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7話 きみのためなら ③


「……今晩は、風が強いな」


私は銃声の後で、父親が呟いた声を聞いた。

塀の外に降り立ち、ひたすらに走る。


……父親が撃った一発の銃弾は、私にかすりもしなかった。


けど、私にはわかる。

幼い頃から、ずっと見てきた。ずっと教わってきた。


ーー風が強いくらいで、私の父親が的を外すわけがないんだ。


だからこそまた、父親の存在が私にとっての呪いとなる。

父親が最後に私に向けた、ほんのわずかな親心だったのかもしれないもの。


……それに気づいたら、いけなかった。


私は、今度こそ家を出た。

暁という苗字を捨てた。

私に、家族はもういないんだ。


ーー父親がわざと私を撃たなかったことは、記憶の片隅にしまいこむ。

私の後をついてくる満月に、後悔なんてしないと誓おう。


私の道には、紫月がいればそれでいいから。

……私はもう、迷ったりしない。



ただひたすらに、夜道を走る。

暗闇の中を満月だけが照らしてくれる。

ヴァンパイアの街も、今となっては恐れる必要すらない。


……紫月。

紫月、今、どこにいるのーー?


もしかしたらもう、この街にはいないかもしれない。

紫月は人間になってしまったのだから、こんな危険なところにいる必要もないだろう。

けれど他にあてもなく、私は紫月の家に向かうしかなかった。


ーー紫月の家は、あの日のままだった。


リビングに面する窓ガラスは割れている。

明かりがついている様子もない。


玄関のドアノブに手をかけ、ゆっくりと引く。

鍵は、開いていた。


しんとした室内。

ぎしりと自分の歩みによって床が軋む音、それから、外から吹き込む風の音だけが時折聞こえる。

自分の他に、誰かがいるような気配は感じない。


……いるわけ、ないか。


半ば諦めたような気持ちで、リビングへ進む。

いろんな思い出の詰まった部屋。

いつも隣同士で座ったソファ。


ーーそこに、見つけた。


ソファの上で、紫月が眠っていた。

私は思わず駆け寄り、強く抱きしめる。


「紫月……っ」


呼吸による胸の上下、耳をすませば聞こえる心臓の拍動。

紫月がここに生きていてくれたことだけで、私はもう、それだけでよかった。


紫月の頬に手を添え、口づけをした。

おとぎ話であれば、ここで目を覚ましてくれるけど。

……私と紫月の人生は、おとぎ話じゃないようだ。


反応のない紫月からそっと離れようとしてーー突然、腕を引かれた。

そのまま、私の上半身は紫月の上に倒れこんでしまう。

紫月の顔を見ると、つやめく瞳と目が合った。


「しづーー」


私が名前を呼ぶ前に、顔を引き寄せられてキスされた。


……なにが起こってるんだろう。

紫月は人間になって、記憶をなくして、私のことも忘れてしまったはずなのに。

キスの仕方は、なにひとつ変わっていない。


紫月とこうするのは、うれしくて、幸せで、なにも考えてなんかいられない。


ーー私はただ、身を委ねた。


離れていた時間を埋めるように。

忘れてしまったかもしれない穴を埋めるように。

もう離れたりしないように。

また一緒にいられるように。


私たちのキスは、祈りに似ている。


どちらからともなく口が離れたとき、紫月が呟いた。


「……陽奈」


……私の、名を呼んだ。

紫月は、私の名前を呼んでくれた。


「紫月……どうして……」


「忘れてた方がよかったか?」


「そんなわけ……っ、そんなわけ、ないでしょ……!」


こらえていた涙が、(せき)を切ったように溢れ出す。


「悪い、泣くなよ。……言っただろ、陽奈のことを忘れたりしないって」


「それは、そうだけど……」


だからって、気持ちだけでどうにかなるようなものじゃないはずだ。

紫月が今、ヴァンパイアじゃなくなって、人間であるのは確かだと思う。

証拠に、ヴァンパイアの私からすると、紫月からはいい匂いがしているからだ。


ーー噛みつきたい。

そんな内なる衝動に、さっきからずっと抗っている。


それなのに一方の紫月といったら飄々(ひょうひょう)とした顔で、もう牙のない口を開いた。


「……銀の弾丸をくらったとき、俺、もう18歳になってたんだよ」


「ーーえ、えぇっ……? あの日、誕生日だったの!? ……あれ、でも人間になれるのは、血を飲まなかったヴァンパイアだけじゃ……」


「飲んでねぇよ。一回も」


「……え!? いや、でも、そんなーーじゃあ、今までのは……」


思い起こされる、今までの、あれやこれ。

散々噛みつかれて、散々羞恥(しゅうち)に耐えていたのはなんだったのか。


「……噛みついてただけ」


「は、はぁ!? でも、す、吸うとかなんとかって言ってたよね?」


「あー、肌をな。血を吸うとは言ってねぇ」


……そんなこと、ある?


しかし、私もヴァンパイアになったからこそ、理解できてしまう。

吸いたいけど、吸いたくない気持ち。

だからせめて、ちょっと噛むだけーーなんて気持ち。


「……よかった」


「え?」


「ーー紫月が、私を覚えててくれて、よかったぁ……」


もう、なりふりかまわなかった。

紫月が私を覚えてた、そのことが何よりもうれしい。

情けなく泣く私を紫月は抱きしめて、優しく頭を撫でてくれた。


「……陽奈、迎えに来てくれて、ありがとな」


「ーーっ、うん」


「……本当は、もう会えなくてもいいって思ってた。陽奈はまたあの家を出るだろうけど、それからどこか別の場所で、俺を忘れて、ヴァンパイアからも離れて、穏やかに過ごしてくれれば一番いいーーとかな」


「そんなっ、そんなの……」


そんなの、なんにもよくない。

私は紫月と一緒にいることが、何より幸せなんだ。


「ーーでも、違った。俺、そんなに余裕ねぇ。……だから、陽奈、もう離れたりしない。もう、離したりしねぇから」


「紫月……私もだよ。……私も、紫月とずっと一緒がいいよ」


約束代わりの、優しいキス。

紫月の輪郭を月明かりが染めていて、すごく綺麗だった。


「……じゃあ、帰るか」


「帰る、って……」


「俺たち(・・)の、家」


紫月がポケットから出したのは、前に見せてくれた新居の鍵。


「……うん……!」


二人の家と言ってくれて、うれしかった。

当然のように手を繋ぐことが、幸せだった。


これからも、ずっと。

これからは、ずっと。

離れることなく、隣を歩いていける。


ーー私たちの関係に、まだ名前はないけれど。


紫月が隣にいてくれるだけで、私は、幸せなんだ。


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