#75 夕焼けに染まって
崖の終端まで組まなく調べた。
だけど、子どもはいなかった。
ちゃんとトカゲを捕まえて夜を待っている個体や、餌にありつけず動力が切れ、虫の息で死を待つ個体とかしかいない。
子どもの気配がどこにもない。
引き返してもう一度調べても、やっぱりいない。
空は鮮やかなオレンジに染まっている。
紺の影が、俺たちの後ろに伸びている。
焦燥が胸ではちきれそうになっても、いないものはいない、どうしようもない。
誰とも会わないまま、ボールが落ちている場所を通過した。
ここから先は、ラフェムに任せたエリアだ。
しばらく歩くと、一本の足と首が切断されたラグンキャンスの死体があった。
その切り口は焼け焦げている。近くには、木材を彫刻刀で抉ったような、浅いへこみがいくつも。
どうにも、ラフェムはインファイトでごり押したっぽいな。しかし、なんて火力なんだ。俺が剣を振るった時は、傷なんかつけられなかったのに。
倒してから、だいぶ時間が経っているようだ。体液は干からびている。
少し歩くと、もう一体、同じく一部の部位を切り落とされた死体が、崩れ落ちている。
まだ、体の凹凸に引っかかったり、体内に残ってる体液にほんの少しの水っ気が残ってる。
「……ゎああぁあん……」
ぼやけた泣き声が、更に先から聞こえた。
不安を煽る、子どもの不協和音。
既に、足は砂を蹴っていた。
考えるより先に、体が動いていた。
それは皆同じ。
無我夢中で、カーブを描く岩壁に阻まれた視界の先へ……。
泣き声が鮮明になる。
声の主であろう小さな子と、その子を宥めようと背の高さを合わせる、見覚えのある二人の人影が見えた。
そばには、積み重なった鉄くずのように、細い身を折り重ねたラグンキャンスの影もある。
「ラフェム!」
「ショーセ……」
呼び掛けると、少年がゆっくりと振り向いた。
夕日に照らされ、もとより紅い髪が、更に燃える鮮やかな赤に染まっている。
おぶっていた男の子が、俺の背から飛び降りた。
ルシエも詩歌から離れ、泣きじゃくる子の側に自らの足で駆け寄る。
そばに着き、ようやく逆光でよく見えていなかったラフェムの表情が見えた。
干からびたものから雫まで、時間差でへばりついた緑液まみれの顔は、穏やかだった。
ラフェムの影から小さな女の子が、そして、もう一人の背の高い人……ルーフェの妹、そしてラフェムとひと悶着を起こした、あの女の子ミルーレの影から、泣きべその男の子が姿を現した。
どうやら二人は、丁度三人目を助けたとこだったようだ。
俺たちは二人、彼らは三人助けた。合計五人。
良かった、無事に全員助けられた……。
ミルーレが、ゆっくりと立ち上がり、泣く少年からこちらに視線を移す。
俺と詩歌、ルシエと俺が背負っていた子ををじっと眺め、愛おしそうに笑った後、少し視線をずらして今度は姉のルーフェと目配せする。
ルーフェが、俺たちの横から、妹の横へと移動する。
そして、姉妹は息ぴったりに、深々と頭を下げた。
「ほんとうに、本当に、ありがとうございました。そして、申し訳ありませんでした」
「全て私たちの不手際です。魔法供給者と言う立場であるのに、見落としてはならない事を見落とし、重大な事故にまで発展させてしまいました。巻き込んでしまって、ごめんなさい」
「ラフェムさんにずっと謝りたいと思っていたんです、軽率な考えで、あなたを侮辱してしまった。なのに、余計に罪を重ねてしまうなんて、私は、私は……」
交互に、突っかかりなく入れ替わって話す姿は、まるで一人が喋っているよう。
姉妹は、頭を下げたまま動かない。
仕方がないだろう。今こそ円満な解決が出来たが、少しでも間違えば、子どもが亡くなっていたのだから。
魔法供給者、ラフェム曰く街に魔法のインフラを与える役目を担う猛者。
強き者の義務として、街の安全を守る責任を感じていて、果たせなかった罪に潰されそうなのだろうか。
