10.ゲームでは冷徹王子のデイヴィス/前(デイヴィス視点)
僕はデイヴィス。
デイヴィス・ビ・バップ。
この国の国王の、二人いる息子のうちの二番目、第二王子だ。
王だ王子だと言っても、この国では王が政治の全てを動かすわけではない。
貴族を中心にした貴族院が王都で政治の取り決めを行い、国王はその決定に認可を与える形での参加になっている。
しかし時として王家の権威は何者にも代えがたい力を持つ。
国が荒れぬよう、国民全ての代表として、政へ正しく目を光らせる存在としてそこにあるのだ。
国の民もまた、国を支え守ってきた王家へ深い尊敬の念と親しみを向けてくれている。
僕は物心ついた時からずっと、兄である第一王子と比べられて生きてきた。
物静かな僕と、活発で優秀な兄。
この国では王位継承権は年長順だ。
兄に何もなければ、僕より四つ上の兄が次期国王となる。
つまり僕はスペアだな、と物心をついてすぐに自分の置かれた立場を理解した。
不満など無い。
兄は明朗快活で、人に優しい。
甘えることなく自分を律することができ、周囲には自然と人が集まり好かれ、慕われる人間だ。
僕だって兄のことを慕う者の一人だ。
僕にできないことをやってのける兄。
僕に優しい兄。
僕のそばにいるために、忙しい間を縫って会いに来てくれる兄。
彼がいつか国王となったとき、それを支えられる人間になれるようにと、僕も努力し続けてきた。
「第二王子には人を率いる才能がない」
「第一王子に比べて暗く、感情の起伏が乏しい」
僕に聞こえるように言ったわけではないだろうが、周囲からの評価は意識しないでも聞こえてきた。
噂話であったり、国の将来を考える立場の人間の会話であったり。
僕自身、その通りだと思った。
僕デイヴィス・ビ・バップは、兄のジョン・ビ・バップに勝ることなどない。
彼を引き立てていることを嬉しくすら思っていた。
思っていた、はずだった。
「デイヴィス、お前ももう少しジョンを見習え」
父である国王セロニアス・ビ・バップの言葉だった。
父は僕を困った子を見るようにして、そう言った。
元々父も母も公務が忙しく、普段共に過ごす時間は少ない。
十二歳になった兄は次期国王ということもあり、父や母の公務へ同行し勉強しているようだが、まだ八歳で第二王子の僕は、月に一度両親の顔が見られるかどうかだった。
父と、その隣の母が久しぶりに会いに来てくれたことに僕は浮かれていたようだ。
両親から向けられた可哀想な子を見る目に、僕は、自分の心が痛みを上げるのに気付いてしまった。
「デイヴィス。あなたももう少し自分の意見を皆に言っていいのよ」
母の言葉だ。
両親は、兄と違って大人しい僕を、心底心配しているようだった。
「ぼ、僕は」
声が上擦る。
自分の気持ちも目指す姿もはっきりとしているのに、口に出すのが恐ろしかった。
否定されるのが恐ろしかった。
「僕は、ジョン兄さんがいつか王になったとき、ジョン兄さんを支え、ジョン兄さんの言葉を、意志を、国民に伝えることができる、そんな人間になりたいんです」
それでも口にした僕へ、向けられたのは憐憫の込められた眼差しだった。
両親は思ったのだろう、僕が第一王子に成り代われないから、諦めてしまっているのだろうと。
そして彼らの期待が僕から逸らされていくのが、はっきりと分かった。
生まれた時から国王になるべく、王妃になるべく育った彼らには、王家に生まれながらにして人を率いようとせず、支える立場に固執する僕の姿は情けなく思われたのかもしれない。
+ + +
それから半年ほどが経っていた。
広い分野で勉強をしてきたこともあり、僕にもいくつか得意な分野があった。
それは哲学や天文学であったり、ピアノを始めとした音楽であったり、芸術であったり。
王権を奮うこととはなんの関わりもないようなものばかりだ。
帝王学の権威をも唸らせるカリスマ性を発揮し始めた兄との差は、どんどんと開いていくように感じていた。
兄の体は父に似て体格は大きく、運動も得意だ。
