海の月『男の子』
熱帯魚がかわいいと騒いでる女子たちを横目に、彼女はふわふわとした足取りで奥へ奥へと進む。
水中を漂うように、静かに動いてる。
ついて行ってるのか、それとも引き寄せられてるのか。
どっちだろうといいんだけど、オレが後ろを歩いてることに彼女は気づいてない。
ふっと、一瞬だけ、ほんの一瞬、彼女の足が止まったように見えた。
気づいた?・・・違うか。
振り返ることもなく、彼女はまたゆっくりふわふわと歩き始める。
彼女が向かう先は、クラゲコーナー。
なるほどね、熱帯魚よりクラゲが似合うな。なんて、少し笑った。
彼女は引き込まれるように薄暗い方へ入っていく。
その様子が、少し、変だった。
ふわふわ、より、ゆらゆら?
「どうかした?気分でも悪い?」
今にでも倒れそうに見えた小さな後ろ姿に、オレは早足に近寄った。
ビクリと体を縮ませて、潤んでるようにもみえる大きな瞳がオレを映す。
彼女はキュッと唇を結んで、顔を横に振った。
顎ラインで切り揃えられた髪の毛が艶やかに動く。
「なら、いいけど。」
大丈夫なら、いい。
変に心配してしまったことと、オレだけを見る彼女の瞳に、自分の顔が赤くなったのがわかった。
気づかれないように、彼女に背を向けて、そのままクラゲコーナーに入った。
薄暗い中、円錐の水槽でクラゲが涼しそうに浮遊してる。
ひんやりとした空気が、頬の熱をさらう。
変に思われたか?大丈夫、だよな?
チラリと後ろを見れば、彼女は立ち止まっていた。
入ろうかどうしようか、迷ってるようにこっちを眺めてるみたいだった。
さっきまでこっちに歩いてたのに。
オレのせい?
「来ないの?」
立ち止まって、振り返る。
普段なら、こんなことは絶対言わない。言えない。
なのに、高鳴ってる鼓動がやけに苦しくてしかたがない。
まるでここは海の中。
呼吸の仕方がわからない。
オレの言葉に、彼女がゆらりと歩き出したのを見て、オレはクラゲの水槽に視線を移した。
目の前で、ゆらりと青いクラゲが動く。
優雅に、気品にクラゲは揺らめく。
・・・クラゲだ。彼女は、クラゲに似てる。
「クラゲって綺麗だな。」
小さく頷いた彼女は、オレのすぐ、隣にいる。
ゾクリ、とした。
水槽の青白い光に溶けて消えそうなほど綺麗な彼女に、オレは言葉を失った。
声も、指先も、呼吸も、瞬きも、すべて。
彼女は綺麗だ。
そんなオレを、クラゲは青く光って優しく笑う。
「クラゲって、海の月、なんだって。」
昔、そんなことを聞いたことがあったを思い出す。
ガラス越しに見る彼女は、クラゲを見て、微笑んでる。
”舞い上がってる”のは、オレと、この水槽のクラゲだけ、か。
「クラゲみたい・・・な、頭、だよな。」
まさか”彼女自身が”綺麗だ、なんて言えない。
白々しく”頭”が、なんて言葉にしたら、本当にそう思えて、思わず笑ってしまった。
「・・・ヒドい。」
そう言い返してきた彼女は笑ってて、それはこそ痒くも嬉しそうな表情に見えた。
その彼女の笑顔に、小さく生まれた期待。
勘違い?自意識過剰?ただの、欲望?
だけど生まれてしまった期待は、打ち消すどころか、オレのすべてを飲みこんでいく。
ずっと持っていた彼女への想い。
このままずっと、持ち続けるだけだった気持ち。
「好きだ。」
魔法の言葉のようだった。
息苦しさえ感じたこの場が、優しいものに変わったように思えた。
その言葉はクラゲにまで聞こえて、クラゲはばつが悪そうに慌てて泳ぎ出す。
「クラゲ、が?」
彼女の震える声で、オレまで震えそうだった。
オレも初めて見る、驚いた顔の彼女に、笑おうとしても、上手くできない。
不安と後悔の小さい泡が弾けて、一瞬彼女の問いに頷きたくオレが生まれる。
もう一度。
ちゃんと、彼女に。
「アンタが、好きなんだよ。」
ふわふわ、ゆらゆら、ふわふわ、ゆらり。
オレは、海の月を壊さないように、触れた。