可愛い奥様のご褒美 リカルドside
「はぁ・・・。」
思わずため息が漏れ出た。
・・・そして、山の様な書類の山を、ウンザリとした目で見つめる。
「今夜も・・・帰れないんだろうなぁ・・・。」
そう呟いて、資料に意識を戻そうとするが、逸れてしまった気は、そうそう戻っては来なかった。
「仮眠でも・・・するかな。」
そう言って、俺は机から立ち上がり、長椅子に横たわった。
・・・俺、新婚なんだけどな。
ふと、そう思い虚しさが込み上げる。
しかし・・・魔王を怒らせる訳にもいかない。
俺は、魔王の執務室に連なるドアを見つめ、また深いため息をつき、ソファーに沈み込んだ。
・・・俺の名前は、リカルド・ワイブル。
一応は、侯爵と言う位にはついているが、ここではただの補佐官として働いている。
俺が補佐として付いているのは、ユリウス・スチューデント様と言う魔王・・・ではなく、官吏だ。
まぁ・・・ただの官吏ではなく、将来の宰相と見込まれる方なのだが。
それもあってか、ものすごく忙しい。
ユリウス様もだが・・・俺も。
・・・はぁ。
俺は、幼馴染であり長年の婚約者であった、エミリアと先月、やっと結婚したばかりなのである・・・もう少し、配慮が有っても良いのではないだろうか???
ユリウス様は、エミリアの実の兄に当たり、俺にとっても兄の様な存在であった。・・・だから、ユリウス様は、俺がどれほどエミリアに懸想しているかを知っているはずなのに・・・この仕打ちである。
この1ヶ月、まともに家に帰ったのは何日あっただろう・・・。帰れば帰ったで、侯爵としての仕事がある・・・。
ああ・・・疲れた・・・。
エミリアに・・・会いたいな・・・。
俺は、そんな事を思いつつ、長椅子で微睡み始めた。
◇◇◇
コン、コン、コン。
ドアをノックする音で、俺はハッと目を覚ました。
どうやら、暫く眠っていた様だ・・・もう、明け方だ。
誰だろうか?・・・こんな時間に。
面倒事でなければ良いが・・・。
俺は体を起こし、警戒しつつ答えた。
「はい・・・。」
キィ・・・とドアは軋んだ音で開き、その半分開いたドアから、俺が会いたいと思っていたエミリアが顔を出した。
「!?・・・エミリア?!」
「おはよう!リカルド!・・・昨日も帰って来れないみたいだったから・・・家令がね、着替えを持って行けって。」
「・・・しかし、ずいぶん早いんじゃないか?」
「あー、昨日・・・徹夜しちゃって。そんななら、コレでも持って行ってあげて下さいって、怒られちゃってね・・・。」
エミリアはへらりと笑った。
これは・・・。俺はピンときた。
「・・・ロマンス小説か。」
エミリアの顔が強張る。
・・・きっと明け方までダラダラとロマンス小説を読んでいるのを家令に咎められたのだろう。
彼は、ワイブル家に引き取られたばかりの頃から、俺をだいぶ可愛がってくれており、いまだに何より俺を優先させている。
「な、なんで・・・知ってるの・・・?」
「知ってはいない。想像がついただけだ。・・・ダラけるなら、部屋でやれ。」
「・・・暖炉のとこで読み始めたら、止まらなくって・・・。」
・・・はぁ。全く・・・。
「エミリア!お前少し、だらしないぞ!」
「な、何よ!お着替え持ってきてあげたのに、その態度は・・・酷くない?!しかも、こんな早朝によ?!」
俺は思わずジト目になってしまう。
「いや、俺の為に早起きして持って来てくれた訳ではないだろう?・・・君は昨日から寝てないだけだ。」
エミリアは、俺を睨みつける。
「・・・せっかくリカルドに会いに来たのに!もっと嬉しそうにしてくれたって良いじゃない?!貴方の可愛い奥様よ?!もう少し喜んでくれても良いじゃないっ?!」
・・・全く、その通りである。
何をやってるんだ・・・俺。
エミリアを前にすると、いつもこうだ。
「はい。はい。嬉しいよ。可愛い奥様。それじゃー是非とも、俺を癒してくれよ。」
しかし、口から出たのはやっぱり嫌味な言葉で・・・。
やっぱり、何をやってるんだ・・・俺。
でも、エミリアは、俺のその言葉を聞くと、睨むのをやめ、着替の入ったカゴをテーブルに置き、俺の座る長椅子の側にやってきた。
「・・・リカルド。背中をポンポンするのと、手を握るのどっちが良い?」
「はっ?」
「何?・・・結婚する時言ったわよね?癒しに邁進しますって。・・・ねぇ、どっち?リカルドは、どっちが癒されますか?」
エミリアは真面目な顔で俺ににじり寄ってきた。
「せ、背中で・・・。」
思わず目をそらし、そう言うと、エミリアは俺をふんわりと抱きしめて、背中を撫でた。
・・・エミリアの匂いがする。
思わず、エミリアを強く抱きしめたくなるが、ふと我に返る。・・・あのドアの奥には・・・魔王がいる。
「ねぇ、リカルド。」
「ん・・・。」
「リカルド、頑張ってるよね。」
「まぁな。」
「・・・だから私ね、ここに来るまでに考えてたんだけど・・・リカルドに『ご褒美』あげようかなーって。」
驚いて、俺は思わずエミリアから体を離す。
『ご褒美』・・・?
