第一話 暁人、さよりんに乗り込む。
【月】地球の衛星。偽物、嘘、あいまいな状態を暗示する。
暁人は夜の住宅街を泣きながら走っていた。
突然、道路の交差点に飛び出して自動車は急停車し、スリップ音が鳴り響く。それでも暁人は止まらない。
ひどすぎる…
ママなんて…
暁人はそう呟きながら、あふれる涙を拭うこともせずに走り続けた。
暁人はここ数日、夜更かししてテレビゲームをやり続けていた。
そして学校の宿題もやらない日々が続き、ついに担任の先生から母親に連絡があったのである。
「今週はゲーム禁止よ!」
怒った母親は家のどこかにゲームを隠してしまった。
やっとの事でボスを攻略し、次のステージに進むところだったのに…。
せめて次のステージを少しだけやらせて欲しい…。そうしたら、僕は1ヶ月でもゲームを我慢出来るから…。
そう母親に懇願したのだが、今までの暁人の数々の約束破りのせいで、暁人の信頼はすでに無いも等しいものだった。
こうして母親の交渉に失敗した暁人は、泣きながら靴も履かずに家を飛び出したのだ。
母親の暁人を呼ぶ声がかすかに聞こえたが、暁人の足は止まらない。
ママなんか大嫌いだ!
暁人は心の中で叫びながら、あてもなく、がむしゃらに走り続けたのである。
走り疲れた暁人は、いつのまにか見知らぬ場所に来ていることに気づいた。
夜の住宅街はどこも同じに見え、自分の家がどの方向にあるのかも全くわからなくなっていた。
暁人は急に心細くなり、立ち止まると両手で身体を包むようにして軽くさすった。
靴も履かずに飛び出したせいで裸足の足の裏も、思い出したようにじんじんと鈍く痛みだした。
ふと暁人は上空に光を感じ空を見上げると、見事な丸い満月が夜空に浮かんでいた。
その満月は、まるで遠近感を間違えてしまった絵画のように大きく、煌々と光っている。
暁人はその満月になぜか不吉なものを感じ、目を逸らした。
すると、ふと暗い道路の先に何か黒い大きなシルエットが、こちらに歩いてくるのが見えた。
○ラえもん?
そう見間違うほど、その何かはずんぐりとしたフォルムをしていたが、小学3年生の暁人よりはかなり大きく、大人の女性くらいの身長だ。
「こんな時間に1人で何をしているの?」
暁人に気づいたその何かは、そう声をかけてきた。静かで落ち着いた女性の声である。
暁人は返事をするのも忘れ、その着ぐるみのような何かをまじまじと見つめた。
それは2頭身のずんぐりとした形で、つぶらな瞳のかわいらしい女の子の顔をしていた。独特な形をしたピンク色の髪の毛からは茶色の小さな角のようなものが2本生えている。
そこまではかわいいのだが、首から下はカエルのような緑色のボディにヘビのお腹のような、横線が入った白いお腹をしていた。
なかなか賛否両論ありそうな造形である。
暁人も遊園地とか近所のお祭りとかで着ぐるみが風船を配ったりしているのを見たことがあるが、こんな着ぐるみは初めて見るものだった。
こんな夜中になぜ着ぐるみが1人でウロウロしているのだろう?
どこかでイベントでもやっているのだろうか?
「き、君はだれ?」
暁人にそう聞かれたその着ぐるみは少し寂しげな様子で肩を落とした。
「そうよね…。私のことなんて知らないよね…。どうせ私なんてユルキャラランキング541位だったもんね…。」
541位…。逆にユルキャラってそんなにいるのか…。
ユルキャラ…。
暁人はあまり詳しくなかったが、世の中にはいろんなユルキャラがいて、何か人気投票とかもやっていたような気がする。
「わたし、さよりん。日本最古のため池、狭依池のマスコットキャラクターよ。」
さよりんと名乗ったそのユルキャラは、左足を片方出し、腰に手を当てて決めポーズらしきものをとった。
え?どうしよう…。
何か反応した方が良いのかな?最古のため池?ため池って何?
