2話 銀の弾丸 ②
ヴァンパイア居住区は、日中はがらんとしていて、襲われることもなくすぐ抜け出すことができた。
もしかすると、間宵紫月が発する、近づくなという圧のおかげかもしれないけど。
晴天の下、ヴァンパイアと一緒に買い物なんて、変な気分だ。
日除け対策バッチリだとしても、夏の日差しはヴァンパイアには厳しいんじゃないかな。
「ねえ、日にあたっても大丈夫なの?」
「王様だぞ、俺は」
だから大丈夫ってこともないと思うけど、本人が言うなら平気なんだろう。
「……お前さ、逃げようとか思わねぇの?」
「うん。他に行くところないし」
間宵紫月が、意外と優しい人ってわかったし。
買い物袋の中には、数着の服や下着と、適当に選んだ食材。
お金は払わなくていいと言われた。
いや、正確には、体で返してもらうと言われた。
けれどそんなわけにもいかないし、私が貧血にならないためにも、後で絶対にお金を返すと約束した。
まあ、彼は真面目に聞いてくれなかったけど。
帰り道で、なんだかとても雰囲気のいいお店を見つけた。
昔ながらの喫茶店といった感じで、庇のかげに連なるぼんやりとした照明がかわいい。
黒板式の小さな看板には、独特な筆跡で『喫茶ともり』と書いてある。
「ね、ここ、素敵だね」
先を行く間宵紫月の服の裾を引っ張って、呼び止めた。
「あー……ここ? まあ、そうだな」
歯切れの悪い答えを疑問に思っていると、鈴の音を鳴らしながら喫茶店のドアが開いた。
「あれ、紫月君?」
出てきたのは、背中が少し曲がったおじいさん。
おっとりとした口調で、親しげに間宵紫月の名を呼んだ。
「あ、どうも……」
間宵紫月はなんだか少し気まずそうにする。
「偶然、通ったのかい?」
「そうっす」
私の知ってる彼が虎だとしたら、今は猫。
偉そうじゃないし、おとなしくしてる!
ヴァンパイアの王様といえど、目上の人には敬語を使うんだ。
おじいさんは何者なんだろう……そう思って視線を送ると、おじいさんと目があった。
「こんにちは、お嬢さん。紫月君のガールフレンドかな?」
「ちっ、ちが、違います! えっと、居候! を、させてもらってて――」
「……彼女っす」
「ちょっと!?」
とんでもない大嘘を吐いた間宵紫月は、私に目配せをする。
話を合わせろ、とでも言わんばかりだ。
「素敵なガールフレンドができたんだね。あ、そうだ。紫月君、どうかな。例の件、彼女にお願いしてみてもいい?」
「えー……と、それはちょっと――」
「なっ、なに? 例の件って! なんか怖いよ!」
優しそうなおじいさんが危険なことを頼んでくるとは思えないが、間宵紫月が断ろうとするほどのことって、なに?
このおじいさん、実はとんでもない人だったりする?
「お嬢さん、うちでアルバイトをしないかい?」
「え?」
「紫月君のガールフレンドなら、ほら、一緒に来てくれたら助かるし」
「一緒にって――あなた、ここで働いてるの?」
「そーだけど」
驚愕の事実だ。
こんな素敵な喫茶店で働いているということもそうだけど、そもそも間宵紫月が労働しているなんて。
でも一人暮らしだし、バイトくらいするか。
もしかしたら、学校も行ってるかも。
私はまだ、彼のことを全然知らないんだ。
「なんでさっき教えてくれなかったの?」
「……お前がこの店を素敵とか言ってるから、なんか面倒なことになるかと思ったんだよ」
「うらやましい! 私もやりたい!」
ほらな、と呟く彼のそばで、おじいさんは優しそうに微笑んでいる。
「それはうれしいなぁ。紫月君、ちょうど明日来てくれる予定だよね。お試しで、お嬢さんも来てくれるかな?」
「来ます!」
「お前、勝手に……」
「だって、そうすれば自分でお金稼げるし! 頼りっぱなしは嫌だもん」
「それ、本当か? この店が気に入っただけだろ」
「もちろんそれもあるけど、本当だよ!」
正直なところ、半々だ。
家も働き口もなんとかなるなんて、私、運がいいかも。
「それじゃあ二人とも、明日、よろしくね」
「はい!」
「……了解です」
私の未来は意外と明るいかも、なんて、浮かれた帰り道。
ふいに間宵紫月の言葉を思い出して、気になってどうしようもなくなった。
「……ねえ、さっき、なんで嘘ついたの?」
「嘘?」
「私のこと、かっ、彼女って……」
「あー、あれな」
別になにかを期待してるとか、本当になったら、とか、そんなの全然思ってない。
全っ然、思ってない、はず。
ただ、気になって仕方なくて、心臓の鼓動がうるさいだけ。
「お前が居候とか言うから……マスター、ああ見えて意外とうるせぇの。正直に話すと、付き合ってもない男女が、とか言い出しそうだし」
……つまり、恋人同士が同棲してる設定ってことね。
「へ、へぇ! そうなんだ!」
「変な顔して、どうした?」
「してないし!」
間宵紫月は恥とか照れとかひとつもないような、飄々とした態度で、ちょっと悔しい。
けれどそんな風に思ったら、まるで私が間宵紫月のことを好きみたいじゃないか。
彼はヴァンパイアの王様。
私は家を捨てたところで、ヴァンパイアハンター一族の元で生まれ育ったことは変わらない。
つまり、抱いたらいけない感情がある。
だからそんな気持ちには蓋をして、晩ごはんの献立に思いを馳せた。
◆
喫茶ともりで、人生初のアルバイト。
ここはヴァンパイア居住区の近くということもあり、夜間も営業しているらしい。
そして、客の大半はヴァンパイアだそうだ。
間宵紫月から、マスクと伊達メガネを渡された。
とにかく露出を減らして、なるべく私が人間だとバレないようにするらしい。
ヴァンパイアだって、全員が見境なく人間を襲うわけじゃない。
けれど彼曰く、私からは『うまそうな匂い』がするから、警戒するに越したことはないみたい。
「それじゃあ、選んでくれる?」
マスターが並べたのは、『ともり』の文字とワンポイントの刺繍が入ったエプロン。
花にヒヨコ、雲に星など、ワンポイントはどれもファンシーなモチーフだ。
制服のエプロンはマスターお手製と聞いて驚いた。
どれもかわいくて、決めるのが難しい。
間宵紫月の方を見ると、彼のエプロンには月のモチーフがあった。
名前に『月』が入るからかな、なんて思っていると。
「お前はヒヨコだろ、やっぱり」
彼から、ヒヨコのエプロンを押し付けられた。
……ヒナだから、ってこと?
そういえば、初めて会ったときもそんなこと言ってたっけ。
どうせ自分ではなかなか選べないから、ヒヨコに決めることにした。
マスターからお店の中のことや仕事の手順を一通り聞き終えた頃、カランと鈴の音を鳴らしてドアが開いた。
――お客さんだ。
マスターから行ってみてと言われ、緊張しながらもお客さんの元へ向かう。
その子は、すごく可愛らしい女の子だった。
少し年下かな、というくらいの顔立ちで、ツインテールが似合っている。
ただ、どこか怒っているような、ツンとした雰囲気がある。
「いらっしゃいませ! 一名様で――」
私が言い終える前に、女の子は勝手に店の隅の席に座った。
呆気にとられていると、女の子は不満そうに口を開く。
「ねえ、紫月いる?」