6話 ヴァンパイアハンター ⑤
ーー血が、滴る。
紫月の脚を伝い、床を染める。
数秒前、水瀬は紫月に背を向けたまま、後ろにナイフを投げた。
それが紫月の足に深く突き刺さってしまった。
「王様なのに手ごたえないなぁ」
水瀬は紫月が落とした傘を拾い上げ、それで紫月の肩を思いきり突いた。
「まぁ、手負いだから仕方ないか!」
そっちの肩は、陸君に撃たれた傷がある。
紫月が小さくうめいて、そんな紫月を水瀬は蹴り飛ばす。
水瀬は倒れた紫月の肩を踏みつけて、笑った。
「間宵君、僕は君に銀の弾丸は使わないし、殺したりもしない。ただ、一緒に来てほしいだけなんだ」
「……どういう、つもりだよ」
紫月は水瀬の足を掴んでどかそうとするが、びくともしないようだ。
「君の血液が欲しい。ヴァンパイアの王様の血。それがあれば、ヴァンパイア共を言いなりにできるだろ?」
ーーそれが、水瀬の目的。
一緒に来てほしい、なんて言っていたが、そんな生易しいお願いじゃないはずだ。
「水瀬……どうせ、紫月のことを監禁でもして、好きなだけひどいことするつもりでしょ」
「さすが陽奈ちゃん、僕のことをよくわかってるね」
やっぱりそうだ。
紫月を渡すわけにはいかない。
私はポケットからピストルを取り出し、その銃口を水瀬に向けた。
「そこを、どいて」
手も、声も、情けなく震えてしまう。
きっと私のことを見透かしているであろう水瀬は微笑んで、紫月の肩から足を下ろした。
紫月は肩を押さえて、苦しそうに呼吸を整える。
きっと平気なふりをしていただけで、本当はもう限界なんだ。
「それ、陸のかな。陽奈ちゃん、使い方わかるの?」
「当たり前でしょ、暁家の娘なんだから。嫌でも訓練させられてきたの」
……嘘をついた。ピストルの訓練をしたのなんて、何年前か覚えていない。
けれど、使い方くらいはわかる。
安全装置を解除して、引き金を引けばいいだけだ。
「あぁ、そう? 撃ちたいなら撃ちなよ。ちゃんと僕を狙うんだよ。間宵君に当たったらかわいそうでしょ」
……そう、使い方がわかっても、当てられなければ意味がない。
私には、水瀬に当てる覚悟も、そもそも人を撃つという覚悟も、まだ生まれてはいなかった。
「……私が、おとなしく帰るって言えば、紫月のことは見逃してくれる?」
水瀬は言っていたはずだ。
私が水瀬を選べば、暁家に婿入りできるというメリットがあると。
「ーーははっ、そうだねぇ……」
水瀬が私を見た瞬間、隙をうかがっていた様子だった紫月が水瀬に蹴りを入れる。
しかし、水瀬に腕で止められてしまった。
「結論から言うと、無理な相談だよ」
よろけながらも戦おうとする紫月に応戦しながら、水瀬は悠長に話を続ける。
紫月の分が悪いのは誰が見たってわかるだろう。
「そもそも僕が暁家に取り入りたいのって、銀の弾丸を好きなだけ使いたかったからなんだけどさ……あ、陽奈ちゃん知ってた? 君の家でしか作ってないんだよ。銀の弾丸」
……そんなの、知らなかった。
思い返せば、うちには立ち入り禁止の地下室がある。
「知らないって顔だね。まぁ、君、お父さんに信用されてなかったもんね。とにかくそういうわけだったんだけど……今の状況、見てよ」
そう言った水瀬の頬を、ナイフがかすめた。
紫月が、自分の足に刺さっていたナイフを投げたみたいだ。
水瀬はまた懐から似たようなナイフを取り出し、紫月に投げ返す。
もう避ける気力もないのか、紫月は手のひらで受け止めた。
「もうちょっとで、ヴァンパイアの王様の血が手に入りそうなんだ。ヴァンパイアを人間に変えてしまうより、思い通りに動かせた方が何かといいと思わない?」
「なんでっ、そんな……ヴァンパイアをなんだと思ってるの……?」
「クズだと思ってるよ。前に話したよね。僕は18歳になるまで血を飲まずに耐えたんだ。それなのに、他の奴らはどいつもこいつも当然のように人間を襲うだろ?」
「……お前、元ヴァンパイアか」
「そうだよ、だからハンターになったんだ。君たちの醜さをよく知っているからね」
紫月は手のひらのナイフを抜くと、それを握る。
切っ先を水瀬に向けて突進するも、水瀬はソファを盾にして避けた。
「それにしても間宵君、手負いとはいえ思った以上に弱いなぁ。……そろそろ、もうわかるでしょ? 僕の勝ちで終わりだよ」
水瀬が取り出したのは、刃渡り15cmほどのサバイバルナイフ。
「もちろん殺したりしないから、安心してね」
水瀬は私に向かって笑う。
「安心できるわけ、ないでしょ」
もう、無理だ。水瀬を止めることはできない。
ーー撃つしか、ない。
ピストルを握る手のひらに、力を込める。
でも、撃てる?
ちゃんと、水瀬に当てられる?
水瀬に向けたままの銃口は、相変わらず震えて定まらない。
「……無理、しない方がいいと思うよ。陽奈ちゃん、なんにもできないもんね」
そうだ、私は何もできない。
家族からただ逃げて、それでも水瀬からは逃げられなくて、紫月に助けられてばっかりだった。
未だに、やりたいこともはっきりしなくて、覚悟もない。
ーーでも、それじゃダメなんだ。
そんな自分を受け入れて、仕方ないなんて思っちゃダメだ。
私にはやるべきことがあるはずだ。
やりたいことだってあるはずだ。
私が悩んでいた間にも水瀬は紫月を組み伏せて、今にもナイフを突き立てようとしている。
ーー刹那、集中する。
私は、紫月を助けたい。紫月を水瀬から守りたい。
今、ここで、私にしかできないことがある。
一呼吸して、思い出す。
嫌だった、ピストルの訓練。嫌だった、父親の教え。
的を人だと思わないこと、反動にそなえてピストルをしっかり握ること。
狙いを定める。
中心を狙えば、多少ずれてもどこかに当たる。
水瀬に向けた銃口は、もう震えていなかった。
水瀬がナイフを振り上げる、その瞬間に隙が見えた。
私は引き金を引いた。
銃声が響く。
くゆる硝煙の向こうで、水瀬が小さく笑った。




