3話 ヴァンパイア ②
夜、紫月は先に寝てしまった。
私も寝る支度を整えて、廊下を歩いていたとき、玄関のドアがノックされた。
今は22時、人が来るような時間じゃない。
そもそもこの家に来客なんて見たことないし、インターホンを押さないのも不思議だ。
警戒しながらも、そーっと、ドアスコープから外を見る。
すると、そこに立っているのは樹莉ちゃんだった。
私が出たら怒りそうだけど、無視するのも気が引ける。
ドアガードをかけたまま、少しだけドアを開けてみた。
「樹莉ちゃん……どうしたの?」
「は? 樹莉のこと気安く呼ばないでくれる?」
やっぱり怒られちゃった。
「ご、ごめん……それで、何の用事かな?」
「……紫月のお見舞い。倒れたってマスターから聞いたから」
「あ、そうなんだ……でもごめんね、紫月、もう寝てるんだ」
「……あっそう。じゃ、渡すものあるからドア開けて」
ドアガードを外して、ドアを開ける。
――それからすぐに、後悔した。
私は樹莉ちゃんに嫌われている、そんな自覚はあったのに。
なんの警戒もせずドアを開けた私がバカだった。
ドアの隙間から腕を引かれて、外に引きずり出される。
そのまま突き飛ばされて、庭の柵に背中を打った。
「じゅ、樹莉ちゃん……? やめてよ……」
「嫌。樹莉、あんたに色々聞きたいんだよね」
樹莉ちゃんは、私の顔を覗き込むようにしゃがむ。
月明かりの中で、両目の鮮やかな赤が不気味に光って見える。
「なんであんたみたいなのが、紫月と一緒にいるの?」
「あ……彼女っていうのは嘘で――本当は、紫月に助けてもらっただけなの」
「嘘なのは知ってるよ。紫月が恋人なんか作るわけない。助けてもらったって何? それも嘘でしょ?」
「ちが……それは本当で……」
樹莉ちゃんが、長く尖った爪で私の頬をなぞる。
なぞられたところに痛みが走り、皮膚が切れたのがわかった。
怖い。
でも――紫月に負担をかけたくない。
だから助けは呼ばないと決めた。
こんなときくらい、自力でどうにかしなきゃ。
「初めてあんたに会ったとき。あんたが言いかけたの、樹莉、わかっちゃったんだぁ。あんたの本当の苗字、『暁』でしょ?」
そう、と言おうとして、その言葉を飲み込んだ。
わざわざそれを私に言うってことは。
暁という苗字が何を表しているのか――その答えを知ってるってことだ。
「……沈黙は肯定、そうだよね? ヴァンパイアハンターの名家の人間が、ヴァンパイアの王様に何の用だよ!」
やっぱり、バレてた。
私が紫月にハンターのことを隠していたのは事実だけど、それには裏があるわけじゃない。
……そう考えて、ふと、気づく。
紫月はどうして、私が『暁』を名乗ろうとしたのを遮って、イトコだなんて嘘をついたんだろう。
けどそんな疑問の答え、今は考える暇はなさそうだ。
憎しみがこもった眼差しを私に向ける樹莉ちゃんが、返事を待っている。
「紫月がヴァンパイアとか王様とか、はじめは知らなかったんだよ……」
「――じゃあ知った今、紫月から離れない理由は何!? うまいこと懐に潜り込めてラッキーとでも思ってる? そのうちハンター引き連れて襲撃するつもりなんでしょ?」
「違う! そんなことしない! 私はただ、紫月と一緒にいるのが楽しいから――」
「なにその子どもみたいな理由。あんたのワガママで、紫月が迷惑するんだよ!」
もちろん、助けてもらってばかりの私が、紫月に迷惑をかけてしまっている自覚はある。
「でも、紫月が、ここにいてもいいって言ったんだよ……」
「はぁ? わかれよ……それは紫月の優しさ。哀れみ。あんたがかわいそうだから言ってやってるだけ。それに漬け込んでいつまでも甘えんな!」
紫月が優しいのは知ってるし、樹莉ちゃんの言う通りかもしれない。でも――
「……樹莉ちゃんに、紫月の気持ちを勝手に決める権利はないよ」
「あっそう。生意気。あんたこそ紫月のこと何にも知らないくせに! 紫月が倒れたの、あんたのせいだってわかってないでしょ!?」
紫月が倒れたのが、私のせい?
