86.大天使ステラちゃん、門外漢のお話
「大丈夫であるぞ……。吾輩はもう大人ゆえ、な」
「うん」
私が、スティーブ様の頭上で泣いちゃった『(´;ω;`)』に向かって両手を伸ばしていると、スティーブ様は大丈夫だよって言って一歩下がる。
レミはやっぱり物知りさんで、私にしか見えていないらしいスティーブ様の頭上のそれが『顔文字』っていう感情を表現する記号なんだよって教えてくれた。
それから、私がそっかあって思って顔文字を見ているうちに、レミはスティーブ様へ突撃して行って、質問責めにして泣かせちゃったんだ。
スティーブ様自身はずっと変わらない何の感情も浮かばないお顔をしているけれど、レミに質問されるたびに顔文字は『しょぼん』になって『しょんぼり』になって、それから泣いちゃったから、私はスティーブ様が泣いちゃったんだって分かった。
「私たちが誤解を解いてあげるから、せめて一緒に住んでる姪っ子ともう少し仲良くしなさいよ」
「う、うむ……なるべく努力しよう……」
レミは、仕方ないねって感じでフンスとお鼻を鳴らして両手を腰に当て、スティーブ様のやる気が出るようにって励ましのお言葉をかけてる。
それから、お話が一段落すると一歩、スティーブ様へ距離を詰めて一層潜めたお声で尋ねた。
「ねえ、それで。前世持ちのあなたの視点から見て、何か分かることはないかしら? 『学ヒロ』のことは一度置いておいていいわ。あなた、私たちより先に転生していたんでしょう? 何か知らない?」
「うーむ。今、レミ氏と話をしてみた限りでも、いくつか気になることはある。まず前提としてだが、吾輩が先に転生していたとは言い切れないのではないかな?」
「あら、どうして? あなたは私たちよりずっと年上じゃない」
「そのことだが……」
レミはスティーブ様にまだまだ聞きたいお話があるみたい。
私が一歩だけ下がった位置で二人を見ていると、スティーブ様から気遣わし気な視線が向けられたのが分かった。
「ここでこの転生についての考察ができるのは吾輩としても望むところであるが、その、ステラ氏にこの話を聞かせても、よいものなのか? 見るに、ステラ氏は顔文字を見るような特殊なスキルはあっても、普通の幼な子であろう? 今も口をぽかんと開けておるし……」
「いいのよステラは」
「……なぜであるか」
「だって、ステラはよい子だもの」
「…………」
『ねっ』と言って、私はレミに引かれ、それからグイっと前へと背を押されて押し出される。
目前に迫ったスティーブ様が、身を引きながら目を見開き、それから顔文字の口元を引きつらせた。
「そ、その理屈は分からぬが、よいと言うのならよいのだろう」
「よいのよっ。ね、ステラ」
「ねー?」
分かんないけどレミにお返事をした私を見て、スティーブ様は再びうーんと唸ってから、何かを諦めたみたいに納得してくれたみたいで私をお話の輪に招き入れてくれた。
これから、スティーブ様とレミと私で、お話をすることになったみたい。
まだ泣き止めないポーギーを、部屋の中央で侍女さんやダニーやアリスが慰めているのを横目に、私たちは部屋の隅に、小さく輪を作るみたいに座って向き合った。
レミもスティーブ様も、頭をたくさん働かせているのが分かる真剣なお顔で、これからお話する内容を考えているのが分かる。
私は、二人のことを見回しながら、私には難しいお話は分からないかもなあってちょっと心配になっていたんだけれど、レミから、スティーブ様の顔文字に変化があったら教えてねって、大事なお仕事を任せてもらえた。
レミは『うそはっけんき』だって言っていて、それを聞いたスティーブ様の顔文字は引きつったお顔になったんだけど、何のことだったのかなぁ?
