6話 ヴァンパイアハンター ⑥
「……やるね、陽奈ちゃん」
ーーピストルの先から放たれた実弾は、水瀬の太ももに命中した。
当たった。当てられた。
私が撃った。私は、人を、水瀬を、撃ってしまった。
事実を理解すると共に、罪悪感が波のように押し寄せる。
そのとき、紫月が私の名前を呼んだ。
「陽奈、助かった」
……紫月の言葉で、私は救われた。
ーー私、紫月の助けになれたのかな。
心のもやが晴れていくみたいだ。
私が立ち尽くしている間に、紫月は水瀬を突き飛ばす。
形勢逆転だ。
けれど水瀬は額から汗を伝わせながらも、諦めようとはしない。
立ち上がるのだってつらいはずなのに、その視線は紫月を捉えて離れようとしない。
二人がもつれ合い、互いの胸ぐらを掴んだ。
素手の殴り合いになるーーそう思ったとき。
ーーパリンッ!
大きな音を立てて、リビングの掃き出し窓のガラスが割れた。
粉々になったガラスが二人に降りそそごうとしたとき、紫月は咄嗟に身を引いた。
足を撃たれたばかりの水瀬は反応が遅れて、その身にガラスのシャワーを受ける。
……どうして、ガラスが割れたりしたんだろう。
少なくとも私たちは窓に何もしていない。
考えを巡らせていると、突然、私の背後で玄関のドアが勢いよく開いた。
そこから現れたのは、私の父親だった。
思わず、目を疑う。
「ど、うして……」
父親は私のことを一瞥したが何も言わず、私の横をずかずかと通りすぎていく。
それから、リビングにいる紫月に向かって無言で銀のピストルを向けた。
「待って、お父さん!」
慌てて父親の腕を掴むが、ピストルを下ろそうとはしてくれない。
「陽丞様、待ってください」
私たちに気づいた水瀬が、焦った様子で父親の名前を呼ぶ。
水瀬はこっちへ来ようとするも、その歩みは遅い。
さすがの水瀬でも、撃たれた上にガラスの破片をまともに浴びたのはさすがに堪えたようだ。
「……水瀬君、これはどういうつもりだね」
「この、間宵紫月の血があれば、ヴァンパイア共を思い通りに動かせます。人間に変えてしまったらもったいない!」
「君は優秀だと思っていたが……元ヴァンパイアだけあって、やはりわかっていないようだ」
「な、何をですか?」
「ハンターの矜持だよ。ヴァンパイアを滅ぼすことが私たちの目的だ。わかったら端でおとなしくしていてくれたまえ」
「でも……っ」
「外を見なさい」
割れた窓の向こうに、人影が見えた。
私の家族だった。母も、弟も、叔父や叔母もいる。
みんなが、ピストルを部屋の中に向けている。
「あのうちふたつは、実弾入りだ。君は黙っていろ」
水瀬を撃つのもいとわない、ということだろうか。
水瀬は何も言えなくなって、悔しそうに顔を歪めながら口を結ぶ。
「さて、貴様が最後の王族で間違いないな」
「……ああ、そうだよ」
紫月は、認めてしまった。
この状況では認めざるを得ないだろう。
けれど認めてしまったら、父親が紫月を撃たない理由がなくなってしまう。
私は、思わず駆け出していた。
紫月を庇うように抱きしめる。
「陽奈……お前、家族と仲悪いって言ってたよな。今ならそれ、よくわかる。お前の父親、全っ然、話通じなさそう」
「そうだよ……だから、もう、どうしよう……」
弱音を吐く私の頭を、紫月が撫でる。
それは優しく触れたわけではなくて、まるでもう、諦めてしまったような。
弱々しくて、あたたかい手のひらだった。
「陽奈、どきなさい」
「……嫌」
なけなしの勇気で、父親にピストルを向ける。
こんなことしても、仕方ないのはわかってる。
私たちは、外からも狙われている。
私が父親を撃てたとしても、私も紫月も他の家族にやられてしまう。
でも、この状況を甘んじて受け入れるなんて、そんなことできるわけないんだ。
「家を捨てるばかりでは飽き足らず、家族の邪魔までするつもりか?」
「私はっ……私は、自分で決めたいだけだよ! どうやって生きるかも、誰と一緒に生きるかも……それなのにどうしてお父さんはーー」
言いかけて、ふと思い出した。
父親にかけた、淡い期待を。
「……お父さん、私が稀血って、知ってた……?」
