第3話 目醒め
夢を見ている。
それは雪の降る日に、老婦人が赤ん坊の私を抱きかかえる瞬間だった。
それは暖かい部屋で甘い粥を食べさせてもらう光景だった。
それは同年代の子どもたちと遊び、本を読み、まるで平和そのものの風景だった。
アルバムのページをめくるように、揺りかごから小学生くらいの歳までを駆け抜けている。俯瞰でみたりこの眼を通していたりとめちゃくちゃな夢だったけど、それは不思議なことに確かな記憶だという実感があった。
「起きなさい、円」
「ふぇ?」
ばあちゃんかと思ったが、彼女はもう故人だ。ではこの人誰だろう。
「ほら、いい天気ですよ。朝食の時間です、準備しなさい」
彼女はカーテンを開けた。壁は石造りで、窓からの景色も私の部屋ではない。
小高い丘にここはあるのだろう、見下ろせばモダンというよりもレトロな町並みで、どこか西洋史の教科書の片隅にあった田舎町の風景絵画を思い出す。
「……なんだこれ」
「どうかしたの?」
遠くに見える金色の波は麦畑だろう。そしてこの私を心配そうに見つめる彼女は修道着だ。
「な、なんだこれ……」
熱でもあるの、と額に触れた手には優しさだけがあった。ついさっきまであの女に、エリーゼに切り刻まれていたのに、この接触をなんともなく受け入れることができた。
「熱はないみたい。具合が悪そうにも見えないし、おふざけはやめてちょうだい。みんな待っているから早くいらっしゃい」
「は、はい」
「はい? どうしちゃったのあなた。いつもは『うん』とか『いーっす』とかなのに」
笑い飛ばすこともできなかった。なんだ、本当になんなんだ。
朝飯はパンとベリージャム、ゆで卵だった。おかわりはなかったが、考える時間と余裕はあった。
(あいつ、あのガルドとかいう殺人鬼。たしか転生がどうとか言ってたな)
自分の拳がパンよりも小さい。スプーンを持つにもちょっと苦労するほどだ。なんなら椅子に据わるのにも勢いがいる。
ガキの姿になった。というよりも私は本当に一度死んで、また生まれ変わったのだろう。私がどういう定義で私なのかはちょっとわからないけど。
「ねえ円」
「ん? なんだよ」
隣に座る少女が耳打ちしてきた。
「シスターがあなたの様子が変だって言っていたわよ。大丈夫なの?」
やや吊り目だが、それが愛らしい。細面を寄せられてドギマギ、なんてしないが、美人のこういう仕草は万人に影響を与えるもんだ。
「なんともないよ。元気だ」
そう、元気なのである。不思議だ。
「少し考え事があるくらいで、私は私だよ。いつもの銀城円だ」
ガルドは絶望が強さになると言った。そしてその強さで世界を救えと。
荒唐無稽だ。こんなに平和なこの世界で強さを求めてどうする。
「考え事ってなによ」
「シーカ。お喋りはあとにしなさい」
「……はい、シスター・デイン」
叱られてやんの。まあこいつはお転婆だからいつもいつも——。
「……いつも? なんでそれがわかるんだ? あの夢、やっぱり記憶だったんだ。シーカ、そうだろ?」
「はあ? 何を言ってんの?」
「ジオ。私たちは友達だな」
シーカとそのジオに挟まれて座っている。彼女は狸とかレッサーパンダみたいな丸っこい顔つきで、ちょっと泣かせたくなる衝動に駆られる。
「う、うん……そうだけど。円ちゃん、なんだか変だよ……?」
「シスター! 私は銀城円。そうでしょ?」
「ええ。このトラクラム修道院兼孤児院の愛すべき問題児です」
静かに食べなさい。と微笑むのはキレる前兆だ。それは奇妙にも骨身に染みている。
「そうっすよね。あはは、いや美味いねこれ」
問題児か。生前はそんなふうに呼ばれたことはないけれど、新しい人生だ、それもいいな。
(捨て鉢、やけくそ、開き直りだ。ひどい目にあった分、謳歌してやろうじゃないか)
前世というべきあの世界では何もかもを失った。嘆いてもみんなは生き返らない。残された者がどう生きるかが大切だ。
(ん? そういや両親がどうこう言ってたな)
復讐心に駆られて奴らの名前を覚えるので精一杯だったがそれもどうでもよくなった。
楽しめよ、そうするしかないんだから。