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#7 フレイマーの空虚な家


 脱衣室も、至って普通だった。

 辺りを窺いながら、服を脱ぐ。


 前後左右上下、淡い暖かな生壁色の石タイルに囲まれていて、左には風呂場との仕切りである白い石の蛇腹の扉。

 右にはタオルの掛かった木の手すりがあり、奥の壁には木の棚と、陶器の洗面台、そして鏡がくっついている。


 洗面台には、蛇口が付いていた。

 といっても、見慣れた銀色のあれでも、プラスチックのシャワーヘッドでもなくて、シンプルにカーブを描く鈍色の筒だ。


 多分これは石を加工して作られているだろう。水を出すときのハンドルは、回すやつではなく、引き倒すレバー式。


 中身のカラクリは俺が知ってる蛇口とはかけ離れているだろうが、そんなことは知ったこっちゃないし、使い方さえ同じなら、何ら問題ない。


 鏡は、四角ではなく、無理矢理何かから切り取ったようで、荒々しくいびつな形をしている。この世界には、鏡に似た鉱物でもあるのだろうか。

 反射に関しては、地球の鏡より劣っているようで、この距離だと自分の姿はくすんで良くわからなかった。


 「そういえば、俺の姿って……」


 ギルドカードを作った時に自分の髪や目の色が変わっていたことに気付き、後で確認しようと考えていたことを思い出した。


 丁度脱ぎ終わった衣服の塊を、洗濯籠と思われる公園のごみ箱のような器に投げ入れて、鏡に近付いてみた。緑目の俺と目が合う。


 挿絵(By みてみん)


 平凡だった焦げ茶色ではない。几帳面に丸く磨きあげられたエメラルドのような、透明感と艶のある美麗な緑の虹彩。


 元々黒い髪は、毛先に進むにつれ、森に息衝く荘厳な大樹の葉と同じ深緑のグラデーションが架かる。所謂ツートンカラーというやつだ。



 自分の顔というのは好きではなかったから、こうやって見つめ合うのは久々な気がするのだが……俺って、結構良い顔してるんじゃないだろうか?


 ……いや自惚れか。なんか足の裏をくすぐられているみたいにこそばゆい。さっさと風呂入ろ。…………俺って、ちょっとしたことで調子に乗って、行き過ぎる癖があるんだよな、文字の時もそうだし。



 まあ、この事はもう水に流そう。


 蛇腹の扉を開いて浴室へと進む。


 普通の一軒家と同じ感じだ。


 奥へと広がる床、その行き止まりにはカウンターがある。そして右側になみなみと湯の張られた浴槽。

 今までと違うところと言えば、ホースが無くて……プールの地獄のシャワーというか、スプリンクラーというか、ジョウロの水が出てくるとこの部分みたいなのが直接天井に刺さっているぐらいか。


