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四月・早起きは三層のチョコレート

今回は幕間的な話である為、りりすちゃんは登場しません。

ご了承ください。


   *


次第に遅くなりゆく開店時刻に合わせ、家を出る。

自宅から車でほんの数分ほど。一階は喫茶店、二階は温室であるその建物の敷地は、大部分がピロティになっている。片田舎なので駐車場は広ければ広い方が良い。その隅に車を停めると、男はいつものように仕事場へ向かった。

店長、と呼ばれている。マスター、などと呼ばれるのはまだ気恥ずかしい。

ほとんど道楽のような心構えで始めた店だ。園芸店の下のテナントに巡り合うまで、大した曲折はなかった。もしこの場所が手に入っていなければ、喫茶店なぞ開いていなかったかもしれない。諦めるというほどのことでもない。ただ様々な縁が重なり合い、自分は今ここにいる。

扉を開けると吊るされたベルが鳴った。温室は広いがこちらはその半分ほどもない。上へと続く螺旋階段は吹き抜けで、半円柱のガラスの壁に囲まれていた。紐を引いてブラインドを開ける。二階の天井から降りているそれは、途方もなく長い特注品だ。初めてこの物件を見たときから掛けられていた。日差しの強いときには閉めるが、基本的には開店前に開けている。

開店時刻までさほど間はない。

だが、朝の一番に来るような客の心当たりは、ひとりだけだった。

男はレジ台に添えられた椅子に座ると、傍らの小型パソコンを立ち上げた。ホームページの更新と、メールの確認。そしてささやかな調べもの。常連客の学生のようにタブレット端末を使いこなすとまではいかないが、この程度なら習得している。

「……さて」

男はパソコンに貼りつけていた紙片を手に取った。以前、このデスクの上で見つけたものだ。自分の知らぬ間に置かれていたわけだが、置いた者に心当たりがなくもない。喫茶店に来る客であれば誰でも容易く近寄れる場所で、犯罪じみた意図は感じられなかった。紙片には、インターネット上のどこかを示すアドレスと二次元コード、それを閲覧するために必要なパスワードだけが記されている。既にアクセスは試みているため、何に繋がっているのかは知っていた。マウスを動かし、張り巡らされた情報網の栞を辿る。そのサイトはブックマークの最上段に登録されていた。

シンプルなフォントで記された表題が、一列。

このサイトの更新頻度は高い。だからこうやって、週に一度ほどは覗くことにしている。奇妙な手段で知らされた存在ではあるが、見ると決めたのは自分の意志だ。今のところ後悔はしていないし、不都合もなかった。

しばらく読み進めていたが、やがて男は腰を上げて作業に戻った。開店の時刻が近づいてきたのだ。営業中を示す看板に取り換えているとき、隣接するアパートからひとりの青年が姿を見せる。黒縁眼鏡に、やや明るい色味のラフな髪型。派手さはないが人好きのする容貌である。

「おはようございます。こんな早くに、いつもすみません」

彼とは数ヶ月前に出会ったばかりだが、最も頻繁に顔を合わせる客ではないだろうか。講義に向かう前の朝食や、休日の午後のひと時を過ごすため、よく訪れてくれる。

「いつでも来てくれて良いんだよ」

最初は店主と客という関係でしかなかったが、それは少しずつ砕け、今では砂のように滑らかだ。他愛もない世間話もするし、趣味の話にも耳を傾ける。こんな歳の男から友人と呼ばれるのも迷惑かもしれないが……。

「そうだ」

カウンタの椅子に手を添えながら、青年は告げた。

「りりすちゃん、今日は来ていますか?」

男は振り返る。その視線を、やや上空へと向けて。少し驚いたかもしれない。彼の方からそんな質問を投げ掛けられるのは、初めてだったのだ。

だが、言葉の意味は理解できた。

「あの子はいつでもここにいるよ」

二階。螺旋階段の上。ガラスの天井と壁に囲まれた温室が、雨屋りりすの居場所だ。

「会いに行くかい?」

そう問い掛けると、彼は静かに首を振った。

「いえ、まだ」

それならば、螺旋階段は誰も使わない。いつもと同じように注文を受けると、男は厨房へと向かった。青年は鞄からタブレット端末を取り出し、折りたたみ式のキーボードの前へ立てかけている。これさえあればパソコンに遜色ない作業が可能らしい。