「……それ、どういう――」
「紫月は、日光浴びすぎてああなってんの。昼間に外に出すぎだよ。それって、あんたを守るためでしょ? 他の奴らに襲われないようにさ」
「そんな……っ、でも紫月が、大丈夫だって――」
大丈夫だって言ってた。
けど、私、本当はわかってたはずだ。
ヴァンパイアは日光に弱いってこと。
紫月が大丈夫だって言ったのを鵜呑みにして、彼のことを気遣わなかった。
私は守られてばかりで、守ってあげようとしてなかった。
「……あのね、紫月はヴァンパイアの王様なの。ヴァンパイアの純血なの。つまりヴァンパイアの特性が誰よりも強いの」
「そんな……」
王様ってことは知ってたけど、だから特性が強いなんて知らなかったし、考えたこともなかった。
「知らなかった、とか、そういう言い訳する? だとしてもさ、ずっと一緒にいるのに紫月が倒れるまで体調悪いの気づかなかったんでしょ? あんた、紫月と一緒にいる資格なくない?」
……樹莉ちゃんの言う通りだ。
私はなんにも気づかなくて、いつも助けてくれる紫月を助けてあげられない。
「この家も、街も、出てけよ。紫月のことは、樹莉がちゃんとみてあげる」
「……嫌だ」
「はぁ?」
出ていくなんて、絶対嫌だ。
それは、家に帰りたくないからじゃない。
ただ、私のワガママで、紫月と一緒にいたいんだ。
「確かに私には……紫月といる資格なんてないかもしれないけど。でも、紫月がいいって言う限り、一緒にいる」
「だから、紫月にこれ以上甘えんなって!」
「……紫月が言ったことだけが、私にとっては本当だから。樹莉ちゃんが何を言っても、私は紫月の言葉を信じてる」
それに、時々だけど紫月が私に向ける笑顔が、嘘じゃないって信じてるから。
「ふざけんなよ、じゃあ樹莉があんたを消す!」
樹莉ちゃんは私の髪を掴み、手を振りかぶる。
爪が月明かりを反射して、その切っ先の軌道は私の顔を捉えていた。
あ、避けるの、間に合わない――思わず、目を瞑る。
しかし、私が痛みに襲われることはなかった。
「……っ、なんでよ」
樹莉ちゃんの震える声を聞いて、恐る恐る瞼を持ち上げる。
すると目の前には、よく知る手のひら。
私を守った紫月の手のひらを、樹莉ちゃんの爪が貫いていた。
そこからは止めどなく血が溢れて、それに呼応するかのように樹莉ちゃんも涙を流す。
「なんではこっちのセリフだ……人のもんに手ぇ出すな」
「し、紫月! 手が……」
「別に平気」
紫月は口調こそいつも通りだけど、顔はつらそうに少しゆがめている。
体調だって治ってないのに、この怪我だ。
紫月を信じるって言ったって、さすがに平気なわけがない。
「とりあえず、ぬ、抜かないと……」
爪を抜いて、どうしよう?
止血? 冷やす? さすがに病院?
見たことのない血の量に半ばパニックになりながらも樹莉ちゃんの手に触れるが、彼女はうつむいたまま、動こうとしない。
「もういいから、陽奈は引っ込んでろよ。こいつは俺が――」
「なんで、こんな女を守るの! 私は、紫月のためにやってんの!」
樹莉ちゃんは耳をつんざくような怒号を飛ばし、それと共に紫月の手のひらから爪を引き抜いた。
紫月は痛みからか小さく呻くが、樹莉ちゃんはそれも聞こえていないみたいだ。
そのまま、また私を狙って手を振り回す。
けれどその手は、紫月に掴まれて動きを止められた。
樹莉ちゃんはうなだれるように膝を折る。
それによって、彼女の手を掴む紫月も片膝を地面につけた。
紫月の息は上がり、つらそうにしている。
本当だったら安静にしていなきゃいけないのに。
「樹莉、お前、もうやめろ」
「……わかったよ、紫月……」
そう言うと樹莉ちゃんは、私に憎悪の視線を向けた。
「――これで、最後にするねっ!」
――樹莉ちゃんが叫んだその瞬間。
私を襲ったのは、鈍い痛みだった。
何が起こったかすぐに理解できず、自然と荒くなる呼吸を必死に整える。
下を見ると、私のお腹にナイフが突き刺さっていた。
「あっははははは! やったね! 大当たり~」
「――陽奈っ!」
多分、樹莉ちゃんは自由な左手でどこからかナイフを取り出して、私めがけて投げたんだろうと思う。
けどもう、それ以上脳が回らない。
出血がちょっと、ひどいかも。
あれ? これ、私、ダメなやつ?
なんだか頭が重くて、意識を保っていられなさそう。
「樹莉! てめえは二度と陽奈に近づくな!」
紫月が、樹莉ちゃんの口に自分の手を突っ込みながら言っていた。
あー、王様の血ね。
飲ませさえすれば、カプセルでも生でも何でもいいんだ。
樹莉ちゃんは紫月の血で真っ赤に染まった口角をいびつに上げている。
泣きながら笑う樹莉ちゃんは、なんか、とにかく、すごく悲しそうに見えた。
「陽奈……っ」
紫月は私を抱き上げて、見たことないような表情をしてる。
心配そうに私のことを見てるけど、自分だって大変なくせに。
けど私はもう上手に声も出なくって、ただ痛みに耐えるのがやっとだ。
「待ってろ、今――」
薄れゆく意識の中で聞いたのは、その優しい声が最後だった。