 カウンターには、何の変哲もない石鹸とスポンジだけが乗せられていた。

 どうやらシャンプーやボディーソープとかボトルとか、この世界にそういう類いは無いらしい。

 とりあえず二つを手に取り、お湯を出してスポンジを湿らせてから、泡立てた。


 かすかな花の甘い香りが鼻をくすぐる。主張しすぎず、それでいて影に隠れない心地よい匂い。


 昨日は風呂に入れなかったので、その分、全身泡まみれになるまでしっかりと洗って、一気にシャワーで流す。

 爽快だ、気持ちがいい。



 泡を落としきったことだし、湯船に浸かろう。

 爪先からゆっくりと湯船へと入る。途中まで水面は膨らんで耐えていたが、足が底についた途端、限界に達して決壊し、俺と入れ替わるようにお湯がへりから零れ始めた。


 腰をおろし、滝のように轟音を鳴らして溢れ出る水の音を聴きながら、慣れない世界で疲れた体の力を抜いた。


 ゆっくりと目を閉じる。


 薄明かりの透けるまぶたの裏に、木漏れ日の下で過ごした風情を思い起こして、あたかも遠くへ行ってしまった想い出かのように懐かしむ。

 どこまでも終わりなく続く広大な空の青に初夏の風になびく芝生の緑、日射で乾いた獣道の黄土色、夕暮れの燃えるような赤。


 きっとこの世界の人々にとってこれらの自然というのは、ありふれた日常の色なのだろう。


 だが、俺にはこの色は、非常に新しくて鮮麗なものだった。


 草土の匂い、かすかに聴こえる鳥のさえずり、波の音、風の音。

 星から享受できる全てが心地よい。

 どんなに発達した機械でも再現することの出来なかったそれが、ここにはある。



 ……前世は、どこもかしこも単調で平坦な灰色の壁と大地に囲まれて、かすみがかかったように曖昧な無色の空が、隙間から見えるだけのつまらない世界だった。しかも臭い。


 だから、自然の色や姿も、匂いも、風や草木の触感も、この世界の全てが真新しい経験で、刺激的だった。


 ……本来は地球にも、トウキョウにもあったらしいのにな。

 ……ははは。


 今日の様々な体験にしばらく浸った後、ふと自分のこれからすべき事を思い浮かべた。

 衣食住はとりあえず、彼がここにいることを許してくれている限りは大丈夫かな。

 しかし魔法に、害獣と呼ばれるモンスターに、あと彼らの文化、知らないことが多すぎる。この世界の常識を勉強していかなきゃなぁ。



 俺の過去は……まあ適当に暮らしの中で思い出せれば御の字だな。

 自分が存在したことを思い出せないのはなんだか気味が悪いけれど、大して良いものじゃ無かった気がする、そんなものをわざわざ掘りたくは無い。


 勉強……そういえばギルドの受付嬢が、本を抱えてたな。内に図書館でも附属しているのだろうか。もしあるのなら、明日にでも借りに行こうかな。



 そんなこんな思考していると、脱衣室の扉を開く音がした。


 「ショーセ、着替え持ってきたぜ。部屋まで案内したいから、出てこれるなら出てきて欲しいんだが、どうだ?」


 彼の声が扉越しから響いて聞こえる。

 前世の風呂とは違って、蛇腹扉がプラスチックとか曇りガラスのような半透明な物ではないから、姿も陰も全く見えないが、扉の前に立っている気配はする。


 「ああ、ありがとう、すぐに出れるよ。少し待ってくれ」


 「じゃあ、僕は外で待ってるよ、棚に着替え置いとくからな」


 再び扉の開く音がして、彼の気配が隣からすうっと消える。


 すぐに湯船からあがり、軽くシャワーで流してから浴室を出た。



 体の水気を拭き取っていると、ラフェムが小さな咳払いをして、こちらに語りかけてきた。


 「……さっきは気まずくさせてすまなかった。ずっと家族が亡くなった事実を認めずに、忘れようと何年も過ごしてきたから、凄く苦しくなったんだ」


 一旦彼の言葉が止まる。

 かすかな深い呼吸の音が聞こえる。


 「だけど、今こそが向き合うべき刻だと思う。頼む、聞いて欲しいんだ、僕の昔話を」


 無気力じみていた今までの暗い声とは違う、進む覚悟を決めた、重い声であった。


 彼の決意を失礼のないよう全力で受け止めるべく、わかったと一つだけ返事をして、ドア越しのラフェムの言葉に耳を澄ます。


 「僕の両親も、姉さんも、人間を、この世界を救う為に立ち向かい、そして散った。父さんと母さんは、人を喰うドラゴンを討伐するため、遠い遠い街まで遠征し、行方をくらませ、そのまま帰ることは無かった。僕を、姉さんを、二人を残して」


 人を喰うドラゴン……そんな恐ろしい者がこの世界には存在するのか?


 今日の悪戯好きなんか比較にならないレベルのヤバイ奴じゃないか。そんな生命体と同じ地を踏み、空を吸っていることが信じられず悪寒がした。


 彼は、声のトーンを変えることなくそのまま続ける。



 「姉さんは……世界を狂わせ破滅を造り出そうとする化け物に立ち向かい、………………僕を庇って殺されたんだ」



 「は、破滅だって? そんな恐ろしい存在は今もいるのか!?」


 「いや、アイツはとっくの昔に死んだ。大丈夫だ、今は」



 今は……ということは、今後も現れる可能性があるってことか?


