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#69 ラグンキャンス

 一面の翡翠の中、唯一土の見える獣道を並んで進む。消える寸前の轍の歪みを足の裏でなぞって遊びながら。

 だいぶ歩いて海が見えるようになったが、まだ遠い。



 ラフェムは、あれからずっと顔を手で覆い隠し、前屈みになったままだ。

 隠せていない耳は、未だに真っ赤。


「……いつまでその調子なのよ」


 詩歌が呆れて問うが、ラフェムは意味を持たない唸り声を出すだけだ。

 キザな振る舞いが今更恥ずかしくなったか、お返しに想像以上に悶えてるのか、会えなくなる実感が湧いてしまって悲しいのか、やっぱり不安なのか、未だに全くわからん。全部かも。


 うーん、戯けてみるか。


「……あーあ、俺もちゅ〜してくれる彼女が欲しいなぁ〜〜」


 当て付けも兼ねて、大きな声でひとりごちてみる。


 いてっ!

 当然、即座にどつかれた。


 その時に一瞬覗いた顔は、炎が内で燻っているみたいに紅くて、口は普通の状態を忘れたようで変に強張っていた。

 眼は潤んでいて、今にも雫が溢れ出て落ちそうだ。


 ああ、やっぱ全部かも。こりゃ宥められそうにないな。アトゥールに入ってもこの調子かも。


「彼女が欲しいって……やれやれ、幼稚」


 俺に向けられた青の瞳は、酷く冷めていた。

 そんな目で見なくても、いいじゃないか!


「俺だって、ほんとは抱擁されたい! 甘えたい! 優しくされたいんだよ! 俺を必要として、帰りを待ってくれるような、彼女が欲しいんだ……! お姉さんがいいな!」


 痛っ!

 またどつかれた。それも、さっきより強く。

 一緒にするなってか。


 詩歌は、肩をこれでもかと落とすオーバーリアクションで、理解できない様子を示した。


「はぁ、なにそれ…………待って、あれ何?」


 何か言い返そうとしていたが、それを止めて不思議そうに茂みを指差す。


 目を凝らしてみると、新緑に溶け込んだスクイラーとレプトフィールがいた。


 二匹は、対峙し争っていたようだ。


 だが、今はこっちの様子を窺っている。

 恐らくは、煩い俺らが通りがかったから、一時休戦して様子見か。


 これは不味いな。


 いたずら好きのリス。

 そして戦闘狂のトカゲ。


 どっちも襲いかかってくる可能性が高い。


 今日中にラスリィまで行くつもりなのに、ここでバトルロワイヤルが開催されてしまっては、間に合わなくなるかもしれない。


 ラフェムも、それは困るみたいだ。

 ようやく顔から手を離した。

 背を真っ直ぐ伸ばして、二匹を牽制するように睨みつける。 


 向こうも、じっと固まったまま出方を窺う。


 互いに動かぬ膠着が続く。



 強さを魅せて威嚇すれば、リスはひるむかもしれない。だけど、トカゲに襲われるかもしれない。



 弱いフリをすれば、トカゲの関心は削がれるだろう。だけど、リスに襲われるかもしれない。あと、負けず嫌いのラフェムは協力してくれないかも。



 打つべき手は……?



