3話 ヴァンパイア ④
穏やかそうな微笑みの裏で何を考えているのか、本当に読めない。
細くてひ弱そうに見えるけど、そうじゃないことはよく知っている。
さらりとした黒髪に、整えられた身なりだって、相手の警戒心を解くためにそうしているだけだ。
「あ、あれっ? 許嫁……あら?」
看護士さんは混乱している。
婚約者と許嫁――同じ関係性を主張する男性が二人も現れたのだから、当然の反応だ。
点滴の交換を終えると、そそくさと病室を出て行ってしまった。
……お願いだから二人きりにしないでほしい。
親に勝手に決められた許嫁、それだけで嫌だっていうのに。
そうでなくても私は、目の前にいる水瀬という男が心の底から嫌いだった。
水瀬は、図々しくベッドの傍の椅子に腰かけた。
私が話すのを待つように、胡散臭い笑みを向けてくる。
「……私を、連れ戻しに来たの?」
はじめから、時間の問題だったんだ。
私の居場所が、家族たちにバレることなんて。
「いや? ただ顔を見に来ただけだよ」
「そんなわけない」
「どうして? 僕はかわいい許嫁を愛してるんだけど、伝わらないかなぁ」
……嘘に決まってる。
私の4歳上の水瀬は遠い親戚で、昔から何かと会う機会が多かった。
最初こそ、少し歳上の素敵なお兄ちゃんと思っていたけれど。
それが違うとわかったのは、私が中学に入った頃だ。
◆
水瀬は高校生になると、本格的にハンターとしての活動を行っていた。
親戚中から、すごく褒められていたのを覚えている。
陽奈もああいう風になれ、なんて、お父さんから何回言われたかわからない。
ハンターとして優秀な水瀬が私の許嫁と決まったのもその頃だ。
優秀なハンター、そして勝手に決められた許嫁、私はその二つが嫌で、水瀬から距離を取るようになっていった。
――ある日、水瀬は血まみれで帰ってきた。
私もさすがに心配して、声をかけたんだ。
そしたら、物陰に連れ込まれた。
「……これね、返り血。陽奈ちゃん、わかる? 僕がヴァンパイアなんかにやられるわけないんだよ」
「返り血、って、どうして……銀の弾丸は傷つけないんだよね……?」
「そうだよ、よく知ってるね。でも、僕は傷つけないと気が済まないの。だからピストルだけじゃ物足りない」
水瀬がいつもヴァンパイアに何をしているのか――それは、彼のジャケットの裏側に隠された数々の凶器を見せられて容易に想像できてしまった。
「そんなの、ひどいよ……」
「陽奈ちゃんさぁ、ヴァンパイアが下等生物ってわかってる? 下等生物が人間の血を吸うなんて許せない。だから僕は、彼らにちゃんと罰を与えてるんだ」
怖かった。理解できなかった。
ハンターは正義、そう思っていたから。
「――おかしいよ、水瀬……」
「でも君のお父さんは、そんな僕を君の許嫁にしてくれたよ? ハンターとしても、君の夫としても、認めてくれた」
「……私は、どっちも認めない」
そう言うと水瀬は、私の顔を押さえつけて、無理やりキスをしてきた。
本当に最低最悪なファーストキスの思い出だ。
「残念だけど、君の気持ちは関係ない。決めるのは僕たちだからね」
――このときのことは、きっと一生忘れない。
元から嫌だったものを、よりいっそう嫌いになった。
ハンターも、父親も、水瀬も、みんな。
特に水瀬のことは、心の底から大っ嫌いだ。
◆
水瀬に私の居場所がバレたなら、もうおしまいだ。
私の家出も、紫月と一緒に暮らすのも。
そう思ったら、勝手に涙がにじんできた。
「泣かないでよ、お姫様」
「泣いてないし、その呼び方やめてって言ってるでしょ」
「僕にとっても、君の家族にとっても、陽奈ちゃんは大切なお姫様だよ?」
水瀬は、私と結婚することで暁家に入りたいだけ。
私の家族は、娘である私を『教育』することで、自分たちの家から若くて優秀なハンターが育ったと言いたいだけ。
つまり、大切なのは『陽奈』じゃなくて、『暁家の娘』だ。
まあ、重要なのは血筋と考えれば、お姫様っていうのは案外合っているのかもしれないけど。
「……帰りたく、ない」
「帰れなんて言ってないよ」
水瀬は嘲笑まじりに言って、面白がるように私を見る。
「私が帰らなかったら、どうするの」
……水瀬はどこまで知ってるのかな。
私がどこでどう暮らしているとか、紫月のこととか。
きっと全部知っているし、だとしたら私はタダでは済まされないだろう。
「どうもしないよ? 君の思うようにすればいい」
「……そんなわけないじゃない」
「信用ないねぇ。ここに陽奈ちゃんが入院してることだって、僕が勝手に突き止めただけで、誰にも話してないんだよ? ほら、家出中って聞いたからさ。家族に知られたらまずいでしょ」
「それ、ほんと?」
「もちろん。はじめから言ってるけど、君を連れ戻しに来たわけじゃないから。僕もこう見えて忙しいし、そろそろ帰るよ」
水瀬を信じるつもりはないが、何もしないで帰ると言うなら、引きとめてまで話したいことはない。
とにかく私を連れ戻したいわけじゃないなら、一安心だ。
「……まあでも、陽奈ちゃんが帰らないって言うなら――」
――やっぱり。結局そうなるんだ。
もし水瀬が紫月のことを知っていて何かしようと言うのなら、私はおとなしく帰るしかない。
「これだけ、渡しとくよ」
水瀬が差し出したのは、銀のピストルだった。
「え……」
「自覚って、大切だと思うな。いろんな意味でね」
ハンターとしての自覚? ヴァンパイアの街で暮らすことへの自覚?
