85.ステイブルメイトな男(スティーブ視点)
怒ったように腰に両手を当てた女児から、「ちょっとこっち来て!」なんて、そんな呼び出され方をしたのは人生初めてのことだった。
「あんた、日本人でしょ」
「!」
ましてや、部屋の隅に移動するなりそんな風に言われて、言葉を失う。
日本人。そう、日本人なのである。
────私スティーブ、改め、吾輩、畔蒜 冥斗は、日本生まれ日本育ちの、れっきとした日本人だった。
それがどうだ、楽しみにしていたカードゲームの大会の一週間前に突如革新的なデッキ構成を思いついてしまい、手持ちカードの山と向き合いながら、最適なデッキ構築を試行錯誤していたあたりでプツリと記憶が途切れている。
三日間ほど飲まず食わずの徹夜で、デッキを組む作業とネットでの仮運用のバトルを繰り返していただけだというのに、我ながら情けないことだ。
中学の頃なら、あと数日は仮眠だけで平気だったと思うのだが……。
そんなわけで、次に意識を取り戻した時、吾輩の意識は全くの別人の中にあった。
元の地味だった外見の面影はどこにもなく、“麗人”と呼べてしまいそうな華やかな美形は、年頃は元の体と同じくらいだろう、十六歳くらいだと思える。
と、言うより、吾輩は自分が十六歳だということを、知っていた。
憑依というより、意識の融合。
スティーブとして生きた十六年はそのままに、そこに人格としての日本人、アビル・メイトの意識が乗り移り合体したような状態。
吾輩は畔蒜 冥斗であると同時に、侯爵家当主の弟であるスティーブ・ワンダー本人でもあった。
「────それから、スティーブとして暮らすことおよそ五年。二十一歳になった現在もその均衡は崩れておらず、吾輩はスティーブであると同時にアビル・メイトでもあるのである。吾輩としては、スティーブとアビル・メイトの名から取って、この状態を“ステイブル・メイト”と命名しようかと」
「……いい」
「おおっと吾輩としたことが失敬、マニアックな単語を。“ステイブル・メイト”とは、チェスの用語で双方が譲らず均衡状態を保ったままゲームが進行することを指す用語でして、かのテナー吹きが作曲したジャズの名曲『ステイブルメイツ』も、おそらくこの言葉から着想を───」
「もう、いいってば! いつまで自分語りするつもりよ」
「す、すまぬ。日本のことを話せる相手などついぞおらず、つい隙あらば自分語りを……」
「まあ……、ね。その感覚は私も、分からなくもないけどさ」
はあ、と。
吾輩に詰め寄っていた女児が、五歳ほどだろう年齢に似つかわしくないくたびれたため息を吐くと、その隣でずっと、吾輩の頭上あたりの空間を口をぽかんと開けて見ていたもう一人の女児が口を開いた。
「『(´・ω・`)』だ」
「そう、今はまた『(´・ω・`)』になったのね」
女児同士の会話は吾輩には何も分からぬが、当の本人たちは何やら通じ合っているらしく、大人びているほうの女児が訳知り顔で、ぽかん顔の女児の言葉に相槌を打ってやっている。
スティーブの記憶にも強く刻まれているが、生まれた時から外見で大優勝してしまっていたスティーブは、これまで老若男女問わず出会う人出会う人皆から見惚れられ、過度に擦り寄られ、そして辟易としてきた過去がある。
地味顔だったアビル・メイトも元来の人見知りであったために人との関わりを避け続けたせいで、憑依合体してからのこの五年でいよいよ人を寄せ付けない観賞用の美形といった立ち位置となっていた。
だからこそ、ここへ来てこんなにグイグイと女児二人に絡まれると、吾輩どう対応していいか分からぬのだが……。
……余談だが、アビル・メイト時代は誰の眼中にも無かったこの口下手さだが、スティーブになった途端にクールな振る舞いと周囲からもてはやされたのは、言うまでもない。
この世の不条理である。
「あなたってさ、一見クールって感じだけど、実は中身の日本人、えっとアビルだっけ? は、オタクとかそんな感じだったりするの?」