比べて座学に傾倒して母似の線が細い僕。
いっそ何もかもが対照的な兄のことを、僕は少しずつ、少しずつ苦手に思い始めていた。
大好きだった兄。
心の底から慕っていた兄。
しかし、兄のためになりたいと臨んでいた勉学には、今は以前ほど力が入らない。
両親の期待に応えられない自分が情けなかった。
兄のようになれない自分が情けなかった。
しばらく腑抜けたようになっていた僕は、ある日両親から誘いを受けた。
久しぶりの家族四人が揃った会食の席、そこで“ピアノの発表会”に出ないかと誘われたのだ。
勉学に身の入らなかった僕は、それでも得意な科目は進んで学んでいた。
最近ではピアノのコンクールで国の年少の部で優勝することもできた。
かといって、ピアノで国一番になったところで王権とは関係のないことだ。
僕はこれといった感慨は抱いていなかったし、両親も一言二言と賛辞を述べたのみで、手放しに褒められるようなこともなかった。
「“演奏会”ではなくてですか?」
ここ王都にあるコンサートホールでは、定期的に演奏会が開かれていた。
今回の主催であるというジャレット家は、貴族位こそないものの、国中に支店を持つ大商家で、財力や民への影響力では高位の貴族にも劣らない大家だ。
先代までは王都に店を構えることができる程度の商店だったらしいが、現取締役のゲイリー・ジャレット氏の手腕はすさまじく、彼一代でジャレット商店の名を国中に轟かせ、現在の富と名声を築き上げたらしい。
かの家の奥方は元々ピアノ演奏で名が知られる名手だったが、近年では作曲や編曲でもその優れた手腕を発揮し、コンサートホールでピアノ演奏会を開いては、立ち見を希望する者すら後を絶たないほどの人気を博しているという。
そんな大家が、子どもが手習いで行うような“ピアノの発表会”をするということに首を傾げる。
「ええ、発表会よ。あなたとコンクールで競い合った子も数人出るわ。もちろんメインはジャレット夫人の演奏だけど」
「あの家は子煩悩でも有名だ。四歳になった愛娘が初めてコンサートの鑑賞に来るらしい。その配慮だそうだよ」
「なるほど」
母に続けて父の言った言葉に納得する。
ジャレット家が一人娘を溺愛しているのは耳にしたことがある。
ゲイリー・ジャレット氏が至るところで親馬鹿丸出しで自慢しているのだ。
曰く、「私の天使」。
しかし、あの成功の動力源でもあるようだし、彼が娘のためにやったという下級層や福祉事業への投資もあらゆる方面へ良い影響を与えた。
それらを回り回って自らの利益ともした彼の手腕に触発され、同じく福祉事業や寄附に力を入れ始めた貴族も多いと聞く。
あれだけ大切にしている娘のためなら、子どもを集めたピアノの発表会のひとつも企画するだろう。
きっと似た趣向の同世代が集まる噂を耳にした母が、僕の名を挙げたのだろうと想像する。
「わかりました」
僕は、まあコンクールと違って優劣がつかないだけ軋轢もないだろうと、普段は競い合う立場の数人の顔ぶれを思い浮かべながら了承した。
「当日は私とサラも観覧に行く。私たちは侯爵の位を使って私はバードと名乗るがな。お前の出番は一番目だ。励むように」
父の言葉に少し驚いた。
コンクールの時も公務が忙しく付き人から結果を聞くだけだった両親だが、今回は身分を隠してになるらしいが、同席が叶うらしい。
作物の主な収穫の時期を迎えると、貴族院の貴族たちや、他国の関係者も各領地へ戻る必要があるらしい。
寒くなる前にと備蓄や領地の整備のためのあれこれを整えるらしく、一時的に王都の政務が手すきになる時期なのだそうだ。
ああ、いい機会をもらえたようだと、僕は最近ではあまり感じなくなっていた、心が浮き立つ気持ちを少しだけ感じていた。
+ + +
発表会が終わって、主催であるジャレット家のディジョネッタ・ジャレット夫人の演奏を舞台袖で聞いていた僕は、早鐘を打つ鼓動と顔の火照りを収めることができずにいた。
噂には聞いていたし、数曲は彼女の作った曲の譜面も見たことがあった。
