#82 詩歌と俺と気まずさと
「ラフェムくん! ついにご結婚のご挨拶かい!」
以前訪ねた夫婦の家に到着し、ノックをした途端。
クアの父が紙飛行機を手に出てきて、開口一番ラフェムを困らせた。
「イロドラさん……! 僕をからかうのはやめてくださいよ! 一人ならまだしも、友だちがいるんですから……それにまだ僕は付き合ってさえないですし! 今後どうなるかなんか断言できないですし! 尋ねたいことがあって来たんですよ!」
「ははは! すまんすまん!」
……ラフェムの今後なんか、どう見てもクアと夫婦になる図しか浮かばないのだが。
そもそも付き合ってないって言ってるけど、旅から帰ってきたら告白するつもりのくせに……。
クアの父の筋骨隆々の厚い体で阻まれて開いたままだったドアから、髪の長い女性がひょっこりと顔を出す。
儚く健気に笑う彼女は、クアの母であり、イロドラと呼ばれたこの男の妻。
腰ほどまである水色の髪は、クアやロネちゃんと違い、最後までまっすぐ整っている。
いたずらに吹いた風に梳かされ、絹糸のように煌めいた。
やはり、綺麗な人だ。
「もう、あなたってば! あまりラフェムちゃんを困らせるんじゃありませんよ! 義理の息子になるんですから!」
「スイさんまで……」
ラフェムの顔が、炎のように紅くなった。
肩を竦め、猫背になって俯いて、はねた髪をひたすらつまんではねじっている。
なぜいつもクアの前ではクールぶってるのに、この夫婦の前じゃこんなタジタジなんだろうか……。
スマホがあったら、録画して見せてやりたい。
「さあさあ、うちの中へ! ほらお友だちも!」
夫は縮んだままのラフェムの背を押し、家の中に連れて行く。
俺たちも続いた。
家の中は、家というより、秘密基地みたいだ。
当然部屋は一個だけ。
面積は一軒家のリビングほどか。
物もあまりない。移動が多いから、身軽な方が逆に生きやすいのだろう。
そういえば、病院は普通の家だったなぁ。
あそこは地形の変化がないのだろう。逆に言えば、あの場所しか安住の地はないのか。
……大変そうだなぁ。
草を編んで作られた、いびつな円や壁に合わせた形のラグが何枚か敷かれてて、それぞれ寝床だったり、洗濯物置き場だったり、調理用の器具置き場だったりと、壁代わりに部屋の役割を担ってる。
普段くつろぐ場所だと、クッション一つ以外は何も乗せられてない、レジャーシートほどの大きさのラグのある場所に案内された。
ラフェムは曲面の壁に背をもたれると、クア父から渡されていた先程の紙飛行機を開いた。
手招きされたので、俺たちも隣に座る。
クアの返信のようだ。
姉妹の事があったので、てっきり保留にしたものだと思っていたが、約束はキチンと果たすようだ。
いつの間にか書き終えて、ちゃんと送ったらしい。
「すまない……君たちにも書いてもらいたかったが、時間的にも心の余裕的にも、ちょっとな……」
「別にいいさ、今日も手紙出すだろ?」
「代筆お願いするわ」
「ああ、今度はちゃんと三人のことを伝えよう」
「それで……この綺麗な字は誰だ? クア?」
「これはエイポン。クアのはこっち」
ラフェムが指差した方には、見覚えのある筆跡があった。
いつか見た『クアの宿』看板の、癖の強い字と同じ質だ。
ああ、あれを書いたのは彼女だったか。
改めて、ラフェムと共に手紙に目を通すこととした。
まずはエイポンによる、両親の事を黙っていたことへの謝罪だった。
ラフェムは、両親のしたことを、逃げてきた人々の事を知っているのか聞いたようだ。
その返答は……あの景色はあまりにも酷く、幼いラフェムには言い出せるようなものではなかった。そして自分の最愛の人と最高のライバル……大切な幼馴染の死を思い出すこと、言葉にすることが辛かった。
だから、いつか自身が受け入れられ、そしてラフェムも受け入れられる心を持ったら、伝えようと思っているうちに、こうなってしまった……とのことだった。
謝罪の文字は震えていて、注意して観察すれば涙をこぼしたと思われる跡がいくつもあった。
「……エイポンさん、いつもの喋りと違うんだな」
「彼女が見つけた自分の性別を相手に伝える方法が、あの喋り方ってだけだ。こっちが本当の話し方なのさ。でも僕が生まれる前から演じてきたらしいし、気に入ってるみたいで、そこそこ混ざってるけど」
「そうなのか」
……謝罪の後は、ラフェムと俺たちを気にかけるものだった。
怪我はしていないか、辛くはないか、俺たちはついていけているか、無理をさせてはないかと、ひたすらに心配が続いている。
最後は、間違えてフライパンに武器の柄をつけてしまったと、謎の情報が添えられていた。
