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#83 夕闇鍛錬

 ラフェムは咳払いをして、気まずさを誤魔化した。

 そして残しておいたフルーツを何切れかまとめて食べながら、散歩中に得た情報を話し始める。


「船を操る漁師はいるのだが、向こうの大陸へ移動出来るかどうかはまた別らしい。そして今、シェオラージュ以外の船乗りはフォレンジの方にいるみたいで、いつ帰ってくるかわからない」


「じゃあ、やっぱりシャードールさんが帰ってくるまで待つのか」


 ラフェムは首を振って、目線を下げた。


「…………シャードールさんは、二年前に亡くなったそうだ」


 ……え?


 亡くなられていた……のか?

 ネロンさんはそれを知らなかったのか。


 …………龍に捕らえられ、死の淵で弄ばれたんだ。自分の住んでいる町から出るのは怖いだろう。龍のいる方角であれば尚更だ。

 交流の機会が少なかったのだ、仕方がないか。


 でも、じゃあ、シェオラージュって……。


「フィペスカ……なのか」


「そうだ、彼は父の意を継いでいる。彼だけが、唯一の頼み」


「なら、なんでさっき断られたんだ?」


「事実はわからない……。だが、今、海路に問題が起きているらしい。魚の移動だそうだ」


 この島の終わりであるラスリィ、次なる大陸であるフォレンジ。


 その海路の途中を、巨大な魚の群れが横切っているらしい。


 とても、巨大な。

 魚も、群れも。



 シャードールさんが亡くなった理由も、この群れに巻き込まれたかららしい。


「船を出さない理由は……」


「だろう。本来なら、群れが過ぎるのを待ったほうがいいのだが……」


「そうはいかない理由があるのね? すごい時間がかかるとか?」


「ああ、後……三十日ぐらいは掛かると」


「一ヶ月!? そんなのドラゴンが動き出すじゃないの……!」


「ああ、だからどうにか頼もう。無理に巻き込むのは気が乗らないが……。駄目なら、その時は……僕らで船を出すしかないだろうな」


「……まあ、ここで死ぬようなら、ドラゴンなんか夢のまた夢……って話だしな」


 でも、海難とか、転覆とか、そういう実力無関係の無駄死には出来る限り減らしたい。

 散るのであれば、せめて龍の前で。


「まあ、もう日暮れ。魚がどうであろうと、どのみち明日だ。ぜひ泊まってくれって言われたし、それに甘えさせてもらおう」


 そういうと、彼は残っていたフルーツを総て鷲掴み、まとめて口の中に放り込んだ。

 咀嚼を終えると立ち上がり、コートを脱ぎ捨て出入り口の方へ歩き出す。


「どこへ?」


「夕ご飯まで鍛錬しようかなって」


「じゃあ俺も」

「わ、私も」


 鍛錬なら、武器もいるかな。

 とりあえずあまり使いこなせてない剣だけ持ってこ。

 コートを脱いで追っかけた。



 ラフェムが扉に手を伸ばす。


 トビラがキイと鳴いたとき。

 竈の前でトカゲを捌いていた夫婦が振り向き、ラフェムに微笑んだ。

 ラフェムも微笑み返す。


「相変わらず頑張り屋ねえ。ご飯出来たら呼びますね」


「ありがとうございます」


「いっぱい動いてきなさいよ!」


「はい!」



 後ろにいた詩歌が、ぽつりと呟いた。


「いいな」と。


 振り返ったら睨まれたので、聞こえなかったフリをした。






 紺色の星空が、太陽をビリジワンの丘の後ろへと追いやっている。



 影は長く、風は強く。


 一日の終わりがすぐそこまで近付いている。

 もうすぐ、俺たちの姿も闇に溶けるだろう。


 すでに色の違いが薄れ、手を動かすと残像が見える。


「さて、初めての鍛錬になるのかな。 一緒に頑張ろうぜ」

 ラフェムの目が、ぼんやり光っている。

 ランタンに消えかけの火が灯っているみたいに。


 この世界の人の目が光っているタイミングは、高揚してるか、やる気に満ちているとき、後は怒っているときも。


 とにかく心が燃えているときだ。

 素晴らしい意気込みを垣間見た。



「ねえ、なにやるの? どうやったら強くなれるの? 強さの秘訣は? 今から何するの?」


 詩歌が間髪入れず、答えも待たず質問を積み重ねる。

 俺も興味がある。


 どんな訓練をしているのだろう?

 どんな修行をしているのだろう?


 俺たちも同じぐらい強くなりたい。

 今のラフェムよりも強くならねばならない。


「強さの秘訣は今からやることに通ずるな。それはな……」


 ラフェムは格好つけて額に指をそえると、胸を張った。


「筋肉を鍛えるんだ」


 ふむ。


 そして?


 あれ?

 えっと……え?



 不敵に笑った口はもう動かない。

 回答が終了した。


 特殊な鍛錬方法があるとかではなく?

 代々伝わる修行のメニューがあるとかではなく!?


