを弾丸にして射出するだけの単純な技。


 遠距離から一撃で敵を仕留めるこの技は、文字通り必殺の一撃である。


 レイの能力は、これだけではない。


 敵の銃弾を完璧に防ぎ切る障壁も、そして、黄色く染まった凶悪な瞳も。


 これら全てが、彼女の能力(チカラ)

 その非常に特異かつ強力な能力の名称は《魔女(ウィッチ)》。

 覚醒に至ったレイに発現した、唯一無二の【心理能力】である。

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