リズミカルに響く打鍵音を聞きながら、ふと、あのサイトのことを思い出した。

原稿用紙のように白く静謐な画面に浮かぶ文字。もし一冊の本であれば表紙に綴られていたであろう、その言葉は。

――シグナルグリーンの天使。


   *


喫茶店の扉を開け、中に入ってくる新たな人影があった。

といっても、彼はこのエリアを担当している配達員である。飲食のために訪れた客ではない。仕事柄、仕入れの配送を頼むことが多く、既に顔なじみだった。

「浅間さーん」

朗とした声で呼ばれた男――喫茶店店主、浅間は厨房から出てそちらへ行った。差し出されたペンでサインをし、段ボール箱を受け取る。注文した覚えのない品名だ。今回は通信販売の荷物ではないらしい。

デスクに箱を置いて振り返ると、常連客の青年、如月サツキがこちらを眺めていた。

「どうしたんだい?」

尋ねる。配達員はとうに店を後にしていた。

「そういえば初めてお名前を聞いたな、と」

サツキは微笑む。確かに彼からはずっと店長さんと呼ばれており、苗字すら名乗ったことがない。宛名を見ている配達員とは違い、彼が名を知らずとも無理はなかった。当然ながら浅間とて生まれたときから店長だったわけではなく、家族と共有する苗字や家族に与えられた名がある。両親と、姉ばかりが三人。家族構成については、そういう話題になった際に話したはずだ。

「浅間さん」

歌うように呟いた彼の言葉に、改めて呼ばれるのはむず痒いと感じる。だがこれも一度きりのことであり、自分は店長と呼ばれ続けることだろう。この場を離れて彼と会う機会は滅多に無く、ここにいる限りは店長と呼べば事足りるのだから。

「それは、ご家族ですか?」

カウンタの奥に飾られた写真立てを見て、サツキは尋ねた。個人経営の店であるので、それなりに私物が多い。店を始める前に撮った写真も、それ以降のものも、統一感のないフレームに収めて飾っていた。

「ああ。僕の家族だよ」

ひとつに目を向ける。何の記念日だったか、晴れ着姿の姉の写真があった。

「姉が三人いるから、四人姉弟。それと両親。なかなか賑やかな家族だったなあ」

もちろん、今はそれぞれの家庭を持ち、異なる場所で暮らしている。特に一番上の姉なぞは、世界中を飛び回っていて日本にすら戻らない。先ほど届いた荷物も、その長女からの土産物だった。今はどの辺りにいるのやら。コーヒーの抽出を待つ間、段ボール箱の封を切り開けた。

相も変わらず使いどころの分からない置物や衣類。形に残るものを贈るという拘りがあるようだ。喫茶店に場違いな調度が増えていくのはそのせいで、アジアから西洋まで、各国の不思議な造形が並ぶ。菓子類も多少は、入っている。

「おや」

緩衝材を除けて取り出したものを見て、思わず呟いた。その声に気づいたサツキが身を傾けて覗き込む。

「ホームズ像ですね」

彼女はイギリスにいるらしい。特に興味があると告げた覚えもないが、これはなかなか悪くなかった。カウンタの端、観葉植物の隣に置く。

「お姉さんと仲が良いんですね」

コーヒーにチョコレートを添えて差し出す。先ほどの荷物に入っていた英国土産だ。普段と異なる茶請けに顔を綻ばせた後、彼はこう尋ねた。

「大人になっても贈り物を交わす関係だなんて、素敵なことだと思いますよ。どんな方たちなんですか?」

「姉のこと――かい?」

浅間は動きを止めた。三人の姉について尋ねられたのは、いつぶりだろう。姉ということはもちろん年上であり、彼からすれば祖母にすら近い年齢かもしれない。そんな彼女たちに興味を持ち、素敵と表現する彼こそが良い青年だと感じた。

