9.大天使ステラちゃん、教養を見せつける
そこかしこで弾けるように拍手が打ち鳴らされ、全員が高ぶりのままに立ち上がり手を叩く。
いつまでも続くんじゃないかって思えてしまうような、興奮の喝采。
照明が点いて、老紳士さんが閉会を告げた後も、ホールにはほとんどの聴衆がその場で留まって、ママの演奏への賛辞を交わしていた。
もちろん、私も興奮を隠せないうちの一人。
「チャーリー! すごかったねえ! ねえ、最後の、あれ、私のおうたの曲だったよね!」
「はい、お嬢様。大変素晴らしい演奏でございましたね。実は、奥方様は時折、ステラお嬢様の口ずさまれた歌をピアノ曲へ編成して発表されていたんですよ」
大興奮の私に、チャーリーも嬉しそうに返してくれる。
ママは作曲家のハービーさんの曲を数曲引いた後、なんと、ママのピアノに合わせて私が歌った赤とんぼのおうたをボリュームいっぱいに豪華にしたようなピアノ曲を華麗に弾いてくれたの。
「そうなの!? じゃああのおうたも、あのおうたもピアノ曲になってるのかな!? ママが弾いたらとっても豪華で、華やかで、私のおうたが何倍も素敵になったみたい!」
嬉しくて嬉しくて、私は興奮のままに声が大きくなっちゃう。
私と感想を交わすチャーリーの瞳はキラキラしていて、きっと私も同じようにキラキラの瞳になっちゃってるだろうなって思う。
「この後、奥方様には控え室へご案内するようにと申しつかっております。奥方様へ会いに向かいましょうか」
なんと、演奏を終えたママに会えるんだって。
「本当!? チャーリー! うれしいぃ!」
つい大きな声を出して、席から立ち上がって飛び跳ねちゃった。
はっとして周りの人を確認する。
私たちのいる関係者席のすぐそば、来賓用の席に座ったままだったご夫婦に微笑ましそうに見られちゃってた。
素敵な演奏を聴いた興奮と、綺麗なドレスを着たママに会える嬉しさで、さっきから周りの人のことを考えずにはしゃいじゃってたって気づいた。
お揃いの輝く指輪を身に着けたご夫婦は、二人ともとても上品で、シンプルだけど質のいいスーツとドレスに身を包んでいる。
がっちりしてまるで騎士様のような体格の男性と、優し気で上品な美しい女性。
二人とも、パパやママよりも年上に見える雰囲気で三十歳くらいかなと思う。
色の風合いは違うものの、金髪に碧い瞳の美男美女さんだ。
私は作法の先生に教えてもらったことを慌てて思い出して、おすましの顔を作ると「失礼いたしました!」と、彼らへドレスを着たときのお辞儀をして見せる。
彼らは柔らかく微笑んで、一度それへ返してくれた。
女性は「いいのよ。とても素晴らしい演奏だったもの。私も飛び跳ねたいくらいだわ」と言ってくれた。
彼らもママの演奏に魅入られたようで、続けるように「ハービーの名曲を集めた素晴らしい名演だった」「ボヤージュ序曲からドルフィン協奏曲へ続くピアノアレンジは、今後の主流になるのではないかしら」「最後の新曲も、名曲と調和した素晴らしい曲だった」と、さっきまでの興奮が再燃しちゃったみたいに、口々にママの演奏を褒めてくれる。
私はその言葉が嬉しくって、「母の演奏をお聞きくださりありがとうございました。母もきっと喜びます」と満面の笑顔でお礼を言ったの。
「これはこれは、ジャレット家のお嬢様だったか」
男性が驚いたみたいに私をじっと見てから、ひとつ頷いた。
「確かにご両親の面影がある。バードとサラがよろしく、とジャレット夫人にお伝え願えるかな、レディ」
バード様の声は太くて低いとっても良い声。
なんだか威厳がある二人の様子と、来賓席にいることから、彼らは足を運んでくれたというお貴族様なのかもしれない。
よく見たら、彼らの周りに座ったままだった数人の人たちは、彼らの護衛や付き人みたいにも見える。
付き人のような、バード様と年の変わらなさそうな眼鏡の男性が、私が失礼なことをするんじゃないかと、見定めるような視線で見ていた。
私はピッて背筋を伸ばした。
「ステラ・ジャレットです! はじめてお目にかかります! バード様、サラ様、お会いできて光栄です! これからママあっ間違えちゃった、母、に会いますので、必ず申し伝えます!」
緊張して、ちょっと間違えちゃった。
間違えちゃったことを怒られないか心配で、バード様たちの様子をうかがうように上目でそろっと見る。
