マシュー先生の正体 リカルドside
マシュー先生とやらに、お会いできるというレストランは、人気のある個室レストランだった。
こちらで、マシュー先生とディナーを頂きながら、新作や次回作について、お話しできるらしい。
今回、俺は父上とエリオス様の警護として、ついて行くという手筈だ。
マシューとは、誰なのだろう。
あの字についてはまだ・・・思い出せない。
「リカルドー!準備できたー?・・・エリオスが来ちゃうよ!」
俺が屋敷の警備の者から借りた警備員の服に着替えながら、考え込んでいると、父親が間の抜けた声で呼びに来た。
いつも父親は、ノロノロと時間がかかるのに、今日は昼頃から張り切って準備を済ませたらしく、先程からウロウロしている。
「父上、落ち着いて下さい。まだ、だいぶ時間がありますよ?ディナーの約束ですよね?・・・エリオス様だって、あと1時間くらいは来ません。」
「そーかなぁ。・・・あれ?エミリアちゃんは?」
「さっきから、ずっとロイド様とサロンに居ますよ?・・・父上も、そこに居て下さい。屋敷は比較的安全ですが、ひとりでウロウロしては、護衛していただいている意味がありません。」
「・・・でもさー・・・、リカルドがいるし。」
「俺は、ロイド様みたいには強くありませんからね?・・・自分の身を守れる程度です。」
父上は戻る気が無いのか、椅子に座って俺が着替えるのを眺め始めた。
「えー・・・でも、今日のリカルドは、僕の護衛だよね?」
「まぁ、そうですが。」
「ねぇ・・・リカルド。・・・そろそろ、だよね?」
シャツのボタンを留めながら、思わずため息が出る。
だから、まだ時間があると言ってるではないか。・・・どんだけ楽しみなんだ、父上は!
「さっきから、何分も経ってません!」
「ち、違うって!・・・リカルドの誕生日と、シンシアの、命日だよ。」
・・・。
・・・そうか、もうすぐ母さんの・・・命日だったな。
母さんは俺の誕生日の次の週に亡くなった。それもあって、俺はあまり誕生日が嬉しくない。
「・・・そうでしたね。」
「お誕生日会、しようね?・・・お墓参りも行かなきゃなぁ。・・・いつも二人で行ってたけど、今年はエミリアちゃんも一緒だね。・・・あ、護衛だからロイドもか。・・・今年は賑やかだね。」
「・・・。」
母さんの事を思い出すと、俺は悲しくて、それでいて複雑な気持ちになる。・・・俺の今の人生は・・・母さんが死んだから・・・あるのだ。
母さんが死ななければ、父上は俺を引き取ったりしなかった・・・と言うか、母さんは、父上になんかに俺を渡したりはしなかっただろう。
我が家は庶民にしては、やり手の母さんのおかげで、割に裕福で、お金に困っては無かった・・・。頭の良い母さんの事だ、俺の将来の事だって考えてくれていた様だ。庶民の良い学校に入学させて、それなりの仕事に就けるようにしてくれる気だったのだろう。
もしかしたら、今より苦労して無かったかもな・・・。
俺は侯爵とは言え、名ばかりだ。
エミリアを娶った事で、スチューデント家とロジスティック家の後ろ盾があるから、表立っては馬鹿にされずに何とかやれているが、結局はそんなモンだ。・・・庶民育ちの俺がしくじるのを楽しみにしている奴らは多い。外では気が抜けないのが現実だ・・・。
そうして、俺が何かやらかせば、全てを掠め取ってやる気なのだ。・・・ユリウス様の側に居る事も、エミリアの事も・・・全てを、だ。
・・・それにワイブル家は、父上の代でガタガタになってしまい、見た目の華やかさの割に、貧乏だ。なんとかすべく、頑張ってはいるが・・・墜落しないのが精一杯の、低空飛行を維持するしか出来ていない。それでも、家としての対面は保たねばならず、美しい屋敷や広大な薔薇園の維持費に、金が消えていく・・・。服だって、人目があるから無駄に高価な物を着るしかない。
したがって、我が家はいつもカツカツだ。
裕福な伯爵家育ちのエミリアには申し訳ないくらいに、贅沢などさせてやれていない・・・。
まぁ、エミリアの贅沢なんて、シーフードを沢山食べたいくらいなもんだが・・・。それでも魚は高い・・・。自分でも情け無くなるが、週に一度くらいしか食べさせてやれない。下らない見栄を維持する為には、生活費をケチるしかないのだ。・・・エミリアは魚の日を、とても楽しみにしている。
・・・エミリアは・・・俺なんかが現れなきゃ、毎日魚を食わせてくれる奴のとこに、嫁に行けたのかな?
ユリウス様だって・・・貧乏侯爵家と頼りない父上しかいない庶民育ちの俺なんかより、有力な家の出でコネや力のある奴を・・・右腕にできたのかな?
・・・母さんが生きていたら・・・俺はきっと、エミリアにも、ユリウス様にも出会わなかっただろう・・・。
この国で庶民が幸せになる事は、そう難しくない。努力して、勤勉に働いていれば、そこそこ金に困らず、幸せに暮らせる。市井には笑顔が溢れている・・・。きっと俺も身の丈に合った幸せを掴んでいたかも知れない。
その方が・・・お互いの為だったりしてな・・・。
「リカルドー!リチャード様ー!いるー?・・・あっ、いたいたー!ロイド様ー!ここにいるわー!」
俺が考え込んでいると、大量の本を抱えたエミリアと、やはり大量の本を持ったロイド様が、部屋にズカズカと入ってきた。
・・・お、おい、待て。
俺は着替え中で、まだズボンはいてないんだがっ!
