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海と別

 昼の海はいつにも増して煌めいている。太陽の輝きを乱反射することで、人からそう見えるのだ。小波が穏やかに揺れ、ほんのり心を凪いでくれる。10月の半ばにしてはやや暑い。


だというのにこの悪寒はなんだ?理香の様子も心配だが、防波堤に着いてからの身体の震えはどこかおかしいのだ。こんな時に自身の心配をしているのもおかしいが、それでも気になってしまう。


 ふと、横に目線を向ける。先ほどまで泣いていた理香は、もの悲しい表情と丸まった背中が印象的である。ぼんやりと海を眺め続けており、金の隙間から溢れる視線はうつろである。そもそも海すら彼女の目に映っているか怪しいくらいだ。


こちらの目線にも気づかない様子の理香。心臓の底で渦巻く、底なしの闇。それは引力をともなって僕らを引き寄せ、どこまでも続く暗がりと小さな街灯の道へとおびき寄せる。理香はきっと、その道の暗がりに細く続く、先の見えない小道にポツンと座っているのだ。


僕はそれを明暗の道からただ傍観しているに過ぎない。彼女にどう声をかければ、どう接すれば、どう繋がれば。全てが僕を迷わせる。背負えない、背負えない、せおえない。


「ねぇ」


 理香がようやく口を開く。潮風に乗って届く声はどこか湿っぽい。金髪が風に揺れる。コートがはためき、やがて激しくなり、理香の姿のほとんどを覆い隠してしまう。それから告げられた言葉は、僕がいかにタイミングと想いを利己的にしか向けられないか、思い知らされた。


 ――僕はいつも、そうだったのかも知れない――




「もう、終わりにしようと思うの」




 彼女はポツリ呟いた。一体なにを終わらせるのか、僕には分からなかった。ただ言葉を反芻し、一文字一文字脳に浸透させてゆく。ずっとずっと、恐れていた言葉だからか、理解を拒んで猶予を欲した。しかし時の流れは待ってくれない。いつだって、僕らを置き去りにしてしまう。そこを掴む余裕なんて無い。


やっとの想いでありったけの気持ちを込めて僕は、言葉を紡いだ。


「終わりって……なにを」


「あなたも、夢も……私には大きすぎたの」


「そんなこと、無いはずだ。そうでなきゃこれまでの日々に説明がつかない。……そうだ、今は準備期間なんだ。だからきっといつか――」


「いつか、それはいつよ!?智樹くんに会う前もあった後も!私はずっと夢見てきたっ!その結果がこれっ!?」


「……理香」


「そうして作り上げた傑作が一次落ちっ!ふ、ふふふっ……!!!馬鹿みたいよね、バカみたいよねっ!?……だから、そんなのはもう終わりにするのよ」


 理香の涙腺はすでに決壊している。今までにないほどの感情が溢れ、情緒は無きものである。作品の表現じゃない、知識のかけらもない、おしゃれな言い回しや、感動するような言葉もない。あるのはただ一つ、稚拙で潔白の心そのもの。


「あなたもバカよ、智樹くん。私みたいな代わりがいて楽しかった!?あの日の女の子に、贖罪してるみたいな気持ちでいたでしょう!?それがあなたの根本よ」


「っ!……やめよう、もう一度2人できちんと――」


「ええそうね、話し合えば分かり合えるわ。いつだってそうしてきたもの。でもね、だからこそっ、わかっちゃうのっ……」


「なに、が……」


 途端、頬に水滴がかかる。――雨だ。出会ったあの日と同じように、僕らの上には大きな灰色の湖があった。そこからだんだんと降り注ぎ、やがて地表も水に染められてゆく。涙は出ていない。感覚として分かるのだ。ただ、雨が降っている。


「智樹くんは最初から、誰かの幻影を追ってるっ!初めは気のせいだと思ってた……だから、私にも機会があると思い上がってたのっ!」


「そんなこと……僕はなにも――」


「でも感じたままにそうだったっ!話せば話すほど、ずっと積もっていく一方だったっ!!……私にあなたは必要じゃない、あなたに私は必要じゃないっ……」


「なんで……そんなっ」


 降り注ぐ雨なのか、涙なのか、いよいよ分からなくなってしまった。ただ世界に響くのは、ザアザアという轟音と、小さなちいさな理香の嗚咽だけだった。


僕はただ立ち尽くした。言い訳もなにも無く、ただ立っていた。雨に打たれて立っていた。


耳を打たれた、音に打たれた。


心を打った、夢を打った。


気持ちを打った、文字を打った。


時を打った、刻を打った。


なにかを打っても、結局僕は変われなかったのだ。誰かとの繋がりを捨てることが出来ず、かと言って誰かのために落ちることをしなかった。




「もう……私は、大丈夫じゃない、からっ……!!」




 告げられた言葉は呪いだった。これまで僕の人生に括り付けられた呪い。想いは重い。呪いはノロい。決して軽んじているわけでは無かった。決して、動かなかったわけでは無かった。ずっとずっと、何かを変えたくてもがいた。その終末が、これなのか。




 結局、僕は理香の去り行く背中を見ていることしかできなかった。ただ抱けず、ただ望めず、ただ傷つけた。篠突く雨に立ち尽くし、気づけば夕暮れであった。西日に照らされた雨はキラキラと光っていたが、その光はただただ鬱陶しかった。僕はトボトボと雨に打たれ、駅舎に戻った。


 以前、彼女が言っていた言葉を思い出す。――雨は、色んなものを洗い流してくれるのだと。しかしこの時、流されたものは何もなかった。だって、もう持ち合わせていないから。

明日も21時!……果たして、どこまでいくのだろう。

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