16.大天使ステラちゃん、お祭りを堪能する
チャーリーと、手をつないでいつもとちょっと違う街を歩く。
いつも街を歩く時間よりずっと早くて、まだ朝なのに、お店はもう開いているところもあるみたい。
「お花屋さんがいっぱいあるねえ」
出店が組み立てられていて、もう商品を並べ始めている店先には、乾燥させたお花や薬草が透明な容器に入れられたり、生けられたりして並んでる。
「そうですね、ステラお嬢様。鎮花祭本来の、焚き上げ用の物もあるでしょうが、お祭りに合わせて自宅を飾り付けたり、髪や服に飾るための物もあるそうですよ」
「チャーリーは物知りだねえ、すごいねえ」
チャーリーは、いつも、何でも、私が聞くと教えてくれる。
それってとってもすごい。
チャーリーは、私がすごいって言うと、「ありがとうございます」って言った後いつも、「私も教えていただいたことです」って、すごいのはヘイデンだって言うの。
私はチャーリーもすごいと思うなあ。
私は家庭教師の先生に習ったこと、チャーリーみたいに誰かに上手に教えてあげられないし、それ知ってる! って思っても、「んーーっと」って、たくさん思い出さないといけないのに。
私が石畳を歩くと、カラン、コロンって下駄が鳴る。
いい音を鳴らしたくて、わざと石畳になっている道の真ん中を歩く。
準備中のお店から、お花の匂いがするんじゃないかなあと思って、思いっきり鼻から息を吸い込んでみた。
「あ! いい匂い!」
庭師のおじいちゃんの小屋の匂いに似てる匂いがした。
それから、なんだか香ばしい匂いも。
きっと、屋台やお店の中には、食べ歩きもできるようにご飯を売るお店もあるんだなあ。
かすかに、だけど、いい匂い。
朝ごはん食べたあとじゃなかったら、お腹が鳴っちゃう匂いだ。
私は、私のお腹に、チャーリーと繋いでないほうの手を当ててみる。鳴ってない、セーフだ。
「店が開き始める前に、神殿へ参りましょうか」
「うん!」
まだお祭りの準備中の大通りは、いつもと違う。
みんなが忙しそうで、ソワソワしていて、これからいっぱい楽しくなるんだって分かる。
おうちやお店の玄関先には、お花でできた飾りがあちこち飾ってあって、いつもよりずっと明るくてたくさんの色で溢れてるみたい。
カラン、コロン。
下駄を履くのは初めてだけど、すっごく歩きやすくてびっくりしてる。
きっと、使用人のみんなが用意してくれた、この白くて丸っこい下駄が特別なんだねえ。
「ご機嫌ですね」
私を見て、チャーリーがニコニコしてる。
「チャーリーもご機嫌ね!」
「ふふ、そうですね。さあ、歩いていくには、少しかかります。馬車を使いましょう」
「はーい」
私たちは、笑い合って、乗り合い馬車で神殿に向かったの。
乗り合い馬車は、お祭りの日だけは本数を増やしているんだって。
お馬さんも、馬車も、お祭りの日は特別みたい。赤やピンクの飾りで豪華になってる。
そんなの知らなかったから、とってもびっくりして、乗る順番を待つ列から「かっこいいねえ!」ってお馬さんに言ったら、お馬さんの手綱を握っているおじさんに「そりゃあ良かったなあ」って笑われちゃった。
ゴトゴト。ゴトゴト。
おうちの馬車より一回り大きい乗り合い馬車には、私たち以外にも、おめかししたお洋服のご夫婦と、ママさんと、手をつないでいる私より少しだけおねえさんの女の子が乗っていた。
ご夫婦にも、ママさんにも、お祭りの衣装姿が可愛いって褒めてもらっちゃった。
女の子は、出店にあったピンクの花の髪飾りをしていて、それが彼女のお花みたいにピンク色の髪にとってもよく似合っていて、どこで買ったのって聞いてみようとしたんだけど、女の子はお話が苦手みたいで、ママさんの後ろに隠れちゃった。
馬車は、街外れの神殿に向かうから、少しずつ外は静かになっていく。
街並みから、家がまばらになって、林の木立の中、馬車はゴトゴト、ゆっくり進む。
私は、おうちの馬車より大きな窓から、外を見ているうちに、少し眠たくなってきちゃった。