「僕、暁人。」
「暁人くんて言うのね。ところであなた、こんな夜中に1人でどうしたの?」
「それは…。」
暁人がどう言おうか口ごもった時、さよりんは後ろを振り返り、慌て出した。
「マズイ、隠れて!」
「え?隠れてって…どこに?」
暁人は周りを見回したが、この辺りは高級住宅地なのか、どの家も高い塀に囲まれていて隠れられそうな場所は見当たらない。
「仕方ない…。」
さよりんはそう言うと、いきなり自分の頭を取り外したのだ。
「うわあ!」
暁人は思わず叫んだ。なぜなら、着ぐるみの中に人が入っているはずが、中には誰も入っていなかったのだ。
この着ぐるみ…どうやって動いてるんだ?
「静かに!大丈夫だから…少しだけこの中に入っていてくれる?」
さよりんはそう言って自分の頭部を下に置くと片膝をつき、その場にしゃがみ込んだ。
暁人は恐る恐るさよりんの体の中をのぞいてみたが、その中にはやはり人は入っておらず、奥のほうは暗くてよく見えなかった。
暁人がためらっていると、何やらたくさんの足音がこちらに近づいているのが聞こえてきた。
「急いで!」
さよりんの切羽詰まった様子に流され、暁人は思い切ってさよりんの体の中に足を高く上げて入っていった。
暁人が中に入ったのを確認するや否や、さよりんは素早く頭部を持ち上げて体にはめこんだ。
「すごい…。」
着ぐるみの中に入った暁人はさっきまで怖かったことなど忘れてしまい、興奮の声を上げた。
内部は暁人の身体ではかなり余裕があり、広々と感じた。
ただ、小学3年生の暁人にはさよりんのボディは大き過ぎ、足の部分に自分の足を入れることは出来たが、さよりんの頭や手の部分はかなり高い位置にあった。
そのため暁人の身体はさよりんのボディ部分だけに収まるかたちになった。
視界についてもさよりんの白いお腹は中からは見える構造になっていて、少し白っぽいが特に問題はない。
そんな中、暁人は色々なユルキャラたちがさよりんの脇をどんどん通り過ぎていくのが見えた。かなりの数だ。
さよりんの顔見知りもいるらしく、時折さよりんに短く声をかけるユルキャラもいた。
「さよりんではござらんか。」
そんな中、一体のユルキャラが、立ち止まってさよりんに声をかけてきた。
それは、大きな白い猫の着ぐるみで、頭には日本の武将がつけるような立派な兜をかぶっている。
この着ぐるみもユルキャラ?そして、さよりんと同じように、中に誰も入っていないのに動いてるのかな?
暁人はさよりんの中でそんな事を考えながら、その着ぐるみをまじまじと見つめた。
「しゅりにゃん…。」
さよりんがその着ぐるみをそう呼んだ。
「先ほど頭部を外していたようでござったが、どうかされたのかな?」
「なんでもないわ。少し中が蒸れてしまったの。」
「なるほど。たしかにワシらユルキャラの内部は蒸し蒸ししがちでござるからな。特に人間が入った後など、汗やら何やらで濡れて気持ち悪くてかなわん。」
「そうね。」
「良かったら、試合会場までご一緒にいかがかな?」
「え?でも…。」
「遠慮はいらないでござるよ。確かにワシ達はライバル同士ではあるが、試合が始まるまではただのユルキャラ。さあさあ…。」
しゅりにゃんと呼ばれたユルキャラに促されるまま、さよりんは歩き出した。
さよりんの足が動くと、自動的に暁人の足も動く。暁人は自分がロボットになったような、不思議な気分になった。
暁人はいろんな事が気になって仕方がなかった。
さよりんには一言もしゃべってはいけないと言われていたので黙っているけど…。
試合会場?どういう事だろう?今から何が始まるのだろうか?
しばらく歩くと、暁人は見覚えのある道に出た。ここはこの街の外れにある山に続く道だ。
暁人が2年生の時に遠足で歩いてきたので覚えているのだ。
他のユルキャラたちもみな同じ方向を歩いている。
みんな山の中に入っていくのかな?
