1話 王様 ④
「どうするって……?」
「これから俺に、何してくれんの?」
思いもよらない質問だ。
言うことを聞け、ってばかりじゃなくて、ちょっとは自分で考えろって言いたいのかも。
だとすればそれは、ごもっとも。ちょっと反省した。
とはいえ、私に何ができるだろう。
外に出れば襲われるし、なーんにも持ってない。
たいした特技だってないし、それでも強いて言えば得意なことは。
「ごはんとか……作れるよ!」
「はっ、メシ? ヴァンパイア相手に?」
私の記憶が確かなら、ヴァンパイアだって食事をとるはずなんだけど。
「……もしかして、血しかいらない?」
「普通に食うけど、ヴァンパイアの味覚は人とは違う」
「え……そうなの? 普段何を食べてるの?」
間宮紫月は、リビングから繋がるキッチンを指差した。
キッチンを見に行くと、ほとんど使われた形跡のないコンロとシンク、それと冷蔵庫が置いてある。
でも、生活感はない。
ラックに積み上げてあるのは、栄養補助食品の山。
どれもこれもプレーン味だし、あまりに偏食すぎると思う。
「いつも食べてるの、これだけ!?」
「そうだけど」
文句でもあるのかと言いたげな視線を感じる。
文句はないが、これでいいのかと問いたい気分だ。
「もっと、ちゃんとしたものないの? 野菜とか!」
「草はいらねぇ」
野菜のこと草って言う?
呆れながら冷蔵庫を開けると、すかすかの棚にほうれん草とベーコンを見つけた。
「それはもらったやつ」
間宵紫月はいつの間にか私の後ろに立っていた。
「じゃ、これでなにか作るよ」
「あっそ。ま、勝手に使え」
彼は興味なさげにキッチンを去る。
食に、こだわりも興味もあまりないみたいだ。
でも私をうまそうなんて言うくらいだし、もしかすると血の味には好みがあるのかな。
こうして実際に接してみて、私はヴァンパイアのことをなんにも知らなかったと実感する。
私の家族は、どうなんだろう。
ヴァンパイアのことを知った上で、ハンターをやっているのかな。
……考えかけて、やめる。
私は家を出たんだ。
家族とかハンターとか、もう私には関係ない。
私はキッチンを探索して調理道具をかき集め、ささやかな夕飯を作ることにした。
探してみれば、意外にも最低限のものは揃っていた。
なんとか作ったのは、ほうれん草とベーコンの炒めもの、タマゴスープ。
ちょうど完成して盛りつけるお皿を探していると、間宵紫月がやって来た。
「これ、二人分?」
「うーん、あるだけで作ったから少ないかも。私はいいよ」
空腹ではあるが、わがままは言ってられない。
ただでさえ助けてもらい、シャワーや着替えを提供してもらった身だ。
まあ、血は吸われたけど。
「お前が食えよ。俺はこっち」
彼はそう言って栄養補助食品を手に取るから、それを取り上げた。
「いつもこれなんでしょ? たまにはちゃんとしたごはん食べなよ」
「……俺からすれば、ちゃんとしたメシってお前のことなんだけど?」
一瞬、言ってる意味がわからなかった。
けれど彼の視線が私の首筋に向いているのに気づいて、言葉の意味を理解する。
「……私、ごはんじゃないからね?」
「それじゃデザートにしてやるよ」
すぐに否定の言葉が出てこない自分は、どうかしてしまったのかもしれない。
スープをお皿に注ぎながら、さっき血を吸われたときのことを思い出す。
……嫌じゃなかった。
吸血依存症になってしまう人の気持ちがわかってしまいそうだ。
けど、私は絶対そうなったりしない。
決意を胸に抱きながら、料理をテーブルに並べた。
◆
「それじゃ、いただきます」
「……いただきます」
あ、ちゃんと手を合わせるんだ。
ヴァンパイアの王様も、意外とかわいところがある。
なんて思いながら、つい見つめていると。
「なんだよ」
睨まれちゃった。
「な、なんでもない」
「そーかよ」
慌てて手を動かしながら、料理を口に運ぶ。
我ながら、有り合わせにしてはいい出来だと思う。
間宵紫月も、特に文句も言わずに食べてくれている。
なんだかはじめて彼の役に立てた気がして、ちょっとうれしい。
「……あ、あのさ!」
「ん?」
「私、ここにいてもいいの?」
「拾ってやるって言っただろ」
「そうだけど……迷惑じゃない?」
私にできることなんて、本当に料理くらいしかない。
それか、血を吸われるくらいだ。
私がここにいることで、間宵紫月にとってどれほどのメリットがあるのだろう。
「くだらねー心配すんな。俺の意志で拾ったんだよ」
「そ、そっか……ありがと」
本当にここでしばらく過ごしていいのなら、聞いておきたいことがある。
「……好きな食べ物とか、ある? あ、血はナシね!」
「肉」
なるほどね。
血に近いほどいいってこと?
