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#90 Fiendish Fish

 強風が背を押した。

 フィペスカの司る嵐が、一刻でも早く魚から離れようと焦っている。

 急な推進力を得た船。

 二度は転ばない。靴底をぐっと床へ押し付けて耐えた。


「エンジャロサラウィズフレイミア!」」


 ラフェムが魔法のレイピアを作り出し、フィペスカの隣へ跳んできた。


「……フィペ、増援が来るってことはあるのか?」


「それは大丈夫……。この魚、獲物の横取りはしない主義なんだ。……しつこいから……」


「しつこい……?」


「もし横取りが起きたなら、恨みでどちらかが死ぬまで殺し合うよ。魚自身がそうだとわかってるから、それぞれ手を出さないんだ」


「……じゃあ、逃げるって……」


「フォレンジの大陸まで……」


 フ、フォレンジまで……?

 マジかよ……。

 ここからじゃ、大陸なんて欠片さえ見えないってのに……!


 先に言っ……いや。言われてたとしても、ここにいるか。


 集中しろ……。命を狙う敵を退けねば。ドラゴンのあの狂気的な強さと、精神が怖れ震える程の汚れた思想を前にしたのだ、こんな魚なんか恐れるに足らない!


 本を出すため鞄に手を掛ける。

 と、同時に、血飛沫が煙幕のように視界いっぱいに広がった。


「え」


 船が大きく揺さぶられる。

 びゅうと嫌な音がした。


「アアアアアア!!」


 詩歌が叫んだ。その真横で、ボトボトと鈍い音を立て、何かが船の上に落ちる。

 先程貫かれたマグロモドキと、垂れた帆だった。

 魚は投げられた勢いで引き千切れ、貫かれた部分から真っ二つになって内臓をぶちまけている。

 追い風に鉄生臭いが運ばれてきて、喉だか気管支だかが痙攣するのを感じた。


 大魚は、飯をわざわざ投擲武器にしたようだ。

 それほどまでに、俺らはその丸々肥った魚を無駄にしても良い程、美味で価値がある食材に見えたのか?


 しかも、俺らの誰を狙うわけでもなく、船の原動力であるマストを壊そうと投げたらしい。


 幸運にも大きな帆柱は無事だったが、突如想定されてない重い肉塊が突っ込んできたわけで、四角い帆の付け根は破け、それを支える細い棒は折れてしまった。


「……なんで……なんで帆を狙う…………? そんな……」


 フィペスカの呟く声が、やけに鮮明に聞こえた。

 軽くなったはずの操縦用のロープをしっかりと握ったまま、彼は俯いた。


 野生動物が、初めて船と上の餌を見て、真っ先に動力をこんな的確に奪うものか? 人間同士ならまだしも、向こうは船の仕組みなんぞ知り得ない魚だ。

 もしかして……もしかすると、この魚は……。そうであれば、納得がいく。


 でも、今はそんなことを考える時間じゃない。

 死んだ魚を持ち上げ、申し訳ないが海へと還って貰った。

 そして本から帆の代用品として『パラシュート』を生み出したが……。


「でぇっ!!」


 一瞬体が重くなって床に叩きつけられるかと思った。そして次の一瞬で体が逆に軽くなったような気がして、更に結局床に叩きつけられた。


 真下から頭突きをかまされたようだ。船が軋み、波が荒立つ。

 減速した船は格好の的だ。次から次へと無茶苦茶な方向から来る衝撃に、まともに立っていられない。


「お、おい! こんなのすぐに底が抜けるぞ! ショーセ急げ!」

「わかってる!」


 歯を食いしばって揺れに耐え、フィペスカと一緒にパラシュートを柱に結びつけようと試みる。ラフェムもどうにか体当たりの試行回数を減らそうと、火球を投げ入れたり、レイピアを銛のように水面に突き刺す。


 だが、揺れが酷い!