暁人はそんな事を考えながら、さよりんの中で移動を続けていく。
しゅりにゃんは歩きながら、今日の出場者は誰とか、調子はどうだとかさよりんに話しかけ、さよりんは当たり障りなく相槌を打っていた。
暁人の予想通り山の中に入っていったユルキャラたちは、今は使われていない、さびれたキャンプ場らしき広い場所にみな入っていった。
(すごい数…。)
周りを楠に囲まれたその場所にはたくさんのユルキャラが集まっていた。そして満月の強い光が中央の広い場所を照らし、幻想的な風景を醸し出している。
「ではさよりん、今日もし立ち会うことがあれば、尋常に勝負いたそう。」
そう言ってしゅりにゃんは腰の刀をカタカタ鳴らしながら去っていった。
「暁人くん、ごめんなさいね。たくさんのユルキャラたちが近づいていたので匿ってあげたの。ユルキャラの中には少し危ないやつもいるからね…。どこかで逃してあげる予定だったけど、あの猫に捕まっちゃってここまで連れてきてしまったわ…。」
さよりんが小声でこっそりと暁人にそう言った。
「あの、猫みたいなユルキャラは誰なの?」
「彼はしゅりにゃん。タバコの不始末で燃やされた首里城の怨念によって生まれたユルキャラよ。」
「そうなんだ。ユルキャラなのに、設定がぜんぜんユルくないんだね…。」
「そうね…。そして、彼にはあまり良い噂も聞かない。気をつけた方が良いわ…。」
「そうなんだ…。それよりすごいユルキャラの数だね!知ってるのもけっこういるなぁ。僕、こんなにたくさんのユルキャラ初めて見た!」
暁人は目を輝かせている。
「今日は年に一度のユルキャラたちの集会の日なのよ。8月31日の今日は月が地球に一番近くなる満月の日、スーパームーンの日なの。今日だけは、私たちユルキャラは人間の力を借りずに自分だけで動けるようになるのよ。」
「そうなんだ…今日はお祭りなんだね!」
そう言いながら、暁人は少し疑問に思うことがあった。
あれ?さよりんは今日が8月31日って言ってたけど、今日ってまだ7月じゃなかったかな?夏休みもまだ始まってないし…。
…多分さよりんが勘違いしてるんだろう。
暁人はその事について、それ以上深くは考えなかった。
「ところでさよりん、今日はみんな集まって何をするの?何か勝負がどうとか言ってだけど…。」
「ああ、今年の集会は、ユルキャラ同士でバトルするのよ。全国ユルキャラバトル選手権という名前のね。」
「全国ユルキャラバトル選手権!?」
ついつい暁人は大きな声を出してしまい、さよりんにたしなめられてしまった。
「でも、バトルって…。ユルキャラが?」
「私たちは毎年ユルキャラランキングっていう人気投票で競い合っていたのよ。」
「うん。なんか聞いたことあるよ。確か、全国のユルキャラ同士で人気投票して、順位をつけるんだよね!だけど、最近あまり話題に登ってないような…。」
「そうなの。一部の自治体が、自分の自治体のキャラクターに組織票を過剰に投票したりして、白けさせちゃったのよ…。それで、人気投票も去年が最後でやらなくなってしまったの。」
「そうなんだ…。」
「そしてユルキャラたちは人気投票以外で何か競い合えるものはないかと話し合ったの。そして私たちユルキャラは、次は武を競い合う事にしたの。」
「なんでそうなっちゃったの!?だってユルキャラなんでしょ?なんか、イメージと違う気がするんだけど…。」
「総選挙とか言って人気投票してるアイドルグループも一緒でしょ?ユルキャラたちも人気投票してる裏で、互いのライバル意識が黒く濁っていった。そして、いつのまにか敵意という名の塊になっていったの。互いのこぶしで語り合いたくなるほどにね…。」
「怖い、怖いよ…。そんな裏事情知りたくなかったよ…。」
「私も、ユルキャラランキングでは底辺だったけど、この大会で、ひとはな咲かせるつもりなの。というわけで、今日のユルキャラたちはスーパームーンで不安定だし、試合前でテンションも妙に高くて何が起こるかわからない。私も試合前で暁人くんを逃してあげる時間がないのよ。だから、試合が終わるまでこうやって私の中に隠れていてくれる?」
「ええ?やだよ…。さよりんこれからバトルするんでしょ…。さよりんの中にいたら、僕死んじゃうよ…。」
「あなたは死なないわ。私が守るもの。」
「本当に?」
「ええ。約束よ。」
こうして、暁人少年はさよりんの体の中に入ったまま、他のユルキャラたちと戦う事になったのだった。
果たして、暁人少年はさよりんとともに全国ユルキャラバトル選手権を無事制することができるのだろうか…。
次回へ続く
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