「こんゃくはきしりゅ!」
「まま、こんゃくはきしりゅ!」
二歳のまや君が突然お母さんに言い放ちました。まるで必殺技を唱えたあとかのように、澄んだ目をしています。
洗濯物を畳んでいたお母さんは、はらりと春物のシャツを手元から落としてしまいました。
「まや君。どうしてそんなこと言うの?」
「こんゃくはきしりゅ! ままのマネ!」
お母さんには心当たりがありました。それは『婚約破棄モノ』のラノベです。彼女は日頃から趣味でラノベをたくさん読んでいました。特に婚約破棄モノが大好き。息子が家の中で遊んでいるときにも、ママ友に布教するくらい大好きです。
(まさか、突然息子から婚約破棄を言い渡されるなんて……!)
まや君のお母さんは心底悶えました。
(口癖が『婚約破棄する』だなんて……かわいい!)
きょとんとするまや君を見て顔を真っ赤にするお母さん。婚約破棄されたのに嬉しそうです。
(ラノベが大好きなママ友たちに伝えなければ……!)
まや君のお母さんは、ママ友に連絡して、まや君と一緒に近くの公園まで行きました。かわいい息子が自分の大好きなラノベのフレーズを真似した。それがお母さんはとても嬉しかったのです。
公園には、まや君と仲良しの、みかちゃんが居ました。お母さんはママ友とお喋り中。みかちゃんは、ぽやーんとしていたまや君を見つけると、笑顔で走ってやって来ます。
「まやくん! あーそーぼ!」
珍事件が起きます。
「みかちゃん。こんゃくはきしりゅ!」
「!」
固まるママ友たち。突然のことにビクッとするみかちゃん。
「まやくん。『こんゃくはきしりゅ』ってなぁに?」
「あいさつ!」
「そうなの? じゃあわたしも。こんゃくはきしりゅ!」
なんと。二人の間で婚約破棄が、挨拶として成立したのです。これにはママ友たちも会話に花を咲かせました。
「婚約破棄が挨拶だなんて、かわいいわね!」
「私。その設定で小説書いてみようかしら!」
「もーやめなさいよ」
ふふふ、と笑いながらお喋りをするママ友たち。二人は、どうして自分たちが笑われているのかを知りません。気になることは、訊きたくなるみかちゃん。
「ねぇ。『こんゃくはきしりゅ』って、どういうこと?」
彼女はその意味についてベンチに座っているお爺さんに訊きました。お爺さんは少し考えたように「うーん」と唸り、こう言います。
「こんゃくはき……おそらく婚約破棄だろうか。難しい言葉を知っているね。そうだねぇ……簡単に言うと。結婚……いや、好きだったことをやめちゃうって、相手に言うことかなぁ」
「!」
みかちゃんは、ふやんとしたまや君の顔を見て悲しくなりました。
(まやくん、わたしのことすきじゃない……いっしょにあそんでくれるのに?)
彼女は今、とっても苦しんでいます。ママ友たちはそれを知りません。微笑ましいと思って見ていました。しかし、突然みかちゃんが泣き出してしまいました。よく解っていなかったまや君は、みかちゃんに話しかけます。
「みかちゃん。どうしてなくの? すな。めにはいった?」
「……わたしのほうが、さいしょから『こんゃくはきしりゅ』だったんだよ!」
「?」
この流れは不穏です。やっとママ友たちも気が付きました。まや君のお母さんが、みかちゃんのもとへ説明しに行きます。
「違うの、みかちゃん。これはね、誤解なの!」
「わたしのおうちは、さんかい!」
「そ、そうじゃなくて……!」
わーん。
みかちゃんは、砂まみれの手で目をこすります。彼女は、砂が目に入って痛いのと、友達に『好きじゃない』と宣言されたと思い込んだ胸の痛みとで、いっぱいでした。
一緒に作った砂のお城も、みかちゃんは壊してしまいます。
「みーんな。こんゃくはきしりゅ!」
ポカーンとしていたまや君ですが、ようやく自分の言葉に原因があると思い始めました。まや君は、お母さんに『こんゃくはきしりゅ』の意味を尋ねます。それを知った彼は、
「まま。ひどいよっ! ボクをわらってただけ! みかちゃんおこらせちゃった!」
顔を真っ赤にしながら言いました。その通りです。子どもの覚えた変な言葉は修正してあげなくてはいけないのに……それを楽しむなんて言語道断です。
しゅんとしたお母さんに頼ることなく、自分で解決方法を探し始めたまや君。彼は、あることを思い出します。
(ぱぱとままも、けんかしる……)
そうです。彼の両親も喧嘩くらいします。さて、どうやって仲直りして来たか。まや君は考えます。その間も砂まみれになって泣き続けているみかちゃん。
「よーし」
彼は思い立ったらすぐに行動する性格です。まや君は、
「みかちゃん!」
そう言って後ろからみかちゃんのことをハグしました。これに驚いたのは彼女だけではありません。ママ友たちもです。落ち着いたのか、みかちゃんは泣き止みました。そのまま、まや君の腕を小動物のように掴みます。
「ボクね。みかちゃんすきだよ! すぱだりなんだ!」
「すぱだりってなぁに……?」
また分からない言葉を使ってしまったまや君。今度は二人でその意味を訊きます。
「スパダリ。そうねぇ……カンペキで、みかちゃんの理想の男の子……かな?」
みかちゃんはチラッとまや君の顔をみました。その表情は少しだけ誇らしげでした。
「わたしも。まやくん、だーいすき!」
公園で起こった珍事件は、これにて終了しました。
しかし、本当の事件は、二人が青春を迎える時に起こるのですが……またそれは別の物語。秘めておきましょう。
おしまい