……それとも、ヴァンパイアの王様と一緒にいることへの自覚?
水瀬がどこまで知ってるかはわからない。
けど、私が思いつくことすべて、水瀬は知っている気がしてしまう。
「私は、こんなのいらない」
「ダメ。帰らないなら絶対に持っててもらう。僕は陽奈ちゃんを心配してるんだよ」
水瀬は私の手にピストルを握らせる。
立ち上がって帰ろうとする水瀬を、思わず引きとめた。
「待って!」
私の言葉を待つ水瀬は、どこかうれしそうに見える。
「……どうして水瀬は、ヴァンパイアのこと、嫌いなの」
基本的に、ヴァンパイアは人にとって嫌われものだ。
それは当然だと思う。吸血依存症がある以上、仕方ない。
けど、水瀬に関しては少し異常にも思える。
それに私は、紫月と一緒にいることで、すべてのヴァンパイアが怖いわけじゃないと知った。
だから、水瀬はどうしてそんなに嫌うのか、少しだけ気になってしまった。
「ふふ、どうしてって? 面白いこと聞くね。ヴァンパイアが嫌いなんて、当たり前のことだよ」
「そうだけど……」
「ねえ、ヴァンパイアと僕の秘密、教えてあげようか」
両手で頬を掴まれて、無理やり目を合わせられる。
あのときを思い出してしまう。
……怖い。やっぱり、水瀬は嫌いだ。
けれど私はうなずいた。
ヴァンパイアの秘密、それは知っておかなきゃいけないと思ったから。
「ヴァンパイアって、18歳まで血を飲まなければ、人間になれるんだ。知らなかったでしょ?」
そんなの初耳だ。私はうなずく。
「僕はね、そうして人間になったんだよ」
「――えっ……?」
「驚いたでしょ? 僕、元々ヴァンパイア。でも血の誘惑を我慢して我慢して、耐え抜いて、それで人間になれたんだ」
水瀬の手のひらに力が込められる。
痛い。でも、怖くて声が出ない。
「だから血を吸うヴァンパイアなんてのは、自制の効かないクズってことだよ。害虫と同じさ。どう? 聞いてよかったでしょ。ヴァンパイアのこと知れてうれしい?」
うなずくしかできない。
それ以外許さない、そんな視線に貫かれている。
「――ねえ、陽奈ちゃん、絆されないでよ?」
そう言った水瀬の唇が、私の唇に触れた。
あのときと同じだ。
前と違うのは、すぐに離してくれないこと。
「……んぅ……ん――!」
水瀬の手首を掴んでも、力が強くてびくともしない。
だから私は、思いっきり手を振りかぶって――
――ばちん!
水瀬の頬を力いっぱい叩いた。
「……いやぁ、なかなか、強いね? 陽奈ちゃん」
「最っ低……」
「本当にすぐ帰るつもりだったのに、君が引きとめるからさ。ほら、僕、傷つけないと気が済まないんだ」
「……早く、帰って!」
「言われなくても、もう満足したよ。それじゃ、またね」
水瀬は病室を出ていった。
また、なんてごめんだ。もう二度と会いたくない。本当に最悪。
あのときのファーストキスはなかったことにしたかったけど、また次も水瀬に勝手に奪われた。
相変わらず最低な男だ。
気分が悪いにもほどがある。
水瀬のせいで、治るものも治らなくなりそう。
……で、どうしよう。
水瀬は私を連れ戻す気がないと言っていたけど、そんなの信じられない。
水瀬じゃなくても家族の誰かが、いつか絶対に私を迎えに来るだろう。
そしたら、紫月はどうなる?
私は、そのとき紫月を守れる?
……きっと、できない。
私ひとりで家族たちや水瀬から紫月を守るなんて、無理だ。
だったら、もう。
私のワガママだけで紫月と一緒にいるのは、終わりにする――?
拳を握りしめたとき、冷たいものが手に触れた。
銀のピストル。
……こんなもの、あっても絶対に使わない。
ヴァンパイアの記憶を消してしまうものなんて、使うべきじゃない。
だからって病院のゴミ箱に捨てるわけにもいかない。
……どうしよ、これ。