 焦るし、ちょっとでも油断すれば海に落ちそうだ。

 中々柱に登れない。高い場所に括らなければ俺らや船とぶつかって干渉してまともに前に進めない。


 フィペスカの焦りか、追い風が揺らいできた。

 ずっと真っ直ぐだったのに、変に曲がりはじめて、肌もピリピリする。


「いい加減にしろ!!」


 ラフェムが怒鳴り、レイピアを纏った左腕を空高く掲げた。


 船の周囲に火球が蛍のようにふわりと現れた。

 吹く萌黄の嵐をまるで無視して、ふわふわと好き勝手に揺れている。


 その炎は瞬く間に膨らんで、唸る火球に早変わり。


 詠唱しながら振り下ろす。

 火球は同時にに海へと飛び込んで、噴水のように水柱をあげた。

 ジュワと音を立てて白い煙が登り、波に船が持ち上げられた。


 魚のタックルとは違う揺れ。喩えるなら、タックルは追突事故のように揺さぶられ、炎の波はスロープや緩やかな坂に乗り上げたような揺れだ。

 ……今まで事故ったこと無いけど。車は高価すぎてうちには無いから……。


 波が過ぎた反動に沈み、束の間の安定の間に柱によじ登ってパラシュートを括り付けた。

 途端に萌葱色の風が布に体当りして、船が僅かに前進する。



「海よ、海よ、船をどうか護って」


 詩歌の囁くような歌声が聞こえた。

 彼女は顔を覆い、震えている。視界に入れるのを拒んだのは、俺か現状か。

 歌声から発現した水の帯は、蛇のように船の外へ飛び出して、空中を動き回る。


 宙を這い回るそれに規則性はなく、意味のない動きかと思えたが……。

 水帯がこちらに迫ってくる。

 船の境内に入る寸前に、ぐらりと船が揺さぶられ、帯は離れていく。


「これ……魚の位置か?」


 歌が止まる。

 同時に水の魔法も泡沫となって消えた。

 彼女は血を浴びた恐怖か、それとも死の淵と化した船に怯えたか、柱に寄りかかって体を震わせたまま動こうとしない。顔は真っ青で、今にも吐きそうだ。


「私、このぐらいしか出来ない……、ラグもあるし、深さの表現までは上手くできない……。役立たずで……、本当に……ごめんなさい、お願い、……ラフェム……皆を護って……」


 か細い声で言い終えると、これまた風で今にも千切れそうな糸の如く頼りない歌を奏で始めた。

 いつもの存在しないはずの伴奏たちはどこへ消えたか、音楽として聞こえるのは彼女の歌だけ。


「言われなくとも。そういう約束で船に乗ったしね」


 ラフェムは真剣な表情で、空を巡る水を目で追うと、先を読んで火炎を放った。

 俺だって、皆を護るさ。……詩歌が俺に守って貰って欲しくないんなら、……その意見を尊重するけど。

 フィペは、暗い顔して何も言わず俯いていた。


 今俺たちがすべきことは……フォレンジに着くまで、船と皆を守ること。

 魚が討てればなお良しだけど、水中戦なんか当然やったことないし、どうやって倒すか思い浮かびやしない。


 船もだいぶ元のスピードに戻ってきた。

 だが、そもそも進んでいた船の正面に奴は姿を現したのだ、それは魚の泳ぎのほうが、船より速いことを意味する。

 実際、詩歌の魔法は、平然と船の周りをぐるぐると回っている。ただタックルの間隔は、帆が破れた時よりも開いているが。


 本を閉じたら台無しだ。ノドの隙間に親指を挟み、どうするべきかを思索する。だが、思い浮かばない。どうにも今日は、頭が冴えない……。昨日も冴えてはなかったが……。


 俺は、動揺してるのか?

 何に?

 魚か? ドラゴンよりマシだ、そう頭ではわかってても、心が追いついていないのか? 今までこんなことは無かったじゃないか。


 そもそも動揺?

 いつからこんな頭が鬱屈で埋め尽くされてる感覚がする?