確かに長女はよく物を送ってくる。それは弟に対する気遣いというよりも、彼女自身の性格によるものが大きい。自分が足を着けた国の、痕跡を日本に残したいのだろう。荷物には手紙すら入っておらず、お元気ですかのひと言もない。

ただ、常に明るく活動的であることは、昔から変わらなかった。

「一番上の姉は見ての通り、ずっと海外にいてね。彼女に日本は狭過ぎたようだ。職業としては、古美術商になるのかな……世界中を旅しては、美術品や絵画を買い集めて」

堅苦しいことが苦手な人で、式典の類にはろくに顔を出さなかった。成人式も、大学の卒業式も、すっぽかしていたように思う。祝い事が嫌いなわけではないので、友人の結婚式には派手なドレスで駆けつけていた。

「二番目の姉は反対に、古風で生真面目な性格だなあ。誰に教わったわけでもないのに、いつの間にか着物を自分で着れるようになっていた」

学生時代の部活動は、書道と茶道を掛け持ち。目鼻立ちのはっきりした器量良しであり、学園のマドンナとして囁かれていた頃もあった、らしい。若いうちから和服を普段着のように着こなしていた。写真にも和装ばかりで写っている。

「三番目の姉は今で言う天然で――お調子者、でもあったかな。人の懐に入るのが上手くて、親戚にも可愛がられていたよ。って、もう何十年も前の話だけど」

そんな話をしながら、チョコレートの袋に手を入れた。個別に包装されているわけではなく、大きな袋に十個ほど放り込まれているのだ。ひとつ摘まんで口の中に放る。キューブの形をしており、上から紅茶・緑茶・コーヒー味の三層だった。近頃は海外でも緑茶味の菓子が買えるのだろう。箱の中にあったリーフレットは英字で綴られている。それでも、どのようなコンセプトで作られた菓子であるのかは理解できた。

「そうだ、紅茶が好きな人だった」

思い出したので呟く。三女――最も自分と歳の近い姉は、紅茶を拗らせていた時期があったのだ。もしかすると、今もそうかもしれない。

「別にイギリスに興味があるわけでもないし、長女と違って海外に行く気もないみたいだけどね。紅茶にだけは拘りを持っていたっけ」

そんな話を聞きながら、サツキはチョコレートを眺めている。パッケージの箱はカウンタから見える位置に置かれていた。ひと粒口に入れてから、

「美味しいですね」

と呟く。それは浅間も同意見だった。

「店長さん、今は寂しくないですか?」

彼は問いかけた。まるで寂しかった過去を確信するかのような口ぶりだ。大学生の彼は家元を離れて暮らしているようだが、何か思うところがあったのかもしれない。浅間は努めて明るい声で返した。

「そんなに寂しくはないけどなあ」

「本当に?」

「案外と近くにいるものだよ、家族って」


   *


浅間は奥で本を読み、サツキはタブレットを操作するという時間がしばらく続いた。その静寂が破れたのは彼がコーヒーのおかわりを要求した時であり、更に詳しく述べれば、浅間の手帳から一枚の写真が舞い落ちたからであった。立ち上がる際、デスクに乗せてあったのを落としたのだ。ひらりと現れた古い写真を、サツキは見逃さなかった。

「もしかして家族写真ですか?」

五人が並んで写っているものであり、そう見えても不思議はないだろう。そして正解でもある。確かに自分が家族と共に撮った写真だ。

「見てみるかい?」

拾った写真を差し出せば、サツキは顔を顰めた。

「……随分とブレていますね」

「うん」

楽しそうに答える浅間を、彼は奇妙に思っただろう。更に怪訝な顔をしつつ、写真を裏返して見たりなどした。

ピントは全く合っておらず、走りながら撮ったかのような残像がある。かろうじて五人ともが枠内に収まっていたが、そこにいるのが男なのか女なのか、年恰好はいかほどであるのか、それすら分からない状態であった。ただ中央に立っている人物は和装であるため、女性であることくらいは認識できる。背景には雑多に物が置かれている気配があり、写真館のような改まった場所で撮ったわけではないと感じるだろう。それが家具なのか、吊られた衣服なのか、あらゆる可能性が考えられるものの。各人のポーズもどこか間が抜けている。あくまで日常の一コマだ。