 ……なんて悩んでいたら。


 スクイラーが、俺達から離れるように、茂みの奥へと走った。

 まだ戦いたいのだろう、レプトフィールは、モップのような水色の尾を追いかけた。


 サメの尾びれのように茂みから突き出た角と尻尾は、地平線へ向かって泳いでいく。

 やがて潜ると、二匹の行方は完全にわからなくなった。



 まさか、あのスクイラーは、俺たちの顔を覚えていたのだろうか。


 逃走の理由は、本で脳天殴られた記憶か、悪事を働いておいて街へ身を寄せた気まずさか……どっちなのだろう。


 なんにせよ、良かったぜ。


「というかラフェム、治ったか。切り替え速いな」


「ふん、戦闘には全身全霊で挑まなければ。何があるのかわからないからな。実際、どちらからも襲われないなど、読めなかった」


 彼はつい先程でもこうであったかのように、怪訝な顔で腕を組んで、二匹が消えた草の影を睨み続けている。

 睫毛は露に濡れたままだが、頬の赤みは消えていた。


 ラフェムは軽く辺りを見回して、敵意の気配が無いことを確認すると、また歩き出した。


 さて行くか。そう思って数歩歩いたが、足音が少ない。振り返れば、詩歌はまだぼーっと向こうを眺めている。


 戻って、肩をとんとん叩くと、ようやく気付いたようで慌てて歩き出した。


 ラフェムの隣まで追いつくと、また不思議そうに草むらへ視線を戻し、また引き離されていく。


「どうした?」

 また彼女は慌てて戻ってきた。今度は俺の隣に。


「さっきのは?」


「ああ、どちらの種も初めてか」


 彼女がこの世界に来たのは、どちらの出来事よりも後だったことを思い出した。


 リスのような、トカゲのような、それでいて異質な外見を持つ生き物に興味を示すのは、何気なく跳ねていたバッタの羽根にまで着目していた詩歌には当然の事だろう。


 そうだな。街につくまでの間、特にすることも無いだろうし。


 ラフェムに聞こえてもいいように、地球でしか知り得ない喩えを言わないよう気をつけながら、知っていることを話そう。


 リスと遭遇した果物狩り、勝負のハチャメチャの中にギラつく緊迫感、食べたトカゲの肉の味。自らが体験した過ぎし日の事。


 あのトカゲは本来ここにはいないはずであったり、リスは街の人からもよく思われていない悪戯好きであること、誰かに教えてもらった情報。


 とりあえず、思い出すままに彼女に話した。

 考えてないから、山もなければオチもない話し方だったけど、それでも彼女は食い入るように聞いてくれた。


 あまりにも真剣に耳を傾けてくれるものだから、応えたくて記憶の限りを搾り出した。


 いずれにも興味深そうだったが、特に俺が読んだ図鑑に関心があるようで、借りれば良かったと残念がる。


 ラフェムの回復するまでの僅かな期間、図書館には赴いたものの……この星の常識を学ぶのが精一杯だったしなぁ。


 しばらくは図書館に通う余裕もなさそうだし。


 本屋があったら、買ってあげようかな?


「あら?」


 彼女の関心が急に逸れた。

 