◇ ◇ ◇
「なるほど。そうしたら、みんな同時期に転生してきてるってことなのね」
「転生したと確信した瞬間はあくまで各々の主観ゆえ、確定ではないがな。レミ氏やステラ氏はおそらく生まれたときには前世の記憶を引き継いでおり、吾輩はおよそ五年前に元のスティーブの人格と憑依合体した」
「憑依合体って……なんかそんなアニメあったわね」
「おお! 知っておるか! あの作品は吾輩の青春の一ページであったぞ! 連載途中に始まったアニメで火が付き非常に人気が出たのだが、本誌の読者投票では何故か振るわず、最後は作者本人も不本意な打ち切りでその最終回は伝説的な───」
「はいはい、今はいいから」
「うむう」
「……私も大概アニメとか好きだったから、つい反応しちゃうわ。もしかしたら私たち同世代だったのかもね」
「ふむ、そうかもしらんな。それにしてもアニメ好きの女子高生とは、オタク男子に優しい……ハッ! まさかレミ氏、TSなどとは申すまいな!?」
「? 『てぃーえす』って何よ」
「っあ゛あ!!」
スティーブ様は表情はそのままに、衝撃を受けたみたいに後ろに上半身だけ仰け反った。
(*´▽`*)になったり、(。-`ω-)になったり、また(´・ω・`)に戻ったり、コロコロ変わっていく顔文字を、私はどこまでレミに報告したらいいのかなって迷っちゃう。
顔文字は、お口の『ω』が可愛いよねえ。
私がそう思って顔文字を見てる間にも、「一般人に対して吾輩はまた迂闊なオタク用語を……」って言いながらお顔を手で押さえて呻くスティーブ様を、レミがバシバシ叩きながら脱線したお話の続きを早くって急かしてる。
ポーギーを介抱してくれてる侍女さんがそれに気付いてお顔を青くしてこちらを見てたから、私はレミにバシバシしちゃダメだよって教えてあげた。
「わ、吾輩の推測の域は出ないが、もしかすれば、ゲームでの、元々のキャラ人格が転生に及ぼす影響というのは、あるのやもしれんな」
「どういうこと」
「例えば、『学ヒロ』でいうところのモブへ転生したレミ氏やステラ氏は、元の人格はゲームで描かれてはおらんから、生まれたときすでに前世の人格であった。そしてゲームでは多少なりともメインストーリーに絡みのあったスティーブは、十六年はスティーブとして生きた上で、こうして吾輩に乗っ取られてもなお、確かに未だ吾輩の中にある」
「ありそうな話ね……。ということは、私たちを転生させた“見えざる手”みたいな存在の思惑が介在したり、ゲームのシナリオ通りに物事が進もうとか、ゲームキャラの人格が優先されたりとか、そういう“強制力”みたいなものの存在もあり得るって、思っていたほうがいいのかしら……?」
「そこまでは何とも。少なくとも、レミ氏の話を聞く限りでは、ヒロインやメイン攻略者たちの人生はすでに良い方向へ変わりつつあるようであるしな。楽観視するなら、人格と転生の関係はただ、元々あった人格が転生によって脅かされすぎないようにという、レミ氏が言うところの“見えざる手”による親切な配慮にも思える。あくまで好意的な解釈ではあるが」
「ふーん……、なるほどね。私もその解釈、嫌いじゃないわ。平和だもの」
スティーブ様のお話を聞いて、レミは普段の笑い方とも違う、フッと、大人びた笑顔を浮かべたみたい。
その笑顔は一瞬だけしか見えなかったけど、私はレミが心配していた何かが一つ解決したんだなって、そのお顔を見て思ったんだ。
それからレミは、ふと思いついたみたいに、再びお口を開く。
「……ねえ、じゃあ、もし私たち以外にも転生してる人がいて、その人が転生したのがメインストーリーに深く関わるキャラだった場合はどうなるの?」
「全て仮定の話であるが、その場合は、吾輩よりももっと元のゲームキャラの人格の影響が強く出ているのではないかな。それこそ、成人してからもずっと元のゲームキャラの人格しか持たず、壮年になってやっと前世を思い出したりなどか」
スティーブ様は全部想像だけのお話だよって言うけど、レミはスティーブ様のお話を聞いてまた難しいお顔をして考え込んだみたいだった。
私がレミを心配してあっちからこっちからお顔を覗き込んでいると、それを見てたスティーブ様のお顔が、初めてほんの少しだけ笑ったように見えた気がした。
「流石の吾輩であっても、転生などと初めての体験であるゆえな、真実など何も分からん。ただ、こうして同郷の者と再び相まみえることができたことは、少なくとも吾輩には得難い僥倖であった」
「あんた……」
