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#74 砂上の実践

「ええーい!」

 可愛らしい掛け声と、ギャップのありすぎる強烈な腕力。

 見事、巨大昆虫一本釣り。



 最初の一戦を終えた場所からしばらく歩いたところに、二人目はいた。



 ラフェムがやったのと同じように、ルーフェは光で縄を作ってラグンキャンスの足を縛って引き摺り出し、詩歌は塞ぐものの消えた牢獄から、様子を窺いに顔を出した子どもを引っ張り出す。

 あの子は、以前エルレーゲの宿に案内して貰ったときに、魚のジャーキー齧ってた、ちょっと太っちょの男の子だ。


 俺は、ラグンキャンスがこっちに走って来てもほんの少しは逃げられるぐらいの距離を取って、ルシエを後ろに隠し、本を持ったまま注意深く睨むだけ。

 本当は、詩歌の役割を請け負いたいんだけど……この体じゃ、むしろ彼女たちを危険に晒してしまうから、黙って見ているしかない。


 先程より一回り小さい個体のようだ。だがしかし依然として、巨大で脅威であるということに変わりはない。俺たちの首なんか平気でへし折れる大きな腕、心臓を貫ける鋭利な口。さっきより小さいからと侮るわけにはいかない。


 怒りに引き千切られる前に、魔法の光縄は自ら消えた。

 ラグンキャンスは自由の身となった途端、餌を取り戻そうと、頭だけがぐるりと後ろへ回る。


 詩歌と子どもを襲うがための一歩を踏み出そうと、砂から浮かせた足。

 すかさずルーフェは飛び込んで、狙いを定め輝く短剣で、爪と脚の合間、柔軟性のある関節を切り付けた。


 飛び散る命の破片。ぐらりと巨体が傾き、悲鳴のように鋭い呼吸が漏れ出す。


 詩歌はその隙に、俺の隣へ駆け込んだ。

 人形のように胸の前で抱えた、今にも泣きそうな子どもを、ルシエの横へ……俺たちの影で隠れる場所へ下ろしてやる。


 ルシエは、その子どもをぎゅっと抱きしめた。

 子どもは安心からか、それともまだ解決していない恐怖からか、ルシエの胸に顔をうずめるとわんわん泣き始めた。


 まるで、この慟哭が死闘の始まりの合図のよう。


 ラグンキャンスは、食事までの時間をじっと待っていたのに邪魔をされ、しかも危害まで加えたルーフェをターゲットに決めた。


 闘牛のように地面を力強く蹴り飛ばしながら、ゆっくりと、そしてぎこちなく首を正面へ戻す。

 鎌が砂に突き刺さる。それはルーフェの脳天を穿ち潰そうとした一発。

 彼女はそこにいない。後ろへ跳躍し、回避する。

 足裏が地に接した瞬間、体は砲弾のように勢いよく前へと跳び、お返しカウンターを食らわた。


「よし、紙飛行機を出すぞ」


 準備は出来ているだろうか?