「Σ(º∀º ;)!」
「あ、びっくりドキンなお顔になったねぇ」
「やっぱり、図星ね」
吾輩はわずかに驚いただけで表情筋も動いていないはずなのに、ぽかん顔の女児が何か言ったかと思うと、なぜだか大人びた女児のほうが確信を得たようにニヤリと口角を上げて笑った。
「ど、どうしてそう思うのだね。この喋り方も、仕草も、これまで誰からも『クールで素敵』以外の感想を得たことはありませんぞ」
前世ハマったTRPGで鍛えた侯爵弟のロールプレイもさることながら、時折ポロリと出てしまうオタク口調だって、これまではこのクールな美形の印象によって上書きされて、オタクや根暗っぽいとは受け取られずにいたというのに。
むしろ、表情筋もこの通り死んでおるせいで、なかなか周囲に感情の機微を読み取ってもらえず、優秀な使用人たちも、常日頃吾輩の意を汲むのに苦労しているほどであるぞ。
「この子のおかげよ、ステラ」
「?」
ずいと、大人びた女児───名前を『レミ』というらしい、が、『ステラ』と呼びながら未だにきょとんとして状況を掴めていなさそうな女児を、自身より前へと押しやった。
何であるか、レミ氏。その絵に描いたようなドヤ顔は。
「ステラってば、あなたの感情が読めるみたいなの。それも、“顔文字”で」
「……そんな馬鹿な」
「ふふん、信じなくたっていいわ。だけど、ステラに嘘は通じないと思ったほうがいいわ、全部お見通しよ」
ふふっと、なぜかステラ氏のことをレミ氏が誇らしげに言って笑う。
もし、感情を顔文字で読み取るというのが本当なら、吾輩のオタク感をそこから読み取られたというのも、近づきがたいと言われる吾輩にこうグイグイと絡んできているのも、何となく辻褄が合う気がする。
何より、そのほうが面白い。
異世界らしいこの世界へ転生だか転移だか憑依だかをせっかくしたというのに、魔法も無ければ転生特典も無いなんて残念だと、ずっと思っていたのだ。
せっかくなら、特殊能力じみたものがある世界だと言われたほうが、ずっと嬉しい。
オタク心が存分にくすぐられるというものだ。
それから、レミ氏は吾輩にいくつか質問をして、その度にステラ氏に“顔文字”の確認を取り、それからガクッと見るからに肩を落とした。
どうやら、期待していた情報を吾輩が持っていないことにがっかりしたらしい。
しかし、吾輩は違う。
レミ氏の知見から、新たな日の目を見た。
そうか、我が姪のアリスは、あの“アリスたん”であったか。
吾輩の知る“アリスたん”とは、どこかの乙女ゲームに出てくる、いわゆる噛ませ犬ポジションのやられ役の悪役令嬢らしい。
『らしい』とは、そのまま深くは知らないという意味だ。
それ以上のことは知らない、ただそういうキャラがいるというのを知っている、そういう存在だ。
ファンアート、いわゆる二次創作界隈で人気のあった“アリスたん”の作品を見かけて『おっ、かわいい』と思っていくつか二次創作作品を追っかけたことこそあれ、その元ネタが興味の範囲外である乙女ゲームと知った前世の吾輩は、恥ずかしながら元ネタを履修する事は無いままだった。
もちろん“アリスたん”のフルネームがアリス・ワンダーであることも知らなかったし、この世界が“アリスたん”の登場する乙女ゲームの世界だなどと、知る由もない。
今レミ氏からそれを聞いて、乙女ゲーム転生だったのだと、今さら知ったというわけである。
乙女ゲームシナリオ───つまり、これから起こりうる未来の事象を吾輩が知っているのではないかとレミ氏は期待したようだが、それは残念、何の力にもなれなさそうだ。
吾輩がお手上げとばかりに手の平を上に向けて軽く肩をすくませると(スティーブのビジュアルだとこれが絵になる)、レミ氏は難しい顔で唸った。
「うーん、まあ、収穫が無いわけじゃないわ。差し当たっての懸念は晴れたしね」
「というと?」