代わってクアの番。
クアはラフェムと同じで、地獄の日を知らされていなかったらしい。
あの時はずっと家にいなさいと、大人からずっと言われてたわね……と懐かしみながらも、エイポンから話された悲劇を、まだ全て受け入れられていないと困惑と苦しみを綴っていた。
一方ネルトは知っていたらしい。クアが問い詰めたようだ。
ラフェムの姉サラとネルトで秘密にすることを画策して、意図的に情報を隠していた。申し訳ない。責任はオレが負うから、エイポンやサラを、街の人をどうか責めないでくれ。と、本人直筆で添えられていた。
「……姉さん……」
「……相当、酷い光景だったんだな」
「そうだな……」
彼はゆっくりと目を閉じた。そして俯き、膝と腕の隙間に顔を埋めた。
「責めるわけないだろ……。……エイポンたちも、姉さんも、ずっと前から知ってたのかぁ。父さん母さんが死んだのも、皆を救ったのも、全部知ってたかぁ……辛いよなぁ、辛いよ……今まで何度も酷いことを沢山言ってしまった……僕は、本当に、碌でもない……」
気持ちの整理がつかないか、呼吸はゆっくりであるのに不規則で、上昇気流に晒されたようにふわりと浮く髪の裏側が、朧に舞う火の粉で照らされている。
何かしないと、いつまでも永遠にこの時間が続きそうだ。
突然自らの首を捌きそうな、止まった時が断絶されるかもって薄ら寒い怖さもある。
でも、なんて声を掛ければいいのか……。
「ラフェムくん。過ぎたことを考えてもしょうがないさ。過ぎちゃったことは、過ぎちゃったんだから」
もてなす準備で離れていたクア父が、湯呑を三人分持ってやってきた。
「イロドラさん……」
「変えられるのは、まだ過ぎてないこと、つまりは未来だけ。悔やんで時間を削るより、前を見よう。……それも、辛いけれどね」
悲しそうに笑う。
きっと、この人も座礁した血塗れの舟を見たのだろう。
海波に揉まれたのであろう、角張ってて皮の厚い厳つい手。
そこからは想像もつかないほどの優しさで渡された湯呑には、紫の液体が入ってた。
この綺麗な色、見たことがある。
「ファーブレンティーですか」
「そう! 知り合いが送ってくれてね」
湯気が立たない程度の熱さだ。
これならすぐ飲める。
走って喉が乾いていたし、ぐいと一気に飲み干した。
その鮮やかな紫に躊躇っていた詩歌も、俺が飲み終わったのを確認すると、恐る恐る湯呑の縁を唇へ近付けた。
でも、同じく喉が乾いているはずのラフェムは飲まず、涙ぐんだ目でじっと揺れる水面を見ている。
詩歌が飲み終わっても、一向に口をつけない。
「あらま」
おやつを用意していたクア母もやってきた。
抱えて持ってきた小さなちゃぶ台に、ウェイトレスみたいに片手で持ってきた山盛りのカットフルーツの皿を置いた。
一人の世界に閉じこもる赤毛の少年の肩を、優しくぽんぽんと叩く。
顔をあげた彼の目線に合わせてしゃがみ、赤子に語りかける母のように微笑んだ。
「ラフェムちゃん。久々だし、私達とお散歩でもしない? クアやビリジワンの話や、ラフェムちゃん自身のこと、聞きたいわ。そもそも、お話があって来たんでしょう? それに、風を浴びれば少しは気分も晴れるんじゃないかな」
「……」
提案に迷ったか、ラフェムは俺を見て、反対側の詩歌の方も見て、顔を正面に戻すと、眉を下げて俯いた。
俺たちを置いてけぼりにしてしまっていいか、許してくれるか、そして夫婦を巻き込んでいいのかわからず、戸惑っているのだろう。
彼はすぐに一人で抱え込む。悪い癖だ。
背を押してやるのが、友の義務。
「行ってきたら? 俺たちはここで留守番してるからさ」
「そうよ、旧知の仲で話してきなさいよ。ついでに船乗りとかのことも聞いてきて」
「……そうする、ありがとう」
ラフェムの表情が少し和らいだ。
そして思いを押し流し飲み込むように、紫茶をぐいと一気飲み。
空になった湯呑を、いつの間に用意されていた小さなちゃぶ台に置くと、いつも以上に力を入れて、勢いよく立ち上がった。
クア両親は、ラフェムを挟むように左右について、彼を外に連れて行く。
その後ろ姿はまるで、幼子を遊びに連れていく夫婦のようだった。
ラフェムのことは、夫婦に任せて……。
さて、部外者二人は留守番だ。
……なにしよう。
やることないよ。
…………さっき、クア母が持ってきてくれた皿は、俺たちの目の前で、てらてらと輝いている。
鞠菊のように、円を描いて並べられたフルーツ。
香る仄かな甘み。
果汁たっぷり潤った、妖艶な切り口。
こんなにも美味が誘ってきているのに、食べない選択肢なんか、あるか?