 いつの間に、町が目前まで迫っていた。

 風の香りは、草木から磯へ変わっている。


 話に夢中になっているのは、彼女だけじゃなくて俺もだったようだな。


 看板と風化したベンチを過ぎ、角を抜け、大通りへ。


 三度目のアトゥールの大通り。

 石畳の道と、波止場と、帆のない舟がある、この町一番の大通り……が、あるはずなのに。

 初めて来た場所なんじゃないか? そう感じてしまった。


 ビリジワンよりも、龍禍の影響が酷かった。


 道に人はいない。声も聞こえず、ただ打ち上げられる波の音だけが延々と響く。


 波止場には、たくさんの空っぽの舟が寂しくぷかぷか浮いていて。


 ゴーストタウンのようにひっそりしていて、木枯らしの吹くような冷たさがあった。

 実際は、焼かれるような陽射しで汗が滲んでいるのにも拘らず。



 詩歌は初めて見る白い石の家々を、ラフェムは二隻しか浮いていないがらんどうの海を、それぞれ眺めながら無言で歩く。


 店は殆ど開いていないようだ。


 戸のない入り口の横に立て掛けられた、看板代わりの長い板は裏返されて。

 カウンターに人は居らず、だけど中は売り物が置きっぱなしのまま。


 まるで無人販売所。


 本当に時々、魚屋とか八百屋が営業していて、店主らしき人物が、奥の方でしょんぼりしている。


 進めど寂しい光景は一向に変化なく。


 何事も無いまま、長い大通りの終わりが来てしまいそうだ。


 もう少ししたら、石畳の道は砂に埋もれて、波打ち際へ変わるはず。


 アトゥールも、もうおしまいか。


 そう思った瞬間。


 悲鳴が、先の方角から微かに聞こえた。


 幻聴ではないようだ。


 代わり映えしない町に飽きてぼんやりしていたはずの二人が、目が冴えたように、道の先を確かめようと睨んでいたから。


 結構遠いのか、人影は見えず、声も叫びなのはわかるが、なんて言ってるか全くわからない。

 だが、ぞわぞわと不安な気持ちが湧き上がる。


 いても立ってもいられない。


「行くぞ! ショーセ、シーカ!」

「ああ、走れ!」


 だらんと腕を垂らして持っていた荷物を、しっかり脇に抱えて、全力疾走で悲鳴の元へと急いだ。



 悲鳴は、やがて子どもの声である事に気付き、そして助けを求めていることがわかった。


 声の輪郭が鮮明になると、声の主も確認できるようになった。


 小さな人影も、こちらに向かって走ってくる。


 酷く怯え、ボロボロ泣きながら顔で助けてと叫んでいる。


 石畳と砂の境でようやく合流。


 その子はそのままラフェムの足に飛び付き、ぎゅっと抱きつくと、お願い助けてとだけ何度も繰り返して、今以上に泣き喚いた。


 ルシエと同じ、園児ぐらいの男の子……というか、ルシエと一緒に集まって遊んでいた子の一人だ。


 一体何があったんだ?

 ラフェムは冷静に、しゃがんで目を合わせてやると、優しく慰めるように頭を撫でる。


「なにかあったのかい? 僕たちに教えてほしいな。手伝えることは、なんでもするよ」


 落ち着いて語りかける声に安心したか、彼のパニックが鎮まっていく。


「あのね、砂浜で遊んでたら、ラグンキャンスに、皆が捕まっちゃったの! どうしよう……」


 空気が張り詰める。


 捕まった?


 心を緊迫と不安の影に一気に染められる。


 ラフェムも、一瞬飲まれそうになったが、ここで自身が慌ててはいけないことをわかっている。


 変化を見せず、優しいまま聞き続けた。


「誰と一緒に遊んでたのかな?」


「えっと、アエラと、イドゥハ、ルシエ、サースイ、ジム。ぼく以外、皆捕まっちゃった。ぼくは逃げれたけど……」


 ルシエ……。

 あの子の名に、ラフェムの眉がピクリと震えた。


「……五人、だな。ラグンキャンスはどこに行ったかわかるか?」


「ごめんなさい、逃げるのに夢中だったからわからない……。まだ、近くにいると思う……」


「そっか……どこで遊んでたか、目印はある?」


「鞠が置きっぱなしになってる」


「わかった。君は町に戻って、強い人を呼んできてくれ!」


「う、うん!」


 ラフェムは、彼の背中を鼓舞すするように叩いて押し出す。そして、少年とは正反対の方向、砂浜の先へ向かって駆け出した。

 俺も、ラフェムの行く方へと走る。


 地面を力強く蹴り飛ばしたから、砂が巻き上がって靴に入った。サラサラとした細かな砂に足が沈み、いつもより走りにくい。


 だが、そんなの気にしてられるか。


 ラグンキャンスは、何を目的に子どもたちを……?


 野生動物に手を出される場合、大抵……餌に見えたか、縄張りに侵入したかだ。


 どちらにせよ……彼らの命が危ない。


 一刻でも早く、連れ戻さねば……。


「ショーセ。ラグンキャンスはわかるか?」


 ラフェムが、横目で俺を見ながら聞いた。


 前に、ルシエがカニ歩きしながら言っていた。これはラグンキャンス歩きだと。


 つまりラグンキャンスとは。


「蟹だよな?」


「え、蟹!?」


 ラフェムが、ヘンテコな語気で繰り返した。

 そんなに驚くことあるか?

 彼は閉口し、困った顔で唸って……。


「まあ、似てるっちゃあ似てるかもしれんが……」


 随分と微妙な擁護をされた。


 じゃあ、蟹じゃないのか……?

 じゃあ、なんなんだ?