「それは、僕の両親と姉たちが僕のところに来たときの写真」

もう二十年近く前のことになる。つまり写真の中の浅間自身も今よりずっと若いが、サツキにはその判別もつかない。

「店長さんも写っているのですか?」

「そうだね」

「個性的ですね」

「僕の家族が?」

サツキは短く息を吐き、裏返していた写真を元に戻す。裏面には写っている人物の名前が記されていた。並んでいる順番と同じように横並びで。

「こんな写真を家族写真として持ち歩いている店長さんが、ですね……」

どれが自分なのか訊かれるかと思ったが、他に質問は無かった。写真の裏の名前は、左から順に蒼依(あおい)(うしお)衿子(えりこ)寛太郎(かんたろう)於都(おと)となっている。

「どれが誰かなんて分からないよね。一応、そのメモの通りに並んでいるのだけど」

中央の、かろうじて和装だと確認できる女性が衿子。右隣りの人物は名前からして男性。他の名前は両性あり得るものであるし、サツキがどれほど考えてもそれ以上は手詰まりのはずだ。

彼が写真を返してきたので、再び手帳に挟む。家族が写っている写真は他にもあり、店に飾ってある。そもそもこれだって、全員が写っているわけではない。写るべき者は四人姉弟と両親。写真にいるのは五人。ひとり足りていないのだ。

「ごちそうさまでした」

唯一の客は、コーヒーを飲み終えた。三粒のチョコレートも全て食べている。気に入ってもらえただろうか。ひとつに三つの味が入っていることもあり、好みの分かれそうなものではあったが、美味しいと言ってくれたのだから大丈夫だろう。

彼は鞄を肩に掛けて立ち上がる。これから大学に向かうのかもしれない。すっかり出掛けられる状態でここに来た彼は、真面目に早起きしているようだ。今は四月。毎日現れる彼の服装を見ていれば、春休みが終わったことも分かった。休みの日は、やはりこれより少し締まらない恰好をしているのだ。

「ああ、そうだ――」

扉の方へ向かおうとした彼が振り返った。視線を上向きにしたような気がしたが、すぐにこちらを見据える。悪戯ぽく笑っていた。いつもならここで「店長さん」と続けるのだ。他の呼ばれ方をしたことはない。

けれども。今は。

「そうだ、浅間さん――浅間、寛太郎さん」

如月サツキははっきりと、男の本名を呼んだ。


   *


上から順に、紅茶、緑茶、コーヒー味。

そのチョコレートは、客が自分で好きなフレーバを選び、三層に重ねることができる店で売られていた。箱に記されていた店名で調べれば知れることだ。ロンドンではちょっとした名菓である。浅間はリーフレットを読み、これらのことを把握した。

サツキがタブレットを使って店を調べることは予想できた。彼は興味を引くことがあるとすぐに手を動かしている。そこまでは驚かない。ただ、それと自分の本名とは関係ないだろう、という考えがあった。遠く離れた国で、姉が土産として買ったチョコレート。不鮮明に写る家族写真。裏面に記された名前は、ほとんどが男女の区別すらつかない。それだけの情報で彼が自分の名前を言い当てるなど、想像できるはずがない。

「脅かすようなことをしてごめんなさい」

サツキはまだ笑っている。

「配達物の宛名を読んだ……?」

「いいえ」

首を振る。その通りだ。菓子箱はともかく、段ボール箱は見える所に置いていない。

「簡単な推理と、あとは思いつき、ですかね」

「思いつき?」

「あのチョコレート、完全な立方体なので上下の区別がないと思うんですよ」

チョコレート。そう、チョコレートだ。あれがヒントになったと彼は話し始めた。長女自身の選んだ三層が、古風な次女、紅茶好きの三女、そして喫茶店を営む末っ子を示すであろうことは想像に難くない。

「お菓子の缶の窪みに収まっているタイプじゃなくて、こう……大きな袋にザラッと入っていたじゃないですか。どちらが上かなんて分からないでしょう? でも店長さん、三つのチョコレートを全部、同じ向きで置きました」