食べよ。
つまんで、口に放り込んだ。
色はイチゴの断面図。
形と大きさはリンゴの輪切り。
熟した洋梨のぬめった食感。
でも、味と香りは甘いミカン。
単体でわけて見れば珍しくはないが、合わさるとこんなにも新鮮に感じるとは。
面白い。
一切れ一切れ、ゆっくり噛んで味わっていると、詩歌がじっとこっちを見ていることに気付いた。
食べていいか窺っているのだろう。
別に俺一人の為に用意されたものじゃない。
彼女にも気兼ねなく取って貰わねば。
皿を机ごと彼女の方に寄せてみると、そっと手を伸ばし食べ始めたが、まだ俺を見ている。
「どうした?」
「あ、あの、……清瀬、さっきは……ありがと……」
「え? 俺なんかやった?」
「さっき、逃げるとき……。私が咄嗟に立ち上がれなかったのに、引っ張ってくれたでしょ……」
……そうだっけ?
必死だったからか、全然記憶に無い。
本当か?
「……無意識だったってことね……その顔は。私は自分の意志であなたを置いていったのに、どうしてあなたは私を助けるの?」
「バレたか。まあ、感情より先に体が動くさ。過ぎたこといつまでも気にすんなってさっきクアの親も言ってたじゃん。友だちだろ? 何かあったら助け合うものさ」
「そっか……友だち……」
彼女の頬がだんだんと紅くなり、ついに俯く。
切り揃えられた前髪を垂らして隠しているが、耳がはみ出してるぞ。
友だちという語感に恥じらう様子……可愛いじゃないか。
いつもは鋭くて冷たい、まるで氷柱のようだけど、たまに溶けたような姿を見せる。
正反対ってわけではないけど。
これは地球が作らせた心の盾。
本来の彼女は、きっとこっち…………。
「……でもあの臭いはチャラにはならないから」
「ええ……」
急速冷凍だな……。
彼女は黙ってフルーツをついばみ始めたので、倣って俺も食うことにした。
黙々と、ただひたすら黙々と食べ続けて、山盛りだったフルーツも半分以上無くなった。
……ラフェムの分、取っておこう。
……食べ物が無くなったら、マジにやることなくなったな。
あまりにも、閑かすぎる。
ラフェムとなら、二人でいくらでも暇を潰せるけど。
……詩歌のことあまり知らないんだもの。
それに、女の子とどうやって、何を話せばいい?
わからない。
ああ、また詩歌が俺を見ている。
膝を抱えて、じっと上目で俺を見つめている。
暇つぶしの提供要求?
困ったな。
退屈をふっ飛ばす面白トークが出来るような人間だったら、俺はそもそもこの星には来てないのだが。
「……暇だな」
「そうね、あなたがずっと黙っているから」
「話題がないんだよ」
詩歌は呆れたか小さなため息を漏らしてから、しばらく上の空を眺め、再度口を開いた。
「…………この世界の生き物が見覚えのある形なのは、収束進化なのかしら」
「え? 何? 俊足進化?」
「収束よ、収束! バッタやさっきのトカゲは地球にもいそうな形してたし、ラグンキャンスは虫の特徴、特にカメムシ系に通ずるところがあったでしょ、人間なんてそのまんま! 不思議と思わない?」
「ああ。もしや、わかるのか?」
「私はただのにわかだから、正解かどうかは知らないけど……ほら、海があって、空気があって、重力もあって、地球ととんでもなく差異があるわけじゃないでしょ? 似たような環境下で生物が進化してきたから、外見も物凄く似てるのかもしれなくて……」
端的に言うと、難しくてほとんどわからなかった!
