4話 モノは大切に ⑤
紫月は追いかけてこなかった。
すっかり朝日が昇った街中に、ヴァンパイアらしき影はない。
水瀬に会うにも、連絡を取らないことには居場所がわからない。
ともりに駆け込むと、開店準備をするマスターに驚かれた。
それも当然だ。
汗でぐしょぐしょの服に、とかしてもいない髪がはりついている。
「電話、貸してください」
息を整えながらなんとかお願いすると、マスターはすぐに電話をかけさせてくれた。
水瀬の電話番号は、覚えている。
こういうのを覚えるのは得意だった。
水瀬の番号なんか覚えたくもないと思っていたが、今回ばかりは自分の記憶に感謝する。
『はい』
穏やか、爽やか、優しそう。
たった一言ですらそんな印象的を与える水瀬の本当の顔を私は知っている。
「……会いたい」
『ーー陽奈ちゃんだね? うれしいお誘いだなぁ。それじゃあ、待ち合わせしようか』
私が別れを告げようとしてることは悟らせたくなかった。
水瀬は詮索することもなく、ただ、会いたいという私の願いを聞き入れてくれたみたいだ。
電話を切ると、心配そうにこちらを伺うマスターに気がついた。
「陽奈さん、大丈夫かい?」
マスターからすれば今の私は、紫月と一緒じゃないし、格好も様子もおかしいし、異常事態だと思ってることだろう。
けれど、何があったのかーーなんて訊かない、そんな優しさが今はありがたい。
「大丈夫です! ちょっと、けりをつけてきます」
絶対、大丈夫。自分に言い聞かせるように答えて、私はともりから飛び出した。
◆
水瀬が指定した待ち合わせ場所は、寂れた公園だった。
近くに建物もなく、人も寄りつかない。
風に揺られるブランコが軋む音だけが、時折公園に気配を感じさせる。
実家から少し離れたこの公園で、幼い頃に水瀬とふたりでよく遊んだのを覚えている。
水瀬はベンチに座って、文庫本を読んでいた。
私に気がつくとそれを閉じて、軽く手を振る。
「やぁ。懐かしいよね、ここ」
「……そうだね」
思い出の公園にふたりきり。
別れを告げるには適したシチュエーションかもね。
「どう? 怪我の具合は」
水瀬は相変わらず人好きのする笑顔で、小綺麗なスーツに身を包んでいる。
私の怪我の具合になんて、興味ないくせに。
そんな本心は飲み込んで、水瀬のペースに巻き込まれないように気を使いながら言葉を選ぶ。
「……もう、大丈夫だよ」
「そう、よかったーーそれで、今さら僕に何の用かな? 帰ってきたくなっちゃった?」
「違う。これ」
私は、水瀬にピストルを差し出した。
「……これが、どうしたの?」
「前にも言ったけど、私には必要ない。だから、返しに来たの」
何も言わずに微笑んでいるだけの水瀬に、私は畳み掛けるように言葉を浴びせる。
「それと、私はもう家に帰らない。もちろんハンターになるつもりもない。暁なんて苗字は捨てる。……だから、水瀬と会うのはこれで最後」
「ーーあぁ、そうなんだ?」
あまりにあっさりとした返事に、面食らった。
けれど、ここで水瀬のペースにのまれたらダメだ。
「そうだよ。だからこれ、受け取って」
「……嫌だ、って言ったら?」
「そっ、そしたら、捨てるーーか、壊す」
水瀬の言いそうなことだ。答えを考えておけばよかった。
「それはひどいなぁ。ダメだよ? 物は大切にしないとね。そこまで言うなら、ピストルは返してもらおうかな」
水瀬が広げた手のひらにピストルを置く。
肩の荷がひとつ降りた気分だった。
「……それじゃーー」
私が水瀬の元を去ろうとしたとき、腕を引かれて止められた。
「陽奈ちゃん、僕は君のこと、本当に好きだったよ?」
張りつけたような笑みで言われたって、信用できるわけがない。
仮に本当だったとしても、それで私の意志は揺らがない。
「……私はね、水瀬のこと、大っ嫌いだったよ」
水瀬の腕を振りほどく。
しかし、今度は立ち上がった水瀬に肩を掴まれた。
「陽奈ちゃんの気持ちはよくわかったよ。けどさ、寂しいから、これだけ言わせて?」
水瀬は私の耳元に顔を近づける。
「……またね」
その囁きに、返事はしなかった。
また会う気なんて、これっぽっちもなかったから。
私はもう、嘘をつきたくない。
帰って、紫月に本当のことを話すんだ。
◆
紫月は怒っているかもしれない。
けど、私は晴れやかな気分だった。
ピストルのことも、水瀬のことも、もう大丈夫。
……けど正直、水瀬の『またね』という言葉だけ、ちょっと気になる。
とはいえ私に追っ手がかかってない以上、水瀬が私のことを私の家族に話していないというのは本当のはず。
水瀬は、もうそこまで私に執着していないのかもしれない。
そもそも暁家の名がなくたって、水瀬自身、ハンターとしての腕はあるのだから、私と結婚なんかしなくてもいいはずだ。
そう考えるとやっぱり、水瀬のことは心配しなくてもいいと思えた。
あとは、紫月に本当のことを話すだけだ。
きっと紫月は、私の話を聞いてくれるって信じてる。
私の心を映したような、晴天の帰り道。
まず、何から話そうかな。
そんなことを考えていたからか、浮かれていたからかーーとにかく、私はそのとき油断していた。
突然、後ろから伸びた手に布で口をふさがれた。
咄嗟に出した私の叫びは、布に吸収されて消えてしまう。
手足をバタつかせても、相手の力が強くて振りほどけない。
男の腕だ。きっと背も高い。
まさか、家族に居場所がバレた?
「んー、君の血、おいしーかなぁ?」
その言葉で、相手がヴァンパイアだということを理解した。
まさかこんな真っ昼間に、輝く太陽の下でヴァンパイアに襲われるなんて。
……それにしても、どこかで聞いた声だった。
考えようにも、頭がぼうっとして、思考が続かない。
布から薬品めいた匂いがして、身の危険を強く感じたがーー抵抗もむなしく、私の意識はそこで途切れてしまった。