「スティーブだ。吾輩は、いや、私は、この世界では正しくスティーブである。しかし、やはりアビル・メイトでもあるのだ。吾輩は前世をしっかり覚えているし、今世も合わせればしっかりと成人まで生きた大人であるのでな。レミ氏はこれまで一人ゲーム知識を抱えて悩んでいたのであろうが、同郷のよしみである、これからは存分に吾輩のことも頼りにしてくれていい。幼い姪相手に怯んでいるようでは、頼りないかも知らぬがな」
「……ありがと」
「ああ。幸いスティーブはそこそこの身分も持っておるし、利用すれば良かろうよ。前世の記憶のある吾輩と、ゲームの知識を思い出すことのできるレミ氏、それから、無自覚にもゲームキャラに良い影響を与えているステラ氏の三人が手を取り合えば、おそらくそう心配する事態にはなるまい」
「……うん」
レミはきっと、スティーブ様が言うみたいに、ずっと一人で悩んでた。
ついこの間まで、私にも、誰にも言えなかった、レミがお姉さんだったころの記憶と、これから起こるかもしれない秘密のお話。
難しいお話は私には分からなかったけれど、たぶんスティーブ様はそれを分かってくれる大人の人だったんだね。
私は、レミがスティーブ様と話しながらホッと肩の力を抜いたのを見て、良かったなあって思ったよ。
微笑んでるレミが、そっとまたお口を開く。
「なんだかほっとした。私ずっと、思い出してないゲームのストーリーやキャラがあることがずっと、不安だったから。そう言ってもらえて、ちょっと安心したわ」
「そうか」
レミのその様子に、レミ以上に安堵したみたいにスティーブ様が息を吐く。
顔文字は『はー良かった』って思ってそうな、息を吐くお顔だ。
それから、気が抜けたように、座ったままの足を崩して体勢を緩めたスティーブ様は、ぽつりと言う。
「そもそも、元のゲームは乙女ゲームであろう? 学園で恋愛シミュレーションをするゲームで、何をそこまで将来を不安がる要素があるのだか……」
独り言みたいに、ううん、スティーブ様は本当に独り言のつもりだったと思うんだけど、でもその言葉を聞いたレミの反応は、ガラリと変わった。
「は?」
「え」
ドスの効いたお声って、きっとこういうお声。
レミは瞳孔までぱっくりと開いたまん丸なお目目で、半分笑ってるみたいな怖いお顔でスティーブ様を見てた。
スティーブ様は思わずたじろいだように後ろに手を付き、じりっと下がる。
「……あんた、アビル・メイト時代にギャルゲーとかやらなかったわけ?」
「わ、吾輩は硬派なオタクゆえ、そのような破廉恥で軟弱なゲームなど」
「どうせ、勇気が出なくてパッケージをレジまで持っていけなかったとかでしょ。ハア。恋愛シミュレーションを通ってないオタクは、やっぱり分かってないわ」
「……! ……!」
レミの一方的な物言いに一瞬言い返そうとしたスティーブ様だったけど、レミの追撃に押し黙ってしまった。
それからレミは座った姿勢から膝立ちになるとスティーブ様に向かって身を乗り出し、腰に手を当てた体勢でビシッとスティーブ様に人差し指を突きつけた。
「いーい? 乙ゲーをただの恋愛ゲームだなんて思ってたら、大間違いよ!」
「と、いうと?」
「男主人公のギャルゲーでさえ色々ととんでも展開があるようだけど、女主人公の乙ゲーはさらにその上! その舞台が現代日本だって油断しちゃダメ、基本的に魔法なんて目じゃない、エンドロールを見る頃にはファンタジー要素の塊みたいになってるんだからね!」
「そうなのであるか……?」
「そうよ! 元より優れた女の子が男主人公を囲む夢を見るのがギャルゲーなら、乙ゲーは悲劇あってこそ! 悲劇からの逆転、ストーリーの先に示される成功、幸福、そうしたカタルシスを感じてこそ、乙女たちの心は打ち震えるものなのよ!」
「何やら暑苦しい乙女ゲームオタクの偏見も入っているように見受けられるが、な、なるほど?」
さっきスティーブ様が朗々と語っていたのとは一転して、今度はレミが生き生きとして語ってる。
スティーブ様がそれに気圧されるみたいに聞き役に回っていると、レミは我が意を得たりとばかりに勢い込んで言った。
「ううん、悲劇だけには限らないわね。おそらくこの世界は、何かしらのギャップに溢れてる。それも、恋愛や愛の力で解決するようなギャップを、いくつも抱えてるはず。幸い、今はまだゲームの開始より八年も前で、ステラがあちこちで攻略対象の悩みを解決して回ってくれてるみたいだけど」
「うーむ。言わんとすることは分かる気がするが、それでもまだ、吾輩には大それた話のようには思えんのだが……。それは例えばどのような……」