しかし、名手と謳われた彼女の生演奏は、僕の今まで聴いたどんな音楽よりも僕の心を揺さぶっていた。
舞台中央で、会場中から押し寄せる波のような拍手と歓声を一身に受けている女性から目が離せない。
僕や、コンクールでよく顔を合わせる同世代の他の面々は、みな舞台袖で掛けていた椅子から立ち上がり、舞台上で礼をする彼女に釘付けになっていた。
みんな言葉もなく、顔を上気させている。
ああ、この時、この場で、この演奏が聴けたことに感謝する。
礼を終えた彼女がこちらへ向かってくる。
その顔には、母よりもずっと年下だという年齢よりもずっと成熟した、妖艶さすら浮かんで見えるようだった。
「どうだったかしら」
やや荒い呼吸のまま僕たちを見回した彼女の額からは汗が流れ、その体からはうっすら湯気が上っている。
全力を尽くした演奏。
動きの激しさだけではない、曲への集中が、表現に尽くした力が、まるで全力疾走をしたあとのように彼女を消耗させ、そして美しく魅せていた。
「素晴らしかった……」
ただ、そう零すことが限界だった。
“本物”を聴き、肌で感じた僕らは、頭の中まで鳥肌が立ったようになったままで、今この瞬間にもピアノに齧りついて、貪欲に彼女の演奏から得られたものを取り込みたい衝動に襲われていた。
たった今、彼女に応えることもなく追い立てられるようにこの部屋を飛び出していった子らは、まさに自宅のピアノへ猛然と向かっていったのだろう。
「あなた方へ何か伝えられたようで、何よりですわ」
ことここに至るまで、僕もジャレット家をまだ甘く見ていたようだ。
今回の発表会もまた、後進の教育を兼ねており、今後影響力を持つであろう子世代の有力者への布石だったのだと気付く。
僕も、音楽の道に生きることができる立場であったなら、ジャレット家を、この気高い美貌の女傑を慕い、追いかけ、腕を磨き続けたはずだ。
にこりと笑った彼女は「失礼いたします」と一度僕から視線を切ると、控え室に待機していた女性の使用人から受け取った濡れタオルで汗を拭い、水を一息で飲み干した。
そして自らの高ぶりをも鎮めるように数度深い呼吸を繰り返すと、最後に大きく息を吐き、優しげな商家の夫人らしい、穏やかな笑みの女性になっていた。
「本日はご参加いただけたこと、誠に光栄でございます」
「今日は侯爵家の爵位すら持たん息子としての参加だ。そこまでの敬意を払う必要はない。本当に、素晴らしい演奏だった、敬服するよ」
「勿体ないお言葉です」
普段は冷えた表情だと言われる自分の顔が、やや緩んでしまっているのが分かる。
僕は彼女の演奏にすっかり心酔してしまっていた。
「少し、話をいいかな」
「勿論でございます」
よく教育されたジャレット家の使用人たちは、すでに僕たちが語らうに十分のテーブルセットを用意してくれていた。
ホールの中、控え室の一角であるはずのそこは、十分に茶会として成立するだけの調度品が設えられた空間になっている。
いつの間に、と内心苦笑が漏れながら、席につき彼女と対面する。
「あの編曲はご自身で?」
「はい。選曲もそれを組み上げたのも私ですわ」
「ピアノの腕だけでなく、恐ろしい才覚だね。ハービーの曲は古くから親しまれてきたが、あんな発想誰も思いつきもしなかったことだ」
素直に感嘆した僕に、彼女が意味ありげに、そして心底嬉しそうに笑む。
「娘が音楽を好みまして、とても独創性に富んでいるのです。彼女と共にピアノを弾くと、いくらでも新しいアイデアが浮かびますの」
「これは、ジャレット家の子煩悩の噂は真であったようだ」
冗談だと思い、洒落て返したつもりだったが、彼女の表情は笑みのままだった。
その様子にまさかと面食らった僕は、なにかからかわれているのかと問うてみる。
「ジャレット家のご令嬢は四歳になられたかと思うが、あなたが作曲や編曲で頭角を現した頃はまだご令嬢は言葉を話すかどうかという頃ではないか?」
「……これは、寝言と思っていただいても構いませんが」
そうして彼女が語ったのは、にわかには信じられない話だった。