 ……。



「ふん!」


 ラフェムの声と、鈍い打撃音が重なる。

 撃ってきた尖い舌をレイピアで弾いたようだ。

 水中から飛び出した舌は、ラフェムの隣の宙を突いていた。


 獲物を貫く銛だけあって、舌だというのにとても硬いらしい。

 本物の剣と、鋼と同じ硬度を持つ炎とぶつかったのに、目視の限り裂傷どころか、かすり傷一つ付いていなかった。狙いを外した舌は、ラフェムの追撃よりも先に水の中へと引っ込む。


「んん……、迂闊に身を乗り出しても刺されそうだな……。でも火球も対して効いていない……、……。ショーセ、なんかいい考えはないか?」


「今はちょっと……。俺よりも生物に詳しい感じの人がいるだろ? ……聞いてみなよ」


「フィペスカ?」


「え、オイラぁ!? オイラは全然……。運搬が主な仕事だから……」


 ……フィペスカだったら俺から聞くわ!

 詩歌だよ詩歌……! って思ったけど、ラフェムは知らないか。バッタの話もタガメの話も人間の話も、ラフェムがいない時の話だった。


 わざとらしく目配せすると、素っ頓狂な顔をして彼女を二度見した。


「……シーカ?」


「わ、私なんかの意見、どうせ……」


「とりあえずなんでもいいから、何かないか?」


「えっと……平然とタックル繰り返してるから、外側は全部硬いかも……。……あの魚が、普通の魚と同じような作りであれば……エラが弱点かもしれない。」


「エラってのは……」


「ああエラならオイラにもわかるよ! ヒレのとこのべこべこしてるとこだろ? でも後ろに回らないと刺せないんじゃ……」


「海の魚だから、常に口を開けているかも……。海の魚は水を取り続けないと。あ、でも……鱗的に……」


「ふぅん、とりあえず喉を刺すような感じ。……やってみる」


 エラは俺たちの肺に相当する部位だ。

 そこの柔さと、負傷時の影響を考えれば、狙う価値は充分だ。それに失えば死ぬ部位を執拗に狙われれば、嫌がって去る可能性もある。

 ナイスアイデアだ。だけどそれを伝えたら、彼女はまた嫌な顔をするだろう。心の中に留めておこう。


 詩歌は再び歌い始める。

 水の帯は、俺の横へ……。


 不味い。咄嗟に剣を抜き、構えた。


 水の揺らぎを感じる。

 魚の凶器が水面を突き上げ、水飛沫が舞う。陽光の屈折が煌めく。


 剣を振るい、俺の腹を狙った突きを受け流す。


 響く金属音と共に、一歩踏み出し、その前にした足で床を蹴り、魚の喉元へ飛び込んだ。

 腕を引き、大きく開いて格好の的となった口内を目掛け、剣を……。


「ぐあっ!」


 突っ込む前に、俺の脇腹に激痛が走り視界が歪んだ。


 体が床へ叩きつけられたのと同時に、魚が体を跳ねる時のように折り曲げ、俺を舌の側面で殴ったことを理解した。


 人間は足で走る、魚は蛇のように体をくねらせ前進する。

 船と並走するその力は、想像を絶していた。痛みを理解して、ようやく何をされたか知る、それほどまでの瞬発力でのカウンター。

 歯を食いしばり、遠のく意識を繋ぎ止める。


 こ、これは……水上で口の中を狙うなんて……夢のまた夢なんじゃないのか……? 水中でも絶対難しいだろ……。

 ……三人のような便利な魔法を持たない俺は、どうすればいい? 皆に任せたほうがいいのか……?


 すぐに立ち上がったが、既に魚は海中へと姿を消していた。水の魔法は、うろうろと船上を飛び回る。

 船の真下、どれほど深くかはわからないが、そこで次の手を考えているようだ。

 これじゃあ、目視出来ないし、俺は何にも出来ない……。


 だが突っ立ってる訳にも行かない。

 魚が考えている間、俺も考えるしかない。


 魚……。

 漁……網はどうだ? 引き揚げ……るのは駄目か。でも、絡ませるのはどうだ? 絡まってる亀や鳥の絵、見たことある。


 動きを鈍らせれば、フォレンジまで逃げ切れるかもしれない……。

 あとは……剣以外の武器も……。

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