奥様の勘は鋭い リカルドside
「・・・エミリアは、勘が鋭いな。」
ユリウス様は執務室に戻るなり、そう呟いた。
机に座り、片手で頭を押さえ、思案するようにして、ため息をついた。
・・・はっきり言って、俺もあれは怖かった。一体、エミリアは何を根拠に、どこまで気づいているのだろうか?・・・まだ確信を得てはいないようだが、どうやら俺たちに何らかの不信を抱いているのは、確実だろう。
「ユリウス様・・・。」
「・・・今は考えてもしょうがない。とりあえず、これを片付けよう。」
そう言って、ご自分の机にうず高く積まれている書類を指さした。そして、その横のテーブルには沢山の花や贈り物が山となって置かれている。
そう・・・。
エミリアと父上の誘拐事件は大事になってしまったのだ。
人出の多かったあの劇場で、エリオス様は二階の階段ホールから飛び降り、とある伯爵家の馬車馬を失敬し、二人を追うという、大立ち回りを繰り広げたのだ。もはや、目撃者が多すぎて内密になどできよう筈はなかった・・・。
結果として、首謀者は不明となっているが、俺たちは、調書をはじめいろいろな書類を処理しなければならなくなった。ユリウス様は、それらも想定済みではあった様だが、すべてに矛盾なくケリをつけるというのは、思いのほか大変な作業となるだろう。
また、大事となった事で、各方面からはエミリアや父上に対するお見舞いも届き始めた。・・・これらには、もちろんお礼状などを用意せねばならないだろう。・・・二人の心労や警備面での不安を気遣ってか、多くの品は屋敷ではなくこの執務室に届けられている。これらも開封してチェックし、屋敷に送らねばならない。
俺たちは顔を見合わせて頷き合うと、その処理へと取り掛かりはじめた。
◇◇◇
気が付くと、窓の外はすでに暗くなっていた。・・・本来なら、このまま続行して朝までに粗方終わらせてしまいたいところだが、そうはいかない。この状況で、エミリアと父上を放置する事は出来ない。あっと言う間に、『誘拐された奥方と父親を放っておく薄情な男』のレッテルを貼られてしまうだろう。
「・・・ユリウス様、そろそろ屋敷に戻ります。」
俺は、ある程度キリのついた所で、ユリウス様に声をかけた。・・・礼状の一部は持って帰って家でもできるだろうし、エミリアと父上に手伝わせても良い。カバンにそれらの書類と、お気に入りのペンをしまい、俺は帰宅の準備をはじめた。
「・・・リカルド、俺も行こう。」
「え?」
「・・・きっと、エミリアの事だ、リチャード様と共謀して、リカルドを問い詰めにくる。まぁ、あの二人に君がやり込められるとは思わないが・・・だが、あの二人だからこそ、不安なんだ。」
ユリウス様は真剣な顔でそう言うと、自分も帰り支度をはじめた。
「・・・家に使いを出しますね。夕食と部屋の準備をさせましょう。」
「ああ、すまない。・・・エミリアもだが、リチャード様も油断ならない所があるからな・・・。それに、今回の誘拐事件の真相は、何としても父上に知られる訳にはいかない。」
「そうですね。・・・まさか、エミリアが何かに気づくとは。・・・でも、エミリアはそれを知ってどうする気なんでしょうね???」
俺がそう言うと、何かに気が付いたユリウス様が、大きく目を見開いた。
「リカルド!そうか!そうなんだよ!!!・・・あの二人は・・・スチューデント家に行きたくないんだ!・・・監禁されるからな!・・・だから、残れるように私たちの秘密を暴きたいのではないか?!」
「え?・・・監禁???」
「ああ、そうだ。・・・あの父上の様子だと、二人はスチューデント家に戻ったら、監禁されて、父上にやりたい放題に溺愛されるんだ。だから、それが嫌で余計な事を企んだのだろう。・・・よし、二人の要求を飲もう!そうすれば、あの二人の事だ、疑惑なんて直ぐにどうでも良くなる。」
・・・ユリウス様、さらっと言ったけど、監禁されて、やりたい放題に溺愛されるって・・・何ですかソレ。怖いんですけど。
「そ、それは・・・怖そうですね。」
「ああ、アレは酷い。人間の尊厳を踏みにじる溺愛だからな。・・・エミリアは私がやられているのを見ていたから、余計に恐れて俺たちを脅そうなどと、下らない事を考えたのだろう。」
・・・ユ、ユリウス様の尊厳を踏みにじる溺愛って、ユリウス様はエリオス様に・・・一体何をされたんだ?
