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#70 冷血の白鎌


挿絵(By みてみん)

 巨大な虫は立ち止まる。

 突き付けられた言葉と剣の意味を理解していないのか、不思議そうに首を捻りながら。


「頼んだぞ、ショーセ!」

「お、おう!」

 お陰でラフェムを送り出せたが……言葉が通じないのか?


 いや、普通そうだろう。


 当たり前だろ。リスはともかく、俺らが動物の表情から考えを読み取っていたのと同じように、動物も言葉以外のものから感じていただけだ。


 だが、これは好都合だ。


「詩歌、あの子の元へ」


 彼女は見ず、虫へ向かって言う。

 表情で悟られぬよう、挑発の嘲笑を浮かべながら。

 呼吸も、姿勢も、何もかも。滲み出る気配を全て偽って。奴の意識を俺だけに。



 詩歌は黙って頷き、足音をたてぬよう、そろりそろりと岩の壁へ向かった。


 ラグンキャンスは気付いていない。

 このまま時間稼ぎをして、ルシエを取り戻したら全力で逃げよう。


 なんせ五人だ、戦っている時間も惜しいから。



 ラグンキャンスは、そのエメラルドのような眼でずっと俺を見ている。

 透き通った翠の底にびっしり詰まった無数の複眼に吸い込まれてしまいそうだ。


 自分に覆い被されるほどの巨体が、少し怖い。


 比べればアイスドラゴンや、災禍の龍の方がそりゃ大きい。

 だけど、彼らには表情があった。


 苦しみ、痛み、嘲笑、憤怒。


 何を思っているか、何をしようとしているかが通じてた。


 だけど、ラグンキャンスには表情はない。声も。

 呼吸も見えない。どこが腹部なのか、どこに気門があるのか、そもそもないのかもわからない。

 

 こんなにも目の前で見ているのに、何を考えているかわからない。何をしてくるのかわからない。落ち着いているのか、興奮しているのかさえも。それがひたすらに気味悪さを醸す。


 動かず、様子見。向こうも動かない。


 しばらくして、ラグンキャンスの触覚が震えた。


 浦風になびいたかと思ったが、風の有無を無視して小刻みに揺れている。


 他の個体のフェロモンが漂ってきた?

 それとも……俺の臭いを嗅いでるか?


 ああ、どうにも後者らしい。

 鎌で鋭利な口を撫ではじめた。虫がよくやる掃除だ。普通は食べ終わった後にするのだが。まるで舌なめずりのように、執拗に洗っている。


 何を考えているかやっとわかった……が、わかったところで、嬉しくない……。


 詩歌は……もうすぐルシエを岩の狭間から引っ張り出せそうだ。


 手を伸ばせば、もう彼の体に触れられそう。



 ……ルシエが、自ら忍び足でそっと狭間から前へ出た。

 彼が伸ばした小さな手を、詩歌が優しく受け止める。


 よし……いや!?



 ラグンキャンスが突然俺から背く!




 まるで、知っていたかのように、監視していたかのように。


 あまりにも突然で、反応が遅れてしまった。


 ガードポールみたいな四足で、砂浜と土を踏み鳴らし、あっという間に二人に鎌を奮える範囲に潜り込む。


 俺が詩歌を見ていたことがバレた?