可愛い奥様がくれる『ご褒美』とは・・・?
俺は思わずゴクリと唾を飲んだ。
「エ、エミリア・・・ご褒美って・・・?」
「欲しい?」
エミリアは、イタズラっぽく目を輝かせる。
欲しい・・・欲しいです、それ!!!
「ああ・・・せっかくだから、貰ってやるよ。」
俺は努めて冷静に答える。・・・我ながら可愛くない態度だ。
エミリアは、ニッコリと微笑んだ。
そうして・・・いきなり俺の頭に襲いかかってきた・・・!
「痛い、痛い、痛いっ!千切れるっ!髪っ!痛いっ!何するんだよ!やめろ、やめろってばエミリア!」
エミリアは、わしゃわしゃと俺の頭をまさぐり、髪を引っ張ったり、前髪を持ち上げたりしている。
・・・こ、これが『ご褒美』なのか???
かなり痛いんだがっ?!
「よし、大丈夫!」
エミリアは満足気に言う。
・・・何が『大丈夫』だ。大丈夫ではない。
かなり痛かった。
「こ、この痛いのがご褒美なのか???」
俺はおそるおそる確認する。
「まさか!ご褒美は、これからよっ!」
「い・・・要らない。・・・どうせ俺の毛でも毟る気だろ。それは俺じゃなくて、エミリアのご褒美だ。」
エミリアは、毛に拘りがある。
金髪は良くても銀髪は嫌いらしい。
・・・きっと、俺の毛は金色だから毟るのだろう。
意味は分からない。だが、それがエミリアだ。
「なんでリカルドの毛を毟るのが、私のご褒美になる訳???」
「どうせ・・・『毟って銀髪が出てこないか確認しよう!』とか、そう言う、訳の分からない事でも考えたんだろ?」
「ひ、ひどくない?・・・ちゃんと、リカルドが喜ぶ事だよ?」
「・・・毛は・・・毟らないのか?」
「毟りません。・・・リカルドには触りもしません。」
・・・いや、触れよ!!!
毟られるのは嫌だが、触るのはアリだろ!
そんな俺の気持ちも知らず、エミリアは、両手を上げて万歳のポーズをしている。
・・・可愛いな。
「私からのご褒美は、情報です。」
「は?」
「リカルドに・・・お兄様の秘密をお教えします。」
「!」
・・・思っていたのとは違う展開だが、これはこれで・・・なかなか素晴らしいご褒美が頂けそう?かな?
「ユリウス様の秘密・・・?」
俺は魔王の執務室に続くドアを横目で確認しつつ、声を潜めてエミリアに聞く。
「うん。・・・私ね、この前、分かっちゃったの!」
エミリアも俺の隣に座り声を潜めた。
「この前・・・?」
「うん、リカルド覚えている?・・・私たちの卒業パーティーとロバートとアメリアの結婚が立て続けにあった、あの日・・・帰りの馬車で・・・。」
エミリアの話に、俺はあの夜の事を思い出した。
◇◇◇
あの日、俺もだが、ユリウス様は大変に疲れていた。
ロバート殿下の意向で、ご結婚が大幅に前倒しとなった為、ユリウス様は連日連夜、その調整の為に奔走したのだ。
卒業パーティーでは、エリオス様に代わり、エミリアのエスコートまで努め、その後のロバート殿下の結婚式では指揮を取られた。
それもあってか、帰りの馬車で、とうとうユリウス様はうたた寝を始めたのだった。
それは相当、珍しい光景であった。
馬車には俺とエミリアしか居なかったのも大きかったと思う。
ユリウス様は、本性を決して表さないが、俺とエミリアに関しては別だ。たまに仮面が外れてしまう事がある。
・・・まあ、それだけ俺たちは弄られてきたとも言えるのだが。
「お兄様、寝てる。」
「本当だ・・・。」
エミリアの言葉に驚き、ユリウス様を見ると、ユリウス様はエミリアにもたれ掛かる様にして、眠っていた。
「お疲れなんだ。休ませてやれ。」
俺はエミリアにそう言ったが、内心は少し面白く無かった。
・・・兄妹とは言え、男がエミリアに持たれかかっているのは、なんだか嫌な気分だったのだ。
そんな俺の気分などつゆ知らず、エミリアはユリウス様の頭を優しく撫で始めた。
「お兄様・・・。」
エミリアは、小さく呟いて、少し動揺して手を止めたが、ユリウス様が気持ち良さげな顔をしたのを見ると、そのまま撫で続けた。
・・・仲が、良すぎないか?