「あなたのそのキャラ、スティーブは、アリスや主人公組にとって不穏分子だったのよ。侯爵のために生きる、無慈悲で冷淡な闇属性の大人って感じの役回りだったから。今のあんたじゃその心配はしなくていいでしょ」
「ほお。それは興味深いですな」
レミ氏の話によると、なんと吾輩自身もストーリーに絡むちょい役だったらしい。
ダニーというキャラの攻略ルートでの悪役はあくまで悪役令嬢ポジの“アリスたん”であったが、そのアリスたんが闇堕ちする最たる要因となっていたのが、吾輩ことスティーブだったのだとか。
「アリスから叔父が冷たく接するとか聞いてたから、あなたが現れたとき私、めちゃくちゃ警戒したのよ。『学ヒロ』でのスティーブは兄である侯爵のため、アリスを必要以上に束縛して、侯爵の娘としての奥ゆかしさを強制するような、厳格で冷淡な人物だったから」
「兄上のことは確かに吾輩がスティーブになる前からスティーブとして慕っておりますが……。まあ、確かに、吾輩と憑依合体する前のスティーブは、この美貌のせいで人間関係では良い目には遭って来ませんでしたから。兄上以外の人間全てが基本的には嫌いというスタンスがあのまま行き過ぎれば、あるいは」
レミ氏の話を聞いて、心当たりが無いことも無い。
兄上以外に心を許さず、人嫌いで誰とも関わりたくなかったスティーブは、閉じた世界の住人のままで育ってきた。
アビルとは違う方向で、人との距離感を履き違えていたように思う。
そのまま成人したとして、そこで兄上から娘のことを頼むと頼られれば、レミ氏の言うように、加減を知らずに一回りも離れた姪のアリスを制御下に置こうとしたのは想像に容易かった。
「でも不思議だわ」
「何のことであるか」
「アリスの現状よ。アリスは、学ヒロのシナリオと同じように、あなたに冷たく当たられたと感じて家出をしたのよ。今日だってそのことで不安げにしてた」
「それはまあ、その」
「?」
言い淀む吾輩を、レミ氏は不思議そうに見つめてくる。
子どもの純粋な瞳とは、なぜこうも威力と圧が強いのでござろうか。
吾輩は、心当たりのありすぎるその原因に、非常に申し訳ない気持ちになりながらも言及したのだった。
「吾輩その、人見知りであるゆえ、な。特に女や子どもとなると、スティーブもまた苦手な人種ゆえ……」
吾輩の言葉を聞くにつれ、愕然と、レミ氏の表情はそれはもう分かりやすく変化した。
そして一転、その顔が怒り一色に染まる。
「あんたねえ! そんな理由で小さい子を不安にさせてんじゃないわよ!?」
「まったくもって……、ごもっともであるなぁ……」
五歳児に叱られる成人した大人。
ほんに情けない……。申し訳ないことである……。
「あ! 『しょぼん』が泣いちゃったのよぅ」
ステラ氏がそう言いながら、何やら背伸びをして、吾輩の頭上のあたりに向かって両手を伸ばし、懸命に慰めようとしてくれていた。
吾輩はレミ氏に叱られながら、それを有り難く受け止めるばかりなのであった……(´;ω;`)
アリス・イン・ワンダーランド⇒スティーブ(スティーヴィー)・ワンダー⇒ステイブルメイツのコンボは作者が楽しかっただけです。
元ネタ分かった方はハイタッチしましょ〜
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さて! 実は今回の更新を持ちまして、本作品は100話目を迎えました!(閑話なども含む)
それもこれも全て、読んでくださっているみなさま、ブックマークや評価やいいねなどで応援くださるみなさま、ご感想をくださるみなさまのおかげに他なりません。
本当に、いつもありがとうございます。
感想も、全て楽しく読ませていただいております。本当に執筆の励みです。
どうか今後とも、ステラちゃんの楽しい日々を一緒に見守っていただけますと幸いです。
亀の歩みのような更新頻度ですが、これからも長い目でお付き合いのほど、よろしくお願いいたします。