第十一話 地下牢
一連の光景を廊下の曲がり角から見ていた亜麻川は、思わずポカンと口を開けた。
只者ではないのは分かっていたが、これほど滅茶苦茶だとは思わなかったのだ。
あの細腕で、大の男を一撃で締め殺す桁外れの膂力に加え、敵に反撃を許さない程の凄まじい近接格闘能力。最後に銃弾を腕で払ったのなんて、もはや意味不明だ。
頑丈だとか打たれ強いとか、そういう次元の話ではない。
だが、亜麻川が注目していたのは、最初にレイが見せた高速移動だった。
廊下の端から男たちが守る扉の前までの10m以上もある距離を、彼女は一瞬で移動していたのだ。
(まさか《瞬間移動》!? ……いや、これは……!)
亜麻川は最初、レイが《瞬間移動》を扱う【心理能力者】なのかと思った。
かなり希少な能力だが、瞬きする間もなく10数mもの距離を詰めるような真似ができるのは、《瞬間移動》能力者ぐらいだろうと思ったのだ。
だが、亜麻川は、即座にそれが間違いだと知る。
彼女は元々、女性の連続失踪事件を解決すべく、【水端】への潜入調査を命じられた隣街から来た【銀】のエージェントである。
そんな彼女の【心理能力】は《映像記録》。
一度見た光景を完璧に記憶し、自在に脳内で再生できる能力者だ。
この能力の肝は、単純な「記憶」ではなく、「記録」という点にこそある。
一度でも彼女が見た光景は、脳内で自在にリプレイやスロー再生が可能となっている。
映像を脳内で停止して絵に起こし、後でじっくりと分析することもできる。
亜麻川自身の戦闘能力はそれほど高くないが(それゆえに逆に捕まってしまったわけだが)この能力を買われ、エージェントに選ばれたという経緯がある。
一瞬だったために、普通の人間には何が起こったか分からない。
だが彼女だけは、先ほどの映像をじっくりと見返すことができたのだ。
結論。
瞬間移動でもなんでもない。
レイはただただ、全力で走っていた。
(いやいやいや! 嘘でしょ!?)
だが、何度見返しても、レイが思い切り床を蹴って飛び出していき、次々に男たちを始末していく様子が、脳内で延々と流れるだけだ。スローモーションにしようが、コマ送りにしようが、彼女の姿はしっかりと映像の中に残っており、瞬間移動などしていないことは、もはや確定的だった。
ダメ押しとばかりに、彼女が踏み込んだと思しき箇所の床は、大きくひび割れ、陥没していた。瞬間移動なら、床が破損するはずがない。
(……いやいや! きっと《突進》とか、《脚力強化》とか、きっとそう言うのだよね)
そう思うことで、なんとか自分を納得させた亜麻川。
戦闘能力はレイ自身の技能だと思えば納得できないこともないし、銃弾を素手で払い除けたことについては、もはや既に気のせいだと思うようにしていた。
他の女性たちは、視線の先で何が起こったのかは分かっていない。だが、一瞬のうちにレイが敵を全て倒してしまったことは何となく理解でき、喜べば良いのか怖がれば良いのかは分からず、微妙な表情を浮かべている。
だが、彼女の動きを目で追えなかった他の女性たちよりも、なまじ事実に気がついてしまったがゆえに、亜麻川の感じた衝撃は大きかった。
(いったい……貴女は何者なの……?)
