書を捨てて
「書を捨てて、町に出よう!」
「なあに急に。寺山修司の評論本? それとも、更に引用元のアンドレ・ジイドの『地の糧』かしら?」
僕が決め台詞のように図書室で勉強に励む彼女にそう言った所、そんな意味の分からない返答が来た。
「……え、な、何それ」
僕は予想外の言葉に困惑してしまい、彼女は嘆息する。
「……はぁ。ま、大した考えもなしに言ってみただけなのでしょうけれど、無学なあなたの後学の為に言っておくと、そのタイトルの本来の著者の意図は、恐らく『本を読むより外で活動しよう!』じゃないわよ」
「そ、そうなの?」
てっきり、言葉通りの意味だとばかり。
「あのね。その言葉を使った人は、しっかりと読書に励んでいたの。その上で、己の生の実感の為に、活動的になろうと一念発起して『外』の世界を求めた、というだけで、『外』に出てからも、別に『読書をやめている』とかじゃないから。読書不要論の擁護だと思ったら、大間違いですからね」
彼女の立て板に水の説明に圧倒されてしまい、僕はすっかり本来言いたかった『一緒に外で遊ぼう』というニュアンスのメッセージを言いにくくなってしまった。
「そ、そうなんだ。文恵は勉強家だなぁ」
「あなたが不勉強なの、走太朗くん」
僕はいたたまれなくなり彼女に阿ってみるが、バッサリ斬り返しを食らった。
こ、これはカウンターダメージが大きいですよ。
「ま、まぁ言葉の意味はさておいてさ、ずっと図書室に籠り切りって、ちょっと不健康な気がしない? たまにはさ、お外で遊ぶのも大事だと思うんだよね」
僕はもう取り繕う事をやめ、本来言いたかった誘い文句をかけてみた。
すると彼女はまた、深く嘆息した。
そして口調を変えて言う。
「走太朗くん。問1です。私達は、どういう立場なのでしょうか」
僕はおずおずと答える。
「……じゅ、受験生……です。高校受験を間近に控えた……」
すると文恵は、そうです、と言って、立て続けに問2を出した。
「では問2です。今私達がやるべきことは?」
僕はもはや抗えずに、小声になって答えた。
「…………受験勉強…………ですか?」
文恵はコクリ、と頷き、言い放った。
「よろしい。では、速やかに受験勉強に戻って下さい。お外で遊ぶのは、本日のノルマをこなしてからです。良いですね?」
「…………はぁい…………」
今日も僕はアプローチに失敗したな、と肩を落とした。
嫌々ながら数学の宿題と、受験に出題されるであろう模試に取り組み始める。
「……うう、難しくて頭に入らないよ」
「もう。普段からきちんとノートを取って予習と復習をしていれば、それ程難しくないでしょうに」
勉強をそういう風にしっかりこなす、というのは、簡単そうに見えて難しいんだよ。
僕は自分に言い訳をしつつ、表面上では彼女にお説ごもっとも、仰る通りです、と首肯する。
もう、高校受験が始まるんだな。
僕は外の風景を眺めて、思った。
「高校に行っても、僕らは友達でいられるかな」
僕が文恵にそう尋ねると、彼女は事も無げに言った。
「走太朗くんが、ちゃんと受験に合格して、私と同じ高校に行けたらね」
正論過ぎて返す言葉もないです。
僕は苦手な数学に悪戦苦闘しながら取り組み、勉強を終える頃には下校時刻を過ぎそうになっていた。
◆◆◆
「まずいまずい、閉まっちゃう! 走って文恵!」
「ちょっと、手を引っ張らないで……! 大丈夫よ、用務員さんに話を通してあるから……!」
僕は彼女の言葉を聞きつつも急ぐ。用務員さん、話聞いてないのか、以前に校門閉めちゃった事あるじゃないか。僕らは、よじのぼって帰ったことがあったのを忘れているのだろうか。
ああもう、もどかしい!
僕は彼女にごめんね、と言い、ひょいと背中に手を回し、それから一気に彼女を抱きかかえた。お姫様抱っこ、って奴である。
「ちょっ……!」
「急ぐよ!」
ダッと走り出す僕。
校門はまだ開いている。
あと1メートル。
そして。
「間に合ったー!」
僕が校門を通り抜けたあと、案の定校門は自動で閉まり始めた。
「あ……もう、またあの用務員さん、ボケて閉めちゃったのね」
僕の腕の中で文恵が呆れたように言う。
「だから言ったじゃん。もう、これだから早めに帰ろう、って言ったのにいつまでも残っているから」
文恵が家に帰りたくない理由は僕も知っているけど、遅くまで残りすぎだ。
「ごめんなさい……あ、でも、だからっていきなり抱きかかえるのは今後、禁止」
「はいはい」
僕は受け流す。
「……走太朗くんは、力持ちになったわね」
自分を抱えてダッシュで走り抜けた事を言っているのだろう。
「まあ、文恵を支えられる男になりたいからね」
僕がそう言うと、彼女はカアッと真っ赤になり、言った。
「……そういう不意打ちも、禁止」
「ちぇー。禁止事項が多すぎるね、文恵は」
僕は苦笑いして、そして歩き出す。
◆◆◆
「……高校に行ったら、私は家を出ようと思うの」
「……そっか。決心したんだね」
文恵の言葉に、相槌を返す僕。
「色々大変だけどね。その為にも、走太朗くんにはキッチリ合格して欲しいのよ」
「善処する……いや、必ず受かるよ」
僕は言った。
「よろしい」
文恵は満足そうに頷いた。
「あ……雪」
「ホワイト・クリスマスには早いわよ。もう」
僕らは見上げる。
冬の空を。
それはまるで、これからの僕らの過去のように灰色で、そこから降り積もる雪は、僕らの未来のように真っ白だった。
「……文恵、高校に受かったらさ」
僕の言葉を遮る文恵。
「あ、あー。そういうの、死亡フラグ、って言うのよ? 知らないの?」
不吉な事を。
僕は構わず続けた。
「……ちゃんと、付き合ってよ。僕と」
文恵は本日何度目になるか分からない嘆息をする。
そして、やおら言った。笑って。
「……もう、とっくに付き合ってると思ってたわ」
僕も、笑った。
どうやら僕は、女心についても、まだまだ勉強不足らしい。
『書』を捨てる日は、ずっと先になりそうだね。
(おわり)
ども0024っス。
なんか久々に普通の男女恋愛モノ書いたような……そうでもないかな。
連載じゃずーっと男女恋愛しか書いてないし。
学園モノの体で書いたのが、それなりに久しぶりの印象。
ええと、白状すると最初の数行だけが書きたかった部分です。
主人公のオリジンもヒロインのオリジンも、深く考えてねーっす。
『書を捨てて(←これは表記ゆれで、本来は『捨てよ』)、町へ出よう』という言葉、調べてみると割と皮肉な意味だったんですよね。
詳しくは以下に、元記事引用などのツイートが。↓
https://twitter.com/koala0024/status/1308733118388420608
なんつうか、読書家に対する僕の劣等感を強烈に刺激される言葉でした。
小説を曲がりなりにも書いているのだから、もう少し『書』に親しめ、と言われているようですよ。ふふふ(自嘲)
まあそんな、蘊蓄を初っ端にぶっ放して興味を引いてみようみてーな浅い試みの小説でしたが、どうでした?
最初に蘊蓄に興味をそそられない人は、瞬間ブラウザバックかな。