だけど、ラフェムは困っていて。
顔を見合わせて、互いに同じことを考えていることを察知した。
だって、これはドラゴンの騒動に起因する事故。
こんな深刻に謝られるほどだとは思ってなんかいないし。
それに、俺たちは子どもたちを助けたかったから、助けただけ。
巻き込まれただなんて微塵も思っていない。
ただ、己の正義に従ったまでのこと。ただ当然のことをしたまでだ。
「そんな重く捉えないでくださいよ、今回は未曾有の事態じゃないですか、誰しもミスはするものですよ」
「気に病む必要は無いと思うけどな、僕も。それに、この危機が君たちのせいだと言うのなら……謝るべき相手は子どもたちじゃないか?」
姉妹は揃って顔をあげる。
ようやく見えたその表情は、驚いていた。
俺たちが気にしていないのも、子どもたちに謝るべきというのも、想像につかなかったようで。
五人の子どもたちが年上の輪の中で固まって、不思議そうに彼女たちを眺めている。
また姉妹は頭を下げた。今度は、子どもたちに向かって。
「ごめんなさい、みんな……。怖い目に合わせてしまって……」
「私がもっと気を付けていれば、気を配っていれば、この危険は防げたのに、考えが及んでいなかった、考えてなかったの」
子どもたちは、顔を地面に向ける二人の足元にぞろぞろ集い、強引に二人の視界に入り込んだ。
「別にいいよ。ルールーも、ミルミルも、悪くないもん。みんな大丈夫だから、平気。次から気をつけよ?」
「うんうん、お姉ちゃんたちがいつも頑張ってくれてるの、あたしたちも知ってるし」
「たすけてくれて、ありがと!」
子どもたちは、純粋無垢に笑いながら、口々に彼女らを励ます。
その純真は、彼女たちを重荷から解放させた。
一筋の涙が、姉妹の頬を伝って落ちた。それを契機に、つぎつぎはらはらと、透明の雫がこぼれていく。
「ごめんなさい……ありがとう……」
腰を下ろし、五人の子を抱きしめる。
引き揚げられた漁網のようにぎゅうぎゅうに寄せ固められた五人、とても嬉しそうだ。
彼女らの腕や胴をぎゅっと抱き返す。姉妹は静かに震え、彼らの肩に頭を預けた。
ラフェムはその様子を見て微笑んだ後。膝に手を当て立ち上がり、虫の死体へと近付いた。
すると、彼はまたしゃがんで、トカゲの時と同じように、手を合わせ、目を瞑る。
ラグンキャンスへの追悼だ。
彼らだって、生きたかったに違いない。生きたいからこそ、子どもたちの命を食べようとした。
俺も、歩んだ、そして屠った道へ振り返る。
向こうの空は、冥府のように紫と青の混じり合った色になっていた。
手を合わせ、まぶたを閉じる。
天へと昇った魂と命が、鎮まることを願って。
目を開けると、詩歌が隣で同じように祈りを捧げていた。
彼女の事を見ていると、その圧に気が付いたようで、ふと俺のほうを振り向いた。目が合った。気まずそうに逸らされた。
ラフェムの方に視線を戻す。
彼ももう祈り終わっていて、じっと太陽を眺めていた。
広大な橙色の空。穏やかな海。黄金の太陽が揺らいでいる。
今はまだ二つ。もうすぐ重なって、やがて消えるだろう。
「さ、アトゥールに帰ろうか。最初に会ったあの子も、友だちが無事か気になっているだろうし、それにもうすぐ夜だ」
ラフェムはおもむろに立ち上がると、勝負の邪魔にならないよう、少し離れたところにほっぽかされていた風呂敷を掴み、砂を払う。
俺も、脇に抱えていた自分の荷物に目を向ける。
持ってくることは意識していたけど、それ以外は全く気にかけてなかった。
形はグッチャグチャ。ラグンキャンスと会っては投げ捨てたせいで、砂が内側まで入り込んでいて、迂闊に開けられない爆弾と化していた。焼け石に水だが、表面の砂をなるべく落としてから、町の方を向くラフェムの隣へ。
遅れて詩歌、そして子どもたちと姉妹が揃った。