「リチャード様っ!この本もお願いっ!マシュー先生からサイン、サインいただいてきて!」
「私の分と、ユリア様の分もお願いしたい。・・・あ、これだけの量だと・・・リチャードには少し重いか?」
「いーよー。護衛に持ってもらうから!・・・ねー、リカルド?」
俺は慌ててズボンをはく。・・・お、お前らっ・・・まだ着替えているんだ。少しは気を使えよな!
しかもなんだ?
父上は、その大量の本を俺に持たせる気なのか?
「わぁー!リカルド、なかなか警備員さんの服、似合ってるよー!・・・あ、襟のとこ、変になってる。」
エミリアはそう言うと、俺の側に寄り、襟元を直す。
「・・・ん?どうかしたの?リカルド?」
「あ、いや・・・。もうすぐ母さんの命日だから。・・・母さんが死んだから・・・こうしているんだなって、考えてた。」
「そっかー。・・・リカルドのお母さまが生きてたら、一緒にこうしていられたのにね・・・。」
・・・え?
「いや、母さんが生きてたら、俺は侯爵になってなかったよ・・・。きっと庶民として・・・。」
「えー、そんな事ないって。だって、リチャード様だよ?侯爵家の押し付け先をお父様に探させたってー。それで、リカルドは見つかって、やっぱり侯爵様だよ。」
「そ、そうなの?」
「そうだよ。だから、残念だけど、リカルドは、リチャード様からも、お兄様からも・・・私からも逃げられなかったと思うな?・・・これは運命だよ。はいっ、できた!」
エミリアは、ニッと笑って俺の胸元をパシッと叩く。
「・・・だけど、俺が現れなきゃ、エミリアは魚を毎日食べさせてくれる人の所に、お嫁に行けたかも知れないよ・・・?」
「あー、もー・・・リカルドは考えすぎ。毎日魚は流石に飽きるから!・・・まぁ、お金持ちになったら、週に3回くらい食べさせてよ。私さ、今回は長生きするつもりだから、ずっと先でもいいよ。気長に待つし。・・・期待してる!」
「・・・ん?・・・今回は?」
「・・・!!!と、とにかく、じ、人生は長いって事よ!・・・ああっ、そうだ!・・・あのさ、ふと思ったんだけどさ、リカルド・・・マシュー先生のサインに見覚えがあるんだよね?」
エミリアは慌てた様に言った。
・・・ん?・・・何か気づいたのか?
「ああ、そうだけど。」
「リカルドが・・・お母さまと暮らしていた頃の知り合いじゃないかしら?たとえば、昔は親しかった友人とか知人ではなくて?・・・だって、私もお兄様もリチャード様も見覚えが無い字、なのよね?」
・・・昔の知り合い???
そんな事があるだろうか?
俺が母親と暮らしていたのは7歳までだ。・・・その頃の知り合いの字を、俺が未だに覚えている?・・・そんな訳ないと思うが。・・・母さんの字は覚えているが、あれは母さんの字ではないし、もう死んでしまっている。
友人・・・。遊び友達は確かに何人かいた。だが、ガキの頃の下手くそだった字など・・・大人になったら変わっているのではないか?
・・・だけど、何か引っかかる。
昔の・・・友人???
昔は親しくて・・・今は・・・離れている人???
エミリアもユリウス様も父上も字を知らない人。
だけど、ロバート殿下とアメリア妃の事を・・・知っている人・・・。
ユリウス様が知らないなら、仕事関係だとは思えない。父上が知らないなら、ワイブル家の関係者ではない。エミリアが知らないなら、学園の友人ではない・・・。
・・・。
そうだろうか・・・?
俺は当たり前みたいに、ずっとそう思い込んできた。だけど・・・俺はエミリアと、一度も同じクラスにはならなかった・・・。
俺がエミリアの字を知っているのは・・・いつも一緒に勉強していたからだ。
一緒に勉強・・・?
・・・?
あっ・・・!
・・・ああ、そうか。
俺は、・・・ついに、あの字の持ち主を思い出した。
◇◇◇
指定されたレストランの個室には、すでにマシュー先生がいらしているらしい。調整役の編集者の男にそう言われて、俺たちはレストランの奥にある個室に案内された。
・・・ここは、護衛である俺がドアを開けて、先に入るべきだろう。
浮かれた父上と、よく分かっていないまま、大量の本を抱えるエリオス様は、俺の後ろから大人しく付いてくる。・・・大量の本は、俺が渋り「厳選して下さいと」言った為、父上がエリオス様に押し付けたのだ。
ドアのノブを握る手に力を入れる。
・・・久しぶりの再会が、こんな所になるとは思わなかったな。
俺はドアを静かに開けた。
ドアの奥には・・・懐かしいピンクブロンドの女性が、やや俯いて座っていた。
「・・・久しぶりだね、マーガレット。」
俺の声に・・・マーガレットは少し驚いて顔を上げた。