内心、俺は思った。
兄妹のいない俺には分からないのかも知れないが、こんなにもベタベタするのだろうか?
元々、ユリウス様とエミリアはかなり仲の良い兄妹だとは思っていた。なんだかんだでユリウス様はエミリアをかまうし、色々と手を回して、エミリアを厄介事から遠ざけていた事も知っている。・・・こう言うのを、溺愛してると言うんだろうな・・・とは思っていたが、エミリアの方はユリウス様を割と避けている様に見えていた。
しかし・・・今は。
・・・なんだか面白くない。
「エミリア、ユリウス様が起きてしまうから、やめろよ。」
俺は思わず不機嫌そうに言ってしまった。
「え・・・。あ・・・、うん。」
エミリアは、驚いた様な顔をした後に手を止め、少し名残惜しそうにユリウス様の額を撫でると、そっと手を下ろした。
俺はそれをモヤモヤした気持ちのまま、見ていた。
◇◇◇
「あの馬車で・・・私、お兄様の髪を久しぶりに触って、気がついてしまったの・・・。」
「な・・・何を?」
・・・まさか、ユリウス様が好きだったと気づいたとか・・・言い出さないよ、な?
エミリアとユリウス様は兄妹だ・・・だか、あの夜の二人が寄り添っていた様子が、目に浮かび、俺は目眩にも似た感覚に支配される。
ユリウス様は完璧だ。彼と比べたら、誰だってつまらなく見えてしまうのではないだろうか・・・?
エミリア・・・。
「ユリウス様が・・・何だ・・・。」
俺は絞り出す様に言った。
エミリア・・・それでも俺は・・・お前を・・・。
エミリアは、真剣な顔で俺に向き合い、言葉を発した。
「お兄様は、直にハゲちゃうわ。」
「え?」
「ハゲちゃうのよ!お兄様!」
「はげ・・・?」
俺はポカンとエミリアを見つめた。
エミリアは、興奮して目をキラキラと輝かせている。
「馬車で、久しぶりにお兄様の髪を触った時に、あまりの髪の細さに驚いたのよ!それで、そおっと掴んだら、ハラリと取れてしまって!!!・・・しかも、オデコもよく見たら、心なしか広くなってたのよっ!!!なんだか、つるんとしてるの・・・!うち、お父様はフサフサだけど、お母さまの方のお爺さまね・・・髪が無いのよ!ハゲてるのよ!・・・お兄様ってお母さま似じゃない???ハゲちゃうのよ、あれは絶対にハゲちゃうわ!・・・さっき、リカルドで確認したけど、髪はしっかり地肌にくっついていたわ!普通は、ハラリと取れたりしないのよ!リカルドの髪はコシもあったし・・・貴方はハゲないわ!そもそもリカルドにソックリのリチャード様も、ハゲてないし、貴方の髪は安泰よ!・・・だから、ハゲるお兄様を哀れむがいいわ!!!・・・ね、これを知ったら、お兄様にこき使われても、元気出るでしょ?」
エミリアは、一気にそう言いきると、素晴らしく可愛い笑顔で微笑んだ。
・・・その後ろで、魔王の執務室に続くドアがゆっくりと開くのを・・・俺は見逃さなかった。
「エミリア、リカルド、楽しそうだね。」
魔王の優し気な声に、エミリアは飛び跳ねる程驚く。
「お、お、お兄様・・・い、いつからお聞きになって?」
エミリアは振り返ると、引きつった笑顔で魔王に尋ねた。
「もちろん、はじめからだよ。」
ニッコリと魔王は笑う。
・・・良かった・・・イチャつかなくて。
俺がそう思った瞬間、魔王はニィっと笑い言った。
「リカルドは・・・背中が癒されるのか。・・・今度私も撫でてやろう。」
・・・アウトか。
俺は俯き、赤くなった。・・・暫く・・・ネタにされるんだろうな、これ。
「お、お兄様!」
「何だい?エミリア。」
魔王はエミリアをニコニコと見つめているが、確実に苛立っている。・・・あれ程ハゲを連呼されたのだ。俺なら居た堪れない。