 振り返ってルシエを見る。

 彼は自身の役割を果たすために、つられて一緒に泣きたい気持ちを必死に抑え込んでいた。目には大粒の涙を蓄え、寒い夜に放り出されたようにぷるぷると全身を震わせている。


 それでも彼は勇敢に腕を前へ伸ばし、不安定ながらも芯の通った明瞭な声で、風魔法の詠唱を唱えると、口を強固に閉ざした。


 彼と彼にしがみつく子どもの二人を取り囲むように、薄浅葱の風が舞う。


 準備万端。開いたノートに、パラソルの下で呼び出したのと同じ言葉を何度も書き連ねる。

 だが流石に一つ一つ書いていては疲れる。

 試しに先頭に数多と付けてみれば、一つの文で、幾つもの紙飛行機が現れた。


 空中で回転する緑の魔法陣。中心から純白の翼が次々現れ、地に向かって急降下。


 砂に突き刺さる直前、飛行機の先端は進む方向を直角に曲げ、低空飛行でラグンキャンスを目指して前進する。


 一番乗りで足元までたどり着いた一基。

 その巨体と比べれば棒のような、棒と比べたら柱のような足にぶつかる寸前で、ラグンキャンスを芯にして螺旋を描くように上昇した。

 後続の翼たちはなぞるように後を追う。

 あっという間に、虫は紙のサイクロンに囚われた。


 織りなす翼の壁は、天敵を晦ます魚群のよう。

 一つ一つは取るに足らない小さなものなのに、集まり、隙間なく組み合わさり、一匹の動物のように乱れることのない統一された動きを見せる。


 ラグンキャンスが風で浮かんだ紙を斬ろうとしても、その風圧で受け流されて列から外れるのみ。

 そして飛行機はなんともなかったかのように、平然と群れへ戻る。



「どうしましょう! これじゃあ、私も見えないわ!」


 ルーフェがうろたえる。

 関節という、硬い部位と部位に挟まれた小さい隙間を狙う必要がある。なのに、全部覆い隠されては狙いようがない。

 

 ずっと効果のない外殻を殴り続けていては、いつまで経っても先に進めない。

 それどころか、無駄に疲労してしまって不利になる。

 だから彼女は固まってしまった。


「足元を見てください!」


 砂と紙飛行機の僅かな隙間。爪が覗いている。

 背も高く、間近にいる彼女には、まるで全部が覆い尽くされているように見えているのだろう。


 彼女は言葉を聞き、すぐに屈む。


 関節の場所の見当をつけ、カエルのように跳び出すと、渦の流れを利用してラグンキャンスを斬りつけた。


 姿は見えぬものの、効いたようだ。

 蠢く虚構の巨体がよろめいた。


 俺の隣で小さな咳払いが聞こえた。

 視界の端に、鋭利な棒がちらつく。


 独合奏の開演だ。

 口ずさむハミングは、雲の隙間から射す光のような透明感。

 すぐに伴奏が増える。

 ゆったりでありつつも懸命な指揮者兼歌手の周りから、幻想の光が湧き出る。


 光と裏腹の暗い影を思わせる痺れる低音。

 一人ぼっちの声を支える、心地良くハモるコーラス。

 巨大昆虫に立ち向かう女性を表現し、そして讃え激励する壮大な応援歌。


 光はルーフェの剣へ弾丸のように撃ち出され、先駆の橙と融合する。

 刃は二人の魔法でコーティングされ、より大きく、鋭くなる。 


 ルーフェは、紙飛行機の渦と共に廻り、弾幕と橙光を追い払おうとむやみやたらに飛び出る鎌を避けながら、武器を振るう。

 歌は彼女の攻撃に合わせて、リズムと強弱を自在に操る。


 まるで、詩歌の歌に合わせてルーフェが攻撃しているようで……壮大な音ゲーを見ているみたいだ。

 実際は逆だというのに。


 見ていて子気味がいい、こちらまで無意識にリズムを刻んでしまう。



 歌が強くなれば、剣の輝きは強くなり、魔力の刃は強くなる。弱くなれば、逆の通りだ。


 理論的には常に強くあり続けたほうが良いのだけど、そんなのはすぐ疲れてしまう。それに、魔法は心の想像力だ。闇雲に大声で怒鳴るような歌じゃ駄目なんだろう。


 攻撃準備中は弱く、そして刃を押し付ける瞬間に強くすれば、歌らしくメリハリが出来て、しかも魔法を必要な時に強められる。


 彼女は、これが二回目の戦闘なのに自身の魔法をこれ程までに使いこなしている……彼女の歌への熱意は計り知れない。


 彼女から歌を奪うなんて、その学校の奴らは見る目が……おっと、逸れ過ぎた。


 リズミカルな剣閃。好調にダメージを押し付けられている。このパターンのまま弱らせれば……。


 ん?

 紙飛行機が徐々にほどけるように、姿が崩れて一枚のちり紙へ変わっていく。

 数個だけは、まだ形を保っているが……後は進行度に差はあれど、どれも不可逆的変形に突入している。

 数多と綴ったせい? 一つ一つ呼び出すよりも耐久力が分散されているのか?