「それだけ!?」

「隠してんでしょ! っわ!」


 ポン!

 と、何かが目の前で弾けたもんで、びっくりした。


 ラフェムがおはじきみたいに、錬成した小さな火玉を俺たちに飛ばしてきたんだ。


 炎は言葉通り目と鼻の先で爆ぜた。

 なんの殺傷力も無く、熱いという感情も沸かないどころか耳にも優しく、ただおどかされただけ。


 澄まし顔のまま、ラフェムはやれやれ……といいたげに、手の平を空へ向け、肩を竦めた。


「筋肉を馬鹿にするなら、一生強くはなれないねぇー。魔法は健全な肉体に宿る、そして強い肉体では相応の魔法が錬られる。礎無しに屋敷を築ける訳ない。頑丈で巨大な基礎は大事だぞ?」


 ラフェムは自らの腹を平手で引っ叩いた。

 その勢いは敵に剣を振るう程に躊躇いがなく、反射でこっちの腹が引き攣った。


 パン、と甲高く、それでいて鈍い音が響く。

 まるで、硬いコンクリを引っ叩いたみたいに。


 それでいて、ラフェムは平然としている。

 音に反して、痛くも痒くもなさそうで。


 ……うん、俺はラフェムが筋肉質なのは知っている。詩歌も多分、病床か風呂で見ただろう。


 恐らくの事実に、楽して強くなりたいが為の反論なんか、述べたところで意味ないよな……。


「はいはいつべこべ言わずにやるぞ! やんなきゃ成果は現れない!」


 彼がパンと手を鳴らすと、鬼火が俺たち三人を囲むように円を成して出現した。

 そうして、彼は普通のスクワットを始める。


 ……はぁ……。


 やるか……。




 腰を落とし、立ち上がる。



 地球の体では、まず腰を落とせず筋トレ以前の問題で終了していただろう。


 だけど、転生後の体はすこぶる調子がいいし、筋肉もこの星の平均的な程にある。


 しかも今まで実戦をこなしてきたし、歩き回ってるから、スクワットなんか余裕だ。


 百回ぐらいは優雅に出来る。


 ……うう、百回もやるのか。



 そう思うと気が遠くなる……。



「ラフェム、何回やるんだ?」


「……回数? そんなもの……知らないよ」


 ギョッとした。

 すでに呼吸が重く、汗がしたたり落ちているもんだから。


 俺よりも優れた体の彼が、俺よりも疲れているなんて……明らかにおかしい。


 その違和感は、ラフェムと俺の差異を洗い出すキッカケになった。



 囲う鬼火は、そもそもは互いの姿が見えるように配置された照明。


 だが、鬼火に凄まじいエネルギーを感じる。


 圧縮しているようだ……筋肉に力を込めるのと同じように。


 そして、彼のスクワットは、一回一回が美しい。

 見るだけで疲れるような、完璧なフォーム。


 ゆっくりで、呼吸のリズムを安定させ、膝には負担をかけず、太ももを苛め抜くド変態なその姿勢。


 カウントを増やそうと急ぐことをせず、楽になろうと無意識にフォームを崩すこともせず、ただフォームに集中して、自身を追い込んでいる。


 それに飽き足らず、魔法を使ってかなり負荷を掛けている。


「……し、清瀬」

「……詩歌……。多分俺も同じこと思ってる」


 この調子では、強くなれない!


 彼と同じように、自ら適切に苦しまなければ、意味がない!!



 彼の動きを参考に、意識してやってみた。


 自分に出来るかはわからないが、筋肉に魔力のバネを仕込むイメージもして、楽になろうとする意思を徹底的に叩きのめしながらしゃがみ……ゆっくり立ち上がる。



 意識を少しでも零さぬよう、集中して、もう一度、もう二度……。



 おおおおっ、キツイ!



 キツ……。



 ……。



 何回でも出来そうと自分が恥ずかしい。



 油断すれば体はすぐに苦難を避けようとする。

 それ自体が苦しいし、認知するのも、意識し続けるのも、それを殺すのも苦しい。



 詩歌と互いに監視しあって、正しいフォームであるか、呼吸をしているか、ラフェムとの違いがないかを常に確認し合う。



 彼女のしんどそうな面持ちの頬を、大きな汗の粒が伝って、砂へぼとぼと落ちていく。



 俺もそうだ。



 衣服は貼り尽くし、背中はびしょ濡れ、気持ちが悪い。

 真夏の昼に歩き回っても、こんな汗をかくことはなかったのに!



 ラフェムなんか、もうシャツが雨に打たれたかってぐらいビチャビチャじゃないか!


 体の輪郭が鮮明に浮かび上がっている……。



 俺たちがちゃんとやってるか、ときどきチラチラ見てるけど、特に口出しはしない。


 ちょっと口角が上がるだけ。


 多分、注意する必要が無いぐらい、俺たちは真摯に出来ている。




 ……ああ、駄目だ、余計なことを考えてちゃ。



 注意する最低ラインに擦っていないことと、完璧という最高ラインに存在することはイコールじゃない。




 鬼火が更に強くなる。



 詩歌はヘロヘロの歌を、吐く息に合わせて歌い始めた。



 俺には外に魔法を出す力がない。



 その分、きちんとやらなければ……追いつけない!






