2話 銀の弾丸 ③
女の子は感じの悪い物言いだったが、マスターは気にする様子もなく、裏で作業をしていた間宵紫月を連れてくる。
「紫月! あの女、誰?」
……私、なにか悪いことしたかな?
そんな暇さえなかったと思うが、女の子はあからさまに私を睨んでる。
「あー、新しいバイト……」
「紫月君のガールフレンドだよねぇ」
マスターが、最悪なタイミングで口を挟む。
多分、いや絶対、それ言わない方がよかったと思う。
ほら、女の子の視線がよりいっそう痛くなる。
それどころか女の子、こっちに歩いてきちゃったよ。
「なんなのあんた、名前は!?」
「あ、あかつ――」
暁陽奈、そう言いかけた私を押し退けて、間宵紫月が口を開く。
「間宵、陽奈」
「ま、ま、間宵……!? 紫月、結婚したの!?」
「あれ? ガールフレンドじゃなくて、お嫁さんだったっけ?」
なになになに、どういうこと?
みんな、何を言ってるの?
まず間宵紫月はどうしてまた嘘をついてるの?
彼を見ると、お前は黙れという視線で貫かれた。
「こいつ、俺のイトコ。で、彼女」
「イトコがいるなんて聞いたことない!」
「別にいいだろ、いても」
「イトコはいいけど彼女はダメ! なんで樹莉じゃなくて、あんなしょぼい女なの!?」
しょぼい女って。まあ確かに、おしゃれとか全然できてないけどさ。
あの樹莉って女の子はきっと、間宵紫月のことが好きなんだろうな。
なんか常連さんっぽいし、突然私が彼の恋人なんてことになっちゃって、罪悪感が生まれる。
「なんでもいいだろ、俺の勝手。で、注文は?」
「今日はいらない! 帰る!」
樹莉ちゃんは帰り際、私をきつーく睨んでいった。
「な、なんか、ごめんなさい……」
「気にすんな。あいつが悪い」
出来事を把握していない様子のマスターは、急用かな?なんて言ってニコニコしてる。
私がここで働くのって、前途多難――かもしれない。
でもそれは、杞憂だったみたい。
あれから来たお客さんたちはちゃんと案内できたし、危ない目に遭うこともなかった。
空き時間にマスターからラテアートを教わったりして、穏やかで楽しい時間を過ごすことができた。
帰り際、マスターに声をかけに行った。
「あの、今日はありがとうございました! こんなに素敵なお店で働けるなんてうれしいです」
「いやぁ、こちらこそありがとうね。助かったよ」
マスターはおもむろに、帰り支度をしている間宵紫月を見た。
「僕が言うのもおかしいかもしれないけど……陽奈さん、紫月君のこと、助けてあげてね」
「えっ……」
「ああいや、ガールフレンドなんだから、もちろん支えにはなっていると思うんだけど。紫月君、強そうに見えるけど、やっぱり一人って寂しいものだったと思うんだよね」
一人……って、なんのことだろう。
一人暮らししてるからかな?
「もちろん、できることならなんでも! いっぱい助けます!」
なんだかマスターに言われると、やる気がわいてくる。
拳を掲げると、後ろから手首を掴まれた。
「誰が誰を助けるって?」
支度の終わった間宵紫月が、私の背後に立っていた。
「わけわかんねーこと言ってないで、帰るぞ」
「はーい……」
……わりと本気だったんだけどなぁ。
◆
マスターに手を振って、暗い夜道を歩き出す。
今日は楽しかったな。
……でも、樹莉ちゃんのことが、ちょっと不安だ。
やっぱ、好きなのかな?
間宵紫月のこと。
紫月、って呼んでた。
そういえば私、彼の名前、呼んだことないかも。
なんて呼べばいいかわからないし。
でも確か、好きに呼べって言ってたよね。
「……紫月」
考えてたら、口から出てしまった。
彼が立ち止まって、振り返る。
「あ、ごめ、なんでもな――」
「何? 陽奈」
今、私の名前を呼んだ?
「……おい、人のこと呼び止めておいて黙るなよ」
「なっ、名前! 初めて呼んだ!」
「そうだっけ」
「そうだよ! いつもお前とかヒヨコとかって!」
「覚えてねぇ」
絶対、わざとだ。
意地悪そうな微笑みは、そういうときにやる顔だ。
「……紫月って呼んでいい?」
「なんでもいい」
「しーちゃん?」
「それはよくねぇ」
「ふふ、なんでもよくないじゃん」
「うっせぇ。お前、あんまり離れんなよ。夜なんだから」
紫月の服の裾を掴んでみたが、何も言われなかった。
つまり、これは許されるらしい。
なんだかちょっとだけ、距離が縮まったような気がした。