 飛行機の崩壊が進むたびに、統率が喪われていく。


 渦巻いてはいるものの、それはただ風に翻弄されているだけ。


 ある紙は、渦の遠心力に引っ張られ、使命も忘れて浦風と戯れる。

 ある紙は、他の機体や紙に追突され、それらを包み込むと重みで落下する。


 白の壁に虫食い穴が開き、翡翠の複眼がこちらを覗く。



 鎌が嵐から飛び出した。


 そして、懲りず紙への攻撃を図る。



 気流に身を委ねた飛行機は、その愚直で強烈な腕の風圧で自ら避けていた。

 だけど、ただの紙にそんな芸当は出来ない。



 霹靂が鳴り響いて、幾多の紙が引き裂かれる。



 ラグンキャンスの鬱憤は晴れない。姿が見えるようになったルーフェよりも紙を狙う。


 幼子のために薄く軽くした紙。裏を返せば、脆くて弱い紙。その豪腕で殴られたらどうなるかなんて、火を見るより明らかで。


「う、ゲボっ……」


 紙が無惨に破かれる音と同時に、肺を握られたような痛みがして、無意識に咳が出た。


 あの紙飛行機は俺の魔法。魔法は魂。


 ……俺も皆と同じ、なんだ。


 今まで出した物をここまで壊されるとかってなくて、……ネルトにぶった切られた時は、思い通りに行ったのが嬉しすぎて、意識したことさえなかった。


 だけど、こんなの苦痛なんかに入らない。

 精々違和感程度だ。


「ヨーセ……! どうしよう!? 操れないよ!」


 幼子は不安と焦りに叫ぶ。

 でもこんなの想定内だ。


「ルシエ、紙をあの大きな目に叩きつけてやれ! ルーフェさんはそのまま、まわりながら攻撃を!」


 周り巡っていたが竜巻が、一方通行の突風となる。


 緑の目に、紙くずがベタベタと貼り付いた。


 虫はうざったらしそうに首を振って落とす。

 しかし、風がまた吹いてきて、またくっついて。


 視界を完全に奪うことは出来なくなったが、彼女の急所へ狙いを定められないよう、集中を削ぐめくらましをするには十分だ。


 虫は首だけ動かし彼女を追う。

 

 宙をほとばしる命の光と、染みだす体液。

 本当は一滴たりとも失いたくないもの。餓死に直面しているのならなおさら。

 やめさせようと、蹴りや鎌による攻撃を仕掛ける。


 だが、彼女は軽やかに避ける。


 それどころか、虫自身の足を蹴るよう仕向けたり、疲労させる為に無理のある角度で六肢を振るうよう引き付けたり、関節を伸ばし切ってようやく届くギリギリの距離でキックを誘ったりと、攻撃を逆に利用する。