 いや……最初からわかっていたんだ。


 ただ、巣へと勝手に餌が近付いてきたから、ラッキーだと無視していただけ。



 それが、逃げようとしたのなら……。



 後を追ったが、もう遅い。


 虫は、鎌の側面で詩歌をルシエ諸共叩き潰そうと前足を振り上げていた。


 しかし、共に旅に出ると決意した彼女だ。


 臆して固まらず、咄嗟に地を蹴った。間一髪、彼女らの体は横へと跳び、被弾を免れる。


 すぐに、もう片方の鎌が彼女の肋骨を折ろうと水平に飛んできたが、その間に俺が滑り込み、剣でいなした。


 渾身の一撃を空振りした虫は、鎌の重みにつられてバランスを崩す。


 そのほんの小さな隙に、俺達は後ろへ飛び退き、奴から距離を取った。



「大丈夫か?」


「私はなんともないわ。でも……」


「う、ううん。ヨーセ……ぼくもだいじょうぶ……」


 詩歌の腕に包まれた幼子は、心配させまいと一生懸命声を出した。

 でも声も体もブルブルと震えていて。まぶたに涙が露のように溜まり、今にもこぼれ落ちそうだ。瞳は虚ろで、彼方を見ている。


 可哀想に。あんな狭いところに閉じ込められて、とてつもなく怖かったんだろう。


 すぐ逃げられるよう、詩歌はルシエをおぶる。

 背負い終わったのを確認した後、視線をラグンキャンスへ戻した。


「よし、せーので逃げるぞ、いいな?」


「ええ、奴を振り切るまで全力疾走ね」


 バレぬよう、呼吸も重心も平然を装いながら、ラグンキャンスを睨みつける。


「……せーの!」


 囁き声を重ね合わせ、思い切り砂を蹴った。

 視界の端に、驚くラグンキャンスが見えた。


 これで……逃げ切れれ……ば!?


 突然、青空と砂浜が視界から失われた。


 銀の鎌が目前の大地へ突き刺さり、道を塞いだのだ。


 新たな個体か!?


 いや、違う。

 対峙していた、後ろに居たはずのラグンキャンスだ。



 いともたやすく回り込まれたのだ。

 自己ベ出す勢いの全力ダッシュだったのに。


 この虫、巨体のくせして、とんでもなく足が速い。


 ラフェムを追おうとしていた時や、今一瞬逃げ出せたかと錯覚できた時間があったから、初動は遅いようだが……。車と同じか。


 俺たちが砂浜に足を取られていつものように走れていないのもあるだろうが、平地だったとしても恐らく余裕で追い越されてしまうだろう。


 咄嗟に剣を振り回し、捕らえようと向かってきた腕を防ぐ。


 ドラゴンほどではないが外殻は非常に硬く、真っ向からぶつかりあった鋼が弾かれると、腕がじりっと痺れた。



 抵抗される事、もしくは自分の攻撃を防がれる事に慣れていないのだろう。

 ラグンキャンスはこれ以上の追撃をせず、自ら下がり、首をひねる。


 すぐにもう一度逃げようとしたが、あっという間に道を塞がれる。


 そして学習したようで、体を別の方角に向ければ、既に巨体が立ち塞がっている。フェイントも効かない。


 この膠着を抜けることは不可能そうだ。

 ……どうするかなぁ。


 困り果てた俺に、幼子が自ら語り出した。


「ラグンカンスは、一度捕まえたエモノは逃さないんだ……ニオイを追って、どこまでも……街の中でも」


 途切れ途切れの萎縮した声。


 体は先程よりも大きく震え、目に何も映らないよう背に顔をうずめている。


 ……街にまで来るのか?