ウトウトしてる私の耳に、ご夫婦の声を潜めた会話が聞こえてくる。
「あなた。これ、ありがとう」
奥さんの嬉しそうなお声。
「ああ、気に入ってくれてよかった。花のブローチと迷ったんだが。たまには流行に乗るものだね。店主があれもこれもと薦めてきたんだけど、それが君に一番似合うと思ったんだ」
旦那さんは声が弾んでて、少し早口で、たくさんお返事してる。
そうだ、プレゼントを贈るのが流行ってるって、ポーギーも言ってた。
私はそんな会話を聞きながらも、ウトウト、うつらうつら、瞼が重たくて開けてられなくなってきた。
窓から照らすおひさまはポカポカで、とってもあったかい。
「あなたにも、何かお返しを考えませんと」
「そんな、君は居てくれるだけでいいのに」
「私も、あなたに物を贈りたいんです」
奥さんが、拗ねたみたいなお声になって、旦那さんは「そ、そうか? へっへっへっ」って、お声が甘くてとっても嬉しそう。
私を甘やかしてくれる時のパパや、おねがいを聞いてくれる時のヘイデンみたい。
そうだ、私も使用人のみんなに、贈り物がしたいなあ。
私、使用人さんにこれがあるといいなあって思っても、パパに頼むことが多かったから、贈り物ってほとんどしたことがないなあ。
そうだ、チャーリーは、私があげたハーネス、どうしたんだろう。
私は、ウトウト、ウトウト、眠りに落ちていった。
夢の中で、私は羊さんになっていて、ちっちゃい天使の羽がついたハーネスをつけてもらって、チャーリーとお散歩していたの。
天気が良くて、風は気持ちよくて、一面の芝生からは葉っぱのいい匂い。
葉っぱは丘の頂上のほうが柔らかくておいしいんだなあ。
+ + +
ゆら、ゆさ、ゆら、ゆさ。
背中に当たるポカポカ温かい日差しと、優しい揺れに気づいて、ゆっくり瞼を開ける。
私は何かに乗っていた。
「あ、チャーリー……。私、寝ちゃったねえ……」
「起きられましたか、ステラお嬢様。あちらにベンチがあります。そこまでは、今しばらくこのままで」
チャーリーがおんぶして歩いてくれていたみたい。
パパは片腕で抱っこしてくれるけど、今年十五歳のチャーリーは、それよりおんぶのほうが動きやすいからって、いつもおんぶなの。
ベンチまで行って、やさしく降ろしてもらった。
「寝ちゃったねえ」
私はまだ起き抜けで、目はほとんど開いてないし、頭がぐわんぐわん揺れちゃう。
チャーリーに「もう少しおやすみになりますか?」って聞かれて、起きるつもりだったのに、頭が勝手にぐわんって頷いちゃった。
チャーリーが隣に座って、体を支えてくれる。
ゆっくり横にされて、私の頭が乗ったのは、きっとチャーリーのお膝だねえ。
ポカポカ。
ポカポカ。
とっても静かで、風が葉っぱを揺らす音や、遠くで小鳥さんが鳴いている声がする。
チャーリーがポン、ポンってしてくれていて、「今朝は、旦那様に合わせて早起きでしたから。少ししたら起こします」ってチャーリーの声は少しだけ遠い。
顔に影が差したのは、きっとチャーリーが日傘をかざしてくれたんだねえ。
体には相変わらず、ポカポカのおひさまが当たっていてあったかい。
…。
………。
チャーリーに起こしてもらって、起きたときには、神殿前の参道には人が増えてきていた。
時間はそんなに経ってないってチャーリーは教えてくれたけど、これからお祭りのお供えのために、人がどんどんやってくるんだって。
「お膝、貸してくれてありがとう~」
ベンチから降ろしてもらった私の前にしゃがんで、私の目元をやさしく拭ってくれるチャーリーにお礼を言う。
少し寝たおかげですっきりしたけど、まだ少しだけ眠たい。
「薬草を供えに参りましょうか」
チャーリーはにっこり笑ったあと、そう言ってカバンからお花と薬草の束を出した。
「ステラお嬢様は、庭師の薬草を供えますか?」
チャーリーも、お供え用にお花と薬草を予め用意してくれていたみたい。
私は「うーん」ってちょっと考えて、チャーリーの用意してくれたのと、庭師のおじいちゃんにもらったの、半分ずつをお供えすることにして、残りはお部屋で飾ることにした。