 どうやらこの一件平和そうな世界も、様々な問題を抱えていたようだ。


 しかし、彼の家族が全人類を守るために命を捧げて戦った結果、笑いあえる明るい平和が訪れたはずなのに、勇者の血筋であるラフェムだけは深い暗黒に取り残されたというのか。

 針で刺されたように胸が痛む。


 かつてここに居た強大なる力に怯え、かたや彼の境遇を知った悲しみに、感情は砂嵐のように形を一つに留めることなく掻き乱される。


 なんて続ければ良いのだろう。どう答えれば良いのだろう。


 鉛のような大気に包まれて、呼吸さえも大変だ。


 ……俺は本当に気が利かない人間だな……。こんな時に何かが言えたら、何か彼の重荷を降ろせる安心を与えられる能があれば。ラフェムの方が辛くて苦しいはずなのに、俺は……。


 「……ショーセ……。君は、君は、もし、もしもだよ。この世界が再び破滅の危機に晒された時に、この星の為に勇者となって力を奮ってくれるか?」


 ラフェムは突然、俺を試すかのような問いを投げかけた。


 ……ここは愚直に、はい出来ます。と答えるべきなのだろう。


 だが、魔法の一つも使えない俺なんかが終焉を望む強き者に歯向かったところで、勝つどころか四肢というか人間の形をを無事に保ったままでいられる可能性なんか、一割さえもないだろう。


 そんな結末が見え透くような化け物と出会ってしまったら、命惜しさに腰を抜かしたまま逃げる、絶対そうだ。


 情けないが、敗走する自分しか思い浮かべることが出来なかった。


 見栄を張って強がりたい気も無くはないのだが、ありもしない勇気と思いを持っているかのように演じるなんて、俺には出来やしないのだ。それにこの場で虚栄を張るのは失礼だろう。


 少々の沈黙の後、恥を押し殺して開口する。


 「守りたいですけど、奮える力なんて無いです。……ごめんなさい、俺にはこの通り魔法さえ使えない、強さが無いんです……恥ずかしながら」


 素直に言うと、壁の向こうの彼は、怒りも落胆もせず、能天気に笑う。


 「はははっ、正直だな。じゃあさ、こうしよう。もし君がその恐ろしい敵と、ほぼ互角に戦える特別な力を持ってたとしたら、その時はどうするんだい?」



 ……互角の力か……。



 「力さえ、対抗する力さえあるのならば、この星の為に全力で戦いますよ。あなたのような人が居る、こんなに優しく素晴らしい世界を壊されるなんて堪りませんからね」


 助けてもらった恩を仇で返すなんて、そんな無礼どんな心の無い人間がするんだか。


 とはいえ、さすがにちょっと言い方を格好つけすぎた? 若干頬と胸が熱くなった。


 丁度寝間着を着終わったので脱衣室から出た。

 すぐ右の壁にラフェムがずり落ちそうなほどに角度をつけて寄りかかっていた。


 こちらへ、俺の痛い発言を冷やかしたような、喜んでいるような笑みを向けながら、背を正す。


 「ふふっ、そっか。結構嬉しいこと言ってくれるじゃん、ショーセ。君はきっと……」


 彼は意味ありげに途中で言葉を切って、階段の方へと歩き出した。

 結局何を言おうとしたのだろうか、知りたいが臆病なる心が邪魔をしてきて聞くこともできず、じれったくなった。



 二階には、二人がギリギリ横に並べる幅の直線の廊下と壁が、家の端から端まで伸びていた。左右に二つずつ、合計四つの扉が付いている。


 一番近い扉は、階段をあがって一歩程手前の右手の方にある。なんだろう? 戸に掛けられた小さな看板を見るが、文字面を裏返されていた。


 板を表にしようと手を伸ばす。その瞬間、突如手首を鷲掴みにされた。


 驚いてラフェムを見る。彼も驚きの表情だった。咄嗟に手が出たらしい。


 「……約束してくれないか、君が今気になってるそこの部屋……姉さんの部屋と、左の方の父さん母さんの部屋には絶対入るな。まあ、もし入ろうとしても魔法がかかってるから、扉にさわった瞬間大火傷するけどな。だから本当にやめて」