私が稀血だから、私を心配して、対ヴァンパイア用の訓練をしてくれたのかもしれない。
あれだけハンターになれとうるさかったのは、私のためを思ってのことだったのかもしれない。
父親は厳格な性格が表れた顔を眉ひとつ動かさないまま、ゆっくりと口を開く。
「……何の話だ」
父親へ抱いたわずかな希望が、打ち砕かれた。
「知るわけがないだろう、ヴァンパイアの物差しなんて」
父親は私と紫月を交互に見て、納得したようにうなずく。
「ヴァンパイアの王がどういうつもりでうちの出来損ないをと思ったがーーなるほど、そういうことだったのか」
「違うっ! 紫月はーー」
「……陽奈、やめとけ。何言っても無駄だろ」
紫月が言ったことは、誰よりも私が理解している。
父親に何を言ったって、聞いてもらえた試しがない。
けれど、それでも反論したくなるほど、紫月を悪く思われたことが嫌だった。
「陽奈。まだヴァンパイアを庇うのか」
父親は、初めて表情を変えた。
眉間に深いシワを刻み、私を見る目には哀れみすら感じる。
「お前は、確かに私の娘だった。私だって鬼ではない。……だから最後に確認するがーーお前は、暁の名を背負う私の娘のままか? それとも、家族を裏切りヴァンパイアの協力者となったのか?」
ーーそんなの、答えは当然、決まっている。
紫月を抱きしめる手に力を込めた。
「私はっーー」
ーーカラン。
私が言いきる前に、父親は銀のピストルを床へ落とす。
それを爪先で蹴り、私の手元にピストルが届けられた。
「暁の名を背負う覚悟があるのなら、お前がそいつを撃て。撃てないと言うのなら、私が親としての責任を持って、お前を処分しよう」
父親は懐から、銀色ではないピストルを取り出した。
すなわち、そのピストルは対人間用ということを表している。
……処分、だって。私を、撃つつもりなんだ。
「……おい、ヴァンパイアのことだって殺しはしないのに、娘のことは殺せるとでも言うのかよ」
「記憶を失って人間になった元ヴァンパイアより、自分の意志でヴァンパイアに協力する人間の方が有害だろう」
「……そうかよ、親としてどうかしてるな」
その通りだ、どうかしている。
そのどうかしている父親は、言ったことを絶対に曲げない。
私が紫月を撃たなければ、私も紫月も撃たれておしまいだ。
けど私は何があっても、紫月のことを撃ったりしない。
ーーどうすればこの場を切り抜けられるだろう。
私の脳みそがぐるぐると必死に逃げ道を探っていると、思い詰めた表情の紫月が口を開いた。
「……陽奈が俺を撃てば、陽奈に危害は加えないんだな?」
「紫月……?」
紫月は確認するように、父親に訊ねた。
ーーどうしてそんな質問をしたの。
私が紫月を撃つはずがないのに。
「無論だ。ヴァンパイアを撃てたなら、ハンターとして認める。暁家に戻ることだって許そう」
「……嘘じゃねぇよな」
「ああ、嘘は好かん」
父親の答えを聞いて、紫月は私のそばに落ちている銀のピストルを拾い上げた。
紫月は私の手を取って、指先を添える。
そして、私に無理やりピストルを握らせた。
「ーー待ってよ、紫月、どういうつもり……」
「……俺は、お前に生きててほしい」
紫月は自らの胸に銃口を押しつけて、場に不似合いなやさしい笑みを浮かべる。
「撃てよ、陽奈」
「そんなのっ、……できないよ……」
「俺の言うこと聞くんだろ?」
そんなの、どんなにお願いされたって、きくわけにいかない。
どうしてそんなこと言うの。
うまく力が入らなくて、その代わりとでもいうような涙が止めどなくあふれてくる。
「……ここで一度、終わりにしよう。俺たちの関係」
紫月は震える私の指先を、引き金に乗せる。
「やだ……っ、やだよ!」
「大丈夫。俺は陽奈のことを忘れたりしない」
そんなことを言ったって。
いくら忘れたくなくたって。
そんな思いだけでどうにかできるほど、世界は優しくできていない。
「……じゃあな、負けんなよ」
紫月が指先に込めた力が、私の指を伝って引き金を引こうとする。
「紫月、やだ、やめて……っ」
やがて引き金は完全に引かれーー
「紫月ぃーーっ!」
ーー私の叫びと銃声が、共鳴した。