「な、何があったのです。」
「・・・言えない。」
ユリウス様はそう言って、顔を曇らせ目を伏せた。
エリオス様、何したんですか・・・マジ、怖いんですけど・・・!魔王のメンタルを削るって・・・相当ですって・・・!エリオス様って、絶対に敵に回しちゃダメな奴じゃないですかーーー!?
うん。分かった。これはヤバい。
この誘拐事件の真相がエリオス様に知られたら、確実にヤバい事になる。いろいろな意味で。
「・・・えーっと、じゃあ、二人はワイブル家に残れると分かれば、もう首を突っ込んでは来ないと?」
「ああ、そうだろうな。エミリアは帰りたくなくて、余計な勘を働かせているんだろう。真相に興味がある訳ではないだろうしな・・・。」
「で、でも、エリオス様は納得しますかね?」
「・・・しないだろうな。・・・だが、父上より何を仕出かすか分からないエミリアとリチャード様の方が放置できない。父上は賢く理知的だ。理由なく行動などしないだろう。・・・手強いのは確かだが、まだ予測できるだけマシだ。あの二人の方が怖い。」
「た、確かに。」
・・・確かにそうだ。エミリアと父上は予測不能だ。
あの二人の行動は理由も根拠も大抵は良く分からない。
真相だって野生の勘とかで簡単に見抜くかも知れないし、それを何も考えずに話すかも知れない。監禁が嫌で呆気なく逃げ出すかも知れないし、今度こそ本当に攫われるかも知れない。・・・確かに、怖いな。
「リカルド・・・二人に専属の護衛を付けないか?」
「護衛・・・ですか?」
護衛については、エミリアが狙われる可能性が高いと分かった時に、検討していた。
しかし、家の警備が十分である事と、父上が戻った事で、エミリアが一人になる時間が短くなった事、また専属の護衛となると信用的な面で、人選が難しい事から、保留してきたのだ。
「納得できる様な護衛がいれば、父上も文句は言えまい。・・・事件の証言が必要だから、こちらに留まる必要が出来たとでも言えばいい。」
「しかし・・・エリオス様が納得される様な護衛こそ、見つけるのが難しいのでは?・・・エリオス様より武の立つものなど、そうはおりません。」
「・・・ロバート殿下に相談してはどうかと思うのだが。」
「・・・ロバート殿下、ですか?」
「ああ、・・・殿下の育ての親は辺境伯だ。騎士団をお持ちの家であったろう?腕の立つ護衛など、いくらでも紹介できる筈だ。殿下の紹介なら、俺たちの敵になる事はないだろうし、なにより・・・エミリアは殿下の親友だ。エミリアの為に素晴らしい選択をしてくれると、俺は思っているのだよ?」
「それも・・・そうですね。殿下や辺境伯のご紹介でしたら、エリオス様も反対しづらいでしょうね・・・。」
「・・・よし、では先触れを出しておこう。」
ユリウス様は、そういうと机に向かって、ものすごい速さで手紙をしたため始めた。
・・・ユリウス様は、ものすごい速さでも、美しい文字を書くという特技をお持ちだ。
ちなみに、俺の特技はユリウス様と同じサインが書ける事なのだが・・・もちろん速さは普通だ。まぁ、ユリウス様も俺と同じサインが書けてしまうのだが・・・。
これらは、業務を迅速に進める上で、この上なく役に立っている。
「よし、この手紙をお願いして、ワイブル家に向かおう、エミリア達が何か余計な事をする前に、この事を伝えねば・・・。」
「そうですね。急ぎましょう。少し遅くなりました。」
そうして、俺たちは急いで帰路に着いた。
◇◇◇
屋敷に屋敷に戻ると、エミリアも父上も出迎えてはくれなかった。てっきり、待ち構えていて何か仕掛けてくると思っていたのだが・・・?