 じゃあ、空を飛んだとしても無理じゃないか……。

 ラフェムと合わせてあと四人、探しに行かなきゃいけないのに。彼を街に戻しても、危ないし。


「これじゃあ、逃げられない……。ラグンカンスは、とっても硬くて……強いの……だから……強い魔法使いじゃないと倒せない……」


 詩歌が突然驚いた。崩れ落ちそうに膝を折る。


 どうしたかと思えば、ルシエが手を離したみたいでずり落ちたようだ。


 落とすギリギリで持ち直したようだ。彼女は顔をしかめたまま軽く跳ね、彼を元の高さまで戻す。


 先程までは前のめり、背に乗せているような持ち方だったが、今度は背を正し、足を前に出させて抱える持ち方に変えた。


 だが、肩に置かれた小さな手は開かれたまま。


 これではいくらしっかりした持ち方でも、もしものときに落ちてしまう。


「ちょっと、ちゃんと掴んでくれないと! 死にたいの?」


 彼女が声を張る。

 心配から、怒りが混ざっていた。


 だが、ルシエは一向に力を込めようとしない。

 悲しそうな表情のまま、首を振った。



「いいの……危なくなったら……ぼくを置いて、逃げて……。怖くて出てきたぼくのせいなの。ずっと岩のすきまにいればよかったんだ、ごめんなさい、ごめんなさい……」


 再び顔をうずめ、今にも押し潰れてしまいそうな声を振り絞る。

 まさか、こんなことを言われるとは、そんなことを思っているとは、微塵も考えていなかった。

 詩歌は、バツの悪そうな顔で、黙ってしまった。


 ルシエは本気だった。


 俺たちを生かすために、その小さな身をなげうつ覚悟を決めていた。


 救われたいと動いてしまったのを罪として、清算しようと犠牲になることを望んで。



 こんなこと聞かされたら……ますます、俺の救いたいという気持ちが燃え上がるだけだ。



「……やれやれ。俺は君を助けに来たんだぞ? 安心して、任せてくれよ」


 優しく彼の頭を撫でてやった。

 驚いたように顔をあげる、真っ赤な目の周りはずぶ濡れだ。


「で、でもヨーセは記憶喪失で、魔法が使えないんじゃ……」


 不安声の終わりが、砂の擦れる音にかき消される。

 待たずに、虫が走り出したから。


 突っ立って鳴き声を発しているいるだけなら、とっとと殴って一網打尽にしてしまおうとでも思ったのだろう。


 狙いは、先頭の俺だ。


 そういえば。

 湯船で聞かれて、ラフェムと辻褄合わせてしらばっくれたんだっけ……。


「ごめん、あれは嘘。知られたくなかったんだ」


 ジャンプし、振り下ろされた鎌を避ける。

 突き刺さった腕を蹴り、更に上空へ。


 虫は首を伸ばし、その口で刺そうとしたが、もう青空に舞う俺の身体には届かない。


 あの足は、バッタみたいな跳躍に適した足ではない。

 大地に張り付き、どっしり構えるタイプの足だ。

 多少跳べたとしても、ここまでは追ってこれまい。


 剣を鞘へ仕舞い、白い鞄をひらいて本を出す。 


 漆黒の筆を、まっさらのページに突く。


「もう隠してなんかいられないからね」


 炎、炎、炎、炎……。

 一心にペンを走らせる。


 連なる文字。連想するは、一匹の蛇の如く螺旋を描いて落ちる炎球。


 最後にペン先を離せば、たちまちそれは具現し、ラグンキャンスに降り注ぐ。


 詠唱なき火球流星群。


 無から現れた煌きに怯んだか、防御の体勢も取れず、まんまと浴びた。


 砂煙、火の粉、魔法の輝き。


 混ざり混ざった煙幕が、風に吹かれて払われる。



 さて、如何ほどのダメージが……。



「うげ、効いてない」


 想定外だった。


 少しは通ると思ったが……。


 にわか雨が過ぎた程度にしか感じなかったようで、火の粉を前足で払っている。


 足元を見れば、丸いクレーターが無造作に出来ていた。


 もちろん全部外したという訳ではない。

 薄く、曲線を描く身体が攻撃を受け流したんだ。


 あいにく、俺に翼はない。

 落下傘を綴り、風を呼んで舞い上がる時間もない。


 俺の体は、大地へと引っ張られていく。 


 少しは怯む……そういう計算だったのだが、こんなことになろうとは。


 ラグンキャンスは俺を見竦めたまま、着地地点で大きな鎌を振り上げた。


 避けられない……!

 歯を食いしばった時。


 か細い声が聞こえてきた。


 詩歌だ。


 ルシエをなだめる子守唄のように、体を揺らしながら、優しく滑らかな旋律を奏でている。


 その繊細な歌声は、細く強かなピアノ線のような水を体現させた。

 鎌の周囲にまとわりつき、俺を劈く予定だった軌道を逸らしてくれる。


 腕は、あらぬ方向の砂へと突き刺さった。

 すると今度は蜘蛛のように巻き付き、縛りあげて動きを封じる。


 あっという間に糸は引き千切られたが、俺が負傷せずに立て直すには十分だった。



「へえ、タクトが無くても魔法使えるのか」


「出来そうな気がしたから、やってみたら出来たわ」


 ルシエは未知の魔法に心を奪われていた。

 先程までの悲しみを忘れて、目を宝石のように輝かせている。

 怪我の功名か……とにかく、彼が元気を出してくれてよかった。ちゃんと、詩歌の肩を掴んでくれている。これで、集中できる。



 策はないが……突破口はある。これから作るからだ。なんせ龍を討ちに行くのだからな。こんなところで敗北する訳にはいかない!

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