 焦燥混じりの迫真な紅瞳で見据えられたので、俺は大人しく手を体の側面に戻した。


 成る程、ここはラフェムの姉の部屋か。家族の部屋に踏み入られたり、荒らされたら激昂するのは自明の理。

 約束を忘れぬようしっかりと胸に刻み、奥へと進む彼の背に付いて行く。



 左の扉を通り過ぎて、右の二番目の扉。〝LAFEM〟と彫られた、姉の部屋の前にあった物と恐らく同じ木の板が吊るされていた。


 「ここが僕の部屋。ああ、便所は更に先のあの扉だよ。こことあそこは入っていいから」


 ラフェムは一番奥の、廊下の終わりに近い場所にある扉を指差す。俺がちゃんと理解したのを確認すると、部屋の扉を開けた。


 「あー、やっぱり二人じゃ狭いかな。すまないなあ」


 彼が申し訳なさそうに頬を掻きながら、俺を部屋へと招き入れる。


 部屋の奥に足の高いベッドとその左にタンス、そこから少し手前に机が置いてあるが、まだまだ三人ぐらいなら大の字で寝れる程の余裕がある広い部屋だった。

 空いている場所に、急遽用意したであろうマットレスが敷かれている。これは俺の寝床だろう。


 「全然狭くないですよ、凄く大きい部屋ですね」


 「そうか? そりゃあ良かった」


 彼は安堵に緩んだ微笑みを浮かべて胸を撫で下ろし、奥のタンスの前で何かを漁り始めた。

 彼が背を向けている僅かな時間、部屋の様子を見回す。


 内開きのドアから入ってすぐ左にあるシンプルな机の上には、中央に彼が持っていった俺のバックが乗せてある。左端にはペン、右端には白紙の束が置かれていた。

 ……左利きなのかな?


 隣には本棚があるが、所々不自然に隙間が空いている。誰かに貸しているのだろうか。本棚とタンスの間の壁に張られた紐には、昨日着ていたダウンジャケットが何枚もハンガーに掛けられて吊るされている。


 風呂前に片付けるとラフェムは言っていたが、汚い部屋を急に掃除した時に良くある、物を適当に重ねて隅や机に置いたり、ベッドの下や棚に全部流し込むといった、おざなりな感じは全くない。普段から部屋を綺麗に使っているのだろう。


 ラフェムはパジャマ一式を脇に抱えて廊下の方へと歩き出した。


 「じゃあ今度は僕が風呂に入るから、それまでくつろいでいてよ」


 「わかりました」


 「また後で」


 彼は外へ出ると、静かにドアを閉めた。


 金具がカチャリと鳴ったのち、部屋は静寂に包まれた。天井に取り付けられたガラスの中で燃える炎の、意識しなければ聞き取れないほど小さな唸りと、自分の呼吸の音だけが聞こえる。


 こんなにも立派で広い家なのに、全く生活音が鳴らないことに、もの悲しい気持ちになった。

 本当にラフェムの家族はいないんだ。切実にその事を感じて胸が苦しい。


 とりあえず机の上に置いてあるショルダーバッグを手にとって、マットレスに腰をかけた。詰められているのは綿だろうか、程よい硬度だ。そうだなあ、明日の予定でも考えようかな。


 明日……。とりあえずギルドに行って、図書室があるか確かめよう。もしあるならこの世界の本を数冊と、モンスターの図鑑を読んで、知識を増やす。無かったら、自分が出来そうな依頼があるか確認して、もしそれも無かったら街を散歩しよう。


 そうだ、依頼。


 今日貰った銅の事を思い出した。

 宿に泊まる必要が無くなったので手元に残る事になった三銅の一枚をバックから取り出して、天の火にかざす。


 暖色の光を煌々と跳ね返す楕円の板は、服に染められた角張ったラインに似たダイヤの模様と、それに囲まれた炎のような図が凸版のようにはっきりと浮き出ている。記念メダルみたいだ。


 これだと硬貨を重ねられないのではと思ったが、裏側を見ると、同じ型にへこんでいるのに気付いた。これなら向きを揃える必要はあるが、玩具のブロックのように安定して積むことが出来るようだ。

 これ、型に銅を流し込んで作っているのだろうけれど、カメラというか機械の無いと思われるここの文明にしては、銅の質も模様の精密さもレベルが高すぎる気がする。



 まあ、そんなことは今重要じゃないか。


 銅貨を鞄へと戻し、ゆっくりと横たわった。ラフェムが帰ってくるまで、横になって休んでよう。仰向けに体勢を変えて、真上で穏やかに揺らぐ篝火を見つめながら、溶けるように四肢を投げ出した。

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