 まだ戦い慣れていないラグンキャンスは、彼女の手のひらで踊っていることに気付いていない。

 諦めずに攻撃を続ける。それがただの自傷であることを理解できないまま、増えた傷の痛みにますます攻撃の頻度と強さを高めて。


 ……そろそろかな。


「詩歌、前のように炎でチェーンを運んでくれ」


 返事の代わりに、歌が転調する。

 ルーフェを補佐していた光は、無数の煌めきとなって刃から分離し、火の粉へと変幻しながら消えた。


 詩歌の周囲から、真水にインクを垂らしたように、揺らぐ炎が滲み出す。

 それはあっという間にタクトの前へと集合し、螺旋をえがき、長く太い縄を編む。


 初めて聴いた歌も炎だった。


 ラフェムの鮮やかな魔法とか、焼き付けられたあの林の火事とか、そういう影響もあるんだろうけど……彼女の魂を形容する魔法といったら、炎な気がする。


 普段のちょっとぶっきらぼうで冷たくて、自信が無くて、卑屈な様子は、炎の持つイメージとはかけ離れている。

 でも、それは世界が被せてしまった蓑。

 その中には、触れれば火傷してしまいそうな情熱がくすぶっている。


 歌への想い、過去との決別の覚悟。


 熱くて、真っ直ぐで、輝かしい意志が生きている……。

 それを炎と言わずしてなんと呼ぶか。


 ティンパニーが胴を震わすひとりオーケストラを聴き、そんなことを考えながら、『怪物を縛る強固な鋼の鎖』を生み出した。


 先端を炎縄へ投げ込む。

 縄が鎖を取り込むと、自我を持ったかのようにうねり始める。


「片方だけの二番目の足付け根、両鎌、首を輪で囲むように縛ってくれ」


 炎の蛇は、鎖の背骨をくねらせ宙を駆ける。


 そして、細い外殻を巡ると、紐の先端同士を引っ張るように、もしくはゴムが縮むように、グッと獲物を締め付ける。


 爪と脚の狭間は、ずたずただ。

 保護する膜が裂けて、筋肉が露出している。


 そこに炎とチェーンを当てられれば、虫はすぐに外そうとするだろう。


 まず腕を開放しようと、中心を目指して締め付ける鎖に、全力で反発する。



 流石に、書いた情報がそのまま再現される訳ではない。

 だけど、ただ鎖と書くよりも、情報の分強度が強まっていた。


 鎌と接していた近くの鎖は負荷に耐えきれず破壊されたが、その腕力を足に伝えることは出来た。


 強烈な牽引に足を掬われ、横転する。


 無抵抗となった懐に、ルーフェがすかさず潜り込んだ。


 橙光の剣が虫背の内へ消えた瞬間。

 白の光が鉄を打ったように飛び散る。


 同時にラグンキャンスの首は歪曲し、空を仰いだ。

 六肢を痙攣させ、触角を異様に突っ張らせながら伏せた。



 やがて力を失って砂に横たわる。


 白い光は煙のように、天へ向かって立ち昇る。

 それはひどく静かで穏やかで。


 剣と腕を緑に染めたルーフェが、虫の影から出てきて、俺たちの方へ向かってくる。


 その刃に、もう光魔法は宿っていない。


 勝敗は決した。

 本をカバンに仕舞う。


 ゴミのように散乱していた紙飛行機だった物も、鎖も消えた。

 それを合図に、囚える風も、捕える焔蛇も霧散する。


 振り向き、ルシエとルシエの友だちをまとめて抱きしめた。


「もう大丈夫だ」

 

 ルシエの友だちは、またわんわん泣き出した。

 ルシエも、戦いが終わって安心したか、ボロボロ涙が溢れ、しゃくりあげる。


 二人を抱え……たいところだが、流石にこの大きさの子どもを片手ずつで持つのはこの異世界の体でも無理そうだ。

 ルシエは詩歌に任せ、ルシエの友だちをおぶった。


 なぜか、肩を掴んでくれない。

 しっかり掴んでくれと言おうか迷っていると、腕が俺の前に伸びる。

 何かと思えば、その手にはジャーキーが。


「……あとで、氷のドラゴンのお話……聞かせて……」


 泣きすぎで、声がガラガラだ。

 そういえば、ドラゴンとの戦いの語りは、途中で終わってしまったままだった。


 楽しみに待っていたのだろうか。

 それとも、無事に皆で帰る希望を持ちたかったのだろうか。


 どうであれ、俺は快く答えるべきだ。


「アトゥールに戻ったら、してあげるよ」


 差し出されたジャーキーを手に取って、口に放り込んだ。


 水分が飛ばされ、噛みごたえのある硬さになった魚の身。

 甘くてしょっぱい旨味。

 夏の暑さと勝負の熱さで汗をかいた体に、じんわり響き、染み渡る。


 ふっくらした腕は引っ込み、肩を握る。

 小さな手のひらは熱くて、指先が震えている。力が少し強くて、コートが突っ張った。


「おいしい?」

「うん、ありがとう」


 さあ。

 あと三人。


 ラフェムは今何をしているのだろう。

 激闘を繰り広げているのか、それとも見付からないと焦っているか。負けたなんてことはないだろう。 


 太陽は緩やかな落下を始めている。

 急がないと、空が赤く染まってしまう。


 ルーフェは、探索用の光を産み出すと、黙って歩き出した。

 俺たちも、後ろについていく。



 次の子はどこだろう。


 今日の日没、一日の終わりを、一生の終わりなんかに絶対させてなるものか。

 誰一人欠けず、次の朝日を迎えるんだ。


 だから、今は陽光に焼かれる焦燥を抑えて。

 さざなみに溶け込むように静かにしよう。


 助けを求める怯え声を聞き逃さぬように、生きたいと願う魂の気配を逃さぬように。

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