目を閉じて思い返す。彼の言う通りだ。コーヒーと共にチョコレートを出す際、袋から取り出して小皿に乗せた。そのとき、確かに三つともを同じ向きで置いたのだ。〈上から〉紅茶、緑茶、コーヒーの順になるように。しかし、この形ではそもそも「上」なんて存在しない。つい当たり前のように考えてしまったが、これは浅間家の姉弟のみに通じる認識でしかなかった。

「最初は年齢順かと思ったんです。フレーバを選んだのは長女さんなのだから、自分を抜いて次女、三女、末っ子の順だって。でもそれだと紅茶が真ん中になる。あえて年齢の順番を崩したってことは、もしかして――」

カウンタの上には写真が置かれている。また手帳から取り出したのだ。何が写っているのかも分からないそれは、いくら目を凝らしても何かが見えるわけでもない。だが、真相を知っていれば、そこに誰が立っているのかありありと浮かぶ。

「浅間さんのご姉弟は、必ず並ぶ順番が決まっていたんじゃないかな、って」

幼い頃から、手を繋いで歩くときも。写真を撮るときも。明るくお調子者の三女がいつも真ん中にいた。長女、三女、次女の順。その状態で幾年が経ち、順番が変われば居心地悪く感じるほどに定着した頃、少し歳の離れた弟が生まれた。彼はあまり積極的な性格ではなかった為、ひっそりと次女の隣につくことになる。

「ご両親とお姉さん方が来た時の写真、でしたよね? つまりここにいるのは六人。写っているのは五人ですから……まあ、ひとりは撮影係でしょう。真ん中の着物姿の女性が次女さんだとすると、右隣の男性――寛太郎さんが、店長さんだということです」

「本当に?」

数十分前、彼の方からそう訊かれたのと同じ口調で問い返す。サツキの言うことはおおむね正解であったが、確認しておきたいことがあったのだ。

「次女が古風なのは母親の影響で、この和装の女性は母かもしれないよ?」

何せ年恰好すら分からない写真なのだ。サツキの推理を使うなら、次女が撮影係に回っている可能性もある。いくら姉弟の並びが決まっていたとしても、親という立場の人間を間に挟むこともあるだろう。

だが、サツキは堂々と首を振った。

「それはあり得ません。だって衿子さん、誰に教わったわけでもないのに着物を着るようになった、って聞きました。お母様の影響ではありませんよ。衿子さんがお母様に着付けてあげた、というのもちょっと考えづらいです。背景、写真館のような改まった場所じゃなさそうですし」

「ああ……確かにそういう話をしたね。うん、そりゃあそうだ。正解だよ」

男は――浅間寛太郎は頷いた。まさか三層のチョコレートからここまで言い当てられるとは思わなかった。思慮深い青年だと感じていたが、いやはや。

次女は衿子。三女は潮。母が蒼依で父の名が於都だ。長女は写真の中にいない。実は彼の推理にはひとつだけ根拠の薄い部分がある。撮影者のことだ。姉弟四人に両親を合わせて六人、写っているのは五人。だからひとりは撮影係だろうと彼は推理したが、そもそもこの場に姉弟と両親の全員がいたなんて誰も言っていないのだ。

「あっ」

腑に落ちたような声があがる。

合わないピント。駆け回りながら撮ったかのような、派手な残像。カウンタの内側に飾られた「ちゃんとした写真」と見比べながら、彼にも気づいたことがあったようだ。

「これを撮ったのって、もしかして」

両親と姉たちが自分のところに来たときの写真、と言った。嘘ではない。だが全員が揃ったとも言っていない。あの頃から放浪癖のあった長女は、海外にいて集まることができなかった。だから撮影側にいたわけでもないのだ。

「うん。二十年くらい前かな」

否、サツキが言ったのは時期の話ではないだろう。この写真の撮影係が誰であったのか、それを告げようとしたのだ。家族が〈僕のところに〉来たときの写真。当時、既に浅間は独り身ではなかった。

古い写真を手に取り、微笑む。

「三歳の子にしては上手く撮れているだろう?」

それが、顔も分からない写真を後生大事に持ち歩いている理由だ。


〈四月・早起きは三層のチョコレート 終〉



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