突然現れて、囚われていた亜麻川たちを救い出した、美しい少女。
こっそり探りを入れてみたが、【銀】の増援というわけでもないようだ。
ただ、その言動や戦闘能力から見ても、彼女は「攫われてきた」のではなく「乗り込んできた」のだろう、ということは分かる。少なくとも(間違いなく)一般人ではない。
【紅】や【蒼】と言った、皇国が誇る特殊部隊の秘密作戦だろうか。
あるいは、もっと別の……。
「……もう大丈夫ですよー」
亜麻川の思考は、件のレイが呼びかけてきたことによって現実へと引き戻された。
声のした方向へと視線をやれば、彼女たちの動揺を他所に、遠くから手を振るレイの姿。
その足元には、男たちの死体がごろごろ転がっている。
それを見て、亜麻川を含めた7人は思わず、皆一様に顔を引き攣らせるのだった。
亜麻川らが廊下を小走りで移動し、レイの下まで辿り着いた時、既にレイが見張りの男の死体から鍵束を取り出し、扉を開けようとしているところだった。
ただ、その鍵束はアナログなデザインをしており、金属製の輪っかに数十本も鍵が通されているような形状だった。しかも鍵のデザインがほぼ均一で、区別すら難しい。当然、「地下室」などと、ご丁寧にラベル付けされているわけもない。
おそらく防犯上の理由だろう。
何者かが侵入してきたとしても、解錠に手間取れば、多少は時間が稼げる。
あるいは囚われている女性が逃げ出して鍵を奪ったとしても、解錠に時間がかかれば再び捕まえる事のできる可能性が上がるし、例え逃げられても追いかけやすくなる。
つまり、この旧式のデザインは意図的なものなのだが……そんなことは、もちろんレイの知るところではない。
とはいえ、そんな彼女も例に漏れず、どれが正しい鍵なのか分かりかねていた。
今も、地下へと続く重厚な扉を開けようと、鍵束をガチャガチャさせながら四苦八苦している。
ここだ! と、亜麻川は思った。
このレイと言う名前の女の子には、ずっと助けてもらいっぱなしだった。
檻から解放してくれただけではなく、道中も守ってもらってばかりだ。
あんなに強いのに、可憐で美しく、それでいて謙虚。あとちょっと照れ屋。
確かに、真顔で悪党たちを殺していく姿にはどこか恐ろしいものを感じたが、彼女が恩人であることには変わりない。
ならば、そんなレイに対して「彼女の力になりたい」と考えるのは、きっと自然な成り行きだ。……と、今年で25歳になった亜麻川は、何となくそう思っていた。
こう見えても亜麻川は、潜入捜査に長けたプロフェッショナルである。
目の前の扉についている鍵は、非常に頑丈だが旧式のため、解錠そのものは訓練さえ積んでいればそれほど難しくない。そして、亜麻川はそれが得意だった。
亜麻川は振り返ってしゃがみ込み、倒れている男たちの死体を探った。
(……あった!)
彼女の探し物は、すぐに見つかった。
それは小ぶりのナイフだった。
武装としてはあまりに貧弱なので、男たちの私物だろう。
これがあれば、鍵穴が大きめに作られている旧式タイプなら、こじ開けられるはず。
そう思った亜麻川は、背後で頑丈な鋼鉄製の扉と錠前に苦戦しているであろうレイに声をかけた。……否、かけようとした。
「あの! 私、その鍵を……」
「……面倒ですね」
そう呟いたレイの声に続いて、亜麻川の背後から、ばりばりっと言う凄まじい金属音が響いた。他の同行者たちの表情をみれば、何か異様なことが起こっているのは明らかだ。ただ、後ろを見るのが怖い。
亜麻川が恐る恐る振り返って見れば、レイが扉をこじ開けているところだった。
……素手で。
鋼鉄製の扉が、まるで粘土細工のようにぐにゃりとひん曲げられている様は、どこか憐れみを誘う光景だった。
絶句する彼女たちの方を振り返ったレイは、こともなげに言った。
「開きました。……行きましょう」
いや、開いたんじゃなくて、無理矢理アンタが開けたんだろ!
