表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
24/34

5話 稀血 ⑥


「何とでも言えよ」


残酷だって、紫月は自分でも言っていた。

記憶を消してしまうというのは、確かにひどいことかもしれない。

私に樹莉ちゃんの過去のことはわからない。


けれど記憶を消すことで盲目的な執着をやめられるのなら、それで健全な未来を見ることができるようになるのなら、残酷だとは言い切れないとも思う。


「で、陸……てめーは好き勝手に人を襲おうと思うのをやめろ」


「……え、なになに? 俺の記憶は消さなくていーの?」


陸君は意外そうに、目をぱちくりさせる。


「そもそもお前は自由に血を飲みたいだけだろ、だからその考えを改めろって言ったんだ」


「そりゃそーだけど……回りくどいっていうか、もっとはっきり言えばいいじゃん。それこそ記憶消すのが早いよね?」


「うるせぇな、俺には無駄に他人を支配するような趣味はないんだよ」


「へぇ、優しい王様で助かったよ。ねぇ陽奈ちゃん?」


私は蚊帳の外だったのに、突然話しかけられて思わず肩が跳ねてしまった。

私が返事をする前に、紫月は私を隠すように前へ出る。


「二度と陽奈に話しかけんな」


「それ、無駄な支配じゃない?」


「……あと、もうひとつ」


「ん?」


紫月は陸君に近寄って、陸君の胸ぐらを掴んだ。


「え」


陸君が抵抗をする暇もなく、紫月は振り上げた拳を陸君の脇腹に向かって打ち込む。

骨が折れるくらいはしたんじゃないかという強さに思えた。


「しっ、紫月……」


誰のためにやったのか、それと紫月の負った怪我のことを考えると、やりすぎじゃないか、とは言えなかった。


「陽奈に触れた分な。俺の肩を撃ったのは許してやるよ」


「……そ、れは、どーも……やさしーね」


陸君は、脇腹を押さえたまま立ち上がれないようだ。

相当痛かったはず。

それでも軽口を叩くのはいっそ尊敬すら覚える。


「もうお前に用はねぇ。樹莉を連れてここから消えろ」


「……思いっきり殴っといて、ちょっとひどくない? 優しくなんかねーわ、やっぱ」


陸君はそう言いながらも、戸惑う様子の樹莉ちゃんを促してこの場を離れる。

血を飲んだ以上、紫月の言うことには逆らえないのだろう。

二人が完全に部屋を出るのを見送ってから、紫月は私の手を引いてソファに座った。


それから、沈黙。

話したいことはたくさんあるけど、最初の言葉がうまく出てこない。


「……ごめん」


静寂を破ったのは、紫月からだった。


「そんな、私こそ、ごめん……ほんとに、色々。紫月が謝ることなんて何もないよ」


「あるだろ、山ほど」


「なっ、ないよ! それは私の方だよ!」


「俺だって」


「私が悪いんだって!」


……また、沈黙。

このままじゃ(らち)が明かない。


「あのさーー」


とにかく何か話そうと、私が身を乗り出したとき。

紫月は、私の顎を指先で持ち上げた。

こんなに真正面から、真剣な瞳を見るのは初めてだった。

金色の瞳は、見れば見るほど引き込まれて、視線を逸らすなんてできなくなる。


「噛みついて、いい?」


「なっ、に、それ」


「言葉通りだけど」


「な、なんで、今ーーて、いうか、なんでわざわざ聞いて……」


いつもだったら、勝手にやるくせに。

私は紫月の言いなり。それが紫月と私の契約だから。


「訊くだろ。契約は、もう無しだからな。俺が破ったから」


「……どういうこと?」


「お前を誰にも襲わせないって言った。……けど、守れなかっただろ」


……確かに、そんな契約だったっけ。

でも、それじゃあ私と紫月の関係はどうなるんだろう。


「で、噛みついていいのかよ」


「……私に拒否権あるってこと?」


「そうだったら拒否するか?」


「……いじわる」


口角を上げる紫月の顔を、久々に見た気がする。


「いただきます」


噛みつかれるのはいつものことで、首筋に触れられるとわかっているから、目をつぶって身構える。

けれど触れられたのを感じたのは、唇だった。

驚いてまぶたを開くと、紫月の瞳が目前にある。


ーーキス、されてる?

突然のことで、気を抜けばパニックになりそうだ。


噛みつかれたことなら何度もあるし、それはキス以上に勇気がいることのような気がしていた。


でも、されてみれば。


キスの方がよっぽど、ドキドキする。

顔が紅潮していくのが自分でもわかる。

うれしいんだか恥ずかしいんだか、自分でもよくわからなくなってきて、思わず、逃げた。


「っは、し、紫月……んっ」


離れられたのは息継ぎ程度の時間だった。

またすぐに唇を重ねられて、今度は私もそれを受け入れた。

もう逃がさないとでも言うように、紫月は私の頬に手を添える。


ーー私たちがキスしていた時間が短かったのか長かったのか、よくわからない。

けど、確かに私は幸せだった。

こんな時間がずっと続いてほしいと願ってやまない。


そうして私は、もう他のことなんてどうでもよくなって、これからのことなんて考えもせずに。

言わないと決めた気持ちを、言葉に変えてこぼしてしまう。


「……紫月のことが、好き」


少しの静寂が流れてから、紫月が口を開こうとする。

途端に、私はそれがとてつもなく怖くなった。


「ま、待って!」


「……なんだよ」


「べつに、なにか返事がほしいとか、紫月とどうにかなりたいとか、そういうのじゃないから! ただ、一緒にいられたらいいとは思うけど……でも、だから、何も言わないで!」


自分でも、何がしたいのだろうとは思う。

けれど紫月の返事によって、もし、今の関係が壊れてしまったら。

もし、一緒にいられなくなってしまったら。

それを考えると、返事を聞くことが怖くてたまらない。


紫月は少し困ったように口を開く。


「……でも、もう、契約は無しだろ」


ーーそうだった。そんなことを言ってたっけ。

そもそも、一緒にいる理由もなくなっちゃったのかな。


「なっ、無しにしない! 言うこと聞くから! だから、まだ一緒にいてよ……」


「……お前さ、俺がなんでーーキス、したと思ってんの」


「えっーー……な、なんで?」


紫月の気持ちがまったくわからないといえば嘘になる。

だって紫月は、私のことをエサでもモノでもないと言ってくれた。

でも、まだ、私の中で確信してるわけじゃない。

私はどうしようもなく怖がりで、だから、紫月の気持ちをわかってるなんて言うわけにはいかないんだ。


「じゃあ、なんでお前と一緒にいるかはわかってる?」


「……なんで?」


こっちの質問の答えの方が、私にとっては難しい。

そもそもどうして、紫月は私なんかを拾ったのかもわからない。


「……俺は、お前がいるだけで救われてるんだよ」


「す、救われ……私、そんなに大層なことした?」


「いるだけでいいんだっての。だから今さら手放したりしねぇよ」


「……えっと、それじゃあ、今まで通りーー一緒にいてくれるってこと……?」


「……お前がそれでいいならな。でも、さっきの返事はいつかするから覚悟しとけよ」


つまり、私の……こ、告白の返事ってこと?

覚悟しとけと言われても、わかりましたなんてすぐには言えない。


「ぜ、善処します……」


私がそう言うとまた、紫月は私にキスをした。

沸騰しそうな脳みそで、私はこれからのことを必死に考えていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