「しゅっぱ〜つ!」
ルシエが元気よく拳を掲げる。
真似して幼子が次々腕をあげ、ぞろぞろと歩き出した。
俺たちは、彼らのガードマン。小さな歩幅に合わせ、白き四角の町へ、無事に送り届ける任務を遂行しよう。
町の入り口に、人だかりができている。
大人から、子どもまで。デコボコの身長が集う様子は、まるで森のよう。
「みんなぁ!」
泣きかけの声と共に一人、人混みの中から飛び出した。ラグンキャンスから逃れ、俺たちに助けを求めたあの男の子だ。
彼は、五人の輪の中に飛び込むと、怪我をしていないか、死んでいないかを確かめるようにベタベタと他の子に触れた後、大声で泣き出した。
続いて、何人かの大人が走ってきた。
面影から、ひと目で子どもたちの親御さんだと感覚で理解した。
ルシエの両親であるロキシア夫妻もいる。
母、父、はたまた両親が、それぞれの息子娘を抱きかかえる。そして、良かった、良かったと、涙を流して抱きしめた。
五人の子どもたちは、またつられて泣き出した。
「子どもを助けて下さり、ありがとうございました」
「ショーセさん、ラフェムさん、なんとお礼をしたらいいか……本当に、本当に、ありがとう」
「皆さん、ありがとう」「感謝しきれません」
「当然のことをしたまでですから……へへ」
雨あられのような感謝。
前世で、これほどまでに褒められることはあっただろうか!
ちょっぴり胸の奥がこそばゆくなって、気分が良くなった。
詩歌も、慣れていない賞賛に戸惑いつつも、嬉しそうに肩をすくめて笑ってる。
一番外側で腕を組んでいた、背の高い屈強な男がこちらに向かって歩いてきた。
あの男の人は……。
隻眼の半袖シャツ男。
右顔と、両腕に鉤爪で抉られたような傷を持つ男。
彼は、宿で会った、エルレーゲの夫、ネロン。
ラフェムは、やっぱりその傷を見たくないようで、でも露骨に目を背けるわけにも行かず、目線をわずかに下げた。
「すまない、オレも出来れば援護しに行きたかったが、目を奪われる前で、ようやくラグンキャンスをギリギリ追い払える実力だったから……足を引っ張ってしまうと思って、みんなが砂浜に出ていかないように見張るしか出来なかった。ありがとう、フレイマーさんと、お友達さん」
あ!
初めて俺に話しかけてくれた。
ちょっと嬉しいかも。
「さて、君たちも、もう疲れているだろう。旅をしているのだろう? 話はカスィーさんから聞いたよ。近場の宿に案内してあげるよ」
ラフェムの頭がぴくりと動く。
頭をあげ、その緑青の左目を見上げた。疑似餌に喰い付く魚のような勢いで。
「僕、またエルレーゲさんの宿に泊まりたいです」
ネロンも、ルクス姉妹も、その要望に目を見開き、背を僅かに引いた。
「ほ、本当?」
一番驚いているのは、ミルーレだ。
なんせ、自分のでしゃばりでラフェムを激昂させてしまったのだから、もう来てはくれないと思っていたのだろう。
ラフェムは、彼女の方を向く。
姉と瓜二つの黄色い瞳が、魔法のように輝いていた。
こんなに喜ばれるとは思っていなかったのだろう。照れ隠しか腰に手をあて、口をへの字に曲げながらも頬を染める。
「ま、まあ、あの日は僕も大人げなかったというか……言い過ぎたから、謝りたいとは思ってたし……? ただ、許したわけじゃないからね」
彼女はラフェムに近寄り、強引に腕をほどくと、その手を両手のひらで挟み、包み込むように握った。
燦然の瞳は、愛おしそうに、そして憧れるように赤の虹彩をじっと捉えている。
「嬉しいです……! 宿代タダにします! ご馳走もたくさん振る舞います!」
「え、えぇえ? エルレーゲさんが運営してるんだから、勝手にタダにしちゃ不味いんじゃ……」
「ミルーレが何も言わなくたって、妻が勝手に無料にするよ。子どもたちを助けてくれたんだ、このぐらいはやらなきゃなあ」
ネロンが初めて笑った。