鎮花祭で薬草とお花を一緒に飾ったり、お焚き上げしたりするのは、お花が咲いて散るときに、ご病気の元が悪さをしないようにするためなんだって。
何回か来たことのあった神殿の中だけど、今日はお外がポカポカだからか、少しだけ涼しくて、なんだか空気が澄んでるみたい。
神殿の歩く部分の床は、柔らかい絨毯が敷かれているから、下駄の音も鳴らなくて、中はとっても静か。
乾燥した穀物や、咲いたまま乾燥させたお花が束ねられたものが吊るされたりしていて、庭師のおじいちゃんの小屋の匂いだけじゃなくて、お医者の先生のお部屋みたいな、スーッとする匂いもした。
チャーリーに教えてもらいながらお辞儀をして、一度くるりんって薬草とお花を回して、お供え用の台に乗せる。
それから、金色で透かし彫りをされた鈴をチリーンって振って鳴らして、もう一度お辞儀をしたらおしまい。
鈴を振ったとき、私の帯の飾り紐の鈴もチリチリって鳴った。
「どうでしたか? 初めての鎮花祭のお供えの儀式は」
「ドキドキした! 上手にできたかな!?」
神殿を出て、乗り合い馬車の乗り場まで、またチャーリーに手をつないでもらって歩く。
「とてもお上手でしたよ、ステラお嬢様。衣装もよくお似合いで、天窓から差し込む、一筋の光の中で儀式を行われる姿は神聖で、そのまま一枚絵にして神殿に飾るべきだと思いました」
チャーリーの褒め言葉は、いつも大げさなの。
私が、「もー」って言っても、チャーリーはニコニコ笑顔のまま。
いつもは褒めた後は頭を撫でてくれることもあるけど、今日はポーギーと女性の使用人さんたちにしっかり髪を結い上げてもらっているから、なでなでは無しみたい。
まだ街に戻る人は少ないみたいで、乗り合い馬車は私とチャーリーだけだった。
さっきと同じ馬車だったから、手綱を握ってるおじさんも覚えてくれていて、「もう一度褒めてやってくれ」って言われて、お馬さんの飾りもちょっとだけ近くで見せてもらえた。
お馬さんは、私が褒めたら「ブフンッ」って鼻息を出して、そしたら離れてる私のところまで生ぬるい風が届いて、びっくりしちゃった。
触ってみるか? って聞かれたけど、チャーリーも微妙なお顔だったし、私も触るのはまだ怖くて遠慮した。
おうちの馬車とお馬さんは、普段はパパのお仕事用にお店にあるから、送り迎えをしてもらうこともあるけど、私はまだお馬さんを触ったことがないの。
もう少し大きくなったら、ちゃんと手綱を握って馬車を動かせるように習うんだよって言われてる。
帰りの馬車に乗って、街が近づいてくると、朝と違ってたくさんの人の声が聞こえてきた。
大通りが見える場所まで来たらびっくりしちゃった。
朝よりずっともっと人がたくさんいるの。
お店はみんな開いていて、いつもより出入口や窓がたくさん装飾されて、赤やピンクの布が張られていて、お花や色とりどりの飾りで街がすっごくにぎやか。
出店や屋台からは、お肉を焼く音や金物を返す音、いろんな音がして、朝よりずっと香ばしい匂いや甘い匂いが満ちてる気がする。
朝に感じた涼しげな草の匂いは、今は食べ物の甘辛い匂いの間に吹く風に乗って届く、少しだけ。
「チャーリー、この道は通れないんじゃないかなあ」
「ステラお嬢様、コツがあるんですよ」
大通りを見て、呆然としてしまう私に、チャーリーは自信ありげに笑って見せる。
お供えを終えた私たちは、朝に乗り合い馬車に乗ったよりひとつ手前の停留所で降りて、出店や屋台を見ながらおうちに帰ろうと話していた。
けど、私は初めてお祭りの日の大通りにやってきて、それは無謀な試みだったんだって思っていたの。
だって、人、人、人がいっぱい。
足がいっぱい動いてる。
ちょっと先だって見えないのに、私はこの中を進むことができるなんて、どう考えても無理そうに思えるのだけど。
出店や屋台がたくさんな分、いつもより道幅は狭く見えるけど、人が多すぎて、どんなお店が並んでいるのかは、匂いや音以外は全然わかんない。
「ステラお嬢様、抱きかかえてもよろしいですか?」