「だーかーらっ!」
レミは呆れたみたいにスティーブ様へ言って、それから、一度大きく息を吸うと、溜め込んでいた物を一気に吐き出すように言い放った。
「攻略対象が実は○○なんて話はザラで、第二王子が実は政治的にもっとややこしい立場の出自で一気に政変したり、戦争になったり。半グレキャラが実は隣国の王家の落とし子でやんごとない血筋でしたとか、実は勇者の血筋でしたとか、それどころか人外でしたみたいな展開だって当たり前にあるわけ! 実は魔族、実は妖怪、実は悪魔、実は天使、さらには実は神様でしたーなんて展開も“あるある”で、変わり種では歴史的偉人の転生でしたなんて場合も───って、これは今は関係ないわね。グッドエンド以上ならそう困ったことにはならないけど、ヤンデレもいるようなゲームなら、サスペンスさながらに攻略対象の手によってバッドエンドイコール命を落とす、拘束されて監禁、洗脳エンドだって珍しくない。主人公の生家が没落するくらいなら生易しいもんで、魔物の大群に襲われて国が火の海になったり、神の怒りに触れて人類が滅んだり……。攻略対象が複数いてハーレムエンドがないゲームが現実になったなら、一人を攻略したが最後、他の攻略対象者ルートが強制バッドエンドなんてことも考えられるわけ。ゲームのハッピーエンドのその先も、現実なら考えなきゃいけない。そもそも、ステータス配分やレベル上げ失敗しただけで、恋愛パートとは無関係に謎に作り込まれたシューティングゲームとか、謎に長尺のバトルパートで理不尽に全滅してゲームオーバーになったり、どう考えても課金要素必須だろってゲームバランスとか、好感度上げた分だけバッドエンドに近づく初見殺しな攻略対象がいたりとか───」
「……っ、わかった、わかったのである!! もうそこまでで止めるのである!! これ以上続ければ、人に戻れなくなるぞ!?」
「えっ!? あ! そ、そうね……」
私とスティーブ様は、猛然と話し続けるレミに呆気にとられた。
やがてハッと気が付いたスティーブ様が制止してくれたことで、レミもハッとしてお話を止める。
レミは「なぜかしら、つい熱が入っちゃったわ……。私って、自覚してる以上に乙ゲー好きだったのね……」って、恥ずかしそうに目線を私たちから外しながら、赤くなったほっぺたの熱を冷ますみたいに手で仰いでる。
スティーブ様もスティーブ様で、「客観的立場で、門外漢のことを一方的に語られる体験もなかなか新鮮であるな。それに、幼女からオタク特有の早口が出る様はなかなか圧巻であった」って、何やら感心したみたいに唸ってた。
なんだか場が荒れてしまったからって、スティーブ様は「時間が場を整えてくれるまで一時休憩である」って言って、レミとスティーブ様は一旦お話をやめる。
私も、二人に倣って、お行儀よく座ってしばらく黙っていた。
「レミ氏のー……、あー、そういえば前世でも、“アリスたん”を知っているくせに原作の乙女ゲームは知らないのかと怒られたことがあったか。あれは数少ない同級生女子との会話だったゆえ覚えておる。うむ、しかし吾輩は、怒られてもなお乙女ゲームは興味なしとばかりに履修を怠っておってな、すまぬ」
「わ、私も熱くなりすぎたわ、ごめんなさい」
二人は仕切り直すみたいにお互いにごめんなさいをした。
二人がいい子なので私は立ち上がって二人の間に行き、頭を下げた二人の頭をなでなでする。
「ステラ氏もこうして仲を取り持ってくれたでな。水に流してくれ。───それで、では『学ヒロ』が乙女ゲームである以上、レミ氏が思い出せていないストーリーやキャラの中に、そうした世界の理をひっくり返すようなギャップを持つ要素があってもおかしくないと、そういうわけであるな」
「……そう。まあ、心配しても思い出せない以上、どうしようもないんだけど」
「うーむ、そうであるな。素人考えで恐縮であるが、ヒロインなどはどうであるか? 基本的には、ヒロインが物語を解決に導くのであろう?」
「うん、ゲームではそうね。ヒロインのミシェルには会ったことがあるけれど、ゲームでのあの子はトラブルメーカーというか、いえ、本人は悪くないんだけど、そういう事件に巻き込まれやすいみたいな、そんな設定だったと思うわ」
「なるほど、ラッキースケベ体質というわけであるな」
「全然違うわ」
レミとスティーブ様はそれからしばらく、二人で難しいお話をしてお互いが知っていることのすり合わせをしてたみたいだった。
────乱入者が、現れるまでは。