今まで石のように動かなかった強面が、へにゃと崩れて。エルレーゲさんが、彼にどう惹かれたのかがちょっぴり理解できて、悔しい。
さて、そろそろ感動の再会も切り上げて、町に戻ろうか。
子どもたち、親御さん、俺たち、全員で砂浜から、町のタイルの上へ。
その境で壁になっていた人だかりは、まるで打ち合わせていたかのように真っ二つに割れて、俺たちを迎え入れた。
神話に、海を割った神様がいたけど、その光景はこんな感じだったのかな。
二つに割れた人々は、垣根のように俺たちに進むべき道を明示する。
子どもたちとその親は、俺たちに二度目の感謝を告げ、熱い握手を交わす。
そして、彼らも垣根の一員となる。
子どもたちは、それぞれの親から飛び降りる。
自らの足で立つと、燦然の笑顔を揃え、元気よく手を降った。
「ドラゴンの話……良かったら後で皆で聞きに来てくれよ。明日の朝までは宿にいるからさ」
「うん! 遊びに行くね!」
俺たちは、宿の方向を見る。すなわち彼らに背を向けた。
ラフェム、ルクス姉妹、そして俺たちへ。偏りなく名前を呼ぶ声。
まあ、アトゥールの人は俺と詩歌の名前なんか知らないから、黒い髪の人とか、少年たちと呼んでいるが。
ありがとう。素敵。ゆっくり休んでくれ。
一歩進むたび次々に掛けられる、耳に慣れぬ言葉たち。
ラフェムとルクスは胸を張り、まっすぐ前を見てその言葉を受け止めている。先導するネロンも、俺たちへ向けられた言葉を自分のことのように喜んでいるのか、聳える巨大な背はふらりふらりと右に左に揺れている。
でも、俺はそんな簡単なこともできない。詩歌もそう。恥ずかしくて、変な顔をしているんじゃないかって考えてしまって、ついつい俯いてしまう。
感謝と称賛を浴び、路次に従う。
やがて人の密度は薄れる。そして道は終わり、声もどんどん遠ざかる。
だけど、讃える声は止まない。
人々の声は、やがて音となり、海のさざなみと聞き分けできなくなり、そして溶けてなくなった。
空は赤から紫へ。
風は陸から海へ。
静かな夜がやってくる。
ビリジワンから一番近い宿、裏を返せばさっきの砂浜から一番遠い宿。
海沿いの大通りに敷き詰められた大きな白いタイル。桟橋に停められた帆もオールもない、シンプルな木の舟。
何枚踏んでも、何隻過ぎても、まだ道は続いている。
ふと、ラフェムが振り返る。俺の顔をまじまじと見つめた。
まだ戦闘の緊張が解けていないのか、ぼんやりと紅い瞳が光っている。
薄暗くなってはきたが、まだ顔の汚れと表情は確認できた。
こびりついたラグンキャンスの体液は、あの鮮やかさを失っている。砂や土で擦った汚れと、パッと見の見分けが付かない。
きっと俺も、同じように汚れているんだろうな。
「これは……宿に着いたらすぐ風呂だな」
「ああ」
苦笑い、再び彼は前を向いた。
大通りに面した建物は、どれもみな店。
夕日が沈む前にはもう店じまいなのだろう。
明かりはない。
奥の住宅街は、姉妹色の光が四角い窓から漏れていて。
その対比が余計に、こちら側を暗く感じさせた。
夏の薄暗を、何人かで集まって歩くのはちょっぴりドキドキする。楽しい予感が、少しだけするから。
だって。花火大会や、お祭りに出掛ける時みたいだろ。
まあ、目的地はちょっと人気のない、かっこいいお姉さんがいる酒場のような宿だけど。
大通りに直角で交わった、これまた大きな道へ曲がる。
この曲がり角、見覚えがある。
緩やかな坂。やっぱり真っ暗な巨大四角の中に、一つ、ひときわ大きくて、そして光を宿しているものがあった。覚えている。あそこがエルレーゲさんの宿だ。
心なしか、皆の歩幅が大きくなって、足を交差させるスピードも速くなった。あの光に惹かれているみたいに。
いい香りが漂ってくる。
あの中で、エルレーゲさんが料理をしているのだろうか。
さて、今日はたくさん頑張った。
ゆっくり休もう……。