「こんな事もあろうかと思ってましたのよ!・・・作戦どおりですわっ!」
・・・エミリアの『作戦どおり』はいつもの事だ。いつもユリウス様に追い詰められると、そう言って、わざとハマってやったとばかりに言うのだ。負け惜しみにしか聞こえないが。
「ふうん。作戦ねぇ。」
「そうですっ!ね、こうして今、私とリカルドに薄毛の悩みを相談できる場を設けて差し上げたのですわ!」
「・・・何故、私がエミリアに薄毛の相談をするんだい?・・・そもそも、薄くもないが。」
「お兄様。私、スペシャリストなんですわ!薄毛の!!!」
エミリアは、決まったとばかりにドヤ顔になる。
しかし・・・。
・・・はぁ?・・・俺は思わず、変な声を上げそうになった。
ユリウス様も生暖かい目になっていた。
「な、な、な、なんですの!私って、知識豊富な、ある意味で人生のスペシャリストなんです!・・・お、お兄様、覚悟して下さいね!」
そう言うと、エミリアはゴソゴソと自分のバッグをあさり、ユリウス様の前に、細長いヘアブラシと、シャンプーを置いた。
「?これは?」
「・・・これはブラシですわ。」
「まぁ、それは分かるが。」
エミリアは、ブラシを握ると、隣に座ってる俺の頭をそのブラシでトントンと優しく叩き始めた。
「こうやって、優しく叩いて、毛根の血行を良くします。毛根は血行が良くなると、抜けにくくなるらしいのです。」
ユリウス様は、呆然とした顔でエミリアを見ている。
「そして、これは海藻が入ったシャンプーです。海藻は髪に良いのですが、それだけではありません!頭の皮脂の汚れもしっかり落とすのです。頭に汚れや脂がついたままだと、髪に悪いんです!・・・お兄様は最近、自分の女顔を気にして、髪を後ろに流して固めてらっしゃいますよね?・・・その、整髪料、ちゃんと落とさないと、ダメなんですよ!」
エミリアは流れる様に説明する。
さり気なく、ユリウス様を女顔とバカにしたが・・・気づかないフリをしておこう。
「ふーん。なるほど・・・ね。」
あ・・・ユリウス様の仮面が取れかけている・・・。
ガラの悪い魔王が、いつもの仮面の下から見えた。
「なら、エミリア、お前はデブるな。」
「・・・?お兄様?」
「お前の祖母はデブってた。お前も直にデブだ。残念だな。」
「!」
魔王は、おもむろにエミリアの脇腹を掴む。
「結婚して太ったんじゃないか?・・・お前、ずいぶん丸顔になったよな?・・・どうせ、リカルドが甘やかして、ぐうたらしてるんだろ?・・・あっと言う間だな。・・・しかも、これだけしっかりとくっ付いてる肉は、俺の髪と違って、そう簡単に取れないんじゃないか?ん?」
そう言うと、今度はエミリアの頬をぐにゅりと掴み、そのままドアの外へと追い出した。
ドアの向こうからエミリアが『痛っいー!何するのよー!お兄様ー!太ってなんか無いわよー!ドア開けてよー!リカルドー!』と騒いでいる声が聞こえるが、すまん、俺は開けてやれない・・・。
俺は何事も無かった様に、机に戻る事にした。
エミリアとやり合うユリウス様は、『稀代の天才』とは思えぬ低レベルっぷりだ。
はぁ。
・・・兄妹ケンカに巻き込まれるなら、仕事をしよう。
少しの間、ユリウス様はエミリアを追い出したドアを睨んでいたが、ドアの前が静かになると、ふいにエミリアの持ってきたブラシとシャンプーを手にし、「リカルド、これは私が預かる。」そう言って、執務室へ戻って行った。
・・・たまに、魔王の執務室からはトントンと言う音が聞こえるし、魔王は髪を固めなくなったが、俺は何も知らないし、何も聞こえない。