「それじゃ、嫌いなものは?」
「……ヴァンパイアハンター」
それを聞いた瞬間、冷や汗が滲んだ。
間宵紫月は私の言葉を待つように、私の瞳を見つめている。
「そっ、そ、そうじゃなくてっ! 食べ物の話だってば」
「ああ、そうだったな。野菜」
冷や汗が止まらない。
間宵紫月はヴァンパイア、それも王様なんだから、ヴァンパイアハンターが嫌いだなんて、当然のことだ。
それなのに、私はなんで動揺してるんだろう。
――絶対、バレたくない。
私の一族が、みんなヴァンパイアハンターだなんて。
「お前さ」
「えっ!?」
つい声が裏返ってしまった。
内心、まださっきの動揺が続いている。
「家出って言ってたけど、仲悪いの」
彼は視線を料理に落としながら、ぽつりと呟くように私に問いかけた。
このタイミングで家族の話なんて、冷静を装うのが難しい。
「あっ、ああ、うん、そうだよ。すっごく仲悪い!」
「へぇ」
本当は、私と家族の関係は仲が悪いなんて言葉で表せるものじゃない。
でも彼の、興味があるのかないのかわからない相づちに、長々と説明した方がいいとは思わなかった。
ボロが出て、ハンターのことがバレるのも怖いし。
そういえば、間宮紫月は家族なんていないって言ってたっけ。
この家は一人で住むには少し広い。
……彼は、いつから一人でいるのだろうか。
私も、いつもひとりぼっちみたいな気分だった。
家族は誰も私の話も意見も聞かないし、ハンターになれと一方的に押しつけるばかり。
けれど、嫌いな人でも一緒にいるのと、誰もいない本当の一人とでは、どっちが孤独なんだろう。
「……家を出て、よかったと思うか?」
彼は私を試すように、おもむろに口を開いた。
「うん、よかったよ」
「ふっ、即答かよ。あんな目にあって、こんなところにいるのに?」
「うん」
「変な奴」
はじめはどうなることかと思ったけど……いやそれはまだちょっと思ってるけど。
後悔なんて気持ち、今は少しもない。
助けてもらって、お風呂もあって、少なくたって食事もある。
どうにでもなれと家を出た身からすれば、充分すぎる。
いつの間にか、二人ぶんのお皿は空になっていた。
「ごはん、どうだった?」
「まあまあだな」
「……これからもっと、がんばります」
「これからも作ってくれんの」
「作っていいなら……」
間宵紫月が許すなら、私はもうちょっとだけでもここにいたい。
だからその間に、少しでも恩返しができるといいなと思う。
「好きにしていいけど、デザートもあるよな?」
「で、でも、さっき吸ったばっかりじゃ……」
「いくらあってもいいんだよ」
そう言うと間宵紫月は私を荷物のようにひょいとかつぐ。
「ちょ、ちょちょちょっと!」
それから彼がドアを開けた先には、ベッドがあった。
「なっ、何するつもりなの!?」
「吸うんだけど」
「吸うだけなら別にどこでも――」
「ソファじゃ狭い」
「だって、さっきはソファで」
「手加減したからな。もう手加減しねぇけど、耐えられる自信ある?」
手加減なしって、一体どういうことなんだろう。
貧血になる? 痛い? それとも――もっと、気持ちいい?
自分の中にそんな疑問がわいたことすら恥ずかしくて、言葉を失う。
「即答できないなら、ここでする。無理なら無理って言えよ?」
雑にベッドに投げ捨てられた。
意地悪そうに口角を上げて、間宵紫月は私に覆い被さる。
「言われても、やめるかわかんねぇけど」
それから始まった、キスにも似た甘噛みは、さっきよりも強く、しつこかった。
味わったことのない感覚に溺れないよう、心の中で抗う。
けど……長い。長すぎる。
血を全部吸い尽くすつもりなのかと聞きたいくらいだ。
もう私の心臓はドキドキしすぎて破裂しそう。
「も、いい加減に――」
私が言いかけたとき、間宵紫月は唇を離した。
「ごちそうさま」
終わったと思うと、どっと体の力が抜ける。
デザートなんて言ってたけど、こんなの毎日やられたら私の身も心も持ちそうにない。
「……お前、もう寝たら?」
「えっ」
彼は私に向かってタオルケットを投げる。
……寝ろって、急に?
でも、今日は本当に疲れたし、今すぐ眠ってしまいたいのは確かだ。
――また、甘えてしまおうか。
甘えついでに、ひとつワガママを言ってみる。
「……ちっちゃい電気とか、ない?」
部屋を微かに照らしているのはカーテンの隙間の月明かりだけ。
間宵紫月は無言のままスイッチを操作し、常夜灯を点けてくれた。
「ありがと……暗いの、嫌いなの」
「へぇ、一緒に寝てやろうか」
そう言う彼に、首を横に振ってみせた。
これ以上、私の心臓に負担をかけないでほしい。
「冗談だよ。じゃあな」
間宵紫月の背中を見送って、タオルケットにくるまれてみる。
なんだかすごく心地よくて、もう起き上がるなんて無理だと感じた。
数時間前に会ったばかりの知らない人の家なのに、自分の家より安心できる。
――変なの、私。
そんなことを考えながら、私の意識は夢の中へ溶けていった。