家令に尋ねると、二人は先に夕食をとっているらしい。
「・・・ユリウス様、私達も食堂へ向かいましょう。」
俺はユリウス様を促して、食堂へと向う。
・・・食堂へ入ると、そこには完全に酔っぱらった父上とエミリアが、グダグダになって座って飲んでいた。
・・・え、・・・何で?・・・何で二人は、酒なんて飲んでいるんだ?・・・やっぱり二人は予測不能だ。
テーブルの上には、割と高価な酒の瓶が転がっている。
こ、これを、飲んだのか?・・・二人とも、酒など殆ど飲めない体質ではなかったか???
「リカルド、おかえりー!・・・えー!お兄様もきたのー?」
「リカルド、おかえりー!・・・うわぁー!ユリウス君もきたのー?」
二人は顔を上げ、同時におなじ様な事を言った。完全に酔っ払いの顔をしている・・・。
「・・・エミリア、何で飲んでいるんだ?・・・この間みたいな事になったらどうするの?」
俺は、あせってエミリアからグラスを奪おうとしたが、エミリアは寸前の所でグラスに残った酒を呷った。
「そーならないように、飲んでるんだよ?」
「いや、でも死にかけてるんだし。・・・な?もうよせ?」
俺は、言い聞かせる様にエミリアに言った。・・・そうこの前、最悪のタイミングで、エミリアは飲みすぎて吐き、それを喉に詰まらせ死にかけたのだ。あれは・・・とても不幸な夜だった。
「リカルドー!僕、聞いちゃった!・・・災難だったよね?」
「はい?」
・・・え???・・・エミリアは、父上に・・・あの夜の事を話したの???えっ・・・?
ふと、横を見ると、ユリウス様は興味深げな顔で俺たちの話を聞いている。
「・・・結婚した日に花嫁さんが死にかけるなんて、リカルドは、ほーんと災難だよねぇ。・・・夫婦になって初めての夜に意気揚々と寝室に向かったらさぁ、寝ゲロして死にかけてるエミリアちゃんを見つけちゃうなんてさー・・・ロマンチックが欠片も無くない?」
酔っ払っている父上は、ベラベラとあの夜の事を話しはじめた。
「ひどいです!リチャード様!!!・・・リカルドはヒーローみたいでしたよ!咄嗟に、私の喉に詰まった何かを掻き出してくれましたから!・・・瀕死の花嫁を救う花婿って、ロマンチックしかないですって!・・・まぁ、リカルドも汚れちゃいましたけどね!・・・あははは・・・!」
・・・いやエミリア、笑い事じゃないし、ロマンチックは欠片も無かったからな!!!・・・そう言ってやりたかったが、口をパクパクさせるだけに留めた。・・・酔っ払いだ、何を言っても無駄なんだ。
俺は、エミリアが死ぬかと思ったから必死だったが・・・あれは酷かった!!!
・・・吐くだけ吐いたらスッキリしたらしく、エミリアは直ぐにクタリと寝てしまった。だから俺は、一人でその後片付けをしたのだ。・・・そして汚れた俺は、シャワーを浴びながら、ちょっとだけ泣いた。
・・・ずっと大好きで、やっと結婚したのに、はじめての夜にこの仕打ち。色々とこみ上げてきてしまったんだ。少し泣いたって良いだろう?
ふと、肩にあたたかいものを感じる・・・。
魔王が慈愛に満ちた笑顔を俺に向け、肩に手を乗せていた。
「リカルド、ありがとう。エミリアなんかを貰ってくれて。・・・お前でなければ、あっと言う間にエミリアは出戻ってきていたね・・・。」
ああ、また・・・俺は魔王に揶揄いのタネを提供してしまったのだな。
・・・そう悟った俺は、父上のグラスに残る酒を一気に呷った。・・・もはや・・・飲むしかない。
久しぶりに飲んだ酒は、体に染み込む様だった。