 ……本当に、回数なんかどうでもよかった。



 数えている余裕がないのだから。


 詩歌が腰を落とし、太ももが戻らなくなって、ぷるぷる震えた後そのまま砂浜へぶっ倒れた。


 もはや彼女は立ち上がれない。

 掠れた呼吸を何度も繰り返すだけ。


 ラフェムが、途中だった自身のスクワットを完遂させると、座り込んだ。


 俺も二回だけやってから、尻を砂へ。




 やばい、やばい……。



 心臓がバクバクしている、頭がくらくらする。



「足の……筋肉は……デカイから……それに、脚力は大事だ、跳ぶのにも蹴るのにも使う……」



「よし……これで……終わりか? 練習は……」



「何言ってんだ、まだ足しか鍛えてない」



 え……。


 うわぁ!


 足を伸び曲げし始めた。


 また足の運動!?


 わああ! 真似したら腹が痛い!





 ……、ああ、しんどいな……。

 彼は俺らが来る前にもやってたのかなぁ。


 そっから……腕立て伏せやって、それぞれの武器素振りして、またスクワットやった。


 見慣れた簡単そうな奴ばっかなのに、寿命を全うするかと思った。


 囲う鬼火は既に消えている。

 海から吹き付ける生暖かい風が、逆に涼しく感じて不思議な心地になった。


 俺たちと同じように大の字で倒れていたラフェムが、平然な面してひょっこり起き上がると、拳を天に突き上げた。


「よし、追っかけっこしよう」


「え? えええ!? 無理無理無理!」


「ふーん。じゃあシーカは休んでていいんじゃない? まだ経験も浅いし」


 詩歌が驚き、固まった。


 ……ラフェムは、多分なんも考えずに言ったんだと思う。


 悪意も無いし、善意もなかった。表情も普通だった。



 ……俺が無理と言ったら、どうなったんだろう?

 悲しい顔をするだろうか、それとも呆れるだろうか、ほんのり怒るだろうか。



 何か、感情を沸かせただろうか。



 詩歌とラフェムの見えない隔たりが見えてしまった気がする。



 ……そう、だよな。


 ラフェムは詩歌の過去なんか知らないし、第一印象は見捨てて逃げた人間だもの。


 それに、流れ星だのなんだの言って、彼女が目を覚ます前から警戒していた。


 嫌われていない事に喜ばなきゃいけないレベルだ。


 やっぱり、関心が、薄いままなのかな……。


 …………単に女の子を、しかも戦いの経験の浅い彼女を無理させたくない良心かもしれないけど。



 引き止めもせずに突き放され、詩歌は煽りと受け取ったか、不満を微塵も隠してない表情で立ち上がった。



「いいえ、やる。ラフェムが鬼」


「あれ? 急にやる気になったな! いいぞ。一応説明しとく。動けなくなったら負けだからな。あと見えない範囲には行かないように。人の家を蹴っちゃ駄目。なるべく叫ばないで、静かにね」


 ……動けなくなったら?


「はい、よーいどん」


 掛け声と、手を叩いて鳴らす音を聞いて、反射で俺は駆け出していた。

 まだ疑問は解決してないのに……。


 まっ、とにかく逃げまくろう。


 俺たちの勝利条件聞いてなかったけど、逃げまくれば絶対食事の時間という強制終了がある。

 とにかく、ここまで生き延びれば、負けにはならない。

 勝負なら、負けたくないしな、やっぱ……。


 え? うわっ!


 覇気、赤い残像。


 咄嗟に砂に自ら足を滑らせ、大きく体を横へ傾ける。


 炎のレイピアが空を裂く。無は唸った。


 避けられたが、この体勢は立ち上がれない。

 俺はそのまま倒れてしまった。


「なにそれなにそれ!? ありなのそれは!?」

「ありだよ、はい、武器を忘れてるぞ」


 ラフェムが俺の剣の鞘を差し出した。

 えっ、邪魔……走りにくくないか……。


 それにこれ刃物だぞ。ラフェムはレイピア消せるからいいけどさ、勢い余って他の場所にぶつかったらどうすんの?


「危なくね?」

「危なくないよ、鞘だぞ?」

「え、鞘? ほんとだ……」


 中身の剣は家の出入り口の側で、犬のようにおねんねだ。

 ……武器じゃないから、掴みにくくてたまらない。


 マジかぁ。


 動けなくなったら負けって、組み敷かれたら駄目ってことねぇ……。


 

 ラフェムはニコニコして、何もせず何故か俺を見守っていた。俺が立つまで。


 立った瞬間、またレイピアを振るってきた。

 笑顔のままなのに……怖……。

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