「もー! ちょっと、呑気に話してる場合!? ほら、あそこ! ボール落ちてる!」


 詩歌が怒りながら、勢いよく前を指差した。


 脱線していた意識を戻す。言う通り、先の砂浜の上に、ポツンとボールが落ちていた。


 他には何も無い。人影も、ラグンキャンスの姿も。


 子どもたちは、ここで遊んでいて……捕まったのだろう。

 ボールのそばに寄り、足元を注目する。


 人間の足跡と思われる窪み、そして岩場へ向かって引きずられた跡、剣ほどの大きさの棒か板か何かで引っ掻いたような線、巨大な鳥のような、細い足跡……。


 無造作にへこんだ砂が、惨状を語っている。


 引きずられた跡を追ってみる? そう考えてみたが……跡は他の足跡や風の跡と交差し、混線し、追えなくなった。

 追えても、最終的には消えている。海から離れるほどに、砂は硬い土と岩に置き換わっているからだ。


 これでは、どこに行ったかわからない。


 それに、二メートルほどの岩が壁のように聳えているが、それを登ればすぐ森だ。


 もし、この上に連れてかれてしまっているのならば……。


「ラフェム……ラグンキャンスはどこに棲んでいるんだ? 生態は……」


「……僕、ラグンキャンスの事全然知らないんだ……。でも、何処にいるかは知っている。あの子たちも、きっとそこに……」


 目を瞑り、祈るように手を合わせ、炎魔法の詠唱を囁く。


 ラフェムから、水中に墨を垂らしたような、薄く蠢く炎が、ふわりふわりと体から剥がれるように生まれてくる。


 やがて、それは綿のように、空気を含みながら絡んだ一つの塊となる。

 凄く優しく柔らかな焔……。同じ広範囲に広げるタイプでも、以前龍との死闘の際に見た炎の海とは大違いだ。


「あっ、ショーセ駄目だ触るな! 集中が途切れるだろ!」

「ご、ごめん……」


 思わず手を伸ばしてしまった。


 触れた途端、彼は目を瞑っているから見えないはずなのに、俺が触れた事を見たかのように怒られた。おそらく、魂を感じ取ったのだろう。

 これで、子どもを探すんだな。


 綿火の周りは、それぞれ細く、長く紡がれ、直径りんごほどの大きさの毛糸姿へと変わる。


 ヤマタノオロチのように根本から分岐した紐は宙を縫い、一本ずつ岩壁の、俺たちがギリギリ入れないぐらいの狭い隙間へと潜り込んだ。



「ラグンキャンスは、岩の隙間に生息すると聞いた。もしかしたら、子どもを連れて引き篭もっているのかもしれない……」


 話す余裕がないのだろう、独り言のように言う。

 少しの静寂の後、ラフェムは突然目を見開いた。


「いたぞ!」


 一本の糸を握り締める。

 他の炎は霧散した。

 残された柔らかな炎の糸は、凝縮するように更に細く、そして硬くなり、硬い綱へと変わる。


 彼は思い切り腰を下ろし、その綱を引っ張った。


 爪か? ギャリリと岩を削る音がすると、巨大な何かが姿を現した。


挿絵(By みてみん)


 白い生き物。


 全く蟹ではない!

 どちらかというと虫だ!


 カマキリのような鎌の前足、巨大な緑の眼と、毛の生えた触覚。口は、何かを刺す形をしている。

 ラフェムの炎が絡みついた足は、カブトムシの足。


 首は蛇腹で、曲がるストローのよう。体は異様なほどに細く、Eの形をしている。まるで用途のわからないプラスチック製品みたいだ。


 こんな生き物は、見たことがない!


「ショーセ、あれがラグンキャンスだ! 戦えるか?」


「戦えるも何も、戦うしかないんだろ!」


 ラグンキャンスと呼ばれた妙な生き物は、鎌首をもたげ、鎌も持ち上げる。

 カマキリと同じ威嚇。

 引き摺り出されて憤っているようだ。


 狭間から、また一つ影が出てきた。


 あの水色の髪は、ルシエだ。怯えに歪んだ顔だけ出して、こちらを窺っている。


 ラフェムはその姿を見て、安堵の表情を浮かべると、縛っていた火の縄を解いた。


「手分けしよう! ショーセたちはこの先を! 僕は来た道を戻って探す!」

 

 そう言うと返事も待たずに、また炎の糸を紡ぎながら踵を返した。

 ラグンキャンスは、彼を追いかけようとする。

 足を引っ張った魔法使いを狙うつもりなのだ。



 だが時間がないのだ、そんなことはさせない。


 剣を抜き、颯爽と進路に飛び込んだ。



 お前の相手は、この俺だ!

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