第2話 失われた生死
夢であってくれと何度も願った。だけど痛みは親友のようにずっとそばにあって、失った両親の代わりをつとめるように私を掻き抱く。
「意識が混濁しているね。発狂した方がマシだろう。でもそれはいけない。この苦痛をしっかり覚えておきたまえ」
喉笛が裂かれている。おびただしく出血しているのに、死が目前にあるはずなのに、どうにもそれは訪れない。
「む。靴が濡れるから、もう刻むのは止せ、エリーゼ」
女はしずしずと彼の後ろに回った。剣からはその濡れる原因が滴っている。
「少し話をしよう」
その時、私は否定したのだろう。彼は鼻で笑った。
「きみの友人、この顔の持ち主だがね、実はもう死んでいるんだ。……ほら、その目の輝き、まだきみの心は生きているじゃないか」
「なんで佐々木まで」
裂けた喉の中ほどから漏れる安っぽい笛のような音色をかき消すほど、信じられないくらい力のある言葉だった。
「理由はきみだ。きみの心を破壊するため。それと孤児院の」
椅子ごと前のめりに倒れた。片足だけでの荒業であるが、地面に着くより早く男が私の肩を支え、元に戻した。
「死んだよ。みんなね。五十六の母親代わりのシスターから、来年にはランドセルを背負う娘まで」
涙が溢れた。頬を打たれると、惨めさと悔しさで一瞬痛みを忘れるほどだった。
「こんなところかな。きみは一度死んで、転生する。心身の崩壊が来世のきみを強くさせる。そのための準備が終わったわけだ。ひどいと思うだろうが、あっちで感謝するだろう。いずれまた会う、その時はよろしく」
エリーゼと呼ばれた女が歩み寄る。同情と哀れみが視線に込められていて、それがなおさら悔しかった。
「……あなたの名前は」
それには男が答えた。
「銀城円。両親のこともある、名前はそのままにしてやろう」
「そうですか。銀城円。私はエリーゼといいます。あなたの友人やあのシスター、義弟妹たちは、私が殺しました」
血液がかっと燃えるように痛む。ずぶりと胸に沈む剣よりも、今はこの男女の顔を忘れない事の方が重要だった。
「くっくっく、実にいい顔だ。死にゆく者にはとても見えない。さあエリーゼ、忙しくなるぞ」
「はい。ガルド様」
覚えたぜ、エリーゼにガルド。脳内で反復しているうちに、あらゆる感覚が消えていく。残ったものはなにもない。家族と友人、命さえも。