二人はやっぱり微笑ましそうに見つめてくれていた。
「小さいのに頼もしいお嬢さんだ。私たちもお会いできて光栄だよ、ステラ嬢。緊張しなくていい、私たちも演奏していた者の関係者だよ」
その言葉と、二人の金髪と碧い瞳に、私は、最初に素晴らしい演奏をしていた男の子を思い出した。
「メルドーのノクターン……」
「おや、曲の紹介は無かったはずだが。さすがジャレット家のご令嬢。ステラ嬢は音楽にも精通されているようだね」
バード様とサラ様は驚いたように目を見張ると、嬉しそうに「そう、あの子の両親だ」って笑顔になってくれた。
ママは色んな曲をピアノ曲に編曲して聴かせてくれるから、私は曲をたくさん知ってるの。
彼らと同じ金髪碧眼の男の子が弾いたのは、作曲家のメルドーさんの作った夜想曲だって思ったけど、正解だったみたい。
「彼のピアノも素敵でした。まるでお月さまみたいで」
不思議と、“お月さま”って感想が出てきた。
そう、お月さま。
言ってから自分でもすとんって気持ちに整理がついた。
彼の静かで凛とした姿と、揺るがない澄んだピアノの音色は、まるで夜空に浮かぶ月みたいだなって思ったの。
「月かい?」
バード様が不思議そうに返した。
「はい、お空に浮かぶ月は、太陽よりもずっと静かに光りますよね? 彼の演奏は、直視しても目が痛くなったりしない、優しくて、それでも暗い夜道をお星さまたちと一緒に明るく照らしてくれる、お月さまの光みたいだって思いました」
「……なるほど」
私の言葉の後、少しだけ黙ったバード様は、貫禄のある声をさっきより低くしてつぶやいた。
お腹の底にまで響きそうな音は、たった一言なのにズシッと質量を感じるようで、私はもう一度ピッと背筋を伸ばした。
サラ様はゆっくりと何度も首肯して「たしかに。そうだわ。その通りよ」と、何か気づきを得たみたいに納得の言葉を繰り返す。
「……ゲイリー殿自慢のご息女は、本当に得難い知者らしい」
しばらく考え込むようだったバード様は、なんだか難しい言葉で私を評したの。
チシャってなんだろう。
先ほどまでより柔らかさの減ったバード様のお顔に、これは怒られ発生では、と私は腰が引けちゃう。
「ああ、いや、違う」
じりっと後ずさった私を見て、バード様は慌てて手招きをするように私へ示してから、またふんわり笑顔になってくれた。
「ステラ嬢、君の話が聞きたい。もう少し話をする時間は取れるかい?」
そう問われて、確認したくてチャーリーを見上げると、チャーリーはまるでヘイデンがするみたいに、いつも以上に背筋を伸ばした姿勢だった。
その様子が不思議だったけど、チャーリーが「構いません」って目で合図してくれて安心する。
チャーリーはお貴族様の対応をすることもあるはずなのに、なんだか私よりも緊張しちゃってるみたい。
チャーリーの様子がおかしくて、私は笑って力が抜けちゃった。
「はい! 大丈夫です!」
+ + +
「なるほど。つまり月は太陽の光を映していると」
「はい。私たちのいるこの場所も、お空に浮かぶお星さまのひとつだって思いませんか?」
私は、先生に習ったわけじゃないのに、不思議と確信を持てるその話を、バード様たちへ聞かれるままに話していた。
宙に手で、これが太陽で、月で、と円を描いて並べて見せる。
バード様たちは私みたいな小さい子の話も、興味深そうに聞いてくれてとても良い人たちだなぁって思う。
「そんなお星さまの中で、太陽は輝いて昼の私たちを明るく照らし温めてくれていますよね。でも、夜になれば、私たちは太陽の裏側へ回ってしまい、その光を浴びることができません」
真ん中に描いた円の位置で、ぐーにした手をくるっとひっくり返して見せる。
さっきまで太陽を見ていた面が月側へ回る。
それを見て、バード様とサラ様に控えるようにしていた付き人風の眼鏡の男性も、「ふむ」と一歩前のめりに出てきて話を聞き始めてくれた。
「そんな時、太陽の光を映す鏡となって、私たちへやさしい光を届けてくれるのがお月さまです。他のたくさんのお星さま、そのどれより近くで、私たちが迷わないよう暗い道を照らし導いてくれる。その光は、その身を燃やしてたくさんの熱と明るさを届ける太陽には負けちゃいますが、私たちに目に見える姿を見せて、太陽の光の届かない場所を照らしてくれます」
「ああ、そうだな。そうだ」
