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愛言葉

 セミロングの髪に、少し着崩れた服。すっかり大人びた姿に、以前の子供っぽさは無い。


だんだんと近づく女性は肩を上下させてゆっくり歩く。僕も自然と、三春さんや智治さんから離れてゆっくり、女性の方へと歩き始める。


 満月が明るい。おかげで顔がハッキリ見える。彼女はずっと目を見開いていて、何かを確認している様子。きっと、僕も同じ顔をしている。だってさっきから鼓動が鳴り止まない。まるで体内からマグマが噴き出しているようで、身体がとにかく熱かった。


 距離にして1メートル。僕らは対面する。互いに過去と照らし合わせるように確認をする。そして脳からフィードバックが来たとき――僕の視界はぼやぼやと潤んでいった。


目の前にいる彼女も、泣いていた。首を振ったり目を何度も擦ったりしているが、視線は変わらず僕に注がれている。


 どうして?なんで?


 疑問が絶えず湧き出る。しかし、それだけではなかった。


 嬉しいのか哀しいのか、問うのか答えるのか。これまでの人生がごちゃ混ぜになって溢れ出す。言葉にできないというのはこういう状況を言うのだろう。これほどまでに望んでいたことなのに……これが夢なのではないか疑ってしまうほど、わけが分からない。


 もはや二人の間に言葉は不要だった。見れば分かる、彼女だと。それは彼女も同じようで、見れば分かるのだ、僕だと。容姿や振る舞いはこの際関係ない。ただ想い続けて繋いできたものが、それぞれを理解させてくれるのだ。


 僕らは互いに、どうすれば良いか分からずにいた。僕は変わらず静かに涙を流していた。が、目の前の彼女はだんだん身体を揺らし、それが嗚咽となって感情が決壊したとき――




 僕らは抱きしめ合っていた。




 その背中、匂い、存在が温かくて……彼女の嗚咽に釣られて僕も、ついに抑えきれなくなってしまった。本当は泣かないつもりだったのだ、もし会えたとしても。でも、これまでの蓄積や不在による空虚さが、一挙に流れ込んでわけが分からなくなってしまったんだ。


 互いに強く抱きしめながら、びょおびょお泣いた。


弱まることなく泣いた。


ひたすら、二人だけの世界で泣いた。


今までを海で埋めるように、泣いた。



 

「あぁ!うっ……うんっ、うああぁっ!!」


「うんっ……うんっ!ひっぐ……ああっ」




 身も心も魂も。全てが混ざった抱擁だった。それはいつかの抱擁に似ていたけれど……あの日から動き出した分、あの時よりも比べ物にならない、熱いあつい、温かいものだった。




…………


………


……


 ……ようやく泣き止んだころには、完全な夜が帳を下ろしていた。そこに浮かぶ月は海面や地上を照らし、それに応えるように波がキラキラと輝いている。星が瞬き端にはオリオン座。月明かりで多少薄くはなっているが、それ以外に照らすものが無いのでクッキリと見える。


 僕らは一度離れて、泣き腫らした顔を少し整える。身体が離れた時、これまでの日々で感じていた寂しさや渇きが蘇って、たまらなくなる。しかしもう彼女は目の前にいる。その事実で凪いでしまえる。このことがたまらなく嬉しいと感じられることが、また。


 とにかく、何かを話そう。言葉がいらずとも、やはり声が聴きたい。なんてったって数年ぶりいや……およそ10年ぶりなのだ。あの雪の日に交わした約束から沈黙している過去のハルを、塗り替えるのだ。


「……あ、えっと」


 振り絞るが、やはり整理されていない頭では何も思いつかない。いや、何もかも聞きたくて、逆に話せないのだ。


 言い淀んでいると、彼女は昔と変わらぬ様子で微笑み、ずいぶんと大人びた声で僕に言う。


「もうっ、トモくんは変わらないね」


「そ、そんなことはないよっ!えっと……あっ」


 そこである、懐かしい大切な合言葉を思い出す。大学時代にも似たような言葉を言った覚えはあるが、彼女を前にして言うのは、あの日以来。


目の前の彼女が手のひらを耳に当てる。その仕草で何を再現しようとしているのか分かった。僕も彼女に呼応し、スマホを取り出して耳に当てる。


そして深呼吸をする。鼻の奥がツンとする。再度込み上げて来たものを、もう一度深呼吸をすることで、抑える。これが夢でないことを祈り、目の前にいる彼女の目をきちんと見ながら、僕らの合言葉を言う。




「もしもしお時間いいですか?」




 決して伝わることの無かった言葉。けれど、無くすことのなかった言葉。それが今、1メートルに満たないこの距離で通じている。……我慢は再び押し寄せた波によって壊された。それは目の前の彼女も同じで、こんなにも想っていたことが、こんなにも想われていたことに、打ち震えてしまう。


彼女は少し間を置いて、僕の合言葉に返す。




「はいっ……もちろんですっ!」




 もう一度、抱擁を交わす。力いっぱい抱きしめて離さない僕らはきっと、もう離れなくて済むのだと……そう心に誓った。


 しばらくそのまま抱き合っていると、背後から鼻を啜る音がする……。体勢はそのままで首と肩を動かし、振り向いて見れば、三春さんと智治さんが鼻水と涙をボロボロ溢しながら泣いていた。


「ううっ、よがったねぇ、春奈ぢゃん!……ぢょっどともはるっ、泣きすぎぃ」


「びーぢゃんこそっ!……愛はいだい、だねぇっ」


 その姿に感謝とおかしさを覚え、つい笑ってしまう。遅れて彼らを見たハルは少し驚いていたが、すぐに感謝を伝えていた。……オイオイ泣く彼らに聴こえていたかは定かではないが。




 見上げれば満月。


辺りには潮風と白波。


場所も時も、なにもかもがあの時とは違うけれど――いや、違ったからこそ、動いていたからこそ、今日のこの瞬間があった。過去と未来が繋がった。今が起こったんだ。


それを刻むように僕たちは、いつまでもいつまでも……強く抱きしめ合っていた。

次回、最終回——。

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