……などと突っ込める人間は、生憎ここにはいなかった。
***
「なんだ、さっきの音……うぐっ!?」
「おい! 一体どうし……ごっ!?」
扉を力技で開けた音を聞きつけた地下の見張りが階段を登ってきたが、レイは素早く彼らを始末していく。狭い階段で銃を乱射されれば、彼女自身は無事でも背後の助け出した女性たちを巻き添えにしてしまう恐れがあるからだ。もっとも、銃を持っているだけの犯罪組織の下っぱなど、最初からレイが苦戦するような相手ではなかったが。
こんな小競り合いとも言えない遭遇戦が2回ほど繰り返されたが、全てレイが先んじて倒してしまうため、交戦時間は最小限に収まった。
やがて、レイたちは地下にたどり着いた。
薄暗く、ジメジメしていて、カビと埃の匂いがする。
地下にあるにも関わらず、この部屋はかなり広い。
にも関わらず、壁が迫ってくるような強烈な圧迫感があるのは、窓がないからだろうか。……あるいは、目の前にある、巨大な金属製の檻のせいだろうか。
周囲を見渡し、他に見張りの男がいないかを確認したレイが、素早く檻に近寄っていく。覗き込んでみれば、その中には100名を超える女性が囚われているようだった。
粗末な貫頭衣のような衣服を身につけているが、その他の持ち物といえば薄い毛布のみといった具合で、そこからは彼女たちの過酷な監禁生活が伺えた。
その時、檻を覗き込むレイに気がついたのか、1人の女性が弱々しく声をかけてきた。
「あ、貴女は……?」
「助けに来ました。……ここから逃げましょう」
「ほ、ほんとに!?」
「助けだって!」
「うう……ありがとうございます……!」
レイの言葉に、地下の女性たちが次々に喜びの声をあげ、感謝の言葉を述べてくる。
彼女は、少しだけ顔を赤くしながら檻を開けた。
……もちろん、腕力でだが。
バターのようにぐにゃりと曲がった太い鋼鉄製の檻を見て、中にいた人々が顔を引き攣らせていたのが、亜麻川には印象的だった。
その後は、レイと亜麻川を含めた7人は、協力しながら、檻の中にいた人々の様子を見て回った。
地下の環境は最悪だったが、一応は“商品”として出荷する以上、それほど乱雑に扱われる訳もなく、食事や衛生管理など、最低限の世話はされていたようだ。
ただ、この建物から自分の足で逃げ出す、ということができるほど元気な人間も、またいなかった。しばらく歩くことすらしていない人も多いというから、仕方のないことだろう。ただでさえ、薄暗く狭い場所に監禁されていたのだ。精神的にも、肉体的にも衰弱してしまうのはむしろ当然だと言えた。抵抗する力を削ぐためか、食事も最低限しか与えられていなかったようで、これも彼女たちの疲労状態に拍車をかけていた。
上の階に囚われていたレイや亜麻川らは、やはり特別だったのだろう。
彼女たちの話を聞く限り、食事はきちんと適量出ていたそうだし、定期的に運動もさせられていたようだ。地下牢の子たちとは、それこそ雲泥の差である。
地下牢にいる女性は、体力的にも精神的にも弱っていた。
そんな状態の彼女たちをゾロゾロと連れ歩いたまま、建物内を移動するのは得策ではないと考えたレイは、彼女たちには悪いが、取り敢えず(一時的に)地下室で待機してもらうことに決めた。
彼女たちにはここで待機していてもらい、レイとエルが仕事を完了させてから、改めて迎えに来るつもりだ。
早く逃してあげたいという気持ちも当然あった。特に、地下に閉じ込められていた人々には、早く外の空気を吸わせてあげたいとも思う。
だが、仮に集団で列を成して逃げ出しているところを銃で乱射されたりすれば、流石のレイも、全員を無傷で守り切る自信はなかった。その点、地下室ならば多少は頑丈だし、入口も一箇所だけだから防衛もしやすい。
それに、理由はもう一つあった。
地下の檻の中に、あの子の姿がなかったのだ。
レイとエルが車から降ろされた際に見かけた、幼い少女のことだ。(レイとエルのことを【心理能力】で“見て”、武器がないか調べていた子である)
囚われていた人々に詳しく聞いてみると、どうやら一部の女性は檻から出され、建物内でこき使われていると言うことが判明した。
つまり、あの子がここにいないということは、今も別のところにいる、ということだろう。
そうなると、これで任務完了と言うわけにも行かない。
まだ囚われている人がいるのだという話を聞かされて、このまま帰ることなど、できるはずがあろうか。レイは亜麻川たちに後のことを任せて、地下牢を飛び出した。