「私は、お月さまが好きです。ご存知でしょうか? 私が歩くと、お月さまも付いてきてくれるんです。私が街を歩くのに夢中になって日が沈んでいっても、代わりにお月さまが顔を出して、私がちゃんと歩けるように、いつも静かに、どのお星さまよりもそばにいて見守ってくれるんです」
私の言葉に、夜に見上げる空を思い描いたのか、バード様もサラ様も難しそうにしていたお顔を少しほころばせた。
「ええ、本当に。そうね、月は優しいわ」
なぜだかサラ様の瞳は少し潤んでるみたい。
その様子は少し不思議だったけど、悲しんでるのとは違って見えたから、私は続きを話すことにした。
「母の演奏は、曲調や表現に合わせてジンとさみしさを感じることもあったり、ほっと安心するようだったり、怖いくらい激しくなることもあります。だから、母のピアノは太陽のようですよね」
そこで途端に「分からない」って、バード様とサラ様、眼鏡の男性は首を傾げちゃう。
なんて言ったらいいかな、うまく説明できるかなって思いながら、私は説明を始める。
「太陽は、月と同じくらい近く見えますが、本当は月よりずっと大きくてずっと遠くにあると思うんです」
今度は、私は宙に印を付けていくように点、点と指差して行く。
私達のいる場所、それに引っ付けるようお月さま。
そして、お月さまとは反対、ずっと離れた場所に「太陽はここです」と点を打つ。
そして太陽を中心に水平に、楕円を描くようにぐるりと一周指を回した。
「こうやって、太陽に近いと暑くて、遠いと寒いですよね」
「な!?」
私は大きな声にびっくりする。
声を上げたのは眼鏡の男性だった。
彼は絶句というように目と口を開き、私の手元を凝視したまま固まっている。
「どうした、ニール」
バード様も思わずといった風で、ニールと呼ばれた眼鏡の男性へ声を掛ける。
「私としたことが、失礼致しました。しかし、これは、熟考の余地が、まさか」
バード様の声掛けにハッとしたものの、ニールさんはダラダラと汗をかき始めて、何か落ち着かなく呟いてる。
体調が悪くなっちゃったのかな。
それとも大事な約束を忘れちゃってたのかな。
私もちょっと心配。
「演奏は終わっておりますし、ニールは先に戻っても構いませんよ?」
「いえ、そんな、ああ、でも」
心配げなサラさんの言葉に、始めは遠慮するようにしたニールさんだったけど、何か考えたい事ができたとかで、バード様たちへ申し訳無さそうにしながら一人、先にホールを出ていった。
体調が悪くなったわけじゃなかったみたいで、私もほっとする。
去り際、「ステラ・ジャレットさん、どなたに師事を」と言いかけて、「いや、ゲイリー殿に聞くとしよう」って、一人で完結しちゃったみたいだった。
ニールさんが出ていった後、残った私たちは何の話だったかなって顔を見合わせて笑っちゃった。
私が、太陽が暑くなったり寒くなったりもする話をして、だからママのピアノは太陽みたいって話すと、「なるほど」と納得してもらえた。
「月の満ち欠けのような、静かで、それでも安心感のある演奏だなあって思ったんです」
私は、自分でも不思議だった“月みたい”っていう感想が、全部うまく言葉にできて満足した。
「とても参考になった。あの子は演奏だけでなく、月のような子なんだ」
バード様もサラ様もなんだか嬉しそう。
「やさしい方なんですね」
「ああ、そうだ」
私とバード様とサラ様は、ニコニコと笑顔で頷き合い、「引き止めて悪かった」とバード様が言ったのをきっかけに、ご挨拶してお別れした。
いつか、バード様たちのお子さん、金髪碧眼の月のような彼ともお話しする機会があったらいいなぁって、私はその時夢見るように思ったの。
その後、やたら気疲れしたみたいなチャーリーを不思議に思いながら、彼とママのいる控え室に行った。
今日の感想を一から十まで全部ママに伝えたくて、私は言葉を尽くしてこの感動を話したの。
それに、私のおうたの曲のことも。
ママは、「内緒でピアノ曲にして、ステラは怒ってないかしら」なんて言うから、「全部ステラとママのおうたよ! ママのピアノで弾いてもらえてとってもとっても素敵だった! おうちでも聴かせてほしいぃ!」って、はしゃいじゃった。
私はおうちに着くまで起きていられなくて、帰りの馬車の中で寝てしまったみたい。
翌朝、いつものベッドでヘイデンが呼んでくれて起きるまで、ずっと夢を見てるみたいに楽しい気持ちのままだったの。