理科なんて、呼吸と光合成の違いと、動物と植物の違いと、あー、……双子葉類?
小学でやった所の復習レベルぐらいしかまだ習っていないのだから。
わからなくても仕方ないよな。仕方ないだろ?
辛うじてわかったのと、印象に残ったのは……。
地球でも別の大陸なのに似た姿の別種がいる例があるぐらいなのだから、人間が存在する異世界で似た姿の生物に進化することなど、容易いということ。
もしかしたら、そもそも人間という形が出てきてる時点で、地球と同じような歴史がこの星で展開されているかもしれないこと、それなら当然似た生物もいるだろうということ。
……風呂で見た毛の有無から、地球の人間とは、やはり別の種だろうということ。
ちゃんと調べるとしたら、たとえば虫みたいにコウセ……と途中まで言った後に、一度考え直してから、内臓とか……違うかもね……とわざとらしく笑った。
こう、こ……こー……甲状腺?
そして、魔法、それを司るエネルギーという地球には一切無い概念が影響して、全てが偶然でこうなっただけで、考察が根本から間違っているかもしれないということ。
可能性のすべてが、面白いということ。
語る詩歌は、とても生き生きしていた。考えることが好きなのだろうか。
……砂浜を駆ける足音は、授業終わりのチャイムの代わり。
詩歌が口を噤み、いつの間にか前のめっていた背を正したと同時に、扉が開く。
「ただいま!」
ラフェムだ。
何かを持って戻ってきた。
移ろいかけの青空の逆光が眩しくて、何かわからなかった。
彼は随分と上機嫌でそれをこっちまで持ってきて、ラグ手前の板に置いた。
首と胴体がくっついていないレプトフィールだ。
激闘を繰り広げたか、トカゲは満足そうに安らかな顔で瞼と命を落としていた。
血はついておらず、代わりに塩がいたる所にこびりついている。
おそらく、海水でゆすいできたのだろう。
「畑のとこで勝負を挑まれたから、狩ってきたんだ! 旨そうだろ?」
「ははは、ラフェムくんは昔からトカゲが好きだな〜」
ものすごく嬉しそうだ。
もはや昨日や先ほどの落ち込みようなど、見る影もない。
そんなにも好きなのか。
……慣れぬ動物の死骸にちょっと怯えたか、詩歌は俺のコートを握って、そっぽを向いている。
ラフェムがそれに気がついたか、それともはやくステーキに齧り付きたいのか、見せびらかしを終了し、いそいそと台所の方へと持っていった。
戻ったきた彼は元の位置につこうとした。
だが、俺と詩歌の位置が詰まっている。
ピッタリくっついてるわけではない、電車だったら、ここに無理にケツをねじ込んでまで座ろうとは思わない程度。
まあ、二人で話していたのだから、自然とこうなるだろう。
退かすのもなんだかと思ったか、何も言わずに俺の横に座った。
……なんでニヤニヤ笑ってるんだ?
あまりにも不審だったので観察してたら、俺の腕を小突いてきた。
「まさか、まさか付き合ってるのか? もしや、留守番を快諾したのも、二人きりになりたかったのかぁ〜?」
「な、なによいきなり! ふざけないでよ! 付き合えるわけないじゃない!」
「え!?」
付き合えるわけない……?
「えっ!? ショーセ……? なにあんたが驚いてんの……?」
「…………な、なんか……ごめん、二人とも……悪ふざけの度が過ぎてた……。船乗りとかの話をしよう、うん、旅の話をしよう」
……。
付き合えるわけないじゃないって……。
…………。
ま、まあ!
俺はモテたことないしな!
そうさ、かっこよくないし、暗いし、調子乗ってるし?
虐められてたぐらいだぞ。
当然、必然、自然!
友だちだって、ラフェムと友だちになるまでいなかった。
世界が俺を一人にした相応の理由が、どこかにある。あるはずだ。
恋愛対象外だって言われても、何を今更って感じだよな!
ずっとそうだったら、なんの問題も……。
……。
問題なんか無いし……。
……なに、この微妙な空気……。
兎にも角にも、冗談が言えるほど元気が戻ってよかった。
さて、話を聞こう。
向こうの大陸に早く行かなきゃいけないしな。
……。