チャーリーが、エスコートするときみたいに少しかがんで手を差し出してきてくれる。
「チャーリー、無理だよう。無茶しちゃだめだよう」
なぜかチャーリーはこの大通りを進めると思ってるみたい。
私が無謀なチャーリーを止めなくちゃいけない。
だって、人が、人で、人なんだよ。
「私ではご不安ですか? おぶっても良いのですが、この人ごみでは背後より前にいていただいたほうが、私としては安心なのですが」
私が、チャーリーの抱っこを不安がってるって思っちゃったみたい。
「違うよう、この大通りに入ったら、むぎゅむぎゅで、ぎゅーぎゅーで、ぺちゃんこになっちゃうよう」
チャーリーは、出してくれていた手を一旦引っ込め、「ふむ」って思案気にしてる。
「ふむ」の仕草がちょっとパパに似てるなって思っちゃった。
「では、私が一度、歩けるところをご覧に入れましょう」
「無茶しちゃだめだよう、チャーリー踏みつぶされちゃうよう」
「ふふ、大丈夫です。人がたくさんで塊に見えるかもしれませんが、みんな一人一人、街の人たちですから。どこに行きたいのか、何がしたいのか、一人ずつお邪魔にならないように、譲り合って歩けばいいんですよ」
「そう、なんだ……?」
まだ私にはわかんないけど、チャーリーには自信の根拠があるみたいだし、チャーリーを信じてみよう。
「ここで一人お待ちいただくわけにはいきませんから、私が歩けるところを見に、ついてきていただいてもよろしいですか?」
「うん」
「お嬢様の目線では、行き交う人が邪魔で、私が道を歩くところが見えませんね。抱え上げますので、そこからご覧ください」
「うん」
チャーリーが両手を広げてくれて、私はててっとそこに飛び込んで抱っこしてもらう。
チャーリーの腕はしっかりしていて、パパより背も低いチャーリーだけど、パパに抱っこされてるのと同じくらい安定感と安心感がある。
チャーリーの肩の服を掴んでいたら、「首か手に腕を回していただいたほうが、安定しますよ」ってつかまる位置を調整してくれた。
「では、歩いてみますので、見ていてくださいね」
そう言って、チャーリーは歩き始めた。
ドキドキしながら人ごみに近づいてみると、意外と人と人の間はすき間が開いているのが分かった。
それでも、私一人だったら踏みつぶされちゃうような人の流れの中を、チャーリーはぶつかることもなく、たまにすれ違う人と会釈を交わしながらスイスイ歩いて行っちゃう。
本当に、何もないところを歩いてるみたい。
「え、ええ!? チャーリーすごぉい! ニンジャ! ニンジャさんだ!」
ご本に出てきたニンジャさんみたい!
そう思って叫んだら、それまでスムーズに歩いていたチャーリーがなぜか体をびくっと大きく揺らした。
ああ、耳元なのに大きな声出しちゃったから、驚かせちゃったんだね。
私が慌てて、「ごめんねチャーリー」ってコソコソ話するみたいに耳に口を寄せて謝ったら、「お嬢様のせいではありませんので」って笑い返してくれた。
でも、笑顔が引きつってる気がするから、やっぱり大きな声のせいだよね、ごめんねチャーリー。
「どうでしょうか、ステラお嬢様。これなら、私が抱っこをすれば、歩けそうではありませんか?」
「そうだね、きっと大丈夫だね」
そこまで言ってから、「あ!」って気づいた。
「チャーリー! もう、歩いてる! え!? なんで!?」
びっくりした。
だって、もう、私、チャーリーに抱っこしてもらって、大通りを歩いてる。
「不思議ですね。でも、問題もなさそうなので、このまま出店を見るのはいかがですか?」
言いながら、チャーリーは、宙ぶらりんになっている私の足から、手際よく下駄を回収して、しまってくれる。
足がスースーするけど、これはこれで気持ちいいなあ。
私はなんだか腑に落ちなくて、不思議だったけど、なんだかうまい具合に大通りを歩けているので、いいのかな。
私ははてなマークを飛ばしたまま、チャーリーにお礼を言って、気になるお店に寄ってもらいながら、お祭りの大通